第156話
森の中の小道を、下草を踏み分けながら進んでいく。
一行は、サツキはそろそろ気を取り直し、アイリーンはときおり自分の服などをくんくんと嗅いでおり、ミィは周囲へと鋭く警戒の目を光らせ、シリルもこなれてはいないにせよ真面目に周囲を警戒していた。
俺も、木の根が張り出しているなどで不安定な足場をしっかりと一歩一歩踏みしめつつ、注意深く歩みを進めていく。
そうして一行がしばらく歩を進めた頃のこと。
ミィが不意に、鋭利な警告の声を発した。
「ストップです。……何だか匂います」
「えぇっ!? そ、そうかな。自分ではそんなに感じないけど」
アイリーンが慌てて自分の匂いを嗅ぎにかかるが、ミィは首を横に振る。
「そうじゃないです。何か危険の匂いがすると言っているです。……どこがどうとうまく言えないですけど、ミィの勘が、これ以上進むのは危ないと言ってます」
ミィはそう言って、一層注意深くあたりを見回していた。
俺も彼女につられるようにして、周囲に視線を走らせる。
だが俺の目には、特に変わったところは見当たらないように映った。
これまでと特に代わり映えがあるでもない、緑色と茶色とで彩られた景色。
強いて言うならば、周囲の木々に巻き付いているつる植物がやや多くなってきていることぐらいだろうか。
──いや、待て。
つる植物……?
ひょっとすると、それは──
そうであるなら、俺の直観が脅威を感じることを感知要件とする
「……ミィ、“絞め殺す蔦”、ストラングルクリーパーというモンスターを知っているか?」
俺のその問いかけに、前に立つミィが猫耳ごとぴくりと反応してから、俺の方へと視線を向けてくる。
「ストラングルクリーパーですか? 初耳です。どんなのです?」
素直なミィの質問。
俺はそれに応えるべく、自らの頭の中にある知識を吐き出していった。
ストラングルクリーパーは植物系モンスターの一種として知られているが、それをモンスターと呼ぶのはあまり適切ではないかもしれない。
どちらかと言うなら、
ストラングルクリーパーは広域に蔦を張り巡らせた、つる植物の一種である。
それは周囲の木々に巻き付くようにして生い茂っており、一見すると無害な普通の植物であるように見える。
だが、広大な範囲に繁茂するストラングルクリーパーは、その
獲物が領域内に踏み込んだが最後、無数に
通常、ストラングルクリーパーの手にかかった犠牲者の死因は、絞首による窒息死だ。
両腕両脚を蔦によって拘束された犠牲者は為すすべなく首を絞められ続け、通常三十秒ほどで糞尿垂れ流しを伴う痙攣症状を見せ、およそ一分後には昏睡状態となって呼吸が停止、数分から数十分の後には死に至る。
ストラングルクリーパーの支配領域は個体によってまちまちだが、標準的な規模のものは十メートル四方程度の範囲に及ぶと言われている。
その領域に足を踏み入れてしまえば、生身の人間などひとたまりもなく絞め殺されてしまうだろう──
そうして俺が説明を終えると、ミィは腑に落ちたという様子で大きくうなずいて、それから前方へと振り返る。
「……なるほどです。それを聞いて、ミィも違和感の正体が分かりました。そこかしこから聞こえていた鳥の声が、この先からはしないです。──それに、そうと思ってよく見れば、そこかしこの草むらや木の陰に動物の死骸が隠されているです。うさぎや鹿、それにあれは狼ですか」
そう言うミィが指し示す先を見ても、俺の目には単なる草むらがあるようにしか見受けられなかった。
よくよく凝視してみれば彼女の言う通りのものがそこに横たわっているように見えなくもない、といった程度だが、観察力の鋭い盗賊の少女がそう言うからには、まさにそれそのものなのだろう。
そう思うと、急に目の前の景色がおぞましいものに思えてきて、少しゾッとした。
そしてミィは肩をすくめ、まいったですね、と付け加えた。
それに俺は、確かに、と肯く。
目の前に厄介な殺戮者がいると分かっていても、この道を通らずに迂回していけば、非常に険しく面倒な大回りをしなければならなくなる。
かと言ってアイリーンやサツキの剣で切り拓こうにも、相手の性質上、襲い掛かってくる蔦を一本一本切り捨てていってもほとんどキリがないという問題がある。
それにアイリーンやサツキも、凄腕の剣士ではあるが、無敵というわけでもない。
ストラングルクリーパーの支配領域に踏み込めば、四方八方から縦横無尽に襲い掛かる蔦を完璧に捌き切れるかどうかには不安が残るし、立ち回りを続けていればやがて疲労に潰えてしまうことは想像に難くない。
であるならば──
「ここはこうするのがベストだろうな」
俺はその場で杖を掲げ、呪文の詠唱を開始、体内の魔力を高めていく。
そして
その魔力の塊は、吸い込まれるように前方の地面に着弾すると──
──ドッゴォオオオオオオオンッ!!!
魔力は紅蓮の炎となって、周囲にストラングルクリーパーが繁茂していると思しき一帯を爆炎で包み込んだ。
やがて一瞬のうちに燃え盛った炎がやむと、前方の半径十メートルほどの一帯にパチパチと火の粉が爆ぜる焼け野原ができあがっていた。
目的の対象以外も焼いてしまうことになったが、やむを得まい。
一方、真っ黒い炭となって崩れ落ちていくつる植物の集合体を見て、ミィが呆然とつぶやく。
「あ、相変わらず凄いですね……。ウィリアムがいると、こんな厄介な相手もあっさりです」
ミィがそう言って俺の方を見上げてくるので、俺は彼女の頭に手を置いて、その髪をくしゃくしゃとなでる。
「ミィが事前に気付いてくれたおかげだろう。さもなくばもっと大事になっていたはずだ。ミィのお手柄だよ」
「そ、そんなこと……! にゃうっ、にゃうぅぅぅっ……」
なでられたミィは猫のように目を細め、頬を真っ赤に染めて猫耳をぴくぴくとさせていた。
相も変わらず、驚異的な可愛さであった。
一方、その様子を見ていた残りの三人はと言うと、
「「「……いいなぁ」」」
一様に指をくわえて、羨ましげにしているのだった。
人は誰しも承認欲求に飢えているのだなと、改めて認識した俺であった。
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