第67話

 ミィが扉を開き、全員で件の地下空間になだれ込む。

 そして全員がすぐに、反射的に口元を押さえた。


「うっ……! ひでぇ匂いだ……」


「うぅ、鼻が曲がりそうです……」


 そう言うサツキやミィばかりでなく、ローブの袖で口元を覆ったシリルも涙目でけほけほと咳込んでいた。


 地下空間に飛び込んだ俺たちを真っ先に襲ったのは、その室内に充満した強烈な腐敗臭だった。

 あちこちに死体が置かれているのだから、当然と言えば当然だ。


 もちろんその匂いにやられたというのは、俺とて例外ではない。


 だが怯んでばかりもいられない。

 俺はシリルと同様にローブの袖で口元を覆いつつ、視界の先を見据える。


 その地下空間には、当然ながら俺が先に透視シースルーによって確認していた通りの光景が広がっていた。

 広々とした空間に、人間のもの動物のものが混在して幾多の死体が散乱している。


 だが予想外だったこともあった。

 その奥行きが、俺が想像していたよりもさらに遥か遠くまで続いていたことだ。


 透視シースルーによって確認していた三十メートル地点から、さらに三倍ほど奥まで奥行きがある。とてつもなく広大な空間だ。

 死体の散乱は奥までずっと続いていて、左右の壁に等間隔に設置されたランプの灯りがそれらを妖しく照らしている。


 ──そして、その広大な空間の最奥。


 杖を片手に、ローブを纏った一人の女が立っていた。

 ウェーブのかかった赤のロングヘアーが特徴的なその女は、ゴルダート伯爵の宮廷魔術師アリス・フラメリアその人に違いなかった。


 ただ、奇妙なことも一つあった。


 遠くにだいぶ小さく見えるアリスの、その十メートルほど手前の位置。

 そこに、空間を手前と奥とに間仕切りするような壁がある。

 アリスの姿が見えるのは、その壁の中央に扉が開かれた出入口があるからなのだが。


 その間仕切りしている壁全体が、俺の魔力感知センスマジックによって赤く光って見えているのだ。

 あの壁に何らかの魔力が働いているということになる。


 ただ、どのような魔力が働いているかは分からない。

 魔法分析アナライズマジックの呪文を使えば分かるのだが、この呪文を使うためにはもっと近くまで寄らなければならない。

 しかしこの状況下であの壁に近寄るというのは、それ自体が危険な行為だ。


 何だか分からないものがあるというのは危険ではある。

 だがすぐにどうこうするべきかというと、魔素の残量の都合も考えればひとまず保留が妥当だろう。


 そんなことを考えていると、俺の視界の先の女──アリスが、その声を張り上げてきた。


「ようこそ若き冒険者たち。私の研究所はお気に召してくれたかしら?」


 ゆっくりと聞こえの良い声で、朗々と舞台役者のように謳い上げる。

 この場を何かの舞台のように考えているかのようだった。


 ちなみに現状、彼我の距離は概ねの目算で百メートルほどもあり、互いに相手に危害を加える呪文が届くような距離ではまったくない。


 そしてこちら側からは、サツキとシリルが同様に声を張り上げ、返答をする。


「はっ、悪趣味だな。反吐が出る」


「こんな風に死者を冒涜しておいて、何が研究所よ。恥を知りなさい外道!」


 その怒りの乗った二人の声を聞いても、アリスは愉快そうな声を返してくる。


「ふふっ、その敵意……やっぱりたまたま迷い込んだっていうわけじゃなさそうね? 悪の魔術師を退治しにでもきたつもりかしら、未来の英雄さんたち。──さあ、どうしたの? 遠慮なしにかかっていらっしゃい。あなたたちの死体も、ここにいる幾多の屍の仲間に加えてあげるわ」


 アリスは悠然とその場に立ったまま、挑発するようにそう言ってくる。


 下手な芝居だった。

 こちら方に飛び込んできてほしいという思惑が如実に感じ取れる。

 やはり接近すると発動する、何らかの仕掛けがあると見ておくべきだろう。


 だが一方で、その下手な挑発に引っかかろうとしている少女がいた。


「上等だ。いますぐ叩っ切ってやるから、首を洗って待っていやがれ」


 サツキが腰から刀を抜き、いまにも飛び出さんとぐぐっとバネをためていた。


「待て、サツキ」


「ひゃうんっ! ……な、な、何すんだよウィル!」


「落ち着け。十中八九まで罠だ」


 サツキの背後から首根っこを引っつかんで止めると、顔を真っ赤にして抗議してくるサツキにそう伝える。

 横ではミィとシリルが、うんうんと首を縦に振っていた。


「えっ、そうなの……?」


「そうに決まってるです」


「あんな露骨な挑発、引っかかるほうがどうかしてるわ」


 いつものようにミィとシリルから集中砲火を浴びたサツキは、しょんぼりと肩を落とした。


 だがその横で、シリルが難しそうな顔をして前方を見据える。


「でも罠と分かっていても、ここでずっと立ち往生ってわけにもいかないのよね。だけどこの距離からじゃ攻撃が届かない。それは向こうも同じなんでしょうけど……」


 問題はそれだ。

 罠と分かっていても、それがどんな罠か分からないのでは手出しのしようがない。

 結果サツキではないが、玉砕覚悟で全員で突撃するという手段を視野に入れざるを得なくなってくる。


 だが玉砕覚悟して実際に玉砕というのは、最も避けるべき事態だ。

 それならばまだ、ここで撤退をかけたほうが幾分かマシだ。


 だがここで撤退をすれば、こちらの存在を認知されたうえで、アリスをフリーにしてしまうことになる。

 それはそれで極力避けたい事態だ。


 となれば──何とかして、彼女が仕掛けている罠の正体を知らなければならない。


「……やむを得んな」


 俺は決断する。

 俺は残り少ない魔素を押して、その呪文を使用することを決意する。


 現状怪しいのはあの「壁」だ。

 そしてあの「壁」が視界を塞いでいて見えない、その先に何が待ち受けているのかが気になる。


 ただ、いまこの呪文を使えば、火球ファイアボール一発撃つための魔素すら残らなくなる。

 それだけの価値が、この呪文にあるかどうか──


 ──いや、信じるしかあるまい。


 俺は魔法の目ウィザードアイの呪文を詠唱し、それを発動した。

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