第155話
「えぐっ……ぐすっ……あたし、もうお嫁にいけない……」
森の中を進む俺たち五人の
その中に一人、ひどく心に傷を負った者がいた。
サツキだ。
何というか、怒りを発散したアイリーンと違って彼女はやられっぱなしになってしまったので、一層の憐れみを感じる部分があった。
「ま、まあまあサツキちゃん。僕も一緒に被害者だし? ウィルだってきっと見てなかったよ。ね、ウィル?」
アイリーンがそう話を振ってくるが、俺としては──
「…………」
「ちょっ……!? う、ウィルってばそこで黙らないでよ! 話合わせてくれないと困るな!」
「……いや、嘘はつけんなと思って」
「やっぱウィル見てたんだぁ! ガン見してたんだぁっ! うわぁあああああんっ!」
サツキがさらに大泣きする。
うぅむ、手がつけられん……。
アイリーンを優先して
無論いまは彼女にも
俺はもちろん、そのときの彼女の姿をしっかり見るというようなことはしていないが、戦況を窺っていれば見るとはなしに見えてしまったし、大変に色気のある声まで聞こえてきて、意識の向け所に困ったのは偽りのない事実だった。
「あー、うん、何だ……凝視したというようなことはもちろんないが、サツキはあんな声も出すのだなと新たな一面を発見したような部分もあり──うおっ!?」
「ウ・ィ・リ・ア・ム? あなたは少しデリカシーの勉強もしたほうがいいみたいね」
シリルが背後から、俺の首周りに腕を回して締め上げてきた。
これは素手格闘技で見られる、スリーパー・ホールドという技──
「ぐぇっ……ぎ、ギブ、ギブアップだ、シリル……!」
俺は背後から抱き着くようにして締め上げてくるシリルの腰を、手でばんばんとはたく。
苦しいからというよりは、彼女の女性らしい体つきで思いきり密着されることのほうが、俺の精神衛生上非常によろしくなかったからだが……。
俺のギブアップ宣言を受けシリルがやんわり解放してくれたところで、俺は彼女に向き直る。
「シリル、キミの方こそ少しデリカシーというものをだな……!」
「……? どういう意味?」
「……い、いや、まあいい。いずれにせよ、今後いまのような技は謹んでほしい」
「んん……? ウィリアム、何か顔が赤いけど──ああ、そういうこと」
そう言ってシリルは、その顔をずいっと俺の顔に近付けてくる。
「な、なんだ、シリル……?」
「ふふん、やっぱりそういうことね。じゃあ私の答えはこうよ。──い・や・だ♪ 私、あなたがそうやって戸惑って可愛くなっているところを見るのがとても好きなの」
そう言ってシリルは、悪魔的で蠱惑的な、しかし恥じらいも秘めたような笑みを向けてくる。
おのれこの娘……もう一度ロックワームでも手懐けてけしかけてやろうか。
すると今度はサツキが、涙目のままシリルに詰め寄ってくる。
「し~り~る~ぅ! あたしが恥ずかしい想いをしたのに、何でお前がそうやっていい想いしてんだよ!」
「あらごめんなさい。そんなつもりはなかったの。偶然こうなってしまっただけ。何ならサツキ、あなたも見る? いまの彼、すごく可愛いわよ」
「ひゃんっ!?」
シリルは何を思ったか、サツキの手を取って自分の方へと引き寄せ、そして自分の体の前でサツキをくるりと方向転換させて、まるで傀儡人形のようにサツキを俺の方へと向かせた。
俺の目の前で涙目のまま上目遣いで見上げてくるサツキと、それを見下ろす俺の視線とがぴったりと合う。
少し、気恥ずかしいのだが……。
「ぐすんっ……ウィル、可愛い……」
「……い、いまのキミがそれを言うか」
それはこちらの台詞だと言いたい。
何というか、サツキには悪いのだが、子供のような表情で涙目になっている彼女はとても可愛らしかったのだ。
先刻の色っぽい姿ともイメージが混ざり合って、俺の中でサツキの新たな魅力が開拓されてしまった感じだ。
一方、その俺たちの様子を見て、熱帯魚のように口をパクパクとさせていたのは我が幼馴染だ。
彼女はその時は何も言わなかったが、悶着がひと段落した頃、俺の脇腹を肘で小突いてから密かに耳打ちをしてくる。
「ウィルってば、ちょっと見ないうちにシリルさんと随分仲良くなっちゃってんじゃないのさ。鼻の下伸ばして格好悪いったらないよ。僕は幼馴染として恥ずかしいな」
「……悪かったな。だが鼻の下を伸ばすなと言ったって無理だぞあれは」
