第28話 リベンジマッチ3

「ハロルド様の恋の応援ですか?」


 シーラが眉を寄せる。


「はい。お兄様にはずっと好きな人がいますが、なかなか思いを伝えられずにいるので、応援してあげるのです」

「オリビア、そんな話はいいから」


 ハロルドが必死にオリビアを嗜めながら、ほんの一瞬アウローラを見た。あ、と思った。あぁ、本当にアウローラが好きなんだな、と。アウローラはぎこちなく笑っている。多分、目が合ったのだろう。柔らかく輪郭のない甘い何かが香る。学年一のイケメンと控えめな幼馴染