第108話

 仲間たちの決意を確認した俺は、あらためて作戦の遂行を開始する。

 少女たちを拘束したロープを引いて、オークたちに支配されたエルフ集落へと向かって歩みを進めた。


 そうしてしばらく進むと、集落の入り口に立ったオークの見張りの姿が見えてきた。

 俺はまだ遠くに見えるその姿の前まで、少女たちを連れて歩いてゆく。


 見張りのオークは、その途中でこちらに気付いた。

 ある程度まで近付いたところで、こちらに歩み寄ってくる。

 そしてオーク語で声をかけてきた。


「よう兄弟、大収穫じゃねぇか。へへっ、俺にも一人恵んでくれよ」


 そう言ってオークの見張りは、サツキたちの横手に回り込んで少女たちをじろじろと物色し始めた。


 ちなみにサツキたち四人は、誰も暗い顔でうつむいている。

 もちろんこれは演技なのだが。


 一方、目の前の入り口の先のエルフ集落内には、多数のオークが我が物顔で闊歩していた。

 そして、うち何体かは、俺たちのほうを興味深そうに見ている。


 ここで騒ぎを起こすのは、当然ながら望ましくない。

 だが──


「ぐっへへへ……俺はこの胸のでけぇ神官が好みだぜぇ」


 そう言って見張りのオークは、その武骨な手をシリルの顎へと手を掛けようとした。

 俺はすぐさま、オーク語でこう言ってやる。


「やめておけ、大将への貢ぎ物だ。手を付けたとあれば殺されるぞ」


 俺のその言葉で、シリルの顎に手を伸ばそうとしていたオークは、びくりとその手を引っ込める。


「……え、エンペラー様への貢ぎ物か。あぶねぇあぶねぇ。道理でうまそうな獲物が揃ってると思ったぜ。あー、クソッ、にしても食いてぇなァ~!」


「ほかに用がなければもう行くぞ」


「あァ、さっさと行け。目の前でうまそうな女どもにちょろちょろされたんじゃたまんねぇ。あー、壊れたエルフの女でもいいからぶち壊したくなってきたぜ。早く当番終われっつーんだよ」


 そう悪態をつく見張りオークを尻目に、俺はサツキたちを連れて集落の中へと進んでゆく。

 その折、後ろからこんなオークの声が聞こえてくる。


「……ケド、あんな兄弟いたっけかなァ? ……まァいっか」


 一瞬、隠密裏での呪文の行使を想定したが、どうやら大丈夫だったようだ。

 俺たちはそのまま、集落の中を進んでゆく。


「……ふぅ。結構どうにかなるもんだな」


 後ろから、小声によるサツキの言葉が聞こえてくる。

 俺は後ろを向くことなく小声で返す。


「まあ、オークは基本、愚鈍だからな」


「そっか。……けどウィル、オークの言葉とか喋れるの? あの見張りのオークと話してたように見えたけど」


「いや、さすがにオーク語を勉強して習得するなどということはしていない。これはあらかじめ言語取得ボロウランゲージの呪文を使っておいたことで、一時的に喋れるようになっているだけだ。──それよりも、あまり口を動かすと怪しまれるぞ」


