第11話

 人間の中にも特定能力に優れた者と劣る者が存在するのと同じように、ゴブリンの中にも能力の優れた者、劣る者が存在する。


 それは通常、対峙する冒険者にとっては誤差のレベルでしかないのだが──稀に、その誤差の範囲から大幅に飛び抜けた、極めて有能な個体が生まれることがある。


 例えば、魔法を使えるゴブリンというものが存在する。

 彼らは身体的な能力こそ通常のゴブリンと同等だが、人間並みの高い知能を持っており、どこで覚えたものか知れないが人間の魔術師が使うそれと同じ種類の魔法を行使する。

 それはもはや、通常のゴブリンとは別次元の脅威となるため、特別にゴブリンメイジと呼ばれ、冒険者たちから特に警戒される存在として扱われる。


 そして一方で、身体能力に優れたゴブリンというものも存在する。

 ゴブリンガード、ゴブリンチーフなど呼び方は様々あるが、肉弾戦能力に優れた彼らもまた、通常のゴブリンとは一段異なる脅威度を持つ存在として特別視されている。


 だが、ゴブリンの中で最も脅威度が高い存在は何かと問われれば、おそらく多くの冒険者はこう答えるだろう。


 ゴブリンロード。

 ゴブリンの王族ロードの異名を持つ彼らは、一つのゴブリンの群れにつき一体だけ、稀に存在することがある大物である。


 その肉体は人間と比べても遜色ないどころか、むしろ大柄な部類に入るほどの体格で、筋骨隆々としていながら、その筋肉にはしなやかさも持ち合わせているという。

 戦闘の技量がとりわけ高いわけでもないが、その恵まれた肉体から放たれる攻撃の威力と鋭さ、そして戦いのセンスに関しては、並の人間のそれを遥かに上回ると言われている。


 そしてゴブリンロードは、知能の面においても、通常のゴブリンのそれを遥かに凌駕する。

 魔法を使う個体こそ滅多にいないが、ロードはゴブリンたちを知的かつ的確に統率して人間の集落を襲うため、ロード種のいるゴブリンの群れは、通常のそれよりも大幅に驚異度が高いと言われている。


 ゴブリンメイジ、そしてゴブリンロード。

 これら特殊な個体のいずれかが統率する群れに遭遇した初級冒険者のパーティは、漏れなく苦戦を強いられ、場合によっては死者を出し、最悪のケースでは全滅することもありうるという。


 この点において俺たちは、想定しうる範囲内で最悪のカードを引いたと言って過言ではないだろう。

 ゴブリンメイジとゴブリンロードの「両方」が存在する群れに遭遇するなど、サイコロを二つ振って両方とも一の目が出るぐらいの、悪い奇跡だ。


「けど一つ腑に落ちねぇのは、あれだけ慎重なウィリアムが、魔法の目ウィザードアイ? でメイジとロードがいるって知ったときに、引き返してクエストをキャンセルしようって言い出さなかったことなんだよな」


 サツキがふと、そんな感想を漏らす。

 俺たちはいま、ゴブリンロードたちがいると思しき広間に向けて、進軍を続けているところだ。


 この洞窟は意外と深く、広間から広間までの通路は思いのほか距離がある。

 目的の場所までは、まだだいぶ遠い。

 俺はふむと思考を巡らせ、サツキに向かって返答をする。


「直面するリスクを可能な限り減らそうと試みることと、わずかなリスクと向き合わずに逃げることとは違う──ということなのだが、それで答えになるか?」


「あー、分かるような、分かんねぇような」


 サツキの返答に、少々困る。

 どう説明しようかを考えていると、シリルが横から口をはさんできた。


「勇敢と無謀は違う。慎重と臆病は違う。臆病者には冒険者はそもそも務まらない──そういうことでしょ?」


「……まあ、その通りだが。その説明でサツキは分かるのか?」


「んー、それも分かるような、分かんねぇような」


「それに、一度引き受けたクエストをキャンセルする場合、違約金を払わないといけないです。無駄足を踏んだ上に前金の三倍返しは、かなり痛いです」


 周囲の観察を怠らないようにして先頭を歩いていたミィも、その警戒行動を続けながら、片手間で話に混ざってくる。


「あ、それならあたしも分かる! 金がなくなるのはヤバいよ。あたし旅してた頃、路銀がなくなって身ぐるみ剥がされそうになったことあったもん。この着物と刀だけは絶対ダメって死守したけど、あんときはヤバかった。マジでヤバかった。身売り直前までいったもん」


 そう言って、「ヤバかった、ヤバかった」を繰り返すサツキに、ミィとシリルが苦笑をする。


 冒険者ギルドで受けるクエストには、通常、前金と違約金が設定されている。

 あるクエストを受領したパーティは、その前金として報酬額の一割をあらかじめ受け取れるのが一般的である。


 これはクエストの着手金や準備金としての性質を持っており、この前金を使って、冒険者たちはそのクエストを実行するために必要な何かしらの準備をする。

 今回のゴブリン退治のクエストであれば、報酬額が金貨二十枚なので、俺たちは前金として金貨二枚をすでにギルドから受け取っている。


 冒険者はこれを使って、例えば往復の間に必要な食料を買い込んだり、宿賃を確保したりすることになる。

 冒険者には無計画な者も多く、前回のクエストで得た報酬をすべて酒や女で使い切った後になって慌てて次のクエストを探したりするものだから、こうした措置が必要になってくるらしい。


