第29話 憎しみは憎しみを呼ぶ

 結論から言うと、マールの厄介な提案は、誰に反対されることもなく、あっさり承認された。グランフォール公爵のお茶会で、両陛下に呼ばれたわたしとマールは、サロンの個室に通された。日当たりの良い室内。薄青のクロスが掛けられた長方形のテーブル席に、デイビット陛下、キャサリン妃、対面にグランフォール公爵夫妻の姿があった。お茶会の主催者は別室にて両陛下と歓談できる栄誉を与えられる。公式茶会が持ち回り制なのはその為だ。両陛下と懇意になるチャンスなのに、マールはわかるが、わたしは何故呼ばれたのか。取り敢えず丁寧に挨拶をすると、


「サラちゃん、こっちにいらっしゃい」


 とキャサリン妃の隣の席に促された。

 両陛下の間にわたしとマールが入る。キャサリン妃がいる時のわたしは彼女の隣が定位置だ。前前世でも可愛がって貰った記憶はある。「だったらキャサリン妃に訴えれば良かったのに」とノエルのメモ書きが脳裏に浮かんだ。わかってないな、と思う。それとこれとは別次元の話だ。キャサリン妃はサラちゃんを可愛がってくれたけど「自分の子供の次に」という範疇は超えていない。「マールのことを宜しくお願いね」という思惑が端々に見え隠れしていた。それが悪行ではないし、全てが打算だったわけでもないはず。サラちゃんを純粋に大切にしてくれたことも確か。でも嫌だった。哀しい気持ちになった。ママがいたらこんな風かな、と考えることが何度もあって、でも、キャサリン妃が何より嬉しそうなのは、サラちゃんとマールが一緒にいる時だったから。優しいのが寂しい。途方のない孤独だ。まぁ、全部前前世の話だけど。

 レースが掛けられた大きな出窓から淡い陽光が差し込む穏やかな昼下がり。

 今わたしは悲しいことなど何もない。パパの傍で両手を上げて呼び掛ければ、二秒後には宙に浮いている。とても簡単にできることだ。


「サラちゃん、ケーキ沢山食べたか?」


 グランフォール公爵に尋ねられて、素直に首を横に振ると豪快に笑われた。それで漸くお茶とケーキにありつくことができた。グランフォール家にもグラン家にも男児しかいないせいか、わたしに注目が集まって、微妙にやりにくい。


「やっぱり女の子はいいなぁ」


 グランフォール公爵が何度も言うのが意外すぎた。グラン王家とグランフォール公爵家は親戚なので今更改めて交流を深める必要がない。きっと賑やかしに子供でも呼ぼうという流れになったんじゃないかと思えた。多分、マールが一人で来ても可愛さの欠片もないから、わたしが一緒に連行された。わたしも天真爛漫なタイプではないので、正直困る。食べているところを見られてもひたすらに気まずい。誰か何か喋ってくれないかな、とまごまごしている中、マールがお茶会開催について口にした。そこからは、あれよあれよと話は進んだ。

 わたしは、メリアナ達三人とエリィにシーラ、それからエリィ達と仲の良さそうな子を二人くらい呼ぶつもりだったのに、どうもそんな簡素なものでは駄目らしい。子供のお茶会と言ってもヒュー家の看板を背負っている。つまり、家名に関わる問題だ。公爵家の令嬢が初めて催す茶会がしょぼいものであってはならないし、ましてそれが王太子の婚約者ともなれば言わずもがな。パパと両陛下の間では既にそんな話題がでていて、マールの今回の提案は急に思いついたものではなかったのだ。嵌められた感は否めないが、どの道逃げられなかった。面倒だけど腹を決めた。

 しかし、それから一月。

 拍子抜けするほど暇だった。「主催しろ」と言うから、招待客のリストアップ、招待状の送付、席順の決定、茶葉や軽食のメニュー選び、退屈させない話題作り、果てはお土産の段取まで、自分で準備するのかと覚悟したのに、パーティープランナーに丸投げという、何とも金に物を言わせたやり方で準備は着々と進んだ。唯一揉めたのは、


