第30話 いつかの借りを返す時

 二時前に続々と招待客がエメラルド宮に到着し始めた。この宮は入ってすぐ吹き抜けのホールになっている。正面から入って中庭へ向かってもらう。ホールでわたしとマールが二人並んで出迎えたので、皆、緊張した面持ちで格式張った挨拶を交えていく。

 四十人もの女の子が集まるお茶会だ。誰がどんなドレスを着て、自分と比べてどうか。さり気なくチェックしてしまうのは、わたしだけではないはず。ましてや、ロイヤルガーデンが会場となれば、カジュアルな装いのドレスコードと言えど、皆、気合いを入れた服装になる。

 わたしは、腰の辺りで切り返しのあるピンクと白のツートンカラーのドレスを着ている。スカートはフロントでクロスしていて中からチュール部分が除く。裾には薔薇の刺繍が施されてある。シンプルエレガントな感じ。パパがプレゼントしてくれた。髪型はお団子に結わえて貰った。自分で言うけどファッション雑誌の表紙を飾る子役モデル級の可愛さ。誰にも負けている気はしない。オッドアイがマイナスポイントだとも思わない。もし今度外見を揶揄う連中が現れたら「うちに鏡ないの?」って言ってやる。


「本日は、お招き頂き有難うございます」

「こちらこそお越し下さり有難うございます」


 幾たびと丁寧な挨拶を繰り返す中、可愛い子がきたな、と思えばエリィだった。ちびっこのわたしでは着こなせないような深緑色のハイウエストなロング丈ドレス姿だ。嫌いなら見なければよいのに、しつこいくらいじろじろ見てしまう。アンチってこんな気持ちだろうか。


「マール殿下もご参加されるのですね」


 エリィはわたしに笑い掛けた後、マールを見てにこにこ言った。


「いえ、この人は、ちょっといるだけで直ぐに帰ります」


 しかし、返答したのはわたしだ。マールが答えるより先にピシャリと撥ねつけておかねば、ずっと居座られたら困る。隣から視線を感じるが素無視していると、


「……あぁ、少し様子を見に来ただけだ」


 とマールが付け加えた。

 わざわざ来てもらって失礼な気もしたが、元々マールのせいでこんな面倒なことになったのだ。それにさっきの態度がどう考えても納得できない。後々になって怒りが沸くのは、百合子だった時と同じだ。その場で言い返してこそ意味を持つことがある。タイミングを逃せば負け犬の遠吠えになる。わたしはいつも上手くやれない。怒りのスタートダッシュが遅い。かなりの持久型ではあるが。

 下らない分析をしていると、


「そうなんですね。残念です」


 とエリィが言った。言葉とは裏腹に残念がっている素振りはない。ただの社交辞令を口にしただけに見える。エリィだな、と思う。もっと露骨に、

「そんなぁ、折角お会いできたのに寂しいですぅ」

 とか、

「え! サラ様の初めてのお茶会なのに出席されないんですか?」

 とか言ってニヤニヤ安易なマウントをとってくるタイプなら楽なのに。世の中、わたしの思い通りには回ってくれない。


「サラが初めて開く茶会だ。楽しんで行ってくれ」

「はい! グラン・ローズを見せて頂けるんですよね!」

「あぁ、今が一番の見頃だ」


 マールとエリィの会話が弾む。グラン・ローズ鑑賞会ではなく、わたしのお茶会なんだけど。メリアナが同じことを言っても全く気にならないのに、エリィに言われるとイラッとくる。


「観覧の時間をとってありますので、ゆっくり見てください」


 わたしが口を挟むと、


「有難うございます! 前にマール殿下に薔薇園のことを聞いて、ずっと楽しみにしていたんです。凄く嬉しい」


 とエリィは屈託なく笑った。「だから、あんたを楽しませる為のお茶会じゃないんだって」と切り返したらわたしはただの意地悪女だ。あっちとそっちで色々あって、前前世のサラちゃんがどうなったかは、誰も知らないお話だ。もし記憶がなければ、わたしはエリィと友達になれただろうか。……それはないか。


「では、お席にご案内しますね」


 わたしの言葉を受けて、スタッフが動く。


「はい、有難うございます。マール殿下、今度はわたしのお茶会にも是非参加してください。サラ様も!」


 ペコっと頭を下げてエリィが立ち去る。何も変じゃないし失礼でもない。多分わたしがおかしい。けれど、前前世のことがないにしても苦手なタイプだな、としみじみ思った。


 

 定刻きっちりに全員揃った。遅刻者も欠席者もない。それの意味するところは、王宮で開催されているお茶会だからに他ならない。階級社会なんだと実感してしまう。王家の力がこんなに有効なのだから、マールがわたしを虐げたら、それに伴い周囲が動くのは当然のことだ。前前世ではパパにも訴えられなかった。今は告げ口できるけど、それでパパと王家が揉めればどうなるのだろう。パパは超スピード出世だから、妬み嫉みで足を引っ張りたい人間も多いはず。王党派から一斉攻撃を受けてうちが没落したら胸糞悪い。でも、対立派閥の議会派は大手を振ってパパを迎えいれるんじゃないか。パパが寝返ったらマールは困るだろう。やはりわたしばっかり我慢して耐え忍ぶ必要などないのだ。


「皆様お揃いになりましたので、ご挨拶を」


 リカルドの指示で皆が集まっている中庭へ向かう。マールが手を差し伸べるので、黙って掌を重ねた。


「挨拶はちゃんと考えているのか?」


 鬱陶しいことを聞いてくる。無視もできず軽く頷いて歩く。

 わたし達の登場に、着席していた令嬢達は一斉に立ち上がった。わたしは緊張で一瞬怯んだけど、マールは平然としている。手慣れた仕草でわたしを茶席の前方中央までエスコートし、わたしを押し出すようにして、後ろへ下がった。これはあくまでわたしのお茶会という意味だ。一身に視線が集まってくる。注目されるのも目立つのも苦手だ。


「どうぞご着席ください」


 皆が腰を下ろすまで数秒待って、


「本日はわたしのお茶会にご参加くださり有難うございます。これを機に皆様と親睦を深めたいと願っております。庭園の薔薇も満開で、観覧の時間も設けております。どうか寛いで楽しいひと時をお過ごしください」


 と、いかにもな言葉でスタートさせた。わたしがお辞儀を終えるとスタッフが各テーブルにお茶とお茶菓子の配膳に周り始める。静かだった会場に、再び、話し声や笑い声がざわざわ飛び交いだした。ここまでは全て予定調和だ。そして、これからわたしは六つのテーブルを順番に回る。エリィとシーラがいる席は鬼門だ。どんと掛かってこいと思う一方で、手間暇掛けて開いて貰ったお茶会を無茶苦茶にされたくない気持ちもある。ホストとしての評価にも関わってくるから。


「何か問題が生じたら使いを寄越すんだぞ」


 マールは、わたしの内心を知ってか知らずか、そう言い残してエメラルド宮から出て行った。わたしの味方をしない人間に助けを求めても仕方ないだろう。わたしはわたしの気持ちが晴れるように行動するんだ。今日は絶対に邪魔させない。

 マールがいなくなるのを見届けてから、リカルドに先導してもらい一つ目のテーブルに向かった。仲良しグループで分けているから各テーブルに座っている令嬢達の爵位はバラバラだ。こういう場合は一番高位の人物がいる場所から挨拶に周る。同じ爵位でも、叙爵した年代やら血統により明確に順位がついている。悩まなくてよいので楽と言えば楽だ。

 最初に訪れたのはデカルタ侯爵家の令嬢がいるグループだ。エリィも座っている。


「こんにちは」


 わたしが近寄ると瞬時に注目が集まった。


「今日は来てくださって有難うございます」


 にっこり微笑めばデカルタ嬢が代表して、


「わたくし達の方こそお招き頂き光栄です」


 としとやかに告げた。感じは悪くない。賢そう、という印象。アシーナ・デカルタ嬢。前前世では生徒会のメンバーだったと思う。リカルドのリストから得た情報では、デカルト侯爵家はエリィの姉の嫁ぎ先であるハインベル公爵家の分家で、エリィとは姻族になる。全て予習済みだ。全員の名前も覚えて来た。声を掛ける直前にカンニングペーパーで確認もしたので大丈夫だ。


「この鶴はサラ様が作られたのですよね! とても素敵です」


 席に着いて何の話をしようか考えている矢先、エリィが両手で鶴を持って言った。誰に聞いたのだろうか。エリィといる時に折り紙の話なんてしていない。そして、この世界に存在していないので鶴の呼称はやめて欲しい。未だに誰も突っ込んでこないことにも微妙な気持ちになる。