「おう、そうだな」


 俺たちの存在は、明らかに周囲のオークたちの目を引いていた。

 そいつらに気付かれるような喋り方はしていないが、油断は禁物だ。


 そしてもう少し進むと、集落内の不快な光景がこれでもかというように広がり始めた。


 サツキたちもうつむく素振りをしているとは言え、あれらが見えていないということはないだろう。

 何よりもエルフの痛ましい悲鳴と、オークたちの下卑た笑い声があちこちから聞こえてくる。

 俺もそうだが、心中穏やかでないのは間違いないだろう。


 だが俺たちは、それに見て見ぬふりをして前へと進む。


 ここで騒ぎを起こしたら、すべてが台無しになる。

 誰か一人でも我慢をできずに飛び出してしまったらおしまいだ。

 そのことはあらかじめ入念に伝えておいたから、あとはもう彼女たちの忍耐を願うしかないのだが──


 実際には五分にも満たないほどの歩みの時間が、まるで何倍、何十倍という長い長い苦役に感じられた。


 聞こえてくる悲鳴が、なぜ見捨てるのかと非難する声にさえ聞こえてくる。

 脳が徐々に、狂気に侵食されつつあるのではないかと錯覚するような、そんな時間。


 ──そして、やがて。

 うまそうな女だと寄ってきたオークをトータルで五体、適当な言葉であしらった頃に、ようやく目標の姿が見えてきた。


 このエルフ集落でも、最も立派な巨木にこしらえられたエルフの住居。


 その巨木の下に、そいつは自らがこの世の支配者であると言わんばかりの態度で鎮座していた。

 その姿は、まだだいぶ遠くだというのに、距離感が狂ったのかと思うほどに巨大だ。


 オークエンペラー。

 体長二メートル半にも及ぶ、巨人のごときオークだ。


 そして、その傍らに二体のオークロードと、三体の通常種のオークがいる。


 彼我の距離は、およそ百歩分ほど。

 俺は歩調を早めることも、緩めることもなく、それのもとへと進んでゆく。


 俺の手には、サツキたちを引くロープ。

 サツキたちを拘束したロープには綱絡みエンタングルの呪文が掛けられている。

 俺の命令一つで、ロープが自らの意志を持つかのように一瞬で解けるようになっている。


 目標に向かって進む。

 残り八十歩ほど。


 俺はあらかじめ念話テレパシーの呪文をつないであるフィノーラに、作戦開始を伝える。


『こちらウィリアムだ。間もなくオークエンペラーを攻略する』


『了解した。ならばこちらも攻撃を開始する。……死ぬなよ。報酬を渡す相手がいなくなって丸儲けをしても嬉しくはない』


『当然だ。勝利して満額を受領させてもらう。色を付けてもらっても一向に構わんがな』


『そうか。働きを評価すると随分高くなりそうだが、考えておこう。では健闘を祈る』


 それだけ話して通信を終了した。

 短いやり取りだが、それで十分だ。

 必要なことはあらかじめ伝えてある。


 さらに進む。

 残り三十歩ほど。


 この集落に突入する前に、エルフの魔法薬は飲み干してある。

 果実とハチミツが合わさったような爽やかな甘みを凝縮したような霊薬が体中に広がり、俺の魔素を最高の状態まで回復していた。

 コンディションは万全だ。


 なおも進む。

 残り二十歩ほど。


 俺はそこで足を止め──


「──匂うな」


 そのときオーク語でそう発したのは、悪趣味な玉座に鎮座したままのオークエンペラーであった。

 そいつは手に持って「食事」をしていた「脚」を、おもむろに振りかぶる。


 驚いた様子を見せる側近のオークたち。

 エンペラーは、


「人間の、メスのもんだけじゃねぇ、オスの匂い──何だテメェ」


 そう言うや否や、振りかぶった「脚」を勢いよく、俺に向かって投げつけてきた。


「──解放リリース!」


 俺はとっさに、綱絡みエンタングルの呪文に命令を下した。


 その一方で、飛来し迫りくる「脚」。

 おそらくすでに死体となったエルフのそれだろうが、それを痛ましいと思う間もない。

 それは俺に直撃しようとして──


 その直前で、瞬速で間に割り込んだ人影が、盾を使ってその「脚」を弾いた。

 その「脚」は、そのまま近くの地面に転がる。


「助かった、アイリーン」


「そうさせるつもりで縄を解いたくせによく言うよ」


 割り込んだ人影はアイリーンだ。

 そしてアイリーンばかりでなく、サツキとミィも俺の前に立ち並び、シリルが俺の側へとつく。


「……ったく、ここに着くまで気が狂うかと思ったぜ」


「まったくです。今すぐオークどもをぶち殺したいです」


「ミィに同感。我ながら神官ホーリーオーダーとしてどうかと思うけれど、でもね」


 彼女たちのこんな暴力的な声の響きを聞いたのは初めてかもしれない。

 だが、それもやむを得ないことだろう。

 俺も腹の奥の深い部分では、解放を求める暴力的な想いがぐつぐつと煮えたぎっている。


 そんな俺も、もはやその怒りをぶつけるべき対象と同じ姿をしている理由はない。

 変装ディスガイズを解いて、本来の姿を現す。

 そしてただちに、次の呪文の詠唱を開始した。


「あァン……? 何だテメェら。人間に猫人族──わざわざ俺に食われに来たのかよ、ネズミが」


 オークエンペラーが、エルフの死体を積み上げた玉座から億劫そうに立ち上がる。

 そして傍らに立てかけられた巨大すぎる棍棒を手にし、俺たちを見下ろし──

 そして「ほぅ」と、少し感嘆したような表情を見せた。


「おいおい、『使える』女が三人もいやがるのか。──ハッ、面白れェ! 最高の獲物どもが自分から飛び込んできやがった」


 そう言うと、オークエンペラーは大きく息を吸い込む。

 そして──吠えた。


「──おい野郎ども、いますぐ全員来い!!! 三十秒以内に来なかったやつはぶち殺すぞ!!!」


 それは怒号のような、凄まじい大きさの声だった。

 ビリビリと、空気が震えるほどの音声振動。

 拡声ラウドヴォイスの呪文もかくやという声量で、その声は集落じゅうへと広がったように思えた。


 この集落にいるすべてのオークを呼び寄せて、数で圧殺しようという魂胆のようだ。

 アイリーンやサツキの戦力を的確に把握し、少数での真っ向勝負は危険と判断したのかもしれない。

 豪放なように見えて意外に怜悧な戦術だ。


 そして実際に、こちらがいかに精鋭揃いであろうとも、この集落全体から百近い数のオークが集まってきて囲まれれば、俺たちが生き延びられる道理はない。

 二十や三十ぐらいまでをどうにか打ち倒したあたりで、一人、また一人と蹂躙され始めるのは目に見えている。

 そして、その頃に満を持してロードやエンペラーが介入してくれば、サツキやアイリーンすらも容易く打ち破られるだろう。


 ──だが、当然ながらそうはさせない。


 俺は先ほどから詠唱していた、そのための呪文を完成させる。


「──異空間の扉ディメンジョンゲート!」


 俺の魔力は一瞬で地面を走り、俺を中心とした五十メートル四方ほどの大地に「それ」を生み出した。


 それは、地面を壁に見立てて現れた、巨大で怪奇な姿をした「扉」だった。

 その「扉」が、それがまるで幻術であるかのように、その上にいる生き物──俺たちやオークどもをすり抜けて、開く。


 そうして扉が開き、大口を開いた地面は、真黒な闇と化していた。

 その闇は、範囲内にいた俺たちとオークたちをすべて呑み込み──


 そして、再び「扉」が閉じた。

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