「うちの娘の茶会だから、費用は全額うちが負担する」


 というパパと、


「いやいや、マールが言い出したことだから、うちで負担する」


 という両陛下との小競り合いくらいだ。それは結局、パパが勝った。良かったと思う。いつ婚約破棄するともわからないので、王家におんぶに抱っこ状態は避けたいし、わたしが我儘を言ってグラン家に散財させていると陰口を叩かれる可能性もある。第一わたしのお茶会なのだからパパが払うべきだし、マールが勝手に決めたからロイヤルガーデンが会場になったけど、そもそも人の屋敷でお茶会なんて変じゃないか。両陛下も簡単に許可していいのかよ。要はマールに甘いのだ。親バカなのはうちのパパも同じなのだけど。

 パパは、グランフォール公爵のお茶会から二日後、


「明日、マローナ商会のリカルドと言う人が来るから、何か希望があるなら彼に言いなさい」


 とわたしの頭を撫でて言った。お茶会を取り仕切るために雇った人らしい。マリアンヌ曰く、若い女性に一番人気のプランナーだとか。無知なわたしはパーティープランナーやらお茶会アドバイザーなる職業が存在することを初めて知った。

 翌日、約束の時間きっちりに見るからに真面目そうな男性が屋敷へやってきた。


「マローナ商会のリカルドといいます」


 家名を名乗らないということは平民なのだろう。中肉中背、歳は三十くらいか。清潔感のある濃紺の背広姿。糸目で右に泣き黒子があるのが特徴的。堅物そう。客商売に向かないのではないか、という印象だった。


「何かご希望はありますか?」

「人に馬鹿にされない感じにして欲しいです。舐められたくないので」


 わたしは何を言っているのか。変な回答をした自覚はあったけど、リカルドは変な反応を返さず「なるほど」と小さく頷いた。


「サラ様と同年代のご令嬢を招待すると聞いておりましたし、会場がロイヤルガーデンとのことで、自由に庭園を観覧できるよう、立食形式をご提案しようかと思っていたのですが、それならばちゃんと席を設けた方がよいかもしれませんね」


 薔薇の花の見頃な時期は二週間。王妃様が開催するお茶会は、毎年十月の最後の土曜日なので、わたしのお茶会はその翌週に決定した。一月で準備をするのは、厳しいのか余裕があるのかわからなかった。十六歳まで生きた前前世の記憶があるのに、わたしは何も知らない。お茶会なんてしなかった。やりたくなかったから別にいい。今だって好き好んでやるわけじゃないけど。


「……招待客は五人は決まっていますけど、他に誰を呼べばいいのか、よくわからなくて困っています」

「そうですか。ではまずその五名の方のお名前を教えて頂けますか?」


 淡々と会話が進む。嫌な感じはない。不思議に話し易い人だ。自分の感情は挟まず、こっちの色に染まってくれる感じ。角張ったスポンジみたいに、硬く見えて柔らかい。第一印象とは随分異なる。おまけに、かなり優秀。プランナーとして積み重ねた実績と情報網から、すぐさま同年代の令嬢のリストを持参してくれた。

 公式の茶会は伯爵以上の爵位が必要だけど、個人主催ならば制限はない。誰を何処まで呼ぶべきか。

 縛りがなさすぎて悩むわたしに、リカルドは、自分のお茶会デビューの日の来客を招待してはどうかとアドバイスもくれた。胸糞悪い記憶しかないけど、一応一通りの挨拶はしたので、無作為に選ぶより理に適っている気がする。二十人くらいいた。でも、それだとメリアナが一人だけ子爵家になってしまう。気を使うかもしれない。子爵、男爵家の子達にも来てもらいたい。