「え、サラ様が作られたのですか?」


 エリィの発言にわたしの隣に座っていた伯爵家のユミル・コールマン嬢が、ボソッと反応した。


「そうなんです。正方形の紙を折って作るんです。簡単ですよ」


 笑顔を向けると恐縮したぎこちない笑みが返ってきた。エリィの友達なんだから当然陽キャだろう、と思ったけれど意外な反応だ。なるほど、わたしは公爵令嬢で王太子の婚約者、おまけに美少女のフルコンボだものな、と理解した。スペックだけならカーストの頂点に君臨できる。相手が緊張して当たり前の存在だ。じゃあ、何故前前世ではあんな風だったか。大人しく内向的だったから? では、今のわたしは? 別にわたしは今だって明るく朗らかで人懐っこい性格じゃない。気の利いた話もできないし、面白くもない。根本的には何も変わっていない。違っているのは、自分自身と世界の仕組みについて、知らなかったことを理解したってことだけ。

 わたしは人前で話すことは苦手だけど、やれと言われたらできないわけじゃない。そんな意気地なしじゃない。さっきだって、ちゃんとやった。そして、そもそもわたしは本当に大人しい人間なのか。エリィはわたしを「無口」と言ったけど、メリアナなら「おしゃべり」と言うはず。人の評価なんてそんなもんだ。でも、何も知らないわたしならエリィの言葉に萎縮して、自分をその枠に当てはめたと思う。逆らったら悪いような気がして。大人しい子と言われたら、そうであらねばいけないような気がして。反発して空気が悪くなるのが嫌だった。よく言えば気遣い、悪く言えば事勿れ主義。何にせよ無意味なことだったって、今は分かっている。勝手にわたしをタグ付けする人間が、わたしに何をしてくれるというのか。だから、遠慮するのは、もうやーめた。


「千羽作ってお願い事をすると願いが叶うらしいです」

「え、そうなんですか?」

「本当か嘘かはわかりません。この間まで友達と作っていましたが、450羽くらいでとまっています。千羽はハードルが高いです」


 言うとユミルは笑った。


「皆さんは、普段はどんな風に過ごしているんですか?」

「わたしは観劇を見るのが好きなんです。姉と一緒によく観に行くんです。この間はアシーナ様も一緒に観に行ったんですよ」


 ざっくりしたわたしの質問に、やはり最初に口を開いたのはエリィだ。ガチもんだなぁ、と感心してしまう。


「アシーナ様も観劇が好きなんですか?」

「はい。エリィ様に誘われて、最近好きになりました」

「そうなんですね。わたしはまだ観に行ったことがありません。他の皆さんはありますか?」


 目が合ったので斜め向かいの子に「ミーナ様はどうですか?」と名指しで尋ねると、


「わたしもまだ一度もないんです」


 と返事がきた。それから、順番に観劇した経験があるかないか、初めて見るならお勧めの演目はどれか、とわたしが適当に話を振って、会話は澱みなく進んでいった。エリィの様子をチラチラ確認するものの、特にどうということもなく笑っている。グランフォール公爵のお茶会で、直接エリィと揉めたわけではなかったけど、シーラが仲間内でいいように吹聴することを予測していたから意外だ。結局、十分経過して、次のテーブルへ移動するようリカルドが声を掛けてくれるまで、ずっと和やかな空気だった。根深く引きずっているはわたしだけなのかも、とちょっとだけ思った。


 次に向かったのはオリビア達のいる席だ。

 広い中庭だから、テーブルはゆったりした間隔でセッティングしてある。オリビアのいる席はアシーナのいる席と対局に位置している。それも、序列を考えた配置だ。

 オリビア達とは相変わらず一週間に一度は会っている。

 ハロルドとアウローラの顛末は、わたし達の望む通りの結果になった。が、残念ながら詳細は不明だ。一悶着あったっぽいが、詳しく教えてもらえなかった。メリアナが、姉であるシェリルから辛うじて聞いてきたことは、ハロルドが格好良かったってことだけ。八歳児にざまぁ話を嬉々として語らないのは立派なお姉さんなのだけれども、下衆なわたしには「一番いいところを隠すな!」という感情しかない。でも、こっちの喧嘩のとばっちりを受けたハロルドとアウローラが上手くいって良かった。オリビアも大はしゃぎだったし、皆で諸手を挙げて喜んだ。ただし、シーラから更なる逆恨みをされたであろうことには、掛かってこいよ! と強く思う一方、胃が痛くもある。天秤に掛ければ、ムカつく気持ちが勝つのだけれど、ふいに人から恨まれている事実が嫌で堪らなくなる。誰かが毎日自分の不幸を願っていると考えるのが恐ろしい。だから、できれば全ての人と良好な関係を築きたいし、嫌いな人間にも好かれたい、と今まで我慢する方を選んできた。他人から恨みを買うことに、激しく抵抗する自分がいる。

 虐めをする人間は、虐めた人間に死ぬほど恨まれていると考えないのだろうか。心底不思議に思う。面白半分や、自分勝手な道理で他人に危害を加えて、それで憎まれていないと思っているのか。もし全大陸が沈没して、世界中の人間が乗り込める船を持っていたとしても「お前だけは乗せない」と言われてしまうほどの憎悪を向けられていることが。いつ立場が逆転するかもしれないのに、何故そこまで浅はかでいられるのか。考えて、辿り着く答えは、いざとなれば「謝ったら許してもらえる」と思っているんだろう、ってこと。「ごめんなさい、もうしません」で済むと考えている。だって、理不尽を我慢する人間は、いつもとても優しいから。

 実際、件のお茶会について、オリビアもペネロープもシーラに対して「やり返してやろう」とは一切言っていない。メリアナに説明した時も「ムカつく」と憤るだけで「今度会ったら嫌がらせしてやろう!」とはならなかった。わたしは正直、それにがっかりした。シーラは周りに好き放題悪口を言っているはずだと考えると苛々して、わたしが扇動して皆を嗾しかけようかとも思った。でも、わたしだけが性悪だと思われそうで、結局言い出せなかった。


「サラ様、今日はお招き頂き有難うございます」


 テーブルに歩み寄ると、一番高位のオリビアが挨拶をして、他の子達は黙ってお辞儀をした。


「こちらこそお越し頂き光栄です」


 形式的な挨拶って身近な友達同士だと照れる。このテーブルにいるのはオリビアとペネロープとメリアナ、他の四人はあまり知らない子達だ。仲間外れができないように組み合わせているから、同テーブルの全員が顔見知り同士というわけではない。

 オリビアの隣の空席に座って、


「ケーキはお口に合いますか? わたしのお気に入りを選びました」


 と尋ねると「凄く美味しいです」とペネロープが答えて全員うんうん頷いた。不味いとは言えないからパワハラかもしれない。


「王宮に来られるなんて嬉しいです。マール殿下にもお会いできて緊張しました」


 一拍おいて、ローズリー男爵家のミラが恍惚とした表情で嬉し気に言った。子爵、男爵家は公式茶会に招待されない。王族と個人的な交流がない限り、一生に一度、王宮で開かれるデビュエントに登城するだけで終わる。憧れを抱いてきてくれたのだろう。嫌々開いたお茶会なのに、こんな風に喜ばれると申し訳なくなる。


「マール殿下、素敵ですね」

「王子様って感じだったね」

「サラ様とお似合いでした」


 ミラ以外の三人が、興奮した様子で口を開く。あいつは見た目だけは良いからな、と苦々しく笑っていると、


「お庭もとても素敵ですね。どれくらいの数の薔薇が植っているのですか?」


 と隣のオリビアが言った。マールから話題を逸らせてくれたのかな、と思えた。

 これまで四人でいる時、マールについて聞かれたことはなかったし、わたしからしゃべることもなかったけど、王宮でお茶会を開くことになって流石に避けていられず、


「マール様は親が勝手に決めた婚約者で別にわたしが望んだことではないの」


 とズバッと言ったのだ。


「え、サラちゃんは嫌なの?」


 三人からは驚きと心配気な反応が返った。


「うん。もしかしたら、パパに言って婚約を解消してもらうかもしれない。だからね、わたしが我儘言って婚約したって変な噂は全部嘘だよ」

「そんなの全然信じてないよ!」

「サラちゃんは、我儘じゃないもんね」

「わたくし達はサラ様の味方です」


 と言ってくれたことは嬉しかった。同時にわたしの良くない噂が流れているってことを改めて理解した。そして、オリビア達がその噂からわたしを遠ざけようとしてくれていることも。わたしが傷つかないように、わたしを庇ってくれている。友達ってこんな感じなんだ、と不思議な感覚が湧いた。サラちゃんには友達なんていなかったし、そもそも揉め事を起こさない百合子は友人に庇われることなどなかったから。


「何本だろう? 一万本くらいかな? 向こうまでずっと続いているから。グラン・ローズもあっちにあります。後で案内しますね」


 オリビアの問い掛けに答えると「すごーい」と歓声が上がった。一万本は適当な試算なので本数に驚いているなら困る。笑って誤魔化しているとメリアナと目が合った。


「とても楽しみです」


 小さな声が耳に届く。かなり緊張しているのが見て取れた。メリアナは元々初対面の人間の集まりが苦手なこともあるけれど、挨拶の時、マールが異様にジロジロ見ていたから、それが尾を引いている気がする。あいつは、本当に碌なことをしない。

