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 母親から、あっさりと答えは聞けた。

 夜逃げしたらしい。

 いつしたのかとかは、聞く気も起きなかった。

 仁はそれにただ気のない返事だけをして、いつもより長く風呂に浸かり、諸用を済ませ、夕飯を食べて、簡単に両親に声をかけてから、いつも通りに自室にこもった。

  

 体に染みついた癖は仁の意志とは関係なく、パソコンをつけ、ゲームを起動し、仁が使用するキャラクターをトレーニングルームにまで導いたが、それ以上、仁は何をする気も起きなかった。

 涙すら出なかった。

 ただ、打ちひしがれていた。

 何故?

 そうとすら思わなかった。

 

 そも、プロでもない限り、ゲームをやりに来る人間の動機など知れている。

 一時、現実を忘れるためだ。

 僅かな時間、気晴らしをして、英気を養うためだ。

 言葉も、建前も、本来人と関わるためには必要であるはずのそれらを二の次にして、ただ行動だけに夢中になるために来る。

 大半の人は結局その為に、こういうアクションゲームをするのではないだろうか。

 

 少なくとも、仁はそうだった。

 これで何かを成しえたいとか、これで何か実益を得たいとか、そんなことは思わない。とっくに人のいなくなった遥か昔の過疎ゲーを、惰性でもなんでもずっとやって、実感以外に何を求めているのかなんて。

 ……もう、分かり切っている筈だった。

 その行動そのものが、その一瞬そのものが、ただ夢中にコントローラーを握れるそに瞬間だけを目的にして、これをやっているんじゃないか。

 今も、昔も……思えば、仁はそうだった。

 

 それじゃあ、『you3829』は?


 答えを、知る術はない。


 だが、それでも。

 

 仁には、出来ることがある。

 

 


******


 

 

 仁は、日課を続けた。

 毎日毎日、以前と変わらず。

 オンラインに設定をいれて。

 マッチング許可の指定を入れてから。

 トレーニングモードに籠る。

 毎日、寝るまでこれを繰り返す。

 無論、対戦相手は現れない。

 でも、気にしない。


 すべて以前に戻っただけ。

 すべて最初に戻っただけ。

 

 それなら、またそれを繰り返せばいい。

 ずっと続ければいい。

 そうして、奴と出会ったのだから。

 一年前と三カ月前のあの日。

 好敵手、『you3829』と。


 あれだけ長く殴り合った。

 あれだけ長く戦い合った。 

 

 それでも、お互いに言葉を交わさなかった。

 

 仁が交わさなかった理由は保身とカッコつけが大きいかもしれない。

 だが、『you3829』が交わさなかったのは?

 

 仁と一緒なら、とんだ大馬鹿かもしれない。

 だが、もし、もしも。

 言葉を交わせないだけのがあったとしたなら。

 

 空き家になった玩具のクロサワ。

 地元の学校のどこかに通っている筈なのに、玩具屋以外で見ない黒澤裕子。

 夜逃げの話にも、ちっとも同情的じゃない大人たち。 

 

 パンドラの箱。

 そんな言葉が、仁の脳裏を過ぎる。

 全て、推測に過ぎない。

 ただの悪い想像かもしれない。

 ただ、そんな事は今重要ではない。

 分かっている事実は一つだけ。

 

 自分たちは、会話なんかなくても一年上手くやっていた。

 

 ならば、仁がこれからできることは。

 たった一人の好敵手、『you3829』にできることは。

 

 

 もう、決まり切っていた。

 


 時間は過ぎる。

 期末で良い点をとってゲーム時間が伸びた。『you3829』は来ない。

 

 時間は過ぎる。

 クラスの委員決めで揉めて嫌な思いをした。『you3829』は来ない。

 

 時間は過ぎる。

 大好きだった漫画の連載がいきなり終わった。『you3829』は来ない。


 時間は過ぎる。

 両親に小言を言われそうなので成績を気合で上げた。『you3829』は来ない。


 季節が過ぎて、先輩達がいなくなって、最高学年になって。

 日が何度もあがって、夕日が何度も沈んで、雨が何度も降って。

  

 気付けば、また一年が過ぎた頃。

 

 その静寂は、突如破られた。


 画面に躍る、久しく見なかった英単語の群れと、軽快な電子音。

 トレーニングモードは強制中断され、仁の加速した世界が一気に現実に引き戻される。たっぷり二秒は、仁は思わず深く笑みを浮かべ。

 だが、三秒目にはもうボタンを押していた。


 よう、久しぶりだな。

 

 ――『you3829』。 

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