「じゃあ、あの時のお茶会の出席者で、現在王都で暮らしている人は皆招待したいです。調べられますか?」

「はい。可能です」

「後、子爵家と男爵家の子も呼びたいのですが、招待する子達と仲の良い子がいいです。それも調べられますか?」

「仲の良い子ですか?」

「はい、一人だけ浮いた状態になる人がいないようにしたいので」


 来賓がぼっちにならないように配慮して話題を提供するのが主催者の務めだろうがよ、と思わなくない。しかし、リスクヘッジできることはしておくべき。なんなら「好きな人一人連れてきてもいいよ」と招待状に書きたいくらいだ。それはそれで、相手が困るだろうからやらないが。


「自分に人を楽しませるスキルがないので」


 言い訳を加えるとリカルドは少しだけ笑った。笑うんだな、と言う失礼な感想とどういう意味の笑いなのか気にかかった。

 当日は、エリィとシーラとその友達が何をしてくるかもわからない。そっちにわちゃくちゃになって、関係ない子を放置してしまうかもしれない。それがなくとも二十人を超える集まりで全員と常に話をするのは無理だ。色々不安だし面倒くさい。お茶とお菓子と綺麗な薔薇を提供するから、ぶっちゃけ、あとは友達同士好きにやって欲しい。でも、きっとそれでは将来の王妃としてはダメだ。ダメダメだ。迂闊なことを言ったかもしれない。

 リカルドの顔を見る。

 笑ったのは一瞬で、また元の真面目な表情でリストに目を落としている。プロ意識が高そうなので客との会話を他所で暴露はしなさそう。多分。……知らんけど。


「わかりました。では、個人的な集まりによく同席している繋がりを調べます。そこから招待客を絞りましょうか」


 わたしの不安を他所にリカルドは迅速な働きをしてくれた。打ち合わせから五日後、要望通りの新たなリストが届けられた。八歳から十歳までの令嬢総勢四十二名。


「お茶会には何人呼んでいいの?」


 貰ったリストをパパに見せると、


「皆に来て貰えばいいじゃないか」


 と当たり前に返ってきた。予想通りの答えだ。中途半端な人数より、大人数の方が意識が分散されていいように思える。木を隠すなら森の中的なやつ。何を隠すのかと言われたら困るが。


「じゃあ、そうする」


 すぐにリカルドに伝えて招待状の作成を依頼した。わたしはうんうん頷くだけで、リカルドががんがん準備を進めてくれる。一から十までレールを敷いて豪華列車を走らせてくれる。わたしはふかふかのソファ座席に座るのみ。流石にあまりに他力本願すぎるのではないかと不安になってくる。人を招待するのに、おもてなしの心に欠ける気がする。なので、せめてもの歓迎の印に折り鶴を折ることにした。一羽ずつ席に飾るのはどうだろうか。画用紙で作った見本を見せて、リカルドに相談すると、


「面白いですね。レースペーパーで作るともっと人目を引くと思います」


 とレース柄の切り絵が入った紙を用意してくれた。折りにくい分、かなり見栄えがする仕上がりになった。自己満足でにやにやしてしまう。


「リカルドさんのお陰で可愛くなりました」

「いえ。きっと皆様、喜ばれますよ」


 透け感のある鶴を手にして、リカルドが真面目な表情で告げた。ヘラヘラ調子良く笑ったりしない代わりに、余計な手間を取らせたのに嫌な顔をすることもない。こういう人を誠実と言うのではないか。朗らかなタイプではないから客商売に向かないというのは、わたしの浅はかな考えだった。前前世の記憶のせいか、元来の性格か、わたしはあまり人が好きではないのかもしれない。大体、否定から入ってしまう。自分を守らなければならないから慎重になる。特にそれを悪いとは思わないけれど。

 招待状の返事は続々と届き、見切り発射で折り始めた鶴の数は最終的に全員参加の四十二羽となった。念の為、三羽余分に折ったのは、疑い深いのと同様、変えられない心配性な自分の性分だ。