 

「今満開なので一面真っ赤で綺麗ですよ」

「赤い薔薇を見るのは初めてです」


 わたしの言葉に、ミラが両手を胸元で組んで言った。

 これは衝撃の事実なのだが、赤い薔薇は王家の象徴だから、あまり流通していないらしい。一般的には黄色とか橙色が主流だとメリアナが教えてくれた。グラン・ローズは秋にしか咲かないが、王宮の温室では常に赤い薔薇が栽培されているし、王家の催しには必ず飾られる。身近にありすぎて知らなかった。話してみないとわからないことってある。

 

「何の花が一番好きですか?」


 微妙な沈黙が下りたから、ホストらしく聞いてる。面白味のない質問だけど、他に尋ねることが浮かばなかった。でも、別にそれで問題ない。これも百合子の人生の教訓だけど、初対面の人間が集まる場所で「下らない話をするくらいなら黙っている方がまし。愛想笑いとかさせたら相手に悪いし」という気遣いはやめた方がいい。喋りたくないから黙っている人と全く区別がつかないから。


「わたくしは、ベゴニアです」

 

 とオリビアが答えると、


「あのお花可愛いですよね。わたしも好きです」


 とミラが同調した。名前は聞いたことがあるが画像が浮かばない。そんなメジャーな花だったか。そもそも、サラちゃんと百合子の記憶が入り混じっているわたしが思うベゴニアと、二人の好きなベゴニアが一致しているかも怪しい。薔薇は薔薇だから、ベゴニアもベゴニアだろうか。同じものと違うもの、似て非なるものと非して似ているものがあるから戸惑う。大して齟齬がない世界線で良かった部分は大きいが。

 花の話をしている間に時間は過ぎていった。再びリカルドから声を掛けられて、次のテーブルへ移動する。次の席も、その次も、万事順調に和やかな会話で終了した。もうこのまま無事に終わってくれたらいいような気持ちになる。が、後一つのテーブルを残してシーラがいる席へ誘われた。自分で配置したわけだが、五人掛かりでわたしに絡んできたフランソワーズ達もいる。リカルド情報では、よく集まっているらしい。繋がりがあったとは、類は友を呼びすぎて笑える。

 

「本日は、お越し頂き有難うございます」


 席に着いて定型分を口にすると、


「いえ」


 とシーラが短く答えた。いえ? なんだそれ。来てやった感ありありでカチンとくる。シーラだけが失礼な態度ではなく、他の子達も驚きも戸惑う様子もなく平然としている。こんな失礼なことありえる? 群集心理というやつなのか。仲間同士で同席させたのは間違いだったかもしれない。わたしの采配で孤立させる席順にもできたのだ。やらなかったのはフェアじゃないと思ったし、虐めみたいで嫌だったから。でも、こいつらはどうか。


「シーラ様とはグランフォール公爵様のお茶会ぶりですね。他の皆様とは五月のお茶会以来ですね」

「え、わたしも、グランフォール公爵様のお茶会には参加していましたよ」

「わたくしもです」


 被害妄想だろうか。覚えていないことを責められているようで感じが悪い。わたしは公爵令嬢なのだから、挨拶がないことを非難できる人間は、今日の招待客にはいない。面識ある人間が同じ会場にいて気づかなかったことを失礼だと思うから、ついつい謝ってしまいそうになる。こっちが頭を下げれば、向こうも頭を下げて、丸く収まると思うから、非を認めてしまいそうになるけれど「謝った方が悪い」と主張する人間は世の中に結構存在する。安易に下手に出るのは危険だ。


「そうなんですね。挨拶に来て頂けなかったので気づけませんでした」


 答えると皆黙った。謝罪しなくてよかったな、と思う。


「サラ様は、お忙しそうだったので」


 言い訳めいて二つ隣の席に座る伯爵家のルイーゼが言った。フランソワーズ、プリシラ、ローナ、カミラ、スザンナがわたしに絡んで来た五人組で、こちらも全員伯爵令嬢だ。ルイーゼだけはお茶会に参加していたのに、あの場にはいなかった。ただし、シーラの従姉妹らしいから油断はできない。今だって既に危うい空気だ。


「そうですね。後半は両陛下に呼ばれて別室にいましたから」


 わざわざ険悪な雰囲気にしたいわけではないので、否定せずに答える。いや、情けないけれど穏便に抑える方向へ逃げたのかもしれない。

 

「何の話をしていたのですか?」


 会話が途切れたので、当たり障りのない話を振った。しかし、誰からも反応がない。向かいに座るプリシラとカミラが顔を見合わせて、チラチラわたしの右隣のシーラを見ている。気まずそうな気配がある。わたしの悪口を言っていたのじゃないか。別の話題を振るべきか。いや、わたしがそこまで気を遣う必要などない。


「わたしが聞いたら困る話をしていたのですか?」


 尋ねるとルイーゼが、


「別に困りません。言っていいならいいます」


 と強気に答えた。ルイーゼとはほぼ初対面のはずだ。高圧的な口調にイラっとくる。


「いいですよ」

「キャスリーンお姉様の話をしていました」


 従姉妹だからキャスリーンをお姉様と呼ぶのだな、という感想。隠さなければいけない内容ではない。唯の意地悪だったのか。だが、


「謝った方がよいのではないですか?」


 とルイーゼは続けた。謝られても謝らなければならないことなど微塵もなくて、咄嗟に言葉が出てこない。


「そうです。それからフランソワーズ様にも謝罪してください。約束を守りませんでしたもの」


 すると、黙るわたしをどう解釈したのか、ローナが追随して言った。意味がわからなくて飲み込めない。胃が拒絶するようにキュッと縮んで堅くなる。理解できないまま口にできたのは、


「約束ってなんですか?」


 という素朴な疑問だ。


「マール殿下と婚約を解消するとおっしゃったではありませんか」


 フランソワーズが潔白を主張するみたいに言う。あぁ、と意味は理解できたが、全く納得できない。確かにあの日、マールと婚約解消できるように頑張るし、フランソワーズを応援すると返した。エリィよりましだという嫌味のつもりだった。余計なことだったとは思う。でも、だからってそれが何? 五人掛かりでわたしを脅しておいて言質とりましたってこと? 無茶苦茶すぎないか。怒りの矛先がマールに一点集中していたけれど、思い返したら段々と腹が立ってきた。こういう連中は鼻が利く。甘っちょろい人間を嗅ぎ分ける。例えば、わたしみたいなの。あの時、ちゃんと反撃しなくて、お咎めもなかったから、わたしをそういう人間だと学んだんだ。無茶苦茶やっても黙って泣き寝入りするタイプだって。だから、今だって不躾に振る舞っている。わたしが何も言わないと高を括っているんだ。ムカつく。


「それは五人で取り囲んでわたしを脅したからでしょう。謝るのはそちらではないですか? 今日は謝罪の機会を与える為に呼んだんです。これ以上わたしを怒らせない方が良いと思いますよ」


 撥ねつけて言っても誰もたじろぐ様子を見せない。わたしは物理的に小さい。凄んだどころで怖くもないんだろう。


「なんでも自分の思う通りにしようとしている人に注意するのは当然です」


 フランソワーズが、何処かの偉そうな先生みたいに傲慢極まる言葉を放つ。


「わたしがいつ何でも自分の思い通りにしようとしたの?」

「今日だって、マール殿下に我儘を言ってロイヤルガーデンを会場にしたのでしょう。知っているんですよ」


 ほらね。やっぱり。マールの馬鹿の提案は一ミリも役に立たない。脱力するほど予想通りの文句のつけられ方だ。知っている、と勝ち誇って言うが、嘘っぱちの情報じゃないか。


「ここで開くように言い出したのはマール様です。シーラ様も、あの時一緒に聞いていましたよね?」


 噂を流したのはシーラに違いないが、当て擦って聞いた。どう弁解するだろうか。もし目の前で嘘を言ったら、エリィとマールを呼んできて証言させてやる。オリビアとペネロープに頼んだら「友達だから味方している」と反論するだろうから。シーラが事実無根を喚き散らしていることが証明されたら、いくら仲間でも庇いようがないはずだ。これで詰みだ、と思ったけれど、


「シーラが可哀想。サラ様のせいでキャスリーンお姉様があんな目に遭ってずっと落ち込んでいるのに……」


 黙ったままでいるシーラに、ルイーゼが心底同情するように言った。シーラが返答しないのは嘘を吐いているからじゃないか。沈黙は肯定の証なのに、何が可哀想なんだ。それにさっきからキャスリーンのことで意味不明な難癖をつけられているのも苛つく。


