第159話
山麓での一休みを終えて大岩から腰を上げた俺たちは、いよいよ眼前に広がる雄大な山の斜面を登り始めた。
赤茶けた岩と石ころの群れで形成された斜面は、足場が良いとはお世辞にも言えない。
足を踏み外して転倒し、その辺の岩にでも頭を打ち付ければ一大事だ。
俺はそうならないよう慎重に足場を選びながら、どうにか斜面を登って行く。
一方で前を見れば、十歩以上も先を進むアイリーン、サツキ、ミィの三人が、ひょいひょいと身軽に斜面を登っていた。
楽しげに談話しながら、あるいは鼻歌を歌いながらといった様子で、しばしば後続の俺とシリルを気遣う様子すら見せる。
「ああ運動神経の化け物ばかりだと、私たちは立場がないわね」
前を進むシリルが苦笑しながら、俺に向かって手を伸ばしてくる。
その手を取ると、シリルは王子様が姫をエスコートするように俺を引っ張り上げてくれた。
「すまない。だが最も立つ瀬がないのは俺だな。これではまるでプリンセスだ」
「ふふっ、そうかもね。さしずめ私たちは、一人のお姫様を奪い合う平民の男たちかしら」
「本物の王女があそこに混ざっているんだがな」
俺は苦笑しながら、前方を歩くうちの一人を指さす。
そこにはルンルンとした足取りで軽快に進んでいる、銀髪の男装王女の姿があった。
「その実物の王女様だって、あなたに首ったけだものね」
「いや、それは違うだろう。おそらくキミは何か勘違いをしているぞ」
「ふふっ、そうね。私の勘違いかもね」
意味深にくすくすと含み笑いをするシリル。
どうも俺とアイリーンは、昔からそういった勘繰りをされることが多い。
男女の仲が良ければ、のべつ幕なし男女関係を疑われるというのは、世の常なのかもしれないが。
「おーいシリル! なにウィルと二人でイチャイチャしてんだよ! ずるいぞ!」
いつの間にか随分先を進んでいたサツキから、そんな声が飛んでくる。
それに対して、シリルが声を張り上げて返事をする。
「サツキ! ウィリアム姫の息が上がっているわ! またお姫様抱っこして運んであげたら?」
「え、そうなの? しょうがねぇなあ。待ってろウィル、いま行く」
「お、おいシリル、何を言って……! サツキも本気にするな!」
そうしてパッパと駆け寄ってきたサツキに抱き上げられそうになる俺と、それを隣で見て笑うシリル。
そんな俺たちの様子を見て、アイリーンとミィも朗らかに笑いながら何かを囁き合っていた。
最近、シリルの悪戯にますます拍車がかかってきたような気がするが……。
それで皆が笑顔になるのなら、こうして道化を演じるのも悪くないかと思ってしまう俺もいて、何ともはやと思うところだ。
そうして、そんなこんなのやりとりをしながら、俺たちは火竜山を登っていった。
道中に大きな危険はそうはない。
足場が悪いのには辟易するが、俺だって慎重に進めばそうそう転んで大怪我をするほど運動音痴でもない。
戦士としての訓練を積んでいるシリルだってもちろんそうで、ほかの三人が異常なだけだ。
だがさすがに、一時間以上もそうして登っていれば、息も上がってくる。
そろそろ一度休憩にしないかと、そう提案しようと思っていたときだった。
サツキやアイリーンと共に先行していたミィが、ぴくっとその猫耳を震わせて、その場で動きを止めた。
「これは、羽音ですか……? ……どうやら久しぶりのお客さんみたいです」
ミィはそう呟いて、その鋭い視線を左手前方へと向けた。
俺は彼女の視線を追ってみたが、その先には何も見えない。
……と思っていたのだが。
それから数秒後、ミィが見ていた先の稜線から、何体かの生き物が一斉に飛び出してきた。
その生き物は、体長二メートルを超える大トカゲに、トンボのそれに似た二対の半透明の羽を生やしたような姿をしていた。
そのきらめく羽を高速ではためかせて、山の斜面の数メートル上空を浮遊している。
まだ距離は遠く、目視で確認できるその姿はほんの小さなものだ。
数は五体。
その姿を見て、俺は脳内に収納されたモンスター知識をフル稼働させ、その中から該当するモンスターの名称を引っ張り出してくる。
「あれは──ドラゴンフライか」
「……ドラゴンフライ?」
オウム返しをしつつ、ちらと視線だけを後ろに投げてくるのはアイリーンだ。
俺はそれに、小さくうなずいてみせる。
