第33話 薄情な情
ジオルド男爵の死因は脳の疾患。突然頭痛を訴えて倒れてから三日間昏睡し、一旦意識は戻ったものの、その夜眠りについたきり帰らぬ人となったそうだ。
訃報の知らせは、ノエルの未成年後見人であるユークリス侯爵から届いた。後見人は貴族間では一般的に流用される制度だ。特に親戚に厄介な人間がいる場合に多く使用される。ジオルド男爵家でいうと奥様の両親がその手の人種らしい。奥様は実家から既に籍を抜いていて絶縁しているが、ジオルド男爵の両親が鬼籍である為、ノエル一人が残されると親権を主張してくる可能性がある。そうなると財産もノエルもどうなるかわからない。ジオルド男爵は、ノエルを保護するために後見人を二人立てていた。一人は直属の上司であるユークリス侯爵。もう一人がママ。そして今はその後をパパが引継いでいるのだそう。全く知らなかった。何故話してくれなかったのか、と若干腹が立ったけど、
「心残りだっただろうな」
と言ったパパの表情が驚くくらい憔悴しているので強く追及できなかった。呟いた言葉の前に「子供を残して」という枕詞がつくことは暗に理解できた。わたしはノエルの今後に思いを寄せたが、パパはジオルド男爵に気持ちを重ねている。より立場が近い方へ共感するのは当然だ。パパがこんな風に死を悼む人であることに胸がざわざわした。前前世のパパは妻も娘も失う人だったから。パパは、サラちゃんが死んだ後、ママの時みたいに夜中に一人で泣いたりしたのだろうか。パパが悲しいのは嫌だけど、ヒュー公爵にはサラちゃんの為に一生分の後悔をしていて欲しい。矛盾した感情だ。
最近は記憶が戻ったばかりの頃の全部混ぜこぜみたいな感覚は随分減ってきた。
「すぐにユークリス領へ発つから、お前も準備しなさい」
「うん、わかった」
一時間で用意して王都を出発した。
馬車の中で、パパは仕事の書類を読みふけっていた。わたしは酔うから横になって目を瞑り、馬車の振動のリズムを拾いながら、ママを思い浮かべた。ママが死んだ時、世界が終わったと思った。泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、溶けるくらい泣いて、でも世界は終わらなかった。大人達に腹を立てまくっていたけれど、皆が言った通り、時間が経てば千切れるような痛みは薄れていった。あの頃、わたしがどっぷり悲しみに浸ることができたのは、一日中ママの部屋のドレッサーに入っていても、ご飯もお風呂も寝る用意も全部誰かがしてくれたから。もし、わたしが自分で生計を立てて暮らしている人間ならば、すぐに仕事に復帰せねばならなかった。現実が、わたしと悲しみの間に割って入ってきて、わたしは泣きながらでも働かねばならなかった。何もせず悲しみに暮れることができるというのは恵まれたことだ。では、ノエルはどうだろうか。ノエルを安全で快適で恙無く生きていける場所へ引っ張ってきて、気の済むまで一人で泣けるようにしてあげたい。経済的な不安をとり除いて、ノエルが悲しみに集中できるようにしたい。ノエルの心境を思いやるより、物理的なことばかり考えてしまう。
「ねぇ、パパ。ノエルの家の資産状況ってどうなの?」
「え」
馬車のシートに伏せたまま見上げて言うと、パパが戸惑いの反応を見せる。後見人って守秘義務があるんだろう。ぺらぺら喋るわけがない。別にわたしもノエルの家の金銭事情が知りたいわけじゃない。
「ノエルを引き取って、一人立ちできるまで費用を全部出しても、うちってどうってことないよね?」
「あぁ、どうってことない」
意図を汲み取ってパパが答える。残念ながら世の中お金で解決することは多い。うちが引くほどの金持ちで良かった。
葬式は、町の教会で執り行われていた。下位貴族の葬式として一般的な様式だったけど、何処の大貴族が亡くなったのだ、というほど弔問客が後を絶たなかった。ジオルド男爵の人望の厚さが窺い知れる。
喪主席で参列者に挨拶するノエルは落ち着いて見えた。献花の列に並んでいる間中、どんな状況か探ろうと観察していたけれど、整然と対応している。急に大人になったな、みたいな知らない顔。どう声を掛けたらよいのか、余計にわからなくなった。