「何がわたしのせいなんですか? さっきも謝れとか訳の分からないこと言いましたよね」

「惚けるんですか? サラ様がお姉様の悪口を言いふらしたからダンスのパートナーを失ったのに!」


 都合の悪いことは喋らないくせに、シーラが応戦してきた。順番が逆だろう。初めにキャスリーンがダンスの相手を断られて、しつこく食い下がったから、わたしがハロルドに忠告した。つまりその時点でキャスリーンは振られている。わたしは関係ない。失うも何も元からパートナーじゃない。いろいろ話を捏造してくる。それとも脳内で記憶が捻じ曲げられているのか。何処まで自己中なんだ。


「キャスリーンお姉様は何もしていないのに酷いと思います。謝ってください」


 ルイーゼが更に横から口を挟む。わたしが取り囲まれた時も、グランフォール公爵のお茶会の時も、その場にいなかったくせに何なのか。聞き齧った一方的な言葉だけを信じて、全部わたしが悪いというストーリーを作り上げているらしい。正義面した部外者。標的を見つけて論うSNSで沸くような有象無象に似ている。自分の感情だけで無責任な言葉を振り立てて、さも真実であるよう語り尽くす。何も知らない人がそれにどんどん便乗していくループ。嫌悪感に掌が湿る。


「わたしが口出しする前に断られましたよね? それに別にわたし、キャスリーン様の悪口なんて言っていません。自分が読んだ小説の話をしたんです」


 冷静に理路整然としゃべればいいだけなのに、感情が昂って嫌なくらい声が震えた。目頭が熱くて視界が滲んでいく。怖いからじゃないし、負けそうだからでもない。高揚すると涙腺が緩む生理現象で、玉ねぎを切ったら出る涙と同じだ。だけど、他人にはわからない。きっと追い込まれているように見える。それが堪らなく嫌だ。そんなんじゃない。そうじゃない。やめてくれ、止まれ、と思うのに体温ばかりが高くなって顔が火照る。感情と身体の反応が伴わないのが、余計に焦燥感を煽って、同時にくる羞恥心で思考が鈍る。


「そんな嘘誰も信じませんよ。シーラもキャスリーンお姉様もフランソーワーズ様も、皆、サラ様の我儘で迷惑しているんです。それなのに謝罪させる為に呼んだとかよく平気で言えますね。謝るのはサラ様の方です」


 またしてもルイーゼがしゃしゃり出て来て言うと、今まで黙っていたプリシラとカミラ、スザンナが言わなきゃ損みたいに、酷いとか、謝るべきだとか、最低だとか、わたしを責める言葉を放った。わたしは窮地に立たされて見えるんだろう。弱い人間をとことん嬲るような輩だ。嘘を吐いているのも、道理の通らない誹謗中傷をしているのもこいつらなんだから、がつんと言ってやればいい。なのに、


「嘘吐きはそっちでしょ。ありもしない噂を流したり、いきなり悪口を言ってきたり」

「それはサラ様が我儘を言ってマール殿下の婚約者になったから注意したんです」

「だから、わたしが婚約者になりたいって言ったんじゃない!」

「嘘ばっかり。公爵夫人が亡くなって両陛下が同情なさるのをいいことに、毎日王宮に通っていたんですよね。非常識だって皆言っていますよ」

「王宮に来ていいって言ったのはマール様で、わたしは、」

「社交辞令って言葉を知らないんですか? 普通は親が止めますけど、ヒュー公爵はそれを利用して王家に取り入ったのだから救いようがないですね。今日だって図々しくロイヤルガーデンでお茶会を開いたりして」

「何よそれ……パパのことまで悪く言うなんて許さない! ここで開くように言ったのはマール様で、そんなに言うなら、」

「なんでも人のせいにするんですね」

 

 代わる代わるに話を遮られる。カッと頭に血が上って、心臓が跳ねて、口中酸っぱい唾液が広がった。カラカラ喉が乾いて息が上がるくらい苦しい。なんでわたしが悪者にされているのか。パパのことまで持ち出すなんて許せない。悔しい。なんて言ったらいいのか。どうしたら勝てるのか。誰もわたしの話を聞いてくれない。誰もわたしを信じない。ぐっと押し黙るわたしに、


「一生に一度のデビュタントなのに! お姉様はもう出席しないって言っているのよ! 謝りなさいよ!」


 シーラが正義の鉄槌を食らわすみたいに言った。同時に四方からの冷たい視線と、


「泣いているんじゃない?」

「自分が悪いのにね」


 と嘲笑う声に耳が熱くなる。そうか、そうだった。だから、百合子はいつもいつも我慢した。一人になった時、こうならないように。虐めってこういうことだ。正しいからって勝てない。数の暴力がどれほど凶悪か。自分だけでやっつけてやると思ったわたしが馬鹿だった。どうしよう。どうしたらこいつらに自分達が間違っていると分からせることができるのか。ヒステリックに暴れたら、他のテーブルの子達も気づく。第三者を巻き込んだら、一からわたしの意見を主張をする機会を得られるかもしれない。そしたら、こいつらの言っていることがどれほど理不尽か証明できる。大声で喚き散らせば……、


「泣いたって問題は解決しませんよ」


 横目で見る滲んだシーラの顔は笑っている。さっと潮が引くみたいに自分が凪いた。あぁ、と思った。こいらは怪物だ。だから、わからせてやろうってことが無理なんだ。愚かなことは止めよう。もう無視しよう。こいつらに踊らされて初めてのお茶会をめちゃくちゃにしたくない。元々それがこいつらの狙いなのかもしれない。噂のネタをやったら駄目だ。帰ったら今日のことはパパに全部話してどうにかしてもらう。自分でやっつけるとか、どうでもいい。もうそれでいい。

 リカルドは配膳スタッフと共に庭園の後方で待機している。十分経過する前に、わたしが立ち上がれば何かあったと気づくだろう。


「ちょっと、逃げる気ですか」


 椅子を引くとシーラの意地の悪い声が聞こえた。無視してテーブルを離れる為に席を立つ。その直後、力任せに右腕を掴まれ引っ張られた。呼吸する間もなく天地が揺らいで、肩が抜けそうに、



――痛いっ!


 音ににならない声と共に腕の圧迫は消えて、気配が後ろに下がるのがわかる。わたしだけが逃げられない。咄嗟に掴んだテーブルクロスの白い布地が目の前に広がった。脛に芝生の感触がする。それからゴンゴンっと腕やら膝やらに鈍い痛みが走った。うわっ、とか、きゃっ、とか小さな悲鳴がいくつも聞こえて訳がわからぬまま見上げだ先には、


「あーぁ、急に立ち上がるから」

 

 ニヤッと笑った醜悪な顔が見えた。


 え? 


 脳裏に浮かんだのはそれだけ。頭が真っ白、なんて陳腐な表現しかできない。こういう時、他に何と言えばよいのだろう。そうだ、自転車泥棒に遭った時に似ている。確かに自転車に乗って来たはずなのに、戻ったらそこになかった時。あの呆ける感じにそっくり。正確な比喩。完璧すぎて笑けてくる。とても可笑しい。本当に。芝生にドレスで正座していることも、何もかも。


「サラ様!」


 誰かの叫び声がした。同時にガヤガヤした雑音が耳に入ってきて現実が戻ってくる。テーブルクロスがわたしの方へだらんと垂れ下がり、着席していた子達が立ち上がっているのが視界の端に映る。ドレスが汚れるのを気にして避けたんだろう。わたしのは、紅茶とケーキでドロドロなのに。今日下ろしたドレスなのに。金額は知らないけれど、特注品で高いはず。パパがお茶会に間に合うように急いで作らせたから割増料金も掛かっていると思う。当然弁償はしてくれるんだろうな。 

 

「サラ様、お怪我は? 火傷は? 何処か痛みますか?」


 駆け寄ってきて膝を折りわたしを覗きこんだのはルークだ。マールの執事が何故ここにいるのか。よくわからない。周りを見ると、リカルドや他のスタッフも、同じテーブルにいた女の子達に「お怪我はありませんか?」と聞いて回っている。シーラは、さっきと打って変わった困り顔で、


「サラ様が急に立ち上がって……」


 とか、チラチラわたしを見ながら、いいように状況説明を始めている。

 こいつ、わたしを引き摺り倒したんだ。わざと、故意的に、転ばせる為に。わたしが怪我してよいと思ったんだ。わたしが、嫌いだから、憎いから、恥をかかそうとして。蠢く重い感情が腹底を這いずり回るが、

 

「どこか痛みますか?」


 ルークに何度も尋ねられて、開きかけた口を閉じた。

 わたしのテーブルクロスを引く力が弱かったから、それほど惨事にはなっていない。地面が芝生だったので食器も割れていない。誰も何も怪我もない。わたしにティーカップとケーキスタンドが落下してきただけ。でも、大した怪我はしていない。後で青痣になるかもしれないけれど、そのうち消える程度だろう。紅茶も生温かったし、火傷もない。ドレスは汚れてしまったけれどパパは怒ったりしない。立ち上がって、


「お騒がせしてすみません。着替えて来ますね」


 と言えば、後は優秀なスタッフがあっと言う間に散乱したテーブルを片して、新しいティーセットを配膳してくれる。わたしは屋敷から代わりのドレスを持って来てもらって、着替えればいいだけ。ドレスは沢山持っているし、家も近いから直ぐに用意できる。

 わたしは大丈夫か?

