第163話
竜が訝しむように声をあげる。
『……わしの聞き間違いか? いま、このわしを相手に「手加減をする」と言ったように聞こえたが』
俺はそれに対し、まっすぐに答えを返す。
「いや、聞き間違いではない。その通りだ」
しばしの沈黙。
すると次に竜は、その大きな口でため息をついた。
『なんと、賢者かと思えば、その正体は身の程を知らぬ思い上がった愚者だったとはな。素直に不快じゃ。粋がる虫けらほど踏みつぶしたくなるものもない。──小僧、いますぐどこかへ消え去れ。さもなくば他愛もなく殺すぞ』
それは竜なりの、思いやりの言葉であったのかもしれない。
だが俺は、首を横に振ってこう答える。
「それはできない相談だ。勝率とリターンが極めて高い勝負にすら
『……やれやれ、よほど自信があるようじゃな。──良かろう。その思い上がり、貴様のその身とともに打ち砕いてくれよう』
竜はそう言って、天に向かって大きく咆哮した。
それが戦闘開始の合図となった。
***
竜の咆哮には、力なき者の魂を握りつぶし、強制的に恐慌を引き起こさせる能力があるという。
だがいまの咆哮は、そうした力をもった攻撃ではなかったようだ。
攻撃的咆哮を放つには、声に魔力を乗せるための予備動作が必要だから、当然と言えば当然だ。
四つ足で佇んでいた竜は、その巨体を起こして二本の後ろ肢だけで立ち上がる。
直立した竜の姿はまさに巨大の一言で、頭頂部までの背丈は俺たち人間の四倍ほどもあった。
その竜が、次には背中の翼をばさりと羽ばたいて浮かび上がろうとするが──
「──させるかよ!」
「サツキちゃん、左は任せるよ!」
そこに向かって飛び出したのは、うちの近接戦闘担当ツートップだ。
脚にオーラを乗せた恐ろしい速度で竜の足元に滑り込むと、その刀と剣で左右の肢に斬りつけた。
──ガギィイイインッ!
金属同士がぶつかったような、激しい音が鳴り響いた。
「づっ……! 硬ってぇ!」
「竜の鱗は鉄より硬いとは聞いてたけどさぁ! ──っとぉ!」
竜の右肢を攻めたアイリーンのもとに、尻尾による横薙ぎの一撃が襲い掛かる。
尻尾一つとっても少女より遥かに太く大きく、その一撃はとっさに後ろに跳んだアイリーンの体を強烈に吹き飛ばした。
だが吹き飛ばされたアイリーンは、山の軽く斜面を二、三回転ほど転がったかと思うと、その勢いのまま身を翻して獣のような四つん這いの姿勢で鮮やかに着地。
ずざざっとブレーキをかけて、再び竜を見据える。
「あっぶな……! あの巨体で動きも鈍くないってなると、さすがに」
アイリーンは竜の尾撃を盾で受け止めた上に、自ら後方に跳んで衝突時のダメージを殺していたようだ。
さすがの立ち回りと言える。
「姫さん、無事か!? ──うぉっ、とわっ……!」
「サツキちゃん、気を張って! 一発でも直撃もらったらアウトだよ!」
「分かってるけど……! これはっ……!」
一方で竜の前に単身残ったサツキは、竜の両腕の鉤爪や尾による縦横無尽の攻撃群を、ギリギリでどうにかかわし続けていた。
ロックワーム戦で見せた恐ろしいまでに無駄のないサツキの動きだが、それですら徐々に追い詰められているように見える。
ちなみに、サツキとアイリーンが斬りつけた竜の肢はというと、それぞれ深々とはいかないまでもそれなりに刃が食い込んでいたようで、そこから竜の血が流れ出て地面を赤く染めていた。
重傷には到底及ばないが、決して小さくもないといったダメージに見える。
『ハハハハハッ! 大したものよ小娘たち! 小僧は
竜はそう言いながら両腕や尾を振るい、愉快そうにサツキを追い詰めていく。
だが、それを聞いた相手のサツキはというと、
「はっ、抜かせ! ウィルはあたしらより、ずっとすげぇんだよ! ──だろ、姫さん?」
「そうだね、それは同感! 吠え面かくよ、ドラゴンさん!」
アイリーンも再び、竜のもとに駆け込んでいく。
そしてサツキと二人で、竜と切り結び始めた。
見たところ、アイリーンとサツキの二人だけでも用が満たせそうな雰囲気はあった。
二人掛かりかつ地上での白兵戦という前提条件でなら、ほとんど竜と互角の勝負をしていると評価して差し支えないぐらいだ。
ゆえに、敢えて俺がどうこうする必要はないようにも思えたが──
