第162話

『──なるほどのぅ。その氷の魔王とやらが手に負えんから、わしに力を貸せと、そういうことじゃな?』


 竜のその言葉に、アイリーンが緊張の面持ちでうなずく。

 一通りの事情説明を終えたあとのことであった。


「これ、お父さん──国王が持って行けと。この剣に見覚えはありませんか?」


 背負っていた宝剣を手に取り、捧げるようにして竜に見せるアイリーン。

 竜は訝しんだ様子で、首を伸ばしてアイリーンの方へと顔を近付け、その剣をまじまじと見る。


 アイリーンのすぐ眼前、いまにもその口が開いて食い殺されてもおかしくないという位置まで竜の頭部が近付いて、騎士姿の少女が唾をのんだようだった。


『はて、確かに見覚えがあるの。その国王とやらの名を言ってみぃ』


「あ、アンドリューです」


『アンドリュー、アンドリュー……おおっ! あのアンドリューの小僧か!』


 竜が首をもたげる。

 竜の表情など見ても分からないが、声色から察するに愉快そうな様子に見えた。


『懐かしいのぅ。そう言えば、わしの宝物の中から、その剣を小僧にくれてやったんじゃった。なんじゃあの小僧、国王になんぞなっておったのか。──して、お主がその娘というわけか』


「は、はい! アイリーンと言います」


 めっきり緊張した様子で答えるアイリーン。

 どうも竜の雰囲気に呑まれているようだった。


 なおアイリーンの父親、グレイスロード王国の国王アンドリューは何者なのかというと、国王になる前は冒険者であったという異例の経歴の持ち主である。


 厳密には、元より王位継承者の地位にいたアンドリューが「見聞を広める」と言って周囲の制止を無視して冒険者を始め、数々の偉業を成し遂げた後に王宮に戻ってきて、すったもんだの挙句に国王の椅子に座ったという経緯であるが。


 冒険者としては、最終的にはAランクにまで上り詰めていたらしい。

 いまでも「武王アンドリュー」の異名で知られ、王国騎士団の団長ディランと並ぶ王国最強の戦士の一人として恐れられている人物だ。


 ただ、俺がその事実を知ったのはアイリーンと親しく付き合うようになってからだいぶ後のことで、俺にとってのアンドリュー王の認識が「親友のお父さん」のポジションから大きく動くことはなかった。