 大丈夫じゃないか?

 無反応でいると、宮廷侍女達が迅速な対応で汚れたドレスにタオルを充てがってくれる。なすがままにぼんやり見ている。手を退けるように腕をとられる。手首には赤い痣。


――ほら、だから危ないって言っただろ。

――まさか当たると思わなかったわ。


 頭の奥で誰かが笑う。

 誰だっけ。顔も名前も思い出せない男の子。そうだ。百合子のクラスメイト。教室で座っていたら、いきなり後頭部に筆箱を投げつけられた。痛くて振り向いたら「あぁ、ごめん。ごめん」って言われて前を向いた。

 何故、こんなどうでも良いことを今思い出すのか。生まれ変わってまで覚えているなんておかしいような些細なこと。だけども、わたしは覚えている。

 無防備だったから痛かった。痛くて痛くて涙が出た。でも、前を向いて、俯いて、バレないようにした。こんなことで泣いたら恥ずかしいと思ったから。迷惑かけたくなくて、大事にされたくなかった。そしたら、後ろから聞こえてきた声。笑ってた。けれども、そうか態とではないのだな、と思った。ふざけて筆箱を投げ合っていたら、たまたま当たったのだなって。だったら仕方ない。「わたしが黙っていれば何もなかったことになるから我慢しよう」って思った。筆箱を投げ合うなんて危険だけれど。百合子はずっとそこにいたけれど。例えば座っていたのが先生なら、筆箱なんて投げなかっただろうけれど。そうだ。あの男子達は賢い。百合子なら当たったところでどうせ何も言わないから平気だと踏んだ。そしてそれは正解。よくわかっている。実際、百合子は黙って耐えた。いつも通り我慢した。穏便な方へ、争わない方へ、何事もなかった方へ。どんなに頭が痛くても。なんでだよ。大袈裟に倒れてMR Iで脳検査して、治療費請求しろよバカ。


「痛いっ! 痛いよぉぉ! あああああぁぁ!」


 大声を張り上げたら、ぽろぽろ涙が溢れた。辺り一体が不穏に揺れ始める。でも、仕方ない。だって、わたしはこんなにも傷ついている。悲しくて辛い。だから隠さず泣いていい。寄ってたかって責められて、暴力を振るわれた。ドレスがぐちゃぐちゃになって、初めてのお茶会が台無しで、大丈夫じゃない。わたしは、全く大丈夫なんかじゃない。いつも、ずっと全然大丈夫なんかじゃなかった。


「これはシーラ・スペンサーにやられた! わたしを無理やり引っ張って地面に叩きつけた!」


 白い腕にくっきり浮かんだ手型を皆に見えるよう突き出して言うとシーラが赤い顔で反論する。


「そんなことしてない!」

「じゃあ、この痕は何よ!」

「だから、それはサラ様が急に立ち上がるから、驚いて掴んでしまったんです」

「あんたが嘘吐いて、わたしの悪口を言って、わたしを虐めたから、わたしは席を立ったの!」

「シーラは嘘なんて吐いてないです。全部本当のことで、」

「嘘ばっかりよ! ロイヤルガーデンでお茶会を開けって言ったのはマール様だから! 今から証言してもらう!」


 ルイーゼだけは従姉妹だからか、シーラを庇ったけれど、他の子達は黙っている。


「ルーク、マール様を呼んできて」


 抑揚のない声で冷静に言ったつもりだけど興奮で声が上擦った。マールはエメラルド宮を出て行ったから、戻ってくるなんて誰も思っていなかったんだろう。空気が張り詰めて、シーラの顔が一瞬歪んだ。


「畏まりました。その前に手を冷やしましょう。着替えの用意も必要ですね」


 ルークは答えると「失礼します」とわたしを抱き上げた。それから、


「取り敢えず、皆様を藍の間へお連れして。茶会はこのまま進行してください」


 と宮廷侍女とリカルドにそれぞれ告げて、足早に邸内へ歩き始める。殆ど走るみたいなスピード。ルークの肩越しにシーラ達が見える。何かしゃべっている。聞こえない。また、碌でもないことを吹聴しているんじゃないか。先にここを離れたら駄目なんじゃないか。ぐっと身体が堅くなる。


「まずは、手当しないと」


 わたしの変化に気づいたのか、ルークが短く言った。ぎゃん泣きしたのは痛みによるものではないのだけれど、怪我していた方が都合がよい、と小狡い考えが過り黙った。大声を出して叫んだせいか、鬱憤が発散されて気味悪いくらい頭が冴える。ルークはシーラ達を別室に隔離して事情聴取でもするつもりだろうか。大きな商会の従業員でも平民のリカルドが貴族令嬢にあれこれ指示はできないから、ルークが対処してくれたことは良かった。でもなんで? マールに言われてわたしを見張っていたのだろうか。問題を起こすと思って。


「……わたしは悪くない」


 わたしが席を立ったのはお茶会を台無しにされたくなかったからだ。別に怖くて逃げたわけじゃない。でも結局無茶苦茶にされた。だったらもう引く意味がない。こうなった責任を取らせる。絶対に。





 ルークに運ばれたのは紅蓮の間だ。

 エメラルド宮の部屋にはマニアックな色の名前が付いている。ルークと入れ替わりに宮廷医と助手、侍女達が忙しなく入ってきた。医師は一通り診察をすると、得体の知れない沼色のクリーム状の薬をわたしの肩や膝や腕に塗りたくり、手首には包帯まで巻いた。塗られた部位がスース―する。効能は多分シップと同じなんだろう。包帯は大袈裟な気がするが、痛そうに見えるのでいいか、とも思った。


「薬はお風呂上りに毎日塗ってください。お屋敷にお届けしますから」

「はい。有難うございます。もう出て行ってもいいですか?」


 シーラ達はどうなったか。マールはまだ来ないのか。早く藍の間へ行きたい。こうしている間に、あいつらが全員で口裏を合わせてわたしを貶める算段をしているかもしれない、と考えると気が気じゃなくなる。だけれど、医師が勝手に許可を出すわけには行かないのだろう。困った表情を見て取った侍女が、


「ルーク様を呼んできます」


 と足早に部屋を出て行く。

 一旦服を脱いで身体の痣を診察されたので、ルークが室内で待機するのは変なのだけれど、処置が終わったら早く戻って来て欲しい。屋敷へ替えのドレスの手配をすると言っていたが、それもまだこない。今はエメラルド宮の衣装部屋から侍女が見繕ってくれたドレスを借りて着ている。流石王宮。なんでも予備がある。ただし、かなり小柄なわたしの身の丈には合っていない。こんな「いかにも借り物です」という格好で公爵令嬢がお茶席には戻れない。だから、わざわざ屋敷から持ってきてもらうわけだが。

 侍女が出て行ってしばらくするとルークが入ってきた。医師がわたしの養生について「骨に異常はありません」と軽い説明をする。骨に異常があって堪るか、と思いつつ、二人の会話の終了を待って、さっきの言葉を繰り返した。


「藍の間へ行きたい」

「はい。着替えが到着したら直ぐに参りましょう」


 裸でいるわけではないのだから、ドレスは後回しでいい。今大事なのはあいつらに言い訳を考える時間を与えないことだ。しかし、ルークの見解はわたしとは違う。わたしの気持ちより体裁が大事だ。王太子の婚約者を変な格好でうろうろさせられない。マールの顔に泥を塗るような行為は許さない。ルークはそういう判断をする人間だと、わたしは、というか前前世のサラちゃんは認識している。


「マール様は?」

「先に藍の間へおいでです」

「じゃあ、わたしも今すぐ行く!」


 馬鹿か。なんでわたしが呼んだのに、マールが一人で先にあいつらの所に行くのだ。全く意味がわからない。マールがあいつらの口車に乗せられて、またわたしが我慢させられる羽目になったらどうしてくれるんだ。冗談じゃない。ブチ切れそうになりながら、ルークの制止を無視して紅蓮の間を出た。わたしが本気になればルークに止める権利などない。別に誰に案内されなくとも藍の間の場所くらいわかる。ぶかぶかしたドレスの裾を踏んで転ばないように両手で抱えて走った。

 藍の間と紅蓮の間は一階の大ホールを挟んで向かいの位置にある。部屋の前まで来ると両手を伸ばしてぎりぎり届く位置のドアノブを握り、ノックせずに押し開けた。正面にガンっと置かれたパイプオルガンが目に飛び込んでくる。天井の高い日当たりのよい部屋。エメラルドグリーンの金華山織猫脚ソファ、大理石のテーブル。なんで罪人を貴賓室へ案内するのか。勢いよく開け放った扉のせいで全員の視線が集まった。

 立ち上がりマールが近づいてくるが、それより後ろが気になる。向かい合わせの横長ソファに四人ずつ座っている。フランソワーズ、プリシラ、ローナ、カミラが扉から背を向けた位置だから振り向いてこっちを見ている。その奥側のソファにスザンナ、ルイーゼ、シーラ、それからエリィ。

 は? 