ノエルとは、手紙のやり取りは定期的にしていた。毎年避暑休暇におばあ様のところへ遊びに行くと必ず訪ねてもいた。でも、それ以外は特に積極的に会おうとはしなかった。いつでも会えるから今度でいい、と安易な思いだった。自分の周りを取り囲う日常がずっと続いていくような錯覚。そして、身近な誰かが死ぬたびにがつんと突きつけられるのだ。永遠なんて何処にもないってこと。
順番が回ってきて、受付で渡された白い花を棺に手向ける。ジオルド男爵は、既に沢山の花々に囲われていた。冷たい花の独特な匂い。ジオルド男爵は俗に言う「眠るような安らかな顔」だったのではないか。長く療養して痩せている、とかではない今にも目覚めそうな顔。ただ、そんな風に形容する気にはなれなかった。死んでいるのと眠っているのは全く違うから。捻くれた思考。センチメンタルになりたくなかった。
献花を済ませた弔問客は出口へ向かう。一人一人に礼を告げるノエルに、パパが先に声を掛けた。
「ご愁傷様です」
「来てくださったんですね。父も喜びます」
「ユークリス侯爵から話はいっていると思うが、私も君の後見人になっている。君が不安に思うことは何もないから。今は、父上をしっかり送り出してあげることだけ考えて、無理しないように」
「はい、有難うございます」
次にわたしがノエルの前に立った。後に幾人も控えているから時間はあまりない。
「久しぶり。きみも来てくれたんだね」
「当然でしょう」
存外いつも通りでほっとする反面、その平穏さが逆に何処か感情の回路がうまく繋がっていないようで、不安になる。
「ご飯食べてるの?」
「食べてるよ」
「あのさ、うちは超金持ちだから何の心配もいらないよ」
「なんの自慢だよ」
「ノエルの生活のことを言ってるの。ノエル一人くらいどうってことないってパパも言ってた。だからお金のことは心配いらないからね」
今伝えることではないのは承知だ。多分、わたしは自分が楽になりたい。でも、その気持ちの中に友情はある。友情というよりもっと家族的なもの。ノエルのことは弟だと思っている。理由は不明。理屈とかではなくて最初から義弟と思っていたから義弟だ。そしてわたしは家族の安寧を憂うタイプの人間だ。安全な場所に囲っておいて幸せに暮らしてもらいたい。ちょっとヤンデレ思考が入っているかもしれない。
「どこのパトロンだよ」
ノエルが明るく笑う。でも、付け足した「有難う」は少し上擦って聞こえた。やっぱり今言うことではなかったな、と重い気持ちになる。
「うん、じゃあ、また後で」
後ろが詰まるので、突き出されるように式場を出た。すぐ側でパパと見知らぬ男性達が話をしている。パパの視線から呼ばれていることを理解して、近寄った。
「娘のサラです。サラ、ユークリス侯爵とご子息のイーサン卿だ。挨拶しなさい」
ユークリス侯爵は、想像より年配で品の良い白髪のお爺さんだった。イーサンは、二十代後半の快活な青年。末っ子長男で歳の離れた姉が四人いる。全員遠方に嫁いでいるため、ジオルド男爵のことを兄のように慕い、逆にノエルのことは弟のように可愛がっているらしい。挨拶を済ませると、
「大したもてなしもできませんが、今夜は我が邸へお泊りください」
と申し出を受けた。この地域では、通夜の後は、寝ずの番として家族や親類知人の男性が教会で一晩付き添う習わしがある。イーサンがノエルと共に残ってくれる他、ジオルド男爵と親交の深い男性達が幾人も名乗りを上げているのだという。きっと賑やかな夜になる。当たり前だけど、ノエルの日常はここにあって、一年に一度会うか会わないかのわたしより、ここの人達との方がずっと気心が知れているのだと思った。ノエルの生活云々と大口叩いたことが恥ずかしくなった。
ユークリス侯爵邸は豪華な石造の古城だ。前を何回か通ったことがある。重要文化財に指定されている、とおばあ様が言っていた。
夕飯をご馳走になりながらパパとユークリス侯爵の話を愛想良く聞く。パパは寡黙で無口だけど、会食なんかでは話題豊富にペラペラ喋る。だったら、普段も話せばいいじゃん、と思わなくはないけど、プライベートまで無理する必要はないとも感じる。