 一方で、クエストのキャンセルには違約金が発生するというルールがある。

 クエストを依頼した側としては、クエストを受領したパーティに、そうホイホイと「やっぱりやめます」を言われてはたまらないからだ。


 そのパーティがクエストを受領しなければ、クエストの依頼書は冒険者ギルドの掲示板に残ったままとなり、その状態であれば別の冒険者パーティがクエストを引き受ける可能性も出てくる。

 だが、一度いずれかのパーティが受領してしまったクエストは、冒険者ギルドのクエストの依頼からは外される。


 クエストには、今回のゴブリン退治がそうであるように、即応性を求められるものも多い。

 ゴブリンたちを放置する期間が長くなればなるほど、村が受ける被害は拡大する可能性が高くなる。


 したがって、一度クエストを受領したパーティは、責任をもって速やかにクエストを完遂する必要がある。

 その責任を金額で表したものが、違約金のシステムと言える。


 違約金の額は通常、前金の三倍となる。

 今回のゴブリン退治のクエストであれば、金貨六枚を冒険者ギルドに支払えば、受領したクエストをキャンセルできるということになる。

 前金を全額返却した上で、さらに金貨四枚の払いが必要になるというわけだ。


 ただこれはあくまでも、クエストの実際の内容が「通常想定されうる程度のイレギュラー」から、大きく逸脱しない場合の話だ。

 ゴブリン退治に来たらドラゴンに襲われた、などというごくごく稀な例外的ケースでは妥当しない。


 なお、前金だけ受け取ってとんずらした冒険者パーティには、冒険者ギルドから刺客が仕向けられるという。

 つまりそれは、冒険者たる者が絶対にやってはならないご法度である。


「けどそうすっとアレだよな、ゴブリンロードとかメイジがいたときには、追加報酬とかほしいよな。普通のゴブリン退治だと思って引き受けたら実際にはロードだのメイジだのがいましたって、貧乏くじもいいとこだろ」


 サツキがそう率直な感想を漏らすと、それにはシリルが応じた。


「それもあらかじめ織り込んでクエストを受けるしかないんじゃないかしら。ゴブリン退治を依頼した村人たちからしたら、まるっと全部を解決してくれることへの報酬額として、その金額を提示しているわけだし、あとから想定外があったから追加報酬を払えって言ったって、納得するとは思えないわ。それを武力で脅して奪い取ったりしたら、私たちはもう山賊なんかと一緒よ」


 俺はそのシリルの発言を聞いて、ひそかに感心していた。

 この神官の少女への脳内評価を、さらに一つ引き上げる。


 往々にして人間とは、自分の立ち位置から主観的に物事を見てしまう生き物である。

 そうであるにも関わらず、相手の立場に立って物事を考えられるというのは、彼女が知的に有能な人間である証拠と言えるだろう。


 そうして相手の立場に回り込んで考えられれば、その視野を織り込んだうえで、自身の最適行動を模索できる。

 それによって、無駄なコミュニケーションエラーによって発生する、無用な諍(いさか)いを避けることが可能となる。


 実際に俺も、ゴブリン退治のクエストを受領した際には、ゴブリンロードやメイジなどの存在の可能性は視野に入れた上で受領するや否やを判断している。

 この事態は、あくまでも想定の範囲内での最悪であって、想定の範囲外ではない。


 ただ、そのように考えられない冒険者のほうが多いのも確かだろう。

 サツキもそうで、シリルの話を聞いてもいまいち納得していない様子だった。

 もっとも彼女の場合、それもすぐに流して、あっけらかんとするのだが。


 サツキはシリルと比べると、とにかく率直である。

 もっとありていに言ってしまえば、知的側面において、あまり有能な人物ではないという評価になる。

 そのサバサバとした人間性は、好感を持てるものではあるのだが……。


「──ん、何だ?」


 すると、そう思考していた俺の様子を、横にいるシリルが食い入るようにじぃっと見つめているのに気付いた。

 その神官の少女は、一つくすっと微笑み、俺に向かって声を掛けてくる。


「失礼。少しね、あなたには興味があるの。──導師級のあなたには、サツキはどう見えているのかなと思って」


 見るとサツキは、今度はミィに何やら話しかけていた。

 ミィは周囲への警戒を切らさないようにしながら、適当にサツキへの対応をしている。


「……ふむ。人間としては、嫌いではないな。しかし短慮が過ぎるところもあると感じている」


「能力的に見て、彼女に対する評価、低いでしょ」


「……まあ、不躾に言えば、そうなるな」


 俺がそう答えると、シリルはくすくすと笑う。


「やっぱり──でも、見ているといいわ。彼女の実力を見たら、あなたでも驚くと思う」


「……ほう」


 シリルとそんな話をしていると、やがて目的地となる最後の広間の近くまでやってきた。

 俺たちは無駄話を打ち切り、慎重に歩を進めていった。

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