 という疑問符が脳裏に浮んだタイミングで、マールが正面まで来た。


「たいした怪我ではないと聞いていたが?」


 マールが手首の包帯に視線を落として言う。それは正しい情報だし、わたしが大袈裟に見えるように包帯を巻いてくれと頼んだわけでもない。そんなことを言われても知らん。なのでマールの質問はサクッと無視して、わたしの疑問を返した。


「なんでエリィ様がいるの?」


 広い部屋の奥と入り口。ぼそぼそ喋れば向こうまで聞こえない。尤も聞こえたとしても構わない。部外者はお呼びじゃないんだ。


「……令嬢達が取り乱して話せる状態ではなかったから、宥めて付き添いをしてくれたと聞いた」


 ははっと笑いが漏れそうになる。あれだけわたしに好き勝手言っておいて今更それはないだろう。エリィはマールと親族で親しい仲だから、エリィがいれば大丈夫だとでも思ったのか。間を取りなして貰おうという魂胆が見え見えだ。フランソワーズ達は、前前世からずっと、わたしのことは虐めるくせに、エリィがマールの傍にいても何もしない。わたしだからやった。わたしは駄目でエリィなら良い。そういう判断をしている。舐めやがって。


「あの子達なんて?」

「お前が急に立ち上がったから驚いて腕を掴んでしまった事故だが、自分のせいなので謝罪したいと言っている」

「それ信じたの?」

「一方の話だけを聞いて信じるも何もない」

「でも、あの子達は皆そう言ったんでしょ?」

「事実は多数決で決まらん」

「じゃあ、わたしを信じるの?」

「何があったか話してみろ」


 安易なことを言わないのがマール・グランだ。王太子としては正しいかもしれないが、婚約者としては失格だ。


「わかった。だったら今から何が起こってわたしがこんな怪我を負ったか事実を説明する」

 

 言い捨てて室内へがしがし歩いた。悪いのはこいつらなんだから、エリィがいようが誰がいようが関係ない。仮にこいつらの味方をしたとして赤っ恥を掻くのはエリィだ。マールが後ろから黙って付いてくるのを感じながら、さっきまでマールが腰掛けていた誕生日席まで行くと、座らずにぐるっと全員の顔を見回して、


「お茶会でテーブルについてわたしが『お越し頂き有難うございます』と言うとシーラ様に『いえ』と返されました。わたしはその時随分無礼な返事をするなと思いましたが、空気を悪くしたくないので黙って『何の話をしていたのですか?』と尋ねました。するとルイーゼ様が『キャスリーンお姉様の話をしていた』と答えた後、突然わたしにキャスリーン様に謝罪するよう要求しました。わたしのせいでキャスリーン様はデビュタントのパートナーを失ったから謝るべきだと身に覚えのない言い掛かりをつけられました。それから、フランソワーズ様にも謝れと言われました。マール様と婚約を解消すると約束したのに守らず嘘を吐いたという理由です。これはわたしが五月に開催された王妃様のお茶会に招待された時、フランソワーズ様、プリシラ様、ローナ様、カミラ様、スザンヌ様にいきなり囲まれて、公爵家の力で強引にマール様の婚約者になったと責められて悪口を言われたことに起因しています。わたしはその時、『だったら婚約者を止めるしフランソワーズ様が婚約者になれるように応援する』と嫌味で返しました。そのことを約束だと言い張り、約束を守らない嘘吐きだから謝るように責められて侮辱されました。ロイヤルガーデンでお茶会を開いたことも、わたしがマール様に我儘を言って無理やり場所を提供させたと言われました。お父様のことも狡賢いと侮辱されました。わたしは自分から婚約者になったわけでも、ロイヤルガーデンでお茶会を開きたいと言ったことも一度もないのに、わたしの反論は一切聞き入れられず、酷いとか、最低だとか、皆迷惑しているんだ、とか罵られました。わたしは、もう関わりたくないので席を立ちました。そしたら逃げるな、とシーラ様に腕を強く引っ張られて地面に叩きつけられました。これが正確な一連の流れです」


 と一息に捲し立てた。マールがいるせいか途中で横槍は入らなかったが、話し終えた直後に、


「わざとやったんじゃありません! びっくりして引っ張ってしまっただけです」


 とシーラが平然と嘘を吐いた。息を吸うみたいに容易く。信じられない。


「わたしが転んだ時笑っていたくせに」

「笑ってなんかいません。謝ろうと思っていたのに酷いです」

「笑っていたじゃないですか。はっきり見たんですよ」

「シーラは笑ってなんかいません。ずっとサラ様の怪我のことを心配していました」


 ルイーゼがお決まりの何の根拠もない擁護を始める。あの時、わたしと逆側の隣席に座っていたルイーゼからシーラの顔が見えるわけがない。


「貴方の席からシーラ様の顔は見えません。いい加減なこと言わないでください」

「皆だって見ていました! シーラは笑ってなんかいませんでした。ねぇ?」


 ルイーゼが他の子達に同意を求めると、皆が頷いて賛同する。本当に見ていなかったのか、庇って言っているだけかは不明だ。


「だったら、わたしに謂れのない暴言を吐いて責めたことはどうなんですか? それが元々の原因でしょ」

「暴言なんて言っていません」

「じゃあ、なんでわたしは席を立ったんですか?」

「知りませんよ。サラ様が急に立ち上がったのでしょ! だからわたしは驚いて腕を掴んでしまったんです!」


 シーラ、ルイーゼ、フランソワーズが代わる代わる口を開き応戦してくるが、他の子は段々おろおろし始めた。それぞれの性悪度と立ち位置が浮き彫りになる。


「では、今から一人ずつ別室で、どういう会話をしてどうしてこうなったか調書を取ってもらいましょう。細かなところまで全部! 全員本当のことを話せば同じ内容になりますね」


 一瞬、ぐっと空気が詰まったが、


「そんなのいちいち覚えていません」


 と直様シーラが太々しく答えた。知らぬ存ぜぬで通すつもりか。


「そんな嘘は通りませんよ。本当に嘘ばっかり! わたしのこと嘘吐き嘘吐きって、自分達こそ大嘘吐きじゃないですか。パパのことまで悪く言って、おまけに暴力まで振るった!」

「わざとじゃないって言っているじゃないですか!」

「そうです。わたし達は何もしていません。嘘吐きなんて酷いです!」

「よくそこまで嘘ばっかり吐けるわね! 謝れ!」

「わかりました。腕を引っ張ったことは謝罪します。すみませんでした。でも、本当にわざとではなかったんです」


 シーラがメモ書きを読み上げるみたいに冷めた表情で言った。頭の奥が痛いくらい怒りで震えがきた。考えられない。人を舐めるにもほどがある。許せないし、許さない。


「ふざけないでよ。それが謝る態度なわけ?」


 シーラを睨みつけると、ぬっと背後から何かが近づく気配がした。振り向くより先に、


「もういい」

 

 とぶっきら棒な声が頭上を通る。急に割って入ってきたマールの声に視線が一斉に流れた。わたしの隣まできていつもの無表情でいる。何がもういいのか。わたしは、とことんやり返すと宣言していたはずだ。


「話が随分食い違っているな」


 マールが呟くと、


「マール殿下、本当にわたし達はサラ様を侮辱なんてしていません。ただ謝って欲しかっただけです。シーラのお姉様は、デビュタントに参加しないとずっと泣いているんです! だけど、お願いしたらサラ様が怒って席を立ったんです。それでシーラが……」


 ルイーゼが立ち上がって言った。他の子達も同調する雰囲気を醸し出して見ている。自分達に都合のよい釈明をここまでできることに恐怖すら感じる。


「キャスリーン嬢に対して、サラは身に覚えがないと言っているが?」

「違います。サラ様が余計なことを言わなければお姉様はハロルド様とデビュタントに参加していたんです!」

「勝手に振られたくせにわたしのせいにしないでよ!」


 被せるように否定すると、シーラが噛みつきそうに睨んでくる。さっきわたしに謝って、わたしはまだ許していない状態なのに。本当は少しもわたしに悪いとは思っていないことがはっきりわかる。最低の人間。最低の屑。地獄に落ちればいいのに。

 

「言い争いはもういい。どちらかが嘘を吐いているのか、認識に齟齬があるのか、いずれにせよ、双方折れる気がないなら、やったやらないは水掛論だ。明言できるのは、サラの言うように、婚約も、今日の茶会も、全部オレが打診したことだ。サラが言い出したことではない」


