エピソード1:魔樹の森

第153話

 早朝にアイリーンと共に王都を出て、その数時間後。

 俺たち五人の姿は、ところどころ木漏れ日の落ちる鬱蒼とした森の中にあった。


 火竜山へ向かうには、まずこの「魔樹まじゅの森」と呼ばれる危険な地帯を抜けなければならない。

 どこかおどろおどろしくねじ曲がった木々の生い茂る中を、獣道を見つけ、あるいは藪をかき分けながら、俺たちは目的の方角へと進んで行く。


 その最中、ミィとともに先頭で道を切り拓いていたサツキが、ふとぼやきを口にする。


「この森進んでいくの結構しんどいよな……。なぁウィル、ウィルの魔法でパーっと森の上飛び越していけたりしねぇの? ほら、なんかあったじゃん、鷲に変身する魔法。あれ全員に使って空飛んで行ったら早くねぇ?」


 そう言って後ろに視線だけを投げてくるサツキ。

 俺は過去に彼女の前で披露した一つの呪文を頭に思い浮かべ、返事をする。


「それは変身メタモルフォーゼのことを言っているのだと思うが、あれは術者自身にしか効果がない呪文だ。俺一人なら大鷲になって飛んでいけるが、この人数をどうこうするのは無理だな」


「そっかー。やっぱ地道に行くしかねぇのな」


「まあ、少しでも楽な道を探していくです。──サツキ、こっちのがいいですよ」


 ミィが周囲を注意深く観察し、進むべき道をサツキに指示していく。

 そちらに向かって進むと、確かに周囲と比べて通りやすい道に繋がるのだから、盗賊としてのミィの観察眼はさすがと言える。


「ミィちゃん凄いね、僕には全然区別つかないよ。ミィちゃんがいなかったら僕たちもっと大変な道を通っていたんだね」


 俺の隣を歩くアイリーンが、前方のミィにそう声をかける。

 するとミィはこそばゆそうに指先で首元を掻いた。


「た、大したことじゃないですけど、もっと褒めてもいいですよ。……何ならウィリアムも、ミィを褒めた上で頭なでなでしてくれてもいいですよ?」


 そう言って、何かを期待するように視線を送ってくる獣人の少女。

 小柄な少女が猫耳をぴくぴくと動かして尻尾を振り振り何かを要求するようにしている様は、ありていに言って俺を魅了していた。


「……あ、ああ。ミィはすごいな」


 俺が何かに引き寄せられるようにミィの頭をなでると、「にゃふっ、にゃああっ」と言って獣人の少女は気持ちよさそうに鳴いた。


 その様子を見たアイリーンは、何やら羨ましそうに指をくわえる。


「ああ、いいなぁミィちゃん……ううん、さすがミィ師匠。──ていうかウィル、なんかミィちゃんに調教されてない?」


「……かもしれん。しかしアイリーン、その『いいなぁ』というのは、キミもこのようにされたいという願望があるのか?」


「へっ……? も、もう……そんな恥ずかしいことまじまじと聞かないでよ。でもそりゃあそうだよ。僕だってウィルに褒められて頭なでられたいよ。当たり前じゃん」


「当たり前なのか……」


 そういうのは好きな男子以外からされると嫌なものだと聞いたこともあるが……実際のところその辺りも人それぞれなのかもしれない。

 と、そんなことを考えていると──


「はいはい、イチャイチャするのはそのぐらいにして。羨ま……じゃなくて、ここはモンスターがうじゃうじゃしているって森なんだから。気を抜きすぎない」


 俺の後ろ、最後尾を歩くシリルがパンパンと手を叩いてきた。

 その言葉に、その場の全員が少しだけ背筋を伸ばす。


 緊張しっぱなしでも続かないとはいえ、確かに俺も弛緩しすぎていたかもしれない。

 警戒アラートの呪文を使っているからと思って、少し気を抜いてしまったようだ。


 この「魔樹の森」は、植物系のモンスターが頻出する一帯として知られている。

 サツキ、アイリーンという二人の頭抜けた天才剣士もいる現在のこのパーティ、凡百のモンスターに引けを取ることはまずないだろうが、それでも油断のし過ぎはまずい。


 それに冒険者という稼業は、慣れてきたと思った頃が一番危ないと言う先人も多い。

 俺はいま一度、気を引き締め直すことにした。


 ──それから俺たちは、森の探索を進めていった。


 そして地道ながら着実に歩を進め、もうそろそろ昼時になろうかという頃──俺たちはこの森で初めてのモンスターに遭遇した。


 そのモンスターがいるのは、比較的開けていて、ちょっとした広場のようになっている場所だった。


「……何だぁありゃあ。……花の化け物?」


「そうとしか言いようがないよねぇ」


 サツキとアイリーンが、草木の陰からそれを見つめている。

 彼女らの視線の先には、巨大な植物モンスターが一体、何本もの蔦をうねうねとくねらせながらそびえ立っていた。


 その巨大植物は、全高は三メートルを超え、人間の背丈の二倍近いあたりに大きな花がある。

 花の形状はチューリップのそれが花弁をいっぱいに開いたような姿をしていて、それが獲物を探すように斜め下の地面へ向けられていた。