『──ほう、面白いことを言う。わしに舐めた口を聞いたあの小僧が贋物でないと言うか。お主らだけでも認めようかと思っておったが、気が変わった。──小僧、貴様の力もわしに見せてみよ。さもなくばこの話は無しじゃ』
そう言って竜は、サツキたちの隙を突いて彼女らを蹴散らし、次にはその背中の翼で宙へ高々と舞い上がった。
そして俺の方を見据え、口の奥に赤いエネルギーの輝きを宿らせ始める。
あれは
竜が吐く炎は広範囲に広がるから、あれが吐き出されれば、焼かれるのは俺だけでは済まないはずだ。
要するに──結果論だが、俺もサツキたちも、どうやら余計なことを言ってしまったようだった。
あとでへそを曲げられても面倒だと思ったからなのだが、現実はなかなか計算通りとはいかないものだ。
ちなみに、残る仲間の二人──シリルとミィはというと、シリルは炎のダメージを和らげる奇跡を使って味方全員にその加護を宿らせており、一方のミィはいつの間にか忽然と姿を消していた。
ミィはおそらく、自分の短剣では竜の鱗を裂いてダメージを与えることは難しいと考えて、身を隠しつつ虎視眈々と機を窺っているのだろう。
さて、いずれにせよ、あとは俺の仕事ということだ。
俺が行使しようとしていた呪文も、間もなく完成する。
どうやら竜が炎の吐息を吐く前に片を付けられそうだ。
「くっそ、逃がしたか……! 下りてこい! 卑怯だぞ!」
「卑怯も何もないってば。あれが竜でしょ。──ウィル、あとお願い!」
俺はそのアイリーンの言葉に小さくうなずくと、杖を掲げ、完成した呪文を発動した。
「──
魔力が杖の先に集い、そこから青白い球状の輝きが生まれる。
俺が発動したその呪文は、高位の魔術師である導師の中でも、特に実力のある術者にしか使うことができない上級攻撃魔法だ。
生み出した魔力球を発射して目標地点で魔力開放することで、該当地点を中心に大量の氷塊を含んだ猛吹雪を発現させることができるという呪文になる。
その基本的な威力は
竜は非常に強大な力を持ったモンスターだが、決して無敵の怪物というわけではない。
攻撃力は極めて高く、飛行能力を持ち、竜鱗による物理防御力も特筆ものという至れり尽くせりぶりだが、こと魔法攻撃で攻めるのならばサイやカバやゾウといった一般の大型動物を倒すのとそう大差はない。
それら一般の動物と比べると多少魔法防御力は高いが、それも導師級の魔法ならば多少ダメージが軽減される程度で突破できる。
ゆえに、この
あとは──
一方、俺の
『ほう、その魔法は知っておるぞ。人間の賢者の中でも極めて優れた実力者しか行使できんと聞く。確かに口だけではないようだな小僧」
一応の誉め言葉だったが──
竜はそう言いながらも、「しかし」と繋ぐ。
……まあ、普通はそうなるだろうな。
俺は竜の言葉を聞き流しつつ「次」の準備する。
一方の竜は、畳みかけるように二の句を放った。
『──しかし、その程度でわしを相手に「手加減」などとは笑止千万! それ一撃でわしが力尽きるとでも思ったか! 次の魔法の前に、うぬが身で我が劫火を味わうがよ──』
「──
『……へっ?』
竜が間抜けな声をあげた。
俺は
なお、いまの俺の魔素残量なら最大で五つまでの
協力を求めるのに、殺してしまっては目的を達成できない。
ゆえに手加減は必須だった。
『ちょっ、ちょちょちょっ、ちょおっと待てい! ストップストーップ! な、なんじゃそれは! 聞いておらんぞそんなの!』
竜は大慌てしていた。
だが言質は取らなければ。
「ストップというが、それは俺の実力を認めてもらったと解釈して構わないか?」
『認める! 認めるから! だからそれ撃たないで! そんなの撃ち込まれたらわし死んじゃう!』
「いや、一応死なないようにダメージのコントロールは考えているつもりだが」
『でも死ぬほど痛いじゃろうがそんなの! わし瀕死になっちゃう!』
「さっきはあなた自身が、生き死にに文句を言うなと主張していたように思うが」
『すいませんでしたー! わし調子に乗ってましたー!』
竜は上空から下りてきて、地べたにぺったりと頭をつけて謝罪した。
折角の巨体と威厳が台無しだった。
ともあれ、俺はそうして竜の協力を取りつけることに成功した。
俺は緊張を解き、ホッと一息をつくのだった。
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