第68話

「あら、対抗魔法カウンターマジックの呪文でも唱えたのかしら? 健気なことね」


 俺が呪文を詠唱したのを見て、アリスが楽しそうにそう言ってくる。


 どうやら彼女は、俺が魔法の目ウィザードアイで生み出した「目」の存在には気付いていないようだ。

 それもそのはず、アリスが魔力感知センスマジックの呪文を使っていないことは彼女自身に魔力の光が宿っていないことからも明白で、そうであるならば「目」を彼女が捉えることはできないのも道理である。


 俺は自分の視線と同じ高さに現れた透明な「目」を、アリスのほうへ向かって動かしてゆく。


 空中を浮遊しながら進む「目」の移動速度は、人が歩くときの速度と同程度だ。

 圧迫感のある空気の中、「目」はゆっくりと移動してゆく。

 あの壁までたどり着くのに、一分以上はかかるだろう。


 俺は時間稼ぎ目的で、アリスに向かって声を張り上げる。


「先ほど俺たちのことを『若い冒険者』と呼んでいたが、キミも大差ない年だろう。良心は痛まないのか? このような悪行はやめるんだ。キミがやっているのは、人殺しという許されざる犯罪だ」


 これは我ながら、少し演技が過ぎただろうかと思う。

 だがアンデッド研究者アリスの急所を突く言葉を選んだつもりだ。


 そして案の定、アリスは俺の言葉を受け、狂ったように高笑いを始めた。


「あははははははっ! 良心? 悪行? 犯罪? バカバカしい! あなたも魔術師なら、世界を前に押し進める研究の素晴らしさが分かるでしょうに! ううん分からないか! 学院をドロップアウトして冒険者なんてクズになるしかなかった、あんたみたいな落ちこぼれにはね!」


 そうアリスが講演する間にも、「目」はアリスへと近寄ってゆく。


「いい? 私の研究は画期的なの! 生命倫理だのってくだらないものに束縛されて学院の誰も成し得なかったことを、私がいまやっているの! ゴミみたいな底辺の人間の命なんて、私たちエリートが成し得るものの価値に比べたら、まさにゴミ同然なのよ! それを分かってないバカどもに、私が知らしめてあげるの! 『成果』はゴミどもの命なんかよりよっぽど重いんだって!」


 アリスが不快な持論を展開する間に、「目」はついに件の壁の前までたどり着いた。

 その入り口をくぐり、壁の向こう側へと抜ける。


 その向こう側に広がっていた光景は、俺をして、にわかに目を疑うものだった。


 アリスの左側と右側、「壁」の後ろに隠れるようにして、合計二十体のゾンビが横並びに立っていた。

 右側に十体、左側に十体だ。


 そして驚くべきは、それらのゾンビが一様に長弓ロングボウを手にしていたことだ。

 さらにその背には、多数の矢が入った矢筒が背負われている。


 通常、魔術師が死体に亡者生成クリエイトアンデッドの呪文を行使することによって生み出せるゾンビやスケルトンは、弓矢などの複雑な操作を必要とする道具は扱うことができない。


 もっとも、そもそもにして亡者生成クリエイトアンデッドの呪文そのものが禁呪で、学院では教えていないはずなのだが……。

 そこは何とかクリアしたとしても、弓矢を使えるというのはあり得ないはずだ。


 そしてこれは自然発生のアンデッドでも同様のはずで、そのような複雑な機構の道具を扱うアンデッドの例は、俺が知る限りでは過去に記述がない。


 つまり──もしこのゾンビの軍団が、いま手にしている長弓を実際に使いこなせるのだとしたら。

 それは俺が知る限り、学院のいかなる書物にも記されていない、アリスがこの世に生み出した新たなる「成果」ということになる。


 これは確かに驚くべきことだ。

 だが……。


 しかしいずれにせよ、彼女が用意している罠の正体はこれだろう。

 自らの「成果」を実験する場としてこの場を選び、その栄えある第一の犠牲者として俺たちを使おうというのは、これまでに見聞きした彼女の性質とも一致するように思う。


 そして、そうであるなら──


 俺は「目」を動かし、「壁」へと突撃させる。

 すると「目」は「壁」を通過し、その向こう側へと抜けた。

 やはりそうだ。


 魔法の目ウィザードアイの「目」に、壁抜けの能力はない。

 つまりこの壁は、実体のない幻。


 幻影イリュージョンという中位の呪文があり、それを駆使すれば、このような「壁の幻影」を作り出すことは可能だ。

 おそらくはその呪文によるものだろう。


 であるならば、敵の狙いも明白だ。

 差し渡し百メートルほどもある広大なこの地下空間を利用して、呪文は届かず弓矢が届く距離での攻撃で、こちらを一方的に蜂の巣にしようという戦術だろう。


 そして、確かに実際に危なかった。

 無策に突撃していたら、少なくとも最初の一斉射は防御魔法が間に合わず綺麗に浴びていただろうし、そうなれば全員がすべての矢を回避しきれるわけもない。


 彼女が用意したゾンビたちの射撃の精度にもよるが、その矢に胴や手足を射抜かれて重傷を負う者や、運が悪ければ矢に頭部を貫かれて即死する者も出ていただろう。

 それは俺だったかもしれないし、サツキやミィやシリルだったかもしれない。


 長弓は人間の身の丈ほどもの全長がある大型の弓で、その強力な弦から放たれる矢は、斜め上方に適度な射角をつけて撃てば最大で三百メートルほどの射程を誇る。


 この地下空間のような大きな射角をつけられない場所でも、百メートル程度の射程にはなると思われ、その場合の射程は「狙って命中させることが可能な距離」であるところの有効射程ともイコールになるだろう。


 何ならいまの俺たちの位置にでも射撃は可能なのだろうが、命中精度の問題と、何よりこちらが撤退容易な場所にいるうちでの披露は避けたいという意図なのだろう。

 取り返しのつかない場所までおびき寄せてから逃げ場のない相手を蜂の巣にしようと考えるのは、戦術としては理解できる話だ。


 ──さて、ここまで分かれば、あとは行動に移るべきだろう。

 俺はサツキ、ミィ、シリルの三人を呼び寄せ、情報を共有し、取るべき作戦を伝える。


 そして俺自身は、もう二つの呪文を唱えた。


 一つは対抗魔法カウンターマジックの呪文。

 これは魔法への抵抗力を高める呪文で、いまのように密集して使えば味方全員に効果を発揮する。

 効果は気休め程度だが、魔素の消費量も少なく、準備時間があるなら高位の魔術師を相手にする際に使わない道理はない。


 そしてもう一つは、当然ながら「あの呪文」だ。

 アリスの様子を見るに、俺がこれを使えるとは思っていないのだろう。

 初手の小細工が功を奏したのだと考えられる。


 一方でシリルも祝福ブレッシングの奇跡を使い、こちらも気休めながらの強化を図る。


 ──さて、これで望みうる限りの準備は整ったと言えよう。

 いよいよ決戦のときだ。

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