 花弁を支えるのはトータルで人の胴以上もある絡み合った太い茎の束だが、それは地面から生えているのではなく、地表に出た無数の根へと繋がっている。

 そいつはその根を足のように使って、地面の上を動き回れるようだった。


 また、多数ある蔦は同様に茎の下部から生えていて、それ自体が自律的な生物であるかのように不規則に蠢いていた。


 俺はその植物モンスターの存在を警戒アラートの呪文によって察知し、それを仲間たちに伝えていた。

 そしていま、俺たちはこうして草木の陰に隠れ、そのモンスターの姿を観察しているところだ。


 狭い隠れ場に俺たちは密集しているのだが、そんな中、やむを得ず俺の背中に寄りかかるようにくっついているシリルが、小さく囁いてくる。


「ウィリアムは、あれがどんなモンスターだか知っているの?」


「いや、詳しくは知らない。イビルフラワーの一種だとは思うが……」


 ……吐息が首筋に生々しく吹きかかってくるとか、衣服ローブ越しに彼女の柔らかさと体温が伝わってくるとか、そんなことは考えてはいけない。

 いまはモンスターのことに集中せねば。


 なおイビルフラワーというのは、花を持つ種類の植物に対して魔法的な働きかけが為され、それによってモンスター化したと目されるものの総称を言う。


 古代魔法文明の時代には、魔法によって生物に対して何らかの変容を与える類の実験が繰り返されたと言われており、それ、あるいはそれの子孫が現代にモンスターとして残っているというのが生物学者たちの一般的な見解だ。


 イビルフラワーに分類される植物モンスターは、現在発見が確認されているだけでも何十種類というバリエーションがある。

 俺は発見済みのイビルフラワー──魔術学院の図書館に蔵書があった図鑑に載っているものに関してはすべて記憶していると自負しているが、そのデータベースに照らし合わせても、あの外見にぴったり一致するものには覚えがなかった。


「ウィリアムも知らないモンスターですか。未知のモンスターは少し危険かもです」


 傍らで腰の短剣に手をかけたミィが、前方のモンスターから注意を外さないようにしつつそう呟く。


「ミィ、ここを迂回して進む場合はどうなる?」


「んー、やめておいたほうがいいと思うです。ここを通らないとすごく遠回りになるです。それに避けて進んでもその先でこの手のモンスターに遭わないとも限らないです」


 俺はそれを聞いて、そうだろうなと思う。

 そして一考する。


 未知のモンスターが危険だというのは確かにある。

 どのぐらい危険なのか、どう危険なのかが分からないから危険、ということなのだが。


 一方それを聞いていたアイリーンとサツキが、こんなことを口走る。


「でも、あのぐらいなら多分全然どうってことないと思うよ。ね、サツキちゃん?」


「だな。あたし一人でも余裕だろうし、まして姫さんと二人なら釣りが山ほど来るレベルだろ」


 二人は戦士の勘なのか、未知の敵の戦力をそう分析してみせた。


 ちなみに俺の目からもあまり強そうには見えない。

 動きは緩慢そうに見えるし、あの程度にアイリーンやサツキが捕まるとも到底思えない。


 モンスターランクにして、おそらくはEランクか、良くてDランクといったところだろうか。

 Bランク相当の実力を持つ天才剣士が二人掛かりで手こずるようなビジョンは、まったく浮かばなかった。


 それでも油断をせずに、まずは偵察として岩従者ロックサーヴァントをぶつけてみるとか、この場所から火球ファイアボールの呪文を撃ち込んでみるなどしてもいいのだが、単なる魔素マナの無駄遣いになりそうだというのが率直な感覚だ。


 だがそうと言って、完全に直観に任せきりでいざ何かが起こってからでは遅いというのもある。

 ならば──


「分かった、では折衷案で行こう。まず俺が軽い呪文でジャブを入れてみる。その後にアイリーンとサツキは様子を見て突入してくれ。ミィとシリルは二人のバックアップ。それでどうだ?」


 俺がそう言うと、サツキとアイリーンの二人は互いに顔を見合わせる。


「……相変わらずすっげぇ慎重だよな、ウィルって」


「昔っから心配性なんだよねぇ。でもいいよ、ウィルがそう言うなら、僕は賛成」


「あ、うん、あたしもいいよ」


 アイリーンとサツキがそう言って笑顔を向けてくる。

 ミィとシリルの二人も俺の提案に賛同してくれた。


 自分は仲間たちから信頼されているのだなと思う。


「──よし、では始めよう」


 俺は魔術師の杖を目標へと向け、呪文を詠唱、体内の魔力を高めていく。

 行使するのは初級の呪文、魔法の矢マジックミサイルだ。


 四人の少女たちも身を低くしてバネを溜め、突入の準備をする。

 そうして機が熟すと、俺たちは戦闘を開始したのだった。

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