第32話 悪い知らせ
人生とは取捨選択の繰返し。あの時あれを選んでいれば、今のこれはなかったし、今これを選べば将来のあれはなくなる。
前世の記憶が蘇って七年の歳月が流れた。わたしは前前世のサラちゃんとは随分異なる人生を歩んでいる。積極的に変えようと思って変えた、というわけでもない。正直、なんで? と感じることが多かった。何がどう作用してこの結果になっているのか。
初めてのお茶会が黒歴史に終わった後、わたしの悪い噂の出処はちゃんと調査された。「親が言うことは正しい」という安直な図式でシーラ達はわたしを貶めていた。つまり、自分達の母親が内々の集りであられもない会話を繰り広げるのを聞き齧り、鵜呑みにした結果、「ママが嫌っているからあの子は悪い」と思ったらしい。それで「わたし達でやっつけてやろう!」と飛躍した。どうりでパパのことまでとやかく言ってくるはずだ。
「まさか、聞いていたなんて」
「まさか、そんなことをするなんて」
「ほんの軽い冗談だったのに」
というのが、夫人達の言い訳だ。
わたしにはママがいないから、夫人達の集りで好き放題言われていることを察知できなかった。オリビア達が知っていたのに、パパやマールが把握できなかったのは、女性同士のコミュニティの中だったことが大きい。
悪口は暇を持て余した貴族夫人の嗜みの一つ、という風潮があるから、ある程度は黙認されている。しかし、実害が出れば話は別だ。この件に関し「社交界を掌握できていないのは自分の手落ち」と、わたしはキャサリン妃に謝罪を受けた。全然キャサリン妃関係ないじゃん、と思ったが、王家の沽券に関わる問題だからそういうわけにはいかないらしい。
結局、夫人達はキャサリン妃から厳重注意を受けた。ただし「許す」選択をしたわたしの意を汲んで、公には伏せられた。といっても、人の口に戸は立てられないから、周囲の人間が感じることは過分にあったとは思う。その証拠に、わたしは全く嫌がらせを受けなくなった。
変わったことは、他にも幾つもある。
わたしは王妃教育を再開させたが、エリィは参加してこなかった。流石に、お茶会諸々で、わたしと相容れないことが伝わったのだろう。
わたしが授業を受ける気になったのは、先生が熱心に手紙をくれたことと、王妃教育というのが「王家が選出した家庭教師に修学すること」を意味し、先生のお墨付きを得る基準がかなり厳しくはあるが、その中身は貴族としての一般教養であることを知ったからだ。他人がどんな勉強をしているか今まで意識したこともなかったから全く知らずにいた。オリビアの家庭教師の先生が、わたしの先生の弟子であることから、話が膨らんで分かった。ペネロープもメリアナも皆それぞれに学園入学へ向けて、初等教育を受けている。わたしだけ置いてけぼりを食いたくない、という単純な考えから勉強を再始動させた。全部自宅学習に変えて欲しかったけど、元々わたしが王宮でやりたい、と言ったことが発端だったらしいので、流石に再びこちらから変更を言うことは出来ず、週三日の王宮通いを続けた。
そして、わたしのマールに対する蟠りは何も解決しないまま、マールが他国へ遊学したことで冷却期間に入った。
見識を深める為、近隣諸国へ留学するのは王位後継者の習わしらしい。前前世ではなかったけど、いつからそんな慣習が出来たのか。マールの留学先は三カ国にも渡る。一人息子をほいほい国外に出して良いのか疑問に思う。他国への長期滞在は王太子のうちにしかできないことだから、と両陛下は反対する様子は微塵もなかった。年に二度ほど帰国しはしてくるが、この七年でマールが国内にいた期間は半年にも満たない。筆まめな男だから二週間おきに学術コラムみたいな内容の手紙がくる。
婚約は依然継続中。
婚約している期間が長ければ長いほど、わたしが不利になる。婚約破棄後、マールと結婚したい令嬢は沢山いるけど、わたしを娶りたい令息はいなくなるから。それでもわたしは、黙ったままでいた。わたしがいなくなることで、マールが平穏無事に生きるなんてありえない。傷付けられないし、後悔させられない。だったら、傍にいてめちゃくちゃにしてやれ、と思う。この歪んだ執着を捨てきれないまま、ずるずるきた。日常があまりに平和で快適だったから。特に何も嫌なことがなく、やることがあって、過ぎていく日々。問題を先送りにしているのだけど毎日は充実している。パパがいて、マリアンヌがいて、友達がいて、美味しい物を食べて、夜はふかふかの布団で眠る。勉強は得意じゃないけど、嫌いじゃない。着実に自分の力になっていくことに自信が湧いた。
そのお陰なのか、わたしの評判は前前世と違いすこぶる良かった。今なら、もしマールがわたしを冷遇しても、やられっぱなしで泣き寝入りすることはない。マールに瑕疵をつけて、あいつは酷い奴なんだと知らしめてやれる。やるならやれよ、と思っている。
わたしは、この春から学園に入学する。マールももうじき帰国して同じ学校に通うらしい。前前世のことを思い返せば、学生生活が一番の地獄だった。今世はどうなるか。あまり気に病んでも仕方ない。わたしはやる気に漲っていたし、根拠なく、楽天的に全部が上手くいく気がしていた。
昨日、あの知らせを聞くまでは。
それは本当に突然だった。
部屋で歴史の問題集を解いていると、マリアンヌが入ってきて、パパが帰宅してわたしを呼んでいる、と告げた。随分明るい時間に帰って来たな、となんとなくその時点で不穏な気配はあった。
パパの書斎に入るとソファに掛けるよう促され従った。いい話ではないことは明らかだった。
「何かあったの?」
待ちきれずに座りながら尋ねると、パパは物憂げな表情で言った。
ジオルド男爵が、亡くなった、と。
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