第3話 一方的なキャッチボール
僕は彼女を連れて講義棟の中に入っていった。鞄の中に入れていたタオルを取り出し、彼女に手渡した。
「ありがと」
彼女のか細い声はとても奇麗だった。消え入りそうな声というのはなぜこんなに美しいのだろうか。幽玄に美を感じるのは日本人だからだろうか。そんなことばかり考えてしまう。僕はもう彼女に魅入られてた。しかし、魅入られすぎると僕が彼女を魅了することはできない。相手に見とれながら相手を恋に落とすことは出来ないというのが僕の持論だ。僕は彼女かける言葉を考えた。
「今日はどんな本を読もうとしてたの?」
「内緒」
「え~教えてよ」
「嫌」
話が続かない、、、
「そういえば何学部なの?」
「文学部」
「本が好きなんだね」
「うん」
文学部って何を勉強してるんだろう。彼女は答えてくれるだろうか。
「文学部って何するの?」
「特に」
なんて実りの無い会話だろう。彼女の興味を引ける何かを、僕は頭の中で必死に探していた。しかし、僕の頭の中には女性を喜ばせる話題などあるはずも無かった。ファッションの話などをしようと思ったが、彼女はそんな話には乗ってこないだろう。カフェの話や友人関係などいろいろな話を考えたが、そのどれもが彼女の気を引けそうなものではなかった。僕はしばらく黙りこくってしまった。
その時、彼女が鞄を開いて本を探り出したのだが、その中に卓球のラケットが入っていることに気が付いた。これは聞くしかない。
「卓球やってるの?」
「やってない」
「じゃあ何でラケット持ってるの?」
「わからない」
ああ、これも僕が小説に書いたテキトーな設定だった気がする。鞄の中身を記述する際に、何の考えもなく書いてしまったんだろう。彼女が卓球をやっているという設定は用意していなかったんだろう。彼女の持ち物と彼女の趣味が合わないことがあるわけである。余計に僕は何を話せばいいのかわからなくなった。
僕は仕方なく今日の講義中に教授が怒った話や、僕の友達の笑い話をした。
「寒い」
「僕の話が?」
「いや、ふつうに」
それはそうだろう、彼女はびしょ濡れなんだから。そうだ、温かい飲み物でも買ってきたらいいじゃないか。そんなことに今更気づいた。
「待ってて、なにか飲み物を買ってくるよ。」
彼女はきっといらないと言うだろうから、彼女が答える前に僕は自販機に向かった。
僕は温かいお茶を買って彼女のもとに戻った。彼女の手はまだ震えていた。僕は彼女の手の中に温かいペットボトルを渡した。
「あったかい」
「そうでしょ」
「いくら?」
「いいよ、おごり」
ぎこちなさ過ぎる会話だった。しかし、彼女はお茶を嬉しそうに握っていた。
「コーヒーが良かった」
彼女が微笑を浮かべながら言った。
「言ってくれればコーヒーにしたのに」
「いう前に行っちゃったじゃん」
「そうか、ごめん」
コーヒーが好きだということも、そういえば書いていた気もする。僕は彼女の前でその様子を見て彼女のことを考えるより、小説の内容を思い出す努力をした方がいいと思った。しかし、それもなんだかずるいような気がした。目の前の彼女を普通の一人の女性として接するのが、僕の義務であるように思えた。
僕たちは講義棟内のベンチに座った。彼女はスマホを取り出してそれを見ていた。
「何見てるの」
「ニュース」
スマホは普通に使うようだ。僕はスマホについては小説に何も書いていなかったと思う。しかし、これはチャンスだ。彼女の連絡先を聞けるかもしれない。僕は、誰もが使っているメッセージアプリを使っているか聞いた。
「使ってない」
まじか。これはなかなか攻略難易度が上がった。僕はそのアプリの入れ方を教えて、僕を友達登録した。
「これでいつでも話せるから」
「はあ」
彼女はあまり何もわかっていないようだった。もしかしたら、これでいつでも彼女と話せるかもしれない。まあ彼女の反応を見るに、彼女がアプリを使いこなしてくれるとは思えないけれど、、、
彼女はまた、ニュースを見始めた。
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