 参加者一覧を改めて眺める。

 エリィとシーラ、件のお茶会でわたしを取り囲んだ三流悪役のフランソワーズ達が名を連ねている。王宮で行うから断れないのだろう。わたしの屋敷で開催するなら不参加の返事をしてきた子達もいるはず。それが凶と出るか吉と出るか。虐められ待ちをしているので、ちょっと期待してしまうのと、何か問題が起きたら嫌だな、という感情が日毎に巡った。一層早く終わらせたい。楽しみではないけど待ち遠しい。ぐるぐる思考が回る日々は過ぎて行った。



「わたし、時々、小学校の頃に戻って無双する妄想するのよね」

「唐突に何」

「お姉ちゃんはないの? だって、うちらの親って自分より他人を優先しろ、我慢しろ我慢しろって、そればっかりだったじゃない。小さい頃、めっちゃ損して生きてきたと思うんだよね。というか大人の言うことは正しいんだって思いすぎてたわ。先生の言うこととかもさ、絶対守らなきゃ! みたいな。先生なんて別に普通に公務員だし、尊敬できる先生もいるけどクズな先生もいるわけじゃん。あの担任、自分の機嫌で怒っていたな、とか今考えると色々思うわけ。そんで、真面目に言うこと聞いてたら、言いつけ守らない自己中な子ばっかり得するし。だから、先生にでもなんでも理不尽なことは言えって教えといて欲しかった。思い返すと頭にくるんだよね。わたしだってもっと自分勝手にすればよかったよ。あー、やり直したい」

「ふーん」

「何よ。気のない返事しちゃって」

「まぁ、他人事だとなんとでも言えるから」

「いや、自分の話だし」

「小学校の時のあんたはそんなこと言わなかったわよ。だから、もう他人事なのよ」

「いや、だから、子供の頃は何もわかっていなかったの。大人の言うことは守らなきゃって思いこんでたの」

「そうかな? 親や先生のいうことを聞く子と聞かない子がいたってことは、あんたも同じように選べたはずでしょ。つまり、そこにあんたの意志はあったのよ」

「普通聞くでしょ。人の嫌がることをしたら駄目だって思うでしょ。悪いって思うでしょ。むしろ、平然と人を蔑ろにしていた連中の神経が謎」

「じゃあ、多分、あんたがムカついている子達は、悪いと思ってなかったんじゃないの? 自分のことしか考えてなかっただけで」

「余計質悪くない?」

「子供だからね」

「わたしも子供だったんだけど」

「でも、あんたは、それを悪いと思っていたんでしょ? だから『こんなことしたら相手に悪いな』と思いつつあんたがやるのと、その子達が何も考えずにするのとは全然違うんだよ」

「何それ。結局わたしばっかり損じゃん」

「まぁ、損得で言えば損かもしれないけど、それは仕方ないんじゃない?」

「何が仕方ないのよ」

「だって、」







「サラ様?」

「え?」

「二度寝なんて珍しいですね。昨日は早めにお休みになられましたのに」


 うっそりと目を開けるとマリアンヌの窺うような瞳と視線が重なる。


「……うとうとしてたら、また寝てたみたい。夢見てた。さっきまで覚えていたのに、何だったかな。お姉ちゃんがどうのって……マリアンヌかな?」

「わたしですか? どんな夢ですか? 気になりますね」


 マリアンヌが柔らかく笑う。


「さて、今日は忙しい日になりますね。素敵なお茶会になると良いですね」


 あぁ、と途端に世界の色が濃くなった。


「……うん」


 揉め事大歓迎なんだけど、とは言えまい。

 お茶会は午後二時から四時まで。ドレスコードはカジュアルな物としているし、化粧をするわけでもないので、用意は簡単に整う。まだ朝七時過ぎだ。急ぐ必要はない。いつも通り顔を洗い、部屋着でダイニングへ下りると、パパが既に席に着いていた。相変わらず多忙で夜は遅いけど、朝食は一緒に食べることが多くなった。といってもパパはコーヒーを飲みながら新聞を読むだけだ。


