第59話
「それでアイリーン姫、うちのアリスが何かございましたか。彼女の有能さを聞きつけたから王都の宮廷魔術師として引き抜きたいというのは、ご勘弁願いたいところですぞ」
そう言って伯爵は冗談めかしてハハハと笑う。
だがアイリーンはその笑いに釣られることなく、その存在に静かな冷たさを保ったままだ。
『アイリーン、まずはアリスを落とすぞ。伯爵に「いざとなればアリスをトカゲの尻尾として切り捨てられる」と思わせる方向で攻めてくれ。伯爵を落とすのはその後だ』
『了解だよ、ウィル』
アイリーンから明晰な返事が返ってくる。
彼女は頭脳労働が苦手と言っても、それは性格上の問題で、さほど地頭が悪いわけではないというのが俺の認識だ。
本来の彼女の実力さえ発揮できれば、細部は任せて問題ないと考えている。
アイリーンは静かに、ゆっくりとした口調で伯爵に言葉を返す。
「いえ、残念ながら私が聞き及んだのは、彼女に関するあまり良くない噂のほうです。──伯爵、アリスの最近の動向について、しっかりと把握はしていますか?」
そのアイリーンの言葉に、伯爵はその二重アゴに手をあて、少し考え込む仕草を取る。
俺はそのアイリーンの話の進め方に、良い攻め方だと感心した。
「監督不行き届き」程度なら、まだゴルダート伯爵が保身を図れる範囲だ。
いま伯爵の頭の中では、これが何の犠牲もなしに逃げ切れる追及なのか、それともアリスを切り捨てる必要があるのかについて、ぐるぐると回っていることだろう。
そしてたっぷり十秒間ほどの思考の後、伯爵から出てきた言葉はこういったものだった。
「ふむぅ……言われてみれば、彼女の最近の行動に関してきちんと把握はしておりませんな。アイリーン姫が聞いたというのは、どういった噂なのでしょう?」
その伯爵の言葉に、
必ずしも嘘は言っていないといった程度の反応だ。
実際にアリスの動向を細かくは把握していないのかもしれない。
「私が耳にしたのは、彼女がこの伯爵領内の村でアンデッドを生み出す実験をしているという話です。それも──大量の村人を虐殺して、というものです」
「何ですと! アリスが私のあずかり知らぬところでそのようなことを! とても信じられません……いや待てよ、そう言われてみれば……アイリーン姫、その噂というのは、誰から聞いたのですか?」
この伯爵の発言はほぼ完全に嘘で塗り固められたもので、
どうやら伯爵は、いまの一瞬でアリスを切り捨てる方向に思考をシフトしたようだ。
「伯爵、それは私たちが持つ王宮の極秘情報ルートとなっているため口外することはできません。ですが確かな筋からの情報です」
「むうぅ、左様ですか……まさかうちのアリス、いやあの女狐めがそのような真似を……それが本当であれば、断じて許せることではありません。王家の大事な財産であり、我が愛する領民たちにそのようなことを……まったく許すまじき悪行です!」
ゴルダート伯爵はそう憤った様子を見せ、その拳でテーブルを叩きつける。
だが
安い芝居だ。
だがこの芝居こそが、ゴルダート伯爵という人物を如実に物語っているとも言えた。
この男は保身のために平気で嘘をつき、他人に罪のすべてをなすりつけ陥れようとする悪党だ。
こちらからそうなるように仕向けたこととは言え、彼に少しでも良心の呵責があるのであれば、いまのような演技は出てこないだろう。
『アイリーン、確定だ。いまの伯爵の怒りの発言は、すべて明確に虚言だ』
『やっぱりそうなんだ……。僕、こういうやつは許せない。ねぇウィル、僕もうキレていいかな』
思念のみの会話からも、アイリーンの怒りが伝わってくる。
だが舞台をひっくり返すにはまだ早い気もする。
これまでの伯爵の発言から、彼がフィリアの村を滅ぼすことに加担したか、少なくともそれを知っていたことまでは明白である。
しかし彼が何故そうしたのか、その部分の動機がまだ見えてこない。
彼が私欲の権化であれ、それは自らの領内の村を滅ぼす動機にはなりえない。
『まだだ。できれば伯爵の動機を引き出したい』
『動機、動機か……』
しかし問題は、それを吐かせるための手立てがいまいち思い浮かばないということだ。
それに関しては、彼に吐かせることは断念しアリスにアクセスするべきかもしれない。
だが俺とそんなことを考えていると、ゴルダート伯爵のほうからこんなことを進言してきた。
「ですがアイリーン姫。あの女狐、アリスめは宮廷魔術師としての実力は持っている女です。下手に生きたまま捕らえるようとすれば、多大な犠牲を余儀なくされるでしょう。アレは二、三時間ほどで戻ると言っておりました。そこで戻ってきたところを狙って、不意を打って殺してしまうべきです。どうか姫、貴女の騎士としての実力を見込んで、ご助力を」
「…………」
アイリーンが押し黙る。
俺もいよいよ目の前の男に対して嫌悪感が増してきた。
……口封じか。
なるほど、アリスに余計なことを喋られては困るということだろう。
『……ねぇウィル。僕もう限界』
『ああ。俺も感情的なものはさて置いても、この場で平和的に動機を語らせるのは筋が悪いように思えてきた。──アイリーン、目の前の二人の護衛、それに扉の前の一人も同時に相手をして、なおかつ俺を守りながら立ち回れるか?』
『愚問。楽勝だよ』
『そうか──ならば、やってしまってくれ』
『了解!』
アイリーンの弾んだ思念が返ってきた。
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