 マールが淡々と言い放つと、潮が引くみたいに熱量高めの空気が一瞬で冷めた。え、という驚嘆がそこここに見える。何にも関係ないのにずっとわたしが悪いと決めつけてきたルイーゼが一番動揺している。道端でこんな子供がいたら誰もが心配で声を掛けるような色のない顔。わたしがどんなに反論しても聞き入れてくれなかったのに、マールの言葉なら全員信じることに、言い知れない虚しさと苛立ちが襲ってくる。


「サラに対して妙な噂が飛び交っているようだが、対処しなかったのはオレの手落ちだ。今後は厳密に調査して処罰を下す」


 マールが続けて言った。そうだな。今更すぎるが、そうだな、と言う感想しかない。わたしは最初からそう主張している。お前が「お茶会を開け」なんてしょーもない提案をせずに、あの時、がつんと今の台詞を言ってれば、こんなことにはならなかった。全部お前の失敗だ。

 熱くなるわたしとは裏腹に室内の体感温度は下がり続ける。皆が黙り込んで、どんどん終了モードな雰囲気になっていく。このままわたしが大人しくしていれば、勝手にマールが終わらせる。今後は調査すると言うのだから、今後はちゃんと調べて処罰するのだろう。わたしのあらぬ噂をすれば罰せられる。今後は。今後?


「ちょっと待ってよ。今後って何? 今後じゃ遅い。今すぐ処罰してよ!」


 マールが無言でこちらを見る。有耶無耶で終わらせるなんて冗談じゃない。


「こいつらは、よってたかってわたしを愚弄したの! わたしに怪我させて笑ったの! その上、謝りもしないで平気な顔してるの!」

「ちゃんと謝りました!」


 マールに向けた言葉なのに、シーラが横から割って入る。あんな失礼な謝り方で許されると思うのか。


「謝ったふりでしょ。他の子達からもまだ謝罪されていない」

「わたし達は謝るようなこと何もしていません」


 フランソワーズが言うと、他も一様に「何もしていない」と口々に賛同する。マールが水掛け論だと言ったから余計にそれで押し通せると思ったに違いない。罪悪感を抱かないのか。わたしだからよいと思っているのか。何故わたしはこいつらに、ここまで蔑ろにされなければならないのか。


「本当に自分達がやったこと悪いと思ってないの?」


 腹の底から絞り出した低い声で言った。実際に低かったかはわからないけれど、これが最後のチャンスだ、と暗にわかるような言い方だったはずだ。けれど、誰も何も返さない。意識だけが離脱して、遠くから自分を見ているような感覚になる。マールは見逃す気なのか。なんで? 証拠がないから? わたしは許さない。パパに頼んで抗議する。パパならわたしを信じてくれる。けれど、それにどれ程の効力があるだろうか。こいつらが白を切り通せばどうなるのか。証拠もなく八歳の子供の喧嘩に口出しする宰相だと、パパは嘲弄されるのではないか。いくらうちが公爵家であるとはいえ、複数の貴族相手にどこまで強硬策にでれるのか。でも、


「わたしは一つも嘘を言っていない。謝るチャンスも与えた。でも、無駄だった。絶対に許さない。今日のことはパパに言って正式に抗議する」


 そんなことは関係ない。あらぬことを言う奴は片っ端から吊し上げてやればいい。冷静になった方が負け。後先考えた方が負ける。いつもいつもいつもいつも、そうやって我慢させられてきた。 

 

「もういいと言っただろう」

「何がもういいの? 今後って何? 今後なんてどうでもいい。こいつらが今日のことをなかったことにして笑って普通に生活するなんて嫌だ。わたしは、今、ここで、嘘を吐いて平気な顔をしているこいつらをどうにかしたい。じゃないと、わたしはこいつらに会う度、辛い思いをする。わたしは悪くないのになんで、って思う。一生後悔する。死んでもずっと悔しい!」


 大袈裟でもなんでもない。だって事実だ。わたしは全部覚えている。前世のことも、その前も。

 マールがわたしを見下ろしている。相変わらず考えが読めない人形みたいな顔。もし、後一回でも「もういいだろう」と言ったら、そのお綺麗な顔をぶっ叩いてやる。もちろん許してくれるんだろうな。わたしが何もしていないって言い張ったら!

  

「お前がこの令嬢達と会うことはない」

「え?」

「今日限りお前との接見を禁止する。いない者と思え。だから、何もする必要はない」


 マールの発言がよくわからなかった。だってそんなの無理だろ。フランソワーズ達とは学校も同じだったし、お茶会も、デビュタントも、夜会も、この先色んな行事がある。貴族社会はなんやかんや横の繋がりがあるし、王都にいる限り、何処かで顔を合わせる。


「宮内で起こったことはグラン家の責任だ。今日の茶会はオレに一任されている。正式に王家から接見禁止令を出す。破れば禁錮刑か罰金刑に課される。通達は後日それぞれの屋敷へ送る。それまでに準備をしておくように」


 マールが淡々と告げる。王家に処罰されたことが問題なのだから、罰則の内容ははっきり言ってどうでもいい。それより本気で禁止令を与える気なのか正気を疑う。だって、そんなことしたら、


「ちょっと待ってください。それじゃあ、王都にいられなくなります」


 ルイーゼがわたしの思考を拾うように言った。状況を理解していなかった子の何人かは「え」と声を上げて、残りの子は既に青い顔をしている。そうだ。本当に禁止令が執行されたら、こいつらは自分の領地に引き篭るしかない。準備は引っ越す準備のことだ。わたしは全く行動を制限するつもりはないのだから、会わずにいるにはそれしかない。


「サラは王家の正式な婚約者だ。どんな理由にしろ騒ぎを起こした者を傍には置けない。まして、本人が拒絶するならなおのことだ」


 マールが感情の起伏なく言う。どう反応したらよいのか混乱する。何故急にこんな厳罰を与えたのか。安心させて奈落の底へ突き落すやり方だ。七人の少女の未来を根絶やしにすれば至る所に波紋を呼ぶ。追及して罪を吐かせて無理やりにでも謝らせた方が余程に寛大な処分だ。マールは、公平で理知的な王太子のはず。こんなやり方はマール・グランらしくない。マールらしいとは何かもわからないが。


「そんなの……酷い」

 

 誰かがポツリと呟くが、マールは微動だにしない。酷かろうが、悪かろうが、どうでも良いし、撤回する気もないのだ。マールのしれっとした様子に、きっと皆、それに気づいたのだろう。


「だって、」


 言い訳がましい接続詞と共に、鼻を鳴らして啜り泣く音が聞こえ始めた。騒ぎを起こしたことは隠せない事実で、元々の原因とは違う角度から罰を課せられて逃れようがない。「だって、サラ様がどうのこうの」とか「だって、お姉様がなんたら」とか、言葉尻まで拾えない声がしんとした部屋にボソボソ落ちる。

 同い年の女の子が恐怖して目の前で泣いている。こういう場面って凄く嫌だ。ドラマなら早送りして飛ばすシーン。暗い気持ちになるし、罪悪感が胸を締める。何も考えず感情に流されたら「もういい」って言いそうになる。だから、必死で思い出した。ほんの三十分前の出来事。


――泣いているんじゃない? 自分が悪いのにね。

――泣いたって何も解決しませんよ。


 そう言って笑ったのは、目の前のこいつらだ。ブーメランが返っていっただけ。仕方ない。大丈夫。わたしが許す必要はない。処罰が覆ることもない。だから、早く終わりにして部屋を出て行きたい。ドレスはもう届いたのか。どのドレスを持って来てくれたのだろう。目の前のことは見ないように、どうでもいいことを考える。同情心に足元を掬われて絆されたくない。集中して遠くに意識を逃していると、


「……ごめん……なさい」


 言い訳と啜り泣きの狭間に一つの小さな謝罪が差し込んだ。そこからは雪崩みたいに、


嘘吐いて、ごめんなさい。

怖くて言えなかったんです。

もうやらないから、ごめんなさい。

パパとママに言わないで。

酷いこと言って、ごめんなさい。

ごめんなさい、ごめんない、ごめんなさい……。


 謝罪の言葉が途切れ途切れに痛々しく繰り返し続いた。ずんとした重たい気持ちと同時に、嫌な流れになったな、と俯瞰的に思った。


「マール殿下、あの……皆、こんなに謝っているし、接見禁止令はいくらなんでも重い罰ではないですか?」


 案の定、予想通りの展開が押し寄せる。これまで空気だったエリィが見兼ねて間に入ったきた。別に非常識だとは思わない。お節介だな、とは感じるけど、親に怒られたらおばあちゃんが助けてくれるみたいなこと。見て見ぬふりよりまともな対応だし、そこに正義はあると思う。でも、わたしに対する正義ではない。


