第54話

 街中を歩き、上流階級の住居が立ち並ぶ一帯までやってきた。

 アイリーンが、少し先にある一棟の屋敷を指さす。


「ねぇウィル、ゴルダート伯爵の屋敷ってあれじゃないかな?」


 見るとその屋敷は、確かに周囲の住居と比べても敷地が広く、門構えも立派なものだった。

 狭い都市の中にあるものだから広大とまではいかないが、庶民の住居と比べれば数倍の敷地面積を誇っていることは明白だ。


「ああ、おそらくはあれだろうな。──さてちょっと行ってくるから、アイリーンたちはここで待っていてくれ」


「えっ、待ってるって……? 僕、行かなくていいの?」


「無論突入時にはアイリーンの存在は必要だが、まずは偵察だ」


 俺はアイリーンだけでなく、同行するほかの三人にも待機するよう伝えると、自らは認識疎外インセンサブルの呪文を唱える。

 そして呪文の効果を受けて、目的の屋敷の近くまで歩いていった。


 アイリーンに伝えたように、まず行うのは偵察である。

 ゴルダート伯爵やアリスは、まだ俺たちの存在には気付いていないはずだ。

 一度直接的なアプローチを仕掛けてしまえば相手方もこちらの存在を意識して警戒や対策を行うだろうが、いまのところ俺たちは彼らの認知の外にあり、であるならばいまはこちらの独壇場である。


 さてゴルダート伯爵の屋敷と思しき住居の近くまで来ると、門の前には強面の門番が二人、鎖帷子を身につけ槍を手にして立っているのが見えてきた。

 門番たちは、屋敷の近くに来た俺の存在には特に注意を払っていないように見える。

 認識疎外インセンサブルの呪文の効果を受けているのだから、そうでなければ困るといったところだが。


 屋敷の構えはと見ると、敷地全体が高さ三メートル近い石造りの塀に囲われていて、厳重な防御態勢が伺えた。

 あの石塀もミィならばどうにかよじ登れるのかも分からないが、少なくとも俺にはあれを登るのは不可能だし、全力でジャンプして手を伸ばしても塀の上には届かない高さだ。


 さて、俺はここでいま一つの呪文を唱える。

 魔力感知センスマジックという呪文だ。

 そして呪文の効果を受けて、屋敷の石塀の上、敷地内の空間を眺める。


「……やはり警戒アラートは張っているか。平時だというのに、用心深いな」


 屋敷の敷地内、全域を覆うというほどではないが、かなりの広範囲を覆うようにして赤い半球状の魔力の膜が張られているのが見て取れた。


 俺が使った魔力感知センスマジックの呪文は、視界内に働いている魔力を「見る」ことができる呪文である。

 魔力は半透明の赤い輝きとなって、術者の視界に映ることになる。


 いまの俺の視界に映っている半球状の魔力は、おそらくは屋敷内にいる宮廷魔術師アリスが張った警戒アラートの呪文の魔力であると思われる。

 アリスは屋敷にいる間中、常態的に警戒アラートの呪文を使用し、屋敷への侵入者を感知しているということなのだろう。


 しかし警戒アラートの呪文は、使用人などを含めた屋敷を出入りする人すべてに反応するはずだ。

 普段からそれをしていては日常生活が「うるさい」ことこの上ないはずだが、それでもそれをやるというのは何とも用心深い話だ。


 だがこれで、一つ確定的になったことがある。

 それは、アリスが現在あの屋敷の中にいるということだ。


 警戒アラートの呪文の感知膜は、術者を中心にした球状に形成されるものだ。

 効果半径を絞って使うことはできるし、現在アリスが使っているのもその状態だと思われるが、術者中心の球状形成という点は動かせない。

 なのであそこに警戒アラートの魔力の光があるということは、その術者は現在この屋敷の中にいるということになる。


 俺が知りたかったのは、まさにその情報だ。

 現在アリスが屋敷にいるかどうか、それこそが知りたかったのだ。


 さて、これで現在獲得すべき最低限の情報は整った。

 これで帰ってもいいのだが──折角なので、件の宮廷魔術師殿の姿を見ていくとしよう。


 それに可能性としては、ゴルダート伯爵がアリス以外の魔術師を雇っていて、その人物が警戒アラートを使っているというパターンもありえなくはない。

 視認しておくに越したことはないだろう。


 俺は透視シースルーの呪文を唱えると、ゴルダート伯爵の館の内部構造を確認していった。

 そして──


「──あれがアリス・フラメリアか」


 目的の人物を見つけた。

 屋敷の三階の一室で、何やら書き物をしている。

 交信コンタクトで学院の教授から聞いておいた外見特徴と一致しているから、彼女がアリスで間違いないだろう。


 ウェーブのかかった赤のロングヘアーが特徴の、二十歳ぐらいの美女だ。

 遠目から見てもスタイルが良く、着ている魔術師のローブは体のラインが見えやすくなっていたり、腰元から大胆にスリットが入っていたりと、デザインに大きなアレンジが加えられたものだ。


 なお当然だが、彼女が俺の存在に気付いている様子はない。


 俺はその後、透視シースルーの力で伯爵の屋敷の内部構造やほかの構成人員などを確認して、そうして偵察を完了すると、アイリーンたちの元に戻った。


「お帰りウィル! どうだった、何か分かった?」


「ああ。必要な情報はほぼ獲得した」


 道端でアイリーンたちが出迎える中、俺はそのまま彼女らを誘導して、高級住宅街から抜ける方向へと歩を進める。

 その横にアイリーンが付き、質問してくる。


「あれ、やっぱり帰っちゃうの……? ねぇウィル、どうして今日は行かないの?」


「あとで教える。ひとまず今日は宿を取ろう」


 俺は依頼人と仲間たちを連れ、この日の宿を探すべく、暗くなりかけた道を歩いていった。

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