「おはようございます」

「あぁ、おはよう」


 挨拶を交わしパパの向かいに座る。着席と同時に配膳されてくる朝食は、ハムエッグとロールパンにヨーグルトのフルーツ和え。黄身を崩して、パンに挟んで頬張る。その間、無言なことはいつものルーティン。でも、別にいいと思っている。だって、パパってそういう人で、わたしはこういう子供だ。ママがいたら会話が飛び交っていたかもしれないが、いないので静か。それだけのこと。

 

「晴れてよかったな」

「うん」

「準備は大丈夫か」


 しかし、ここ最近は沈黙ではなく、同じ話題が繰り返されている。お茶会のことを随分気に掛けてくれている。


「今日は早めに王宮に行って最後の打ち合わせなの。お茶会の間もずっとリカルドさんがいてくれるから大丈夫」


 お茶のサーブをする手足れのスタッフも揃えてくれているし、お茶会自体については何も心配はしていない。聞かれるので事細かに一応の説明はする。


「そうか。それなら安心だな」


 それに対してパパは満足そうに返す。でも、裏でリカルドに逐一状況を報告させていることも、わたしは密かに知っている。完璧主義者なので色々気になるらしい。


「パパは今日はお屋敷にいるの? 一日お休みなんでしょ?」

「あぁ、何かあれば知らせを寄越しなさい」


 パパは最近、土日は自宅の執務室で仕事をすることが増えた。といっても、会食やら何やからで出掛ける日の方が多いのだが。宰相としての公務と領地の運営もあるから仕事が尽きることはない。それでも、土日のうちどちらかはわたしと一緒に夕食を取るようになったので、本人的には休んでいる部類なんだろう。しかし、今日に限っては一日完全オフ宣言を、三日ほど前から何度も伝えてくる。わたしのお茶会の為であることは否応なくわかるが、パパは来ないのであまり意味はない。個人的には、そんなに気に掛かるなら堂々と見に来てくれて構わないのだが「初めて自分で催すお茶会」という体裁があるから仕方ない。独り立ちの証だから親は参加しないものだ、とリカルドから教えてもらった。プランナーに丸投げした結果でも「サラ様が全部一人で準備した」という認識になるらしい。虎の威を借る狐甚だしいが、そういうものなので甘んじるけど。


「うん。パパ、お茶会開いてくれて有難う」

「楽しんできなさい」


 色々込み込みで、もちろん、そのつもりだ。




 一時に登城すると、既にリカルドがほぼ準備を済ませてくれていた。誰彼構わず宮中に入ることはできない為、事前にスタッフは許可を申請済み。抜かりなし。他には宮内を熟知した宮廷侍女も数名手伝いに来てくれている。

 エメラルド宮の中庭にあるのがロイヤルガーデンと呼称される薔薇園だ。春には赤、黄、白、と様々な色の薔薇が咲き乱れているが、秋には赤一色となる。グラン・ローズと言う王家の家名が付いた特別な品種の薔薇が咲く。禍々しいまでの深紅の花弁で、王家の瞳の色を表している。この庭園でのみ栽培される希少品種だ。メリアナは、植物園に勤める母親の影響で花好きだから、グラン・ローズが見れることを物凄く喜んでいる。


「リカルドさん、いろいろ有難うございます」

「とんでもございません。最後までしっかりサポートさせて頂きますので、本日は宜しくお願いします」


 心強い、の一言に尽きる。でも、最終確認の打ち合わせに入ると急に現実味が湧いて緊張してきた。

 八人掛けのテーブルを六つ用意してもらっている。テーブルには七人ずつ座ってもらう。空いた八つ目の席をわたしが使って、六テーブルを順番に一時間くらいかけて周る予定だ。それが済んだら庭園を自由散策するフリータイムを取る。良いプランだと思う。席は、リカルド調べによる仲良しグループで分けたけど、シーラとエリィが違うテーブルに配置されたのは意外だった。