「付き添いはご苦労だったが、お前が口を出すことではないだろう」


 マールが冷然と告げるが、


「でも、皆、反省しているし……それに、こんな処罰をしたらマール殿下だって非難を受けますよ!」


 エリィは食い下がる。マールとエリィが言い争うのは初めて見た気がする。冷酷王子が心優しきヒロインの必死の訴えに心洗われるシーンが頭に浮かぶ。が、


「別に構わん」


 マールが意外にバッサリ切り捨てるので、少し驚いた。エリィの頼みなら何でも聞くかと思った。

 希望の光は断たれたが、泣き声が大きくなることはなく、自棄になってヒステリックに暴れる子もいない。わたしではなくマールが相手だから歯向かうことができない。ただ濡れた謝罪の言葉がボソボソ聞こえる。非情な罰に、わたしの怒りは吸い取られて、高い金属音が鳴り響くような感情の乱れは落ち着いている。ただこの居心地最悪の状態がいつまで続くのか、とぼんやりしていると、マールからの視線を感じた。横目で見上げようとしたら、


「サラ様……皆、本当にちゃんと反省しています。本当にちゃんと謝っていると思います。サラ様に酷いことをしたかもしれないけど……もう、絶対にしないと思います。だから……」


 とエリィが今度はわたしに訴えてくるので、そちらに意識が引っ張られた。

 泣きじゃくる女の子達と必死で庇うエリィ。わたしは何も悪くないのに、なんだろうかこの構図。今更謝ってこられても、という冷めた感情でいっぱいだ。自分達がいかに理不尽かを思い知らせたいとか、やっつけたいとかも、どうでもいい。あれだけ嘘を言いまくっていたのに何なんだろう。みっともないな、と思う。関わりたくない。だから、そんなに許して欲しいなら、許してやってもいい。真実を全部明らかにしてくれるなら。


「マール様、例えばわたしが拒絶しないなら禁止令は解かれますか?」

「……あぁ、お前の好きにしろ」


 覆らない方がいっそ楽なんだが、なぜ今日に限りわたしの意向がいろいろ通るのか。でも、まぁそれならそれでいい。


「わかりました。では、謝罪は受け入れます。その代わり、お茶席に戻ったら今ここで起こったことを全部説明してください。わたしを愚弄して、侮辱して、傷つけて、席を立つわたしを引きずり倒して怪我をさせて、それでも何もやっていないと嘘を吐いて、でも、王都から追放されそうになったから、本当のことを言う気になって謝ったってこと。それで許してもらったってこと」


 こいつらにどう思われてもどうでもいい。でも、他の招待客とはこの先も付き合っていくから、誤解がないよう真相究明はきっちりしておきたい。わたしの願いはそれだけだ。

 

「それじゃあ、意味がないんじゃ……」


 エリィがポロリと零した。


「意味がないってどういう意味ですか?」

「だって、そんなこと言ったら、皆、なんて思うか……」

「じゃあ、このままお茶席に戻ったらわたしはなんて思われるんですか?」


 大声でぎゃん泣きした理由を明らかにしないと、わたしの沽券に関わる。あの時ルークに運ばれながら、シーラ達が侍女に話しているのを見た。何を喋っていたかは簡単に想像できる。きっと周囲の他のテーブルの子達にも聞こえていたはず。だから、ちゃんと真実を説明して欲しい。わたしが被害者だって。その願いが何か間違っているか。エリィが不服を申し立ててくるのが不思議でならない。


「あのね、この子達が謝っているのは、わたしに悪いと思ったからじゃない。自分達を守る為に謝ったの。自分達が窮地に追い込まれたから許してもらう為に謝ったの。でも、わたしそれを許すっ言ってる。だから、代わりにわたしの名誉を挽回してくれって言うのがそんなに変なこと?」

「……でも、サラ様にそんなことしたって分かったら、きっと、凄い問題になります」


 凄い問題になることを実際にやったなら、凄い問題になるのは当たり前ではないのか。


「っ本当に……悪いって、思ってます」


 鼻声でべしょべしょ誰かが言う。ドレスの袖で涙を拭いたり、鼻水を拭ったり。皆本気で泣いているし、流石に嘘泣きとは思えない。可哀想になる。縋りつくような謝罪の声に胃がキリキリする。嫌な気持ちになる。まるでわたしが悪いみたいだ。わたしは冷酷か。わたしは意地悪か。わたしは弱いものを虐げて嘲笑う性悪か。


「だから、許すって言ってじゃない……ちゃんと説明してくれたらそれでいいって」

「だって、皆に知られたらっ……」


 シーラが、ケーキも紅茶も掛からなかった綺麗なままのドレスのスカートをぐちゃぐちゃに握りしめて言った。


「皆、本当に反省しているし、許してあげてください。お願いします!」


 エリィが悲痛な表情で懇願してくる。どうしてエリィがここまでするのか。関係ないから放っておいてもいいはずなのに。友達だからか。いい子だな、と思う。普通にいい子だ。でも、じゃあ、なんでわたしの気持ちは丸っと無視なのか。ちょっと考えればわかるはずだ。そうか。なるほど、わたしは友達の中には入れてもらえていないんだ。


「じゃあ、全部わたしが我慢するの?」 

「それは……」


 エリィが今初めて考えました、みたいな表情をした。こういうのを知っている。積極的に蔑ろにされるわけではないけれど、気遣いもないみたいな。人数分を配る時、いつも最後に回される感じ。そして、そういう時、足りなそうだと、わたしは自分からさり気なく列を離れる。「皆の分、丁度あって良かったね」なんて声を聞きながら、最初から欲しくなかったアピールで自分を守るのだ。こそこそする必要なんてないのに、何故隠れたのだろう。貰えなくてもちゃんとそこに居ればよかった。「わたしは貰えなかった。数が足りないからわたしが我慢したんだ」って、堂々としてれば良かった。でも、そう思わせたら悪いな、といつも先回りして逃げた。自分を削って、気遣って、何の意味もなかった。わたしの気持ちは置いてけぼりで「良かった、良かった」と進むだけ。あの人たちは、数が足りないことに本当に気づかなかったのか。気づかないふりをしていたのか。わたしはいつも聞く勇気がなかった。もし、わたしが隠れなければどうなったのか。ただのわたしの独りよがりな自己犠牲だったのなら笑える。


「謝罪のタイムリミットはとっくに切れてる。今更こんな所で謝られたって何の意味もない。それでもわたしは許すと言ってるの。だから、わたしがどんな目に遭わされたか説明して欲しいって言ってるの。このままじゃ、中庭にいる子達は、わたしが転んで馬鹿みたいに大泣きしたって思うから。何が起こったか話して欲しい。それが駄目なの? わたしは被害者なのに、加害者を守る為にわたしが我慢するの? わたしの気持ちはどうなるの? なんでこの子達が優先なの? わたしを責めるのはやめてよ。わたしが悪いみたいに言わないで。わたしに罪悪感を植え付けようとしないでよ。わたしは何も悪くないのに、なんでわたしが我慢しなきゃいけないの? わたしは何か間違ってる? 間違っているなら教えてよ。ちゃんと聞くから言ってください」


 喋っていると段々情けなくなった。こんなことをわざわざ言わされることにイライラした。こんな当たり前なことを主張しないと、わたしのことは考えてくれないんだなって。あぁ、本当にムカつくな。


「ねぇ、言ってよ……言えよ!」


 感情を抑えきれずに声を荒げると、びくっとエリィの肩が揺れた。室内が静まり返る。誰も口を開かない。ならば、この話は終了でいいだろう。

 静寂の中、怪しいくらいのタイミングで、扉のノック音がした。ルークが顔を覗かせる。張り詰めた空気は感じただろうが、態度には出さずに足早にマールの傍まで来ると、ボソボソ耳打ちをした。するとマールが、


「着替えが届いた」


 とわたしに向けて言った。


「わかりました。じゃあ、着替えてきます。では、皆さんはそれまでに、禁止令か、お茶席へ戻るか、どっちにするかを決めておいてください。わたしはどちらでも構わない。マール様もそれでいいですよね?」

「……あぁ」


 普段わたしの邪魔ばかりするのに、本当に今日は一体どうしたというのか。反論もなく頷くことが逆に不気味だ。尤もわたしは何一つ間違っていないので当然なんだけど。

 女の子達も、観念したのか、涙が尽きたのか、もう誰も泣いてはいなかった。ただ青い顔でそこにいるだけ。


「マール殿下……!」


 エリィだけがしつこくマールを呼んで、何かを訴え掛けようとしていたけれど、わたしは無視して入口へ向かった。来た時同様、ドレスの裾を抱えて歩みを進める。後をついて来たルークが、途中でわたしを追い越して、するっと扉を開けてくれる。執事に対しいちいち礼を言わないのは貴族の流儀だ。黙って部屋を出る。特に引き止められなかったので、エリィの意向は届かなかったんだろう。ゆっくり扉が閉まるけど、振り向くことはしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る