 考えてみれば最も身近な「英雄」であるわけだが、どうもそういった印象にならないのだ。

 幼少期の印象というのは、随分と根深いもののようだ。


 ともあれ、アンドリュー王が目の前にいる竜と出会ったというのは、その冒険者時代の話であろう。

 どんな出会い方をしたのかまでは分からないが、話を聞いている限り、少なくとも好意的な別れ方をしたのは間違いないようだ。


『そうかそうか。あの小僧の娘がこんなに大きく育つか。人間の成長とは早いものじゃのぅ。いやこんなところまでよう来た。大したもてなしもできんが歓迎しよう』


 竜は終始、機嫌が良さそうな様子だった。


 これならば事がうまく運ぶかもしれない──この場にいる仲間たちの誰もが、そう思ったことだろう。


 だが、それは甘い見通しだった。

 竜は次にはこう言ったのだ。


『だがの。わしに頼みごとがあって来たと言ったな、娘。ではなぜアンドリューの小僧本人が来ない? わしを舐めておるのか』


 竜の低い声には、不機嫌の響きが色濃く混じっていた。


 雲行きが怪しくなってきた。

 アイリーンは必死に弁明をする。


「そ、それは、お父さんはいまは国王で、一国の主として城を離れるわけにはいかなくて。その代わりに娘の僕が──」


『そんなものはわしの知ったことではないわ。わしに頼みがあるなら、自らここまで足を運び、頭を下げるのがせめてもの筋であろう』


「それは、でも……」


 アイリーンは返す言葉を失い、うつむいてしまう。

 なるほど、この竜が気難しいというのは、アンドリュー王の言った通りのようだ。


 しかしこの竜の言い分、一見筋が通っているようだが、微妙に分からない部分もある。

 アイリーンに任せておいても話がまとまりそうにないし、一つ口を挟んでみるか。


「一つ疑問があるのだが、横槍を入れてもいいか?」


 俺がそう発言すると、竜の頭部がアイリーンから俺の方へと向き直る。


『何じゃ。お主は先の賢明であった人間だな。構わんぞ、言うてみぃ』


「ありがとう。──竜よ、あなたはアンドリュー王が自ら頭を下げに来るのが筋だと言っていたが、それはなぜだ? 話を聞いていたところ、あなたは人間世界での地位などに興味はなさそうだ。それなのに、王自らが足を運ぶことを望んでいる。その辺りがいまいち腑に落ちない」


 俺がそう問うと、竜もまた疑問を持ったのか、首を捻るような素振りをする。


『何も不思議なことはないと思うがの? わしが対等の存在であると認めたのはアンドリューの小僧であって、その娘ではない。小僧自らが足を運ばずに遣いを寄越して協力しろなどと、侮られたと思うのが当然であろう?』


 ……なるほど、そういうことか。

 確かにそれならば筋が通る。


 だがそういうことであるならば、逆に話は簡単だ。


「分かった。つまりは竜よ、こういうことだな。──、俺たちに協力することもやぶさかではないと」


 俺がそう言うと、仲間たちの視線が一斉に俺に集まった。

 一方竜はというと、それを聞いてくつくつと笑う。


『なかなか面白いことを言うのぅ、人間の賢者よ。お主らがアンドリューの小僧に匹敵するほどの格を持ち合わせていると?』


 竜が再び首を上げる。

 そして──


 ──ゴウッ!

 先の人型のときよりも強烈な殺意の混ざったオーラが、暴風のように俺たちをなでた。

 その凄まじいまでの圧力に押され、アイリーンたち四人が、じりりと後退る。


 だが俺は、今度は心の準備ができている。

 気圧されるでもなくその場に静かに立ったまま、言葉を返す。


「格がどうかは知れないが──あなたを打ち負かすぐらいのことはできるつもりだ」


 俺がそう答えると、それを聞いていたアイリーンやサツキたちが、ハッとしたような表情を見せた。


 彼女らは、直前まで後退ろうとしていた足を踏ん張る。

 そして──


「「「──ハァッ!」」」


 気合の掛け声とともに、少女たちもまたオーラを全開にし、竜の威圧を押し返した。


 シリル一人はいまだに慄いて震えているようだったが、そんな彼女も、歯を食いしばって気丈に竜を見据える。


 対して、アイリーンとサツキの二人は──


「そっか、確かにウィルの言う通りだね。僕たち自身が認められればいいってことだ」


「いいね。そういうシンプルなのは好きだぜ」


 そう言って、一歩前に出た。

 二人の全身から、オーラが立ち昇っている。

 真っ向からやり合う気になれば、彼女らだって負けていないのだ。


 それを見た竜は再び、その口の奥からくぐもった笑いを発する。


『くっくっく、そうかそうか。──良かろう。ならばお主らでわしを打ち倒してみせるがいい。わしが「参った」と言えばお主らの勝ちじゃ。さすれば協力でも何でもしてやろう』


 ──よし。

 相手が物分かりのいい竜で助かった。


 それに竜族は誇り高い。

 こうして自ら口に出したものを、反故にするようなことはしないだろう。


 あとは……そうだな。

 俺は追加でもう一つ、竜に確認を取る。


「竜よ、もう一つ言っておきたいことがある」


『……なんじゃ? 手加減をしろという虫のいい話は好かぬぞ。わしを打ち倒せると大口を叩いたのだ。生き死にに文句を言うならこの話は無しじゃ。いますぐ尻尾を巻いて帰るがいい』


 竜のその言葉に、俺は首を横に振る。


「いや、そうではない。むしろ逆だ」


『……逆だと?』


 訝しげな声を上げる竜。

 俺は淡々と、言葉を返す。


「ああ。竜族は誇り高い種族だと聞くので、あらかじめ言っておくべきだと思ってな。──が、これは事の性質上必要なことだ。どうか気を悪くしないでほしい」


 そう言って俺は、魔術師の杖を構え、竜と向き合った。

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