エピソード2:火竜山

第158話

 およそ一日をかけて魔樹の森を抜け、さらに二日間ほど森林地帯を進んでいく。


 モンスターに遭遇したのは最初のあの二度だけで、その後の二日と半日は平穏な旅路だった。

 旅の道中、普通はそう滅多にモンスターとの遭遇などするものではないのだ。


 そうして王都を発って三日目の昼過ぎ頃、俺たちの一行はようやく火竜山の麓へとたどり着いた。


「はーっ、ようやくここまで来たか。長かったー」


 サツキがそう言って、近くの赤茶けた岩の上へとどっかり腰を下ろす。


 その姿に苦笑したアイリーンが、その場での一時休憩を提案した。

 全員が思い思いに腰を下ろし、水袋の水を口に含むなどし始める。


 俺もアイリーンが腰掛けた大岩に、一緒に腰を下ろす。

 アイリーンは少しギョッとした顔をし、居心地が悪そうにしていたが、やがて大きく深呼吸をして落ち着いた。


 その様子を少し疑問に思うも、細かい所作まで気にしていても仕方がない。

 俺は彼女から注意を外し、それから、眼前にそびえたつ火竜山を見上げた。


 俺たちがいる場所から先は、赤茶けた大岩や石ころがあちこちに転がる岩場が広がっている。

 そしてそれが、徐々に上り坂となって先へと続いていた。

 山頂はまだ遥か彼方で、ここからだと霞がかっていてシルエットしか見えないといった具合だ。


「お、大っきいよね。さすが、竜が棲んでいるっていうだけはあるよ」


 アイリーンがそう言って、俺の隣で何やらもじもじとしていた。

 だが彼女の言ったその認識は、俺の知識とは噛み合わないものであった。


「そうか? 山としてはさほど標高が高い方ではないはずだが」


「え、あれ、そうなの? ──も、もう、ウィル! それでもこういうときは話を合わせてよ! 雰囲気が大事なんだよこういうのは!」


「いや、正確な情報のほうがよほど大事だと思うが」


「うーっ! そうだけど! そうだけどー!」


 アイリーンは何か無駄にジタバタしていた。

 何がやりたいのかよく分からなかった。


 ちなみに火竜山は、標高数百メートル程度の山で、山道が整備されていないとは言え三、四時間も登れば山頂に辿り着けるぐらいの凡庸な規模の山である。

 山の勾配も比較的緩やかで、本格的な登攀クライミング技術が必要なわけでもない。


 ゆえに、ここまで来れば目的地まではあと一息だ。

 俺はそれにあたって、アイリーンに再確認をする。


「今回の俺たちの任務ミッションは、この火竜山の山頂に棲まう竜に会って、その協力を取り付けることだと認識している。それで間違いはないか?」


「うん、そうだよ。……たどり着くまではいいとして、その先が問題だよね」


「アンドリュー陛下の話だと、協力を得られる確証はないとのことだったか」


「そうなんだよねぇ。一応これを見せれば『足し』ぐらいにはなるだろうって言ってたけど。親愛の証として、その竜からもらった剣なんだって」


 そう言ってアイリーンは、自身の背中に括りつけた剣をポンと叩く。

 それは彼女の父親、現国王アンドリューが過去に獲得した宝剣の一つで、アイリーンが腰に提げている彼女自身の剣と比べるとだいぶ長い、片手半剣バスタードソードに分類される剣だった。


 そんな話をしていると、近くの岩に腰掛けていたサツキがよっと言って立ちあがり、こんな率直な質問をぶつけてくる。


「ちなみにさ、竜が協力をしてくれなかった場合って、どうなんの?」


「えっ? そりゃあまあ……あれ、どうなるんだろ?」


 アイリーンが首を傾げる。

 俺はそのアイリーンの反応を見て、がっくりと肩を落とした。


「アイリーン……キミまでサツキのようなことを言うのはやめてくれ……」


「あはははは……。なんかドラゴンさんは協力してくれるに違いないって、そう思い込んでいたみたい」


 そう言って、てへっと舌を出すアイリーン。

 俺は大いに呆れ、ため息をつく。


「可愛い顔をして誤魔化そうとするんじゃない。理想主義的というか夢見がちというか、キミのそういうところは個人的には嫌いではないがな。一国の王女や騎士の在り方がそれというのは、非常にいかがなものかと思うぞ」