 準備万端であるため、打合せはすぐに終了した。手持ち無沙汰で暇を持て余してしまう。じっとしていても緊張感が募るので薔薇園を探索するこてにした。

 お茶席を設けてある中庭から、アーチ型の鉄柵に薔薇を伝わせた薔薇トンネル潜って進んでいくとグラン・ローズの花壇がある。柔らかな花弁の真紅の薔薇が堂々と咲き誇る様は圧巻だ。

 観覧用に用意されたベンチに腰を掛ける。ぼんやりと静かな時間。草木が時折風に揺れる音が聞こえるのみ。郷愁というのだろうか。別に田舎育ちでもないくせに、人気のない緑の中に一人ぽつねんといると、途方もないくらい何処に帰りたい気持ちになる。


「サラ」


 結構な時間ぼうっとしていると、突如聞き慣れた声が背後から掛かった。自分の屋敷なのだから居ておかしくないし、挨拶に顔を出すとは聞いていたから不思議はない。立ち上がって挨拶する前に、マールは黙って隣に腰を下ろした。


「晴れて良かったな」

「パパも全く同じこと言ってた」

「そうか」

「わたしの日頃の行いがいいから」

「そうか」


 冗談の通じない相手だった。

 二人で同じ方向を見ている。しっくりくるのが変な感じ。前世の記憶が戻る前は、こうやってよく二人で日向ぼっこをしていた。遠い昔のことのようだけど半年前の話だ。


「王と王妃が残念がっていたぞ」


 両陛下からは、一週間前の王妃様主催のお茶会に呼ばれた時、本日は視察の為に不在なことを聞いている。パパ以上に多忙を極める両陛下だ。年間スケジュールと言うものがあるし、一月前に突如決まったわたしのお茶会に来てくれるとは思っていなかった。でも、宮殿で開くのに王家の人間が誰も挨拶してくれないと、非常に変な構図になる。発起人のマールが出席することになったのは、当然だと思う反面、感謝する気持ちもある。ただ、途中にちょろっと顔を出してくれればいい。こんな時間に何をしに来たのか。


「薔薇園を開放して頂き有難うございます。両陛下には後日改めて御礼に伺います」


 一応の御礼は言っておく。前を向いているけど、隣でマールが笑うのが分かった。


「何がおかしいの?」

「お前が、立派なことを言うようになったからだ」

「親戚のおじさんみたい」

「この間まで、その辺でころころ寝ていたのにな」

「その辺でなんか寝てない」

「寝ていただろう。昼寝しろと言うのに『眠くない。遊ぶんだ、隠れんぼするから、隠れろ、隠れろ』と駄々をこねるから隠れてやったら、捜しに来ないで芝生の上で寝ていた。途中で睡魔に負けたんだろうが、ひどい話だ」

「覚えてない」

「部屋までおぶってやった」


 そんなことは、あったかもしれない。五歳くらいまでは、昼寝の時間が存在して、わたしは王宮の一室でぐうぐう寝ていた。どんな神経をしているのか。でも、それが普通と思っていた。「いい子は昼寝しなきゃダメだ」と教えられていたから。

 チラッと視線だけ横に向ける。真横にいるので顔は見えない。

 王宮には、そこここに優しい思い出が転がっている。ママがいなくなって、パパと話せなくなっても、わたしが平気だっだ理由。マールが遊んでくれるから、それでよかったんだ。ずっとそれで。


