第161話
俺たちはやがて、洞穴の前までたどり着いた。
入り口の前に立ってみると、その巨大さを改めて肌に感じる。
洞穴の天井までの高さは俺の背丈の五倍ほどもあり、横幅もまた同様だ。
赤茶色の土壁はずっと奥まで続いているようで、夕陽が照らし出す入り口付近を除けば、真っ暗で先が見えない。
気が遠くなるほど巨大なトンネルは、緩やかに下りの勾配を持っていて、まるで果てなき深淵へと誘われているかのようであった。
その場にいた誰かが、ごくりと唾をのんだ。
「冥府への入り口、って感じだね……」
先頭に立つアイリーンが、そんな感想を漏らす。
その凛々しい横顔は、さすがに緊張の色を纏っていた。
だが向かう先にいるのが強大な相手であろうと、やるべきことは変わらない。
これから進もうとしている場所が洞窟である以上、事前の偵察は必要だ。
俺は、常にならって
そのときだ。
俺が張っていた
「……ウィリアム? どうかしたの?」
傍らにいたシリルが、俺の顔を覗き込んでくる。
俺が顔色を変えたのを、機敏に察知したのだろう。
「
「反応というと、竜ですか?」
ミィが振り返って聞いてくるが、俺はそれに頭を振ってみせる。
「いや、そんな巨大なものではない。場所もこの洞窟の奥ではないようだ」
そこを通り抜ける生物などがいたら、術者にそのことが伝わるようになっていて、俺は冒険中、この呪文の効果をほぼ常時展開している。
術者の感覚で取るに足らない蟻の群れなどが通り過ぎたところで感知対象にはならない。
その俺の直感が、感知膜を通り過ぎたものに悪寒を感じたのだ。
だがそれが竜であると考えるには、色々とおかしなところがある。
通り過ぎたものの物理的な大きさは、人間並みかそれより小さいぐらいで、場所も洞窟内部ではなく外なのだ。
俺が疑問を感じていると、次にはミィが反応した。
獣人の少女は瞬時に緊張した面持ちとなり、彼女の二つの猫耳がぴくぴくと動く。
「砂利を踏む音……二足歩行……人間です? でも少し違うような……こっちに近付いてきます」
そう言ってミィが鋭く睨みつける方向へ、俺たちは注意を集中する。
最大級の警戒をしながら、待つことしばらく。
やがてそこに現れたのは──
「なんじゃお主ら。人間がわしのねぐらに何か用かの?」
幼い少女の声とともに歩いてきたのは、その姿もまたあどけない、一人の少女だった。
背丈や外見年齢は、ミィのそれとほぼ一致する。
流れるような銀髪を持ち、瞳は炎のような緋色。
服装は黒のワンピースドレスらしきものを身につけているが、薄汚れており、裾の部分などあちこちが破け、あるいはほつれているようだ。
野生児に衣服を与えたら、一月の後にはあのような感じになるだろうかといった様相だ。
だが人間の野生児であるというのも、正しくはないのだろう。
それは少女の特徴的な、普通の人間とは異なった姿から窺い知ることができた。
少女の側頭部からは、二本の角が生えていた。
背中からはコウモリのそれを大きくしたような赤色の翼が広がり、尻付近からは鱗の生えた太く長い尻尾が伸びていた。
そんなものが、ただの人間であろうはずがない。
また、少女が特異なのはその容姿だけではなかった。
彼女がその肩に担いでいるものも、尋常ではなかったのだ。
それは大きな熊だった。
少女の倍以上の大きさはあろうという熊を、華奢な片腕一つで軽々と担いでいた。
少女は俺たちの近くまでやってくると、担いでいたその熊を俺たちの前へと無造作に放り投げてきた。
信じられないほど高く放られた熊の図体は、ずしん、という重い響きとともに俺たちの前の地面に落ちた。
その熊の命がしばらくの前に尽きていることは、一目瞭然だった。
一方の少女はごきごきと首を鳴らすと、それから口元をにぃと吊り上がらせる。
大粒の赤い瞳が凶暴な色へと染まり、俺たちを見据えた。