「あーあ、やらしいんだ。男の子丸出しにしちゃってさ。昔、僕と遊んでいた頃にはそんなことなかったのに、変に色気づいちゃってまあ」
「仕方がないだろう。それに男子だか女子だか分からんようなやんちゃだったキミとシリルを比べたって、そんなもの雲泥の差だぞ」
「あーっ、何だよそれ! そりゃあシリルさんと比べたらグローラン大山脈とチマリの丘ぐらい違うかもしれないけど、僕だって少しは成長してるんだぞ!」
「あ、あの、アイリーン様……? がっつり聞こえているんですけど……」
「ふぅ、ウィリアムの不倫劇場は今日も絶賛公演中ですね」
「不倫っ!? ちょっ、それどういうこと!? ミィちゃん、ううんミィ師匠、その辺詳しく……!」
「……ミィ、できればそういった不穏な表現は避けてもらえると助かる」
……気が付くとこうすぐにドタバタが始まってしまうのは、いかがなものかと思う。
それにしても、俺は人として大きく間違っているような行動はなるべく慎んでいるつもりなのだが、何がどうしてこうなってしまったのか、たびたび疑問に思うところだ。
──と、そのとき。
アイリーンに詰め寄られていたミィが、すんすんと鼻を鳴らした。
そして少しだけ顔をしかめる。
「……アイリーン、悪いですけど、ちょっと匂うですよ」
「えっ……?」
そう言われたアイリーン自身が、自分の腕などの匂いを嗅いでみると、彼女もまた「うえっ」と
「な、何この匂い……さっきのエロ植物斬ったときに浴びた、樹液みたいなののせい……?」
俺も興味本位でアイリーンに近付いて匂いを嗅いでみたが、少し離れた距離から嗅いだだけでも気分が悪くなった。
甘ったるさに腐敗臭を混ぜたような、凄まじい悪臭だ。
そしてその匂いは、瞬く間に強くなり、周囲へと広がっていく。
見ればアイリーンの服や髪に付着した液体が、水分が抜けてカピカピに乾き始めているようだった。
「乾燥すると悪臭を放つ類の液なのかもしれんな……」
「えええっ、そんなぁ! わっ、みんな離れていかないでよ! ウィルまで! 酷いよ! 僕だって臭いのにぃ!」
「す、すまん。ひとまず水袋の水でも頭からかぶってみたらどうだ?」
「ううっ、そうしてみる……」
アイリーンが、背負っている荷物の中から飲料水が入っている水袋を取り出す。
そしてアイリーンは水袋の口を開くと、その中の水を頭からぶっ掛けた。
カピカピになった液が付着したショートカットの銀髪の上から、たぱたぱと水が注がれ、彼女の全身を濡らしていく。
そして水袋の中の水を全部かけ終えると、少女は水浴びをした犬のようにぶるぶると身を震わせた。
「うーっ、冷たっ……でもどうだろ、これで少しマシになったかな……」
そう言って自分の匂いを嗅ぐと、「うん」と言って納得した様子になった。
そしてしばらくすると、周囲に充満していた匂いも霧散していく。
「どうにか収まったようだな」
「うん。……でもこれ応急処置でしかないよね? いまので服に染みついたのまで落とせたってこともないだろうし、また乾いたら同じことになりそう」
「だろうな。少し脇道になるかもしれないが、近くの水源を探してみる」
俺は
これは初級の呪文の一つで、近くに川や泉などがあればそれを感知することができるというものだ。
なお
飲料水程度の量の水を確保するのには便利だが、水浴びや洗濯に十分な量の水をそれで用意するとなると、かなりの量の魔素消費を強いられることになる。
ゆえに、少ないコストで天然の水源を見つけられるなら、それに越したことはないと考えるところだ。
そして
幸運なことに、進行方向近くに一つの水源を発見していた。
「見つけた。ほとんど寄り道せずに辿りつける場所だ。行こう」
俺がそう言って先導を始めると、そのあとについてきたアイリーンがぼそっと呟く。
「……ホント、ウィルってすごいよねぇ。何でも解決できちゃうんだもん」
そんなことを言われれば、事実と違うので是正したくもなるというものだ。
「いや、当たり前の話だが、何でもということはないぞ。例えば件の魔王を一人で倒せと言われても、それは無理な注文だ」
「そりゃあそうだろうけどさ。頼りになるっていうこと」
アイリーンは何だか嬉しそうに、そんなことを口ずさむのだった。
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