第2話  びしょびしょ彼女

 次の日、朝目覚めた僕はいつなく張り切って身支度をした。着るのがめんどくさいおしゃれっぽい服を着た。こんな服を着るのは久しぶりだ。クローゼットから引っ張り出されたこの服も驚いているに違いない。普段つけないピアスやネックレス、指輪なんかをつけて、髪をセットして大学に向かった。

 大学についてから、友人たちに彼女のことを知らないかと聞いた。みんな存在は知っているというが、詳しくは何も知らないようだった。なるほど、都合よく皆の記憶は彼女の突然の登場に対応するように書き換えられているようだ。みんな彼女は美人だとだけ言った。美人な女の子の話は確実に男子の噂になっていたので、彼女の話題を今まで聞いたことがないことを考えると、やはり彼女は元々存在したわけではないようだ。まあそんなことはどっちでもよかった。

 僕は彼女のことを考えながら講義を受けた。法学の授業だ。何にも頭に入ってこない。彼女のことだけが僕の頭の中を支配し、人権やら知的財産法やらなんてどうでもよかった。昼休みにちらっと彼女を遠くに見た。例の読書の時間以外も、彼女はこの世界に確実に存在することを確認できたわけである。

 午後の講義も集中できるわけがない。彼女は何学部なんだとか、出身はどこだということになっているのだとか、昨日聞いておけば済んだことを考えても仕方ないのに考え続けた。

 なるほど、これが恋か。恋とはなんて恐ろしいものだろう。恋に侵されている人間は、他のことを考えられなくなる。愛する一人のためなら全人類を危険にさらすことも厭わない。なんて恐ろしくも魅惑的なものなのだろう。そんなことを考えた。

 雨が降ってきた。彼女が読書していた場所は屋外である。今日も来るとは言っていたが、雨でも来るのだろうか。雨が降った時のことを聞いておくべきだった。まあ、行ってみるしかない。僕には他に選択肢がなかった。何で昨日連絡先を聞いておかなかったんだ。

 僕はいろいろなことを聞かなかったことを後悔した。後悔してばかりだった。自分の計画性の無さを呪った。

 やっと彼女が読書に来るであろう時刻になった。4時ごろから読書をするというのは、僕が小説に書いた設定だったような記憶がある。僕はあのベンチに向かった。

 彼女はそこにいた。傘もささずに。しまった、と思った。彼女が三か月間毎日そこで読書するという設定が彼女をここに来させている。雨の日は違う場所に行くとか、傘をさしながらなんて注釈はいちいち書いていなかった。

 「何で傘持ってないの?」僕は彼女に話しかけた。

 「わからない」

そうだろう。彼女自身にも分かるわけがない。僕が書き忘れた、それだけだ。もっと小説は丁寧に書くべきだったと後悔した。今日何回目の後悔だろう。

 「ほら」

僕は傘を彼女の頭の上に持っていった。しかし、もう彼女はびしょ濡れである。水に濡れた彼女はより美人に見えた。

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