「迷惑掛けてすみません」

「……お前は、一体何に怒っているんだ?」

「何が?」

「ずっと不機嫌にしているじゃないか」


 胸に手を当てよく考えてみろよ。お前がわたしの悪口を言っているのを聞いたんだ、と言い掛けて止めた。


「……別に、ただムカつくの」

「ムカつく?」


 あんなこと聞きに行かなきゃ良かった。そしたら、わたしは今も普通に笑っていたんじゃないか。いや、早めにわかって良かった。これから起こる出来事に心を掻き乱されずに済む。傷つけられたりしない。でも、わたしはまだ諦めきれずにいるんだ。わたしは夢見ているんだ。サラちゃんは可哀想だったけど、わたしは違うんじゃないか。あっちとこっちは違うのじゃないかって。だって、わたしはパパと上手く話せるようになったし、友達もできた。前とは違う。だけど、そう思ったらそう思ったでまた迷う。わたしとサラちゃんの間でゆらゆら揺れ動く何か。よくわからない。「わたしはわたしなんだ」と思うほど、サラちゃんを裏切った気持ちになるし、「サラちゃんの代わりに復讐してやろう」と決意しても、わたしが歯止めを掛ける。前前世と同じ道を辿ればわたしとサラちゃんは淘汰され、気持ちの齟齬がなくなって、わたしのイライラは解消されるのかもしれない。あの不遇な人生を繰り返すならばきっと。マールが屑だって、わたしを助けてくれる王子様じゃないって、わかればきっと。それでも、まだ希望が捨てきれない。前前世と今は本当に同じかどうか。けれど、でも、やっぱり、だけど、ぐるぐるぐるぐるループする。


「ムカつくは、ムカつくよ。それより今日は、わたしのお茶会デビューの日に挨拶した子達を招待したの」

「……らしいな」

「わたしが婚約者にならなければ自分がなったのにって脅かされた子達も来る」

「脅かされた……? そんな話は聞いていないぞ」

「言ってないから」

「何故言わないんだ。誰にやられた?」


 マールの声が重くなった。「お前も同じことを言っいたんだけどな」という苛立ちと「そこは怒るのだな」という奇妙な感覚がごちゃ混ぜに沸いた。


「言ったらどうなるの?」

「然るべき処置をとる」

「王妃教育を休んでいるから婚約者を下されるって噂が流れてることと、その噂の元凶がエリィ様だってことは言った。でも、何もしてくれなかったじゃない」

「だから、茶会を開いたんだろう。これで誰もそんなつまらん噂をしなくなる」

「そんなことない。事実と違っても噂なんてできる。今日だって、わたしが無理やりマール様に我儘言ってロイヤルガーデンでお茶会を開かせたって言おうと思えば言える。そんなことよりもっと直接的な方法でがつんと言って欲しかった。勝手な噂を流すなって、エリィ様とシーラ様に注意してくれたら良かったじゃない!」

 

 立ち上がり正面に回って睨みつけてもマールは座ったまま微動だにしない。


「勝手な噂を流す人間に、勝手な噂を流すな、と言って聞くのか?」

「さぁ、そんなこと知らないよ。だけど、わたしの気は晴れた。ざまぁみろ! ってすっきりできた!」

「……オレがあの場で注意していたら、余計な恨みがお前に向かったぞ」


 確かにそれは真理をついているかもしれない。マールがわたしを庇うほどわたしが憎まれる。自分が好きな人間が嫌いな人間を庇えば、嫌いな人間に恨みが向かう。マールが無茶苦茶な注意をするなら怒りの矛先はマールに行くかもしれないが、自分の後ろ暗いことを咎められたら、荒唐無稽な逆恨みがわたしに向かってくるのだ。告げ口なんかして卑怯だ、とか。でも、それが何? 