一方のモンスターたちは、俺たちを獲物と見做したのか、残らずこちらへと向かってきた。
「──来るよ、サツキちゃん!」
「オーライ姫さん! ……つっても、ああ空を飛んでちゃ斬れねぇんだよな。襲ってきたとこを狙うしかねぇか」
向かってくる五体の羽付き大トカゲの前に立ちはだかるように、アイリーンとサツキの二人が前衛に出た。
そのすぐ後ろにはミィが付く。
獣人の少女は、太もものホルダーから小型の
「ウィリアム、ドラゴンフライというのは、竜の一種なのですか?」
「いや、生物学的には竜とはかなり遠かったはずだ。見た目と特性が似ているから、俗世間的にそういった名が広まっただけだな」
「にゃるほど。トカゲの見た目で空を飛べば、竜を連想もするですね」
「ああ。それにもう一つだ。──奴らは
「……マジですか。チッ、それはすごく厄介です」
そうこう話している間にも、五体のドラゴンフライはブーンという羽音とともに飛んできて、いよいよ戦闘距離にまで近付こうとする。
そしてドラゴンフライたちは、一定の距離まで近付いてきたところで、一気に散開した。
俺たちを外側から取り囲むように、包囲網を作ってから距離を詰めてくる形だ。
それを見て、ミィが再び舌打ちをする。
「トカゲのくせに小賢しいです! これじゃウィリアムの魔法で一網打尽にも……!」
そう言いながら、ミィはまだナイフを投げない。
投擲用ナイフの有効射程は短く、ドラゴンフライたちがその圏内に入るにはもう少々の時間が必要だった。
「サツキちゃん、囲まれたらウィルとシリルさんがまずい! 後ろに回ってカバーお願い!」
「そうは言うけどよ! 空飛んでて火を吹くっていうんじゃ、あたしにゃどうしようもねぇぞ!」
「そうだけど! それよりやりようがないじゃない!」
アイリーンとサツキの焦りの声。
彼女らの言う通り、俺やシリルを狙われたらまずいのは確かだ。
アイリーンとサツキ、ミィに関しては、オーラで強化された敏捷性によってかなりの回避能力を誇っている。
それはドラゴンフライが吐く炎の吐息に対しても有効だろう。
だが俺とシリルは、その点に関しては凡人だ。
炎の吐息をひらりひらりと回避し続けられるような身体能力は、到底持ち合わせていない。
しかも岩と石ころだらけの斜面にあって足場が悪く、無理をすれば足を踏み外して大怪我をすることもあり得るといったペナルティ付きだ。
その上、飛行能力と炎の吐息という能力の組み合わせは極めてタチが悪く、アイリーンやサツキのような近接戦闘のエキスパートにとっては相性が最悪だ。
剣の届かない上空から炎を吐かれれば、彼女らは手も足も出ない。
ミィの投げナイフだけでは決定打に欠けることも考えれば、俺の魔法がほぼ唯一の有効火力になる。
だが敵が散開して攻めてきた以上、
そうであれば、
だがそれでは、すべてを撃墜し終えるまでに、こちらも甚大な被害を負うことになるだろう。
あるいは、ほかにもいくつかの搦め手も思いつくが──
俺はしかし、今回は新たに手に入れた「力」を、実戦練習も兼ねて試してみようと考えていた。
そしてすでに、そのための呪文詠唱も行っている。
俺は五体のドラゴンフライがすべて射程内に入ったのを確認すると、その呪文を発動した。
「──
呪文の完成とともに、俺が天高く掲げた杖の周囲に、四つの小さな光が生まれた。
通常であれば、これを矢のように射出して、それぞれの矢が命中した対象に小から中程度のダメージを与えるわけだが。
それでは今回は火力が足りない。
ドラゴンフライはEランクのモンスターであり、その耐久力と魔法防御力を計算に入れれば、一体あたり三発程度の「矢」を叩き込まないと、撃墜はできないだろうと予測できる。
ゆえに、この
「──
俺は、発動した
キン、キン、キンという甲高い音とともに、俺が掲げる杖の周囲に生まれた光が、四つから八つ、八つから十二個、十二個から十六個へと数を増やす。
「「「……は?」」」
それを見た四人の仲間たちは、直前までの緊迫感がどこかに吹き飛んだ様子で、目を点にしていた。
そして──
「──行け!」
俺は掛け声とともに、十六の光の矢を四方八方へと放った。
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