「何の用、と言っても、人間がここに来る目的なんぞ知れておるか。竜殺しというのは、人間の戦士にとってはさぞ名誉なことだそうじゃの。さもなくば財宝泥棒か──いずれにせよ、生かして帰す道理はないのぅ」
少女の小さな体から、暴力的なオーラが吹き荒れる。
それはまるで実体のない衝撃波のようにぶわりと広がり、俺たちをなでた。
──それだけで。
アイリーン、サツキ、ミィの三人が反射的に武器に手をかけ、シリルはびくりと震えあがる。
俺もそのオーラにあてられただけで、総毛立つような感覚を味わった。
だが──
そうではない、それでは駄目だ。
俺は小さく深呼吸をして、それから少女に向かって声をかけた。
「待ってくれ。あなたはこの火竜山の主──竜なのか? 俺たちはこの火竜山に棲む竜に、協力を求めに来たんだ」
そう伝えると、少女は一転してきょとんとした表情を浮かべた。
俺たちに向けられていた暴力的なオーラが、少し弱まる。
「何じゃ、協力……? 人間が、わしにか?」
「ああ、あなたに頼みたいことがあって来た。──アイリーン、陛下の剣を」
「えっ、ちょっ、ちょっと待ってよウィル。どういうこと……? 竜って、本当はあんな人みたいな姿をしているものなの?」
アイリーンはどうやら事態が飲み込めていないようだった。
サツキ、ミィ、シリルも同様で、みんな頭の上に疑問符を浮かべていた。
無理もないか。
俺は仲間たちに、推測交じりだがそれ以外に考えられないという、自身の見解を述べる。
「竜には──いや、竜に限らずモンスター全般にあることなのだが、稀に『人化』という能力を持って生まれる者がいる。その能力を持った者は、そのモンスター本来の姿とは別に、人に似た『化身』と呼ばれる姿に変身することができるんだ」
「ほう、物事をよく知っておる者がいるようじゃの。まさしくその通りじゃ。わしは『人化』の能力を持っておる。信じられんと言うなら、ほれ、わしの本来の姿を見せてくれよう」
俺の言葉の後を次いだ少女は、そう言って、着ていた服をもそもそと脱ぎ始めた。
それを見たアイリーンたちが、俺と少女とを見比べて慌てふためくが、当の本人はそんなことは意に介さない。
そうして少女は、着ていた衣服を完全に脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になる。
次いで、その小さな体が突如、まばゆく光り輝いた。
少女の形をした光は、その形と大きさを変え、見上げるような大きな光となる。
やがて光がやめば、その生き物の姿があらわになった。
灼熱色の鱗で全身を包んだ、翼を持った巨大蜥蜴といった風貌。
それは威風堂々たる姿で、俺たちを見下ろしていた。
それも、幼竜などというような大きさでは到底ない。
竜騎士が騎乗する類の幼竜が軍馬を彷彿させる重量感であるとするなら、目の前の怪物は何で例えればよいのだろう。
サイか、カバか、あるいはゾウにも匹敵するかもしれない。
そしてもちろん、戦闘力はそれらの動物とは比較にならないだろう。
サイやカバやゾウが自然界において存外に恐るべき強さを誇っていることは否定しないが、鉄をも引き裂く鋭い爪と牙を持ち、鋼よりも硬い竜鱗に身を包み、背中の翼で自在に空を飛び、口からは岩をも融かす灼熱の炎を吐くという竜を相手にしては、到底敵うはずもない。
「ほ、本当に竜だった……」
「すっげぇ……」
アイリーンとサツキは、その巨大な魔獣を見上げてぽかんとしていた。
ミィやシリルも同様に呆け、それを見上げている。
そして変身を終えた竜は、その鋭い牙が並んだ口を開き、地の底まで響くような声で言葉を発してきた。
『さて、わしに何か頼み事があるとのことだったな。話してみるがよいぞ、人間ども』
──どうにか対話のテーブルには着けたようだ。
俺はホッと一息をつき、次にはどう話を切り出そうかと思考を巡らせるのだった。
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