「えへへー。──で、でもさ、だったらほら、ウィルがいつも僕の隣にいてサポートしてくれるとか、そういうのはどうかな?」


「あのな、人を適度に頼るのはいいが、依存はするな。キミはキミで一人前になるべきだ」


「……はぁい」


 ぷくっと頬を膨らませて返事をするアイリーン。

 少しは大人っぽくなって自立したかと思えば、これだ。


 ちなみにシリルとミィは、「今のアプローチでも気付かないんだから、アイリーン様が不憫に思えてくるわ」「まったくです。思い込みは怖いですね」などと、よく分からない話をしていた。


 ともあれ、俺は気を取り直して、先ほどのサツキの疑問に対して返答をする。


「竜の協力を得られなかった場合だが、それで何事もなければ、この道程が無駄足になるだけだな。収獲なしに王都まで取って返して、俺たち四人は国から依頼の報酬を得られるが、魔王との戦いは厳しくなるだろう。──だがこれはまだ、最悪のケースではないな」


「……へ、そうなの? じゃあ最悪のケースって?」


 アイリーンがそう聞いてくるので、俺は彼女の背後に回ってこめかみをぐりぐりしてやる。


「す・こ・し・は・じ・ぶ・ん・で・か・ん・が・え・ろ」


「ああっ、痛い痛い痛い! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 オーラで防御したりしないで涙目で謝ってくるのは殊勝なことだが、そこが殊勝でも仕方がないと思う。

 俺は再びため息をつきつつアイリーンのこめかみを解放すると、先述した「最悪のケース」に関する見解を述べた。


「竜が気まぐれに俺たちを皆殺しにしようとすることはあり得るだろう、ということだ。陛下が言っていたのだろう? 火竜山の竜は気難しい、万一自分が帰ってこなければ後釜を立てろと。旧知の仲であるアンドリュー陛下本人でさえそうなら、遣いである俺たちは推して知るべきだろうに」


「あ……そ、そうか、そうなるのか。……ってことは僕、ウィルたちに『一緒に死んで』ってお願いしたことになるの?」


「まあそうなるな。自覚がなかったのには呆れるが……しかし仮にそうなったとしても、むざむざ殺されるつもりもないぞ」


「そっか、そうなんだ……ごめん。……でも、むざむざ殺されないって、僕たちでドラゴンなんかと戦えるの……?」


 一度俯いて、それから上目遣いで俺の様子を窺ってくるアイリーン。

 それを見た俺は、さらに一つため息をつき、それから幼馴染の頭に手を置いて、わしわしと掻きまぜてやった。


「わふっ! な、なんだよ……!」


「そう気負うな。依頼を引き受けることを決めたのは俺たちだ。それで俺たちが死のうが、キミの責任じゃない」


「そ、それは、そうかもしれないけど……!」


「それに相手が竜であれ、このパーティならば十分に勝算は立つ。依頼を受ける段階でそのぐらいの計算はしている。──さらに加えて一つ、新ネタも手に入れた。仕込みは上々だ」


 俺がそう伝えると、アイリーンはきょとんとした顔になる。


「……新ネタ? 何それ。僕たちが知らない呪文か何か?」


 そう聞かれれば、俺は満を持して答える。


「いや、もっと良いものだ。──キミたちどころか、いまこの世界の誰一人として知らないであろう、魔法の新しい世界を見せてやれるはずだ」


「えっ……? う、ウィルが珍しく大言壮語を吐いてるよ!? ……何!? 一体何が起こるの!?」


 アイリーンが驚く様が心地良い。

 だが、大言壮語も吐きたくなるというものだ。


 先日グレン、セシリアのコンビから受け取った巻物。

 それをすべて解読してみれば、とてつもない技能スキルがそこに眠っていたのだ。


 セシリアでは、これを読んでも内容がちんぷんかんぷんで解読できなかったのだろう。

 導師級の魔術師でも、現段階でこれを素直に解読できるのは、俺をおいてほかにいないかもしれない。

 まさに天運に恵まれたとはこのことだと、昨夜に巻物を読み解き終えたときには歓喜したものだ。


 もっとも、それも過信はできない。

 この技能スキルは、使い方を間違えれば自分の首を絞める諸刃の剣だ。

 ここぞという場面でのみ切る、切り札として使うべきだろう。


 ──だが、だがそれでもだ。


「ふっ……くふふふふふっ……!」


「うわぁ……ウィルが壊れた……」


 内側から溢れ出る興奮を抑えきれない俺の姿を見て、アイリーンと、それにサツキやシリルやミィまでもが一斉に慄いているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る