「別にいいよ。何かされたらやり返すから」


 答えるとマールはちょっと目を見開いた。


「喧嘩になるだろ」

「売ってきたのは向こうなんだから言い値で買う」

「……お前はいつからそんなめちゃくちゃを言うようになった」


 マールがまじまじと見てくる。わたしは何かおかしなことを言っているか。正論だろう。


「わたしは自分から喧嘩を売ったわけじゃない。ただ、やられたからやり返すだけ。それがそんなに無茶苦茶なこと? 勝手な噂を流す屑に反論もしちゃダメなの? わたしはね、何もされてないのに怒っているわけじゃない。最初にわたしを不快にさせたのは相手なの。だから、やられたらやり返すし、それでまたやられたら、またやり返す。わたしで終わるまで延々にやり返す。そうじゃなきゃ、わたしが損をする」

「損得の問題じゃない。さっき誉めたばかりなのに、まるで分別のない三歳児に逆戻りだな」

「違う。これは最近知り合った大人の人が教えてくれたことだもの」

「大人?」


 言うとマールは怪訝に眉を顰めた。


「そうよ。ずっと年上の女の人。その人が教えてくれた。自分は子供の頃、人の為に我慢して、嫌なことも笑って引き受けていたけれど、我慢のし損だったんだって。うんうん頷いていたら舐められて、どんどん蔑ろにされただけだったって。馬鹿は黙っていると調子に乗ってのさばるの! だから、自分のやられて嫌なことは、やり返さなきゃ駄目だって! 理不尽を黙って見過ごしたら駄目だって!」

「それは誰だ? そんな人間とは関わるな」

「なんで? わたしが都合よくへらへらしなくなったから? 勝手なこと言わないでよ。あの人はいい人よ。わたしの味方なの!」

「何がどういいんだ?」

「わたしが悔しい思いをしないように、本当のことを教えてくれた。大人達は理想論を押しつけてくるけど、世界はそんな風にはできてないし、いい子をしていたら損をするし、やられたらやり返さなきゃ、ずっと後悔するってことも全部!」


 マールは座っているから、こっちを見上げる角度で、犯人を咎めるみたいな険しい表情でわたしを見ている。何処か馬鹿にしたようでもある。負けずに冷たく見下ろしてやる。


「そいつはやらなかったんだろう。それが答えじゃないか。自分はやらなかったくせに、お前にはやらせるのか。おかしいだろう。大体、お前みたいな八歳の子供に、そんなことを嗾ける大人がまともとは思えん」 

「おかしくない! 知らなかったからできなかったの! それに、やれなんて言われてない!」


 百合子を悪く言うな。まともな大人ってなんだ。我慢したら「耐えたこと」を褒めてくれる大人か。いい子に育ってほしいから、親は我慢しろって言う。協調性を養わせる為に、先生は人を優先しろっていう。それは正しい。でも、わたしには言うな。わたしは元々他人を蔑ろにしない。する人間を徹底的に教育しろよ。扱いやすい方に忍耐を強いるな。皺寄せをこっちに突きつけてくるな。舐めた態度を取られたことがない無敵のマール様にはわからない。こいつにはやっていい、と思われる屈辱。わたしはもう二度とごめんだ。


「これはわたしの意志だから。自分で考えて自分でそうしようと思ったの。やられたらやり返してやるって! 今日だって、そのつもりで嫌がらせをしてきた子達を呼んだ。わたしのこと甘くみているから何か仕掛けてくるよ。すっごい楽しみ! きっちり報復してやる。もうマール様には頼らない。自分でやる。もし、邪魔したら許さない。絶対に許さない。一生呪ってやる。これはわたしのお茶会なんだから!」

「……本気で言っているのか?」


 憐れむような眼差しにイラっとくる。なんで? わたしは何も悪くないし、間違ってない。


「言っておくけど、わたしが何かする時は、向こうが先に手を出した時だから。勘違いしないで」

「……そうか。なら好きにしろ。そろそろ時間だ。中庭へ戻るぞ」


 マールは小さく言うと立ち上がった。わたしは反射的に一歩下がったけど、マールは黙ったまま薔薇のトンネルをスタスタ潜って行った。わたしの方は見なかった。

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