食後、パパはユークリス侯爵と談話室へ向かい、わたしは、ゲストルームでさっさと寝る準備に入った。
パパ達がノエルの今後について話し合っていることは明らかだったけど、ユークリス侯爵の後ろ盾があれば、パパがいる必要性がない気がしていた。後見人ではあるけどまるで接点がないパパと、家族ぐるみで仲良さそうなユークリス侯爵。どっちの世話になりたいか、は考えるまでもない。やっぱり余計なこと言ったなぁ、とさっきノエルに告げた言葉に身悶えしたい感情が湧いて出た。記憶は繰り返し思い出すと脳に定着する。物理的に忘れるために、無理やり眠ることにした。
十五のわたしが人の葬式でできることなんてないとは思うけど、こうも役立たずだと何をしに来たのか、居る意味があるのか、邪魔なだけじゃないかと疑心暗鬼になる。
告別式から埋葬まで、人の流れに沿って行動し、後ろで見ているだけだった。
三時過ぎに式が終わり解散となった後、ユークリス侯爵とパパがノエルの屋敷へ行って話し合っている間も、おばあ様の家で、ぼんやりしていた。久々に会ったおばあ様は「ノエルの支えになってあげてね」みたいなことを言ったけど、一体どうすれば良いのか。正直なところ、わたしはノエルはもうこのままユークリス領へ留まると踏んでいた。地元だし、イーサンとは兄弟のように仲が良い。逆に何故前前世でヒュー公爵家に養子にきたのか謎に思った。だが、日が暮れた頃、ノエルの屋敷から戻ってきたパパは、ノエルをうちで預かることになったと意外な言葉を口にした。
「元々、この春からルミナエル学園への入学が決まっていたからな」
「え? ルミナエルに入るの?」
ルミナエル学園はわたしも通う学校だ。一月前に入試があった。だとしたらノエルは王都に来ていたはずだ。顔も見せずに秘密にするなんて水臭いじゃないか。
「そうだ。男爵位の出自であるのに、あの学園に合格するなんて立派だ」
パパが感心して頷く。
ルミナエル学園は王都最古の名門校だ。入試の成績如何で平民も入学可能だし奨学金も出る。ただし、前衛的な制度の一方で、古典的な階級社会の側面も強く残している。入試の合否には内申点がかなり加算される。内申点即ち、家の爵位。伯爵位以上の貴族ならば無条件で、子爵位ならよっぽどの馬鹿でない限り受かる。男爵位は内申点はつかない。平民と同じ扱いになる。毎年三百人の新入生のうち大体五十人が内申点加算組だから、残りの席を巡って壮絶な受験戦争が繰り広げられる。倍率はえげつない。学校は他に三つあるが、平民から官職を輩出しているのはルミナエルだけだ。下位貴族や平民が入学を切望する所以だ。
パパとユークリス侯爵は、ノエルの今後について本人の意思を最大限に尊重する構えでいた。既に合格しているルミナエルへの進学を反対するわけはない。王都に暮らすうちが預かることになるのは当然な流れ。わたしが異を唱える理由も全くない。けれど、パパはわたしの反応を窺っているようだった。
「同じ学校に通うならわたしも安心」
「そうか」
答えるとパパは安堵して頷いた。それから「外せない会談があるから今日はこのまま王都へ帰るよ」と慌ただしく帰って行った。
「私より、お前に話す方が話し易いことも多いだろう。力になってあげなさい」
と言い残して。わたしは「わかった」とだけ返した。自分の不甲斐なさに打ちのめされていたので「任せて」とは力強く返事できなかった。そして、その日は結局、うじうじしたまま夜になった。
翌日も、早くに目覚めたものの、葬式後でごたごたしているならば邪魔になるだけでは? と考えて、なかなか出掛けられずにいた。昼過ぎに漸く腹を括りノエルの屋敷へ向かった。
赤い屋根を目印にとぼとぼと歩いて行く。鉄格子の門扉から覗くと、留守なのかと疑うほど静かだった。ベルを鳴らそうかしばらく迷っている間に、顔見知りの庭師のおじさんが、何処からかわたしを見ていたらしく近寄ってきた。
「サラ様、お久しぶりでございます。ノエル坊ちゃんを訪ねに来てくださったんですか」
「久しぶり。元気だった?」
「丈夫だけが取り柄ですから」
「ジオルド男爵様のことは急なことで、なんと言ったらいいか……」
「はい。当主様のことは本当に大変なことでございました。私共もまだどう受け止めたらよいか気持ちの整理がついておりません。ノエル坊ちゃんはずっと気丈に振舞っておられてご立派です。今は裏庭で休憩されていらっしゃいますから、お会いになられてください」
おじさんに促されるままに裏庭へ回った。ジオルド男爵はアウトドア好きで、友人を招いてバーベキューするのは日常的だった。その為、裏庭にはウッドデッキが設置されていて、欅の一枚板テーブルが置かれてある。晴れている日は、昼食するのにも使う。わたしも何度も招いてもらった。
ノエルはわたしから背を向けてテーブル脇の丸太椅子に腰掛けていた。近寄ると足音で気づいて振り向く。
「やぁ、来てくれたの?」
笑う顔はいつも通りだ。顔色も悪くないし、無理をしている様子もない。
「割と元気そうね」
「それなりに疲れてはいるよ」
とノエルは答えてから「何か飲む?」とテーブルの上のマグカップを二度人差し指で弾いた。
「いいよ。喉乾いてないから」
「そう。じゃあ、座れば?」
わたしはノエルの正面の席に座り、ノエルと同じ方向を向いた。ジオルド男爵が作った歪な石竈が見える。カラドゥーヤと呼ばれるピザみたいなパンを焼く窯だ。
「あの窯、もう使うことはないんだろうなぁ」
「なんでよ。使ったらいいじゃない。カラドゥーヤは名物料理でしょ」
「いや、普通に面倒くさいし。大変なんだよ? 蒔き割ってさ、片付けるのも煤だらけになるし、大体大して美味くもないしさ」
「酷いこと言うわね」
「なら、きみは美味いと思っていたわけ?」
「……まぁ、普通だった」
ははっとノエルが声を上げた。視線は釜に向けたまま。春の穏やかな日差し。田舎特有のなだらかな時間の流れ。心地良いのに虚無的。風の音だけ耳に触れる。
「川には行かなかったんだけどなぁ……」
ノエルは大きな溜め息交じりに下らないギャグで滑った後みたいな苦笑いで言った。
「折角教えてもらったのにね」
どう反応したら良いのか。
わたしが前前世と違う行動をしているせいではないか、と重たい気持ちが胸に迫り上がる。でも、それを口にすればノエルは「そんなつもりで言ったんじゃないよ」と謝ることが目に見える。多分、深い意味はないんだろう。暗い空気にならないように言っていることだ。わたしが楽になりたい懺悔を優先させたら駄目だ。
「ルミナエル学園に通うこと、なんで教えてくれなかったの?」
話題を変えて良かったのかどうか。様子を窺うわたしに、
「驚かせようと思って」
とノエルはノエルらしいことを言った。ちょっと安心する。
「言うと思った」
「落ちたら格好悪いし」
「パパが口添えすれば落ちないわよ。言ってくれたら楽できたのに」
思いっきり裏口入学を仄めかしてしまう。使えるコネは最大限に利用すべき、というのが貴族の常識だ。
「奨学金貰えないなら行くつもりなかったし」
「奨学金取ったの? あれって成績上位十人とかでしょ?」
「愚問だね」
ノエルが口の端を上げて笑う。普通に美形。昔は、わたしと同じ身長で女の子みたいだったのに、ここ五年で急激に身長が伸びたし、顔も精悍になった。ジオルド男爵に最初に会った時みたいな印象。食いしん坊グリーンから知的ブルーになった。前前世のサラちゃんが近寄り難く思った理由が何となくわかる気がする。黙っていると冷たく見えるから。
「なんでルミナエルに入ろうと思ったの?」
「卒業後有利な学校がいいからさ。それに、きみがいるしね」
ノエルはふっと笑って「恋愛的な意味じゃないよ」と加えた。
「わかってるわよ」
「きみ、自分のこと美少女美少女って言う割に、あんまりその辺自意識過剰になったりはしないんだね」
「散々、蔑ろにされた記憶があるからね」
「なるほど」
ノエルは少し肩を竦めて再び釜戸の方へ視線をやった。
飄々としていて昨日父親を亡くしたばかりの少年には思えない。ジオルド男爵の死に対して実感がないのかもしれない。多分、これから日常の中で父の不在を感じていくのじゃないか。だったら、訳もわからぬまま王都へ引っ張って行って、新しい生活をさせた方がいいんじゃないか。ごちゃごちゃ勝手な思考が巡る。悲しみの受け止め方は人それぞれ。自分だったらどうして欲しいか。どう慰められても苛ついてしまう気がする。でも、黙っていられるのも凄く嫌。何か言わないと、と気ばかり焦る。
「……ママが死んだ時、わたしは全部なかったことにして逃げれるところまで逃げたけど、結局現実に捕まった。ママがいないってわかって大泣きしたけど、時間が解決するって言うのは本当だなって思う」
口下手加減にげんなりする。微妙な沈黙が落ちる。ちらちら様子を盗み見しているとノエルは唇に指を当てて、
「だったら僕は逃げ切れているのかも」
と独り言みたいに言った。
「え?」
「母さんが死んだ時も泣かなかったから」
「……どうやって逃げ切ったの?」
「旅行中って思ってる。長ーい旅行。折角楽しんでいるのに邪魔したら悪いし、心配させたくないから呼び戻したりしない。それがずっと続いている。そんな感じ。会いたいと思うくらい辛くなった時、現実に捕まるんだろうね」
「大人だね」
「なんで? どっちかと言えば幼稚だろ。ただの現実逃避なんだから」
「大人だよ。わたしなら、わたしを置いて旅行になんか行くなって思う。わたしが辛い時に、遊びになんか行くなって、傍にいて心配してくれって。だから、ママが死んだ時、ママを恨んだの。甘ったれてるよ。最低だ」
「四歳の頃の話だろ。厳しすぎでしょ」
「……兎に角、わたしが言いたいのは、経済的な心配はないから、ノエルはそれ以外のことに集中しなよってこと」
物理的に不安を取り除くから、気の済むまで泣いてほしい。悲しみの果てはきっと普通の日常だ。逃げ切るノエルにこう思うのはわたしのエゴかもしれないけれど、言わずにいられなかった。
「急に話が飛んだんだけど」
「大事なことでしょ。わたしは物理に拘るの。薄情だから」
「それ薄情って言うかな」
だってわたしは、ノエルがうちの養子になるなら、もう安心って思っている。ノエルの心情はまるっと無視して。随分な薄情だ。かといって、口先だけで悲しみに寄り添うふりをするのは不誠実だとも思う。ただ、わたしとノエルで見解が一致しているのかは謎。大袈裟に同情を求める人だって世の中にはいる。だから、やっぱり思っていることはちゃんと伝えないと駄目だ。多少口にするのが恥ずかしいことでも。
「わたしは薄情だよ。でも、ノエルのことは弟だって思っているから絶対助けるよ。血の誓いだってしているんだから。後さ、旅行中の親を呼び戻したくなったら、先にわたしに言ってよ。ノエルは
「何? 泣かせに掛かっているわけ?」
「あのねぇ」
「わかってる。ごめん、有難う」
わざと茶化したのは分かった。その方がわたしも有り難かった。こういう空気は苦手だ。
ノエルはマグカップに手を伸ばしてギュッと握ると立ち上がる。
「そう言えば、とっておきのお菓子があったんだった。ご馳走するよ。お茶淹れてくるから」
わたしの返事を聞かずに屋敷へ向かう。振り返えらずに、ノエルはずんずん歩いていく。なんとなくそっちを見ない方がいい気がして、庭の方に視線を逸らした。
ユークリス領に来るのは夏だから、春の景色は初めて見る。庭師のおじさんが手入れしているミモザの木に黄色い花が満開だ。そう言えば、ママの日記にもミモザの花のことが書いてあった。この木のことだったのかもしれない。
「あのさぁ!」
ぼんやりするわたしに、まぁまぁ離れた距離からノエルが叫ぶ。
「何ー?」
飲み物の種類でも聞くのかと同じ声量で返すと、
「きみが居てくれて良かった!」
言い逃げしてノエルは屋敷に引っ込んだ。何だよ。泣かせに掛かるなよ。このイケメンが。
言葉は偉大だ。不安定な気持ちが一瞬で満ち足りる。
風が行く。
胸が熱くなる。
ジオルド男爵が亡くなった。
前前世と同じになった。
人には変えられない寿命があるのかもしれない。不安がチラつく。答えが出ないことは考えても仕方ない。死は遠くて、いつも近い。もうじき学校が始まる。新しい生活。新しい環境。後悔しないように生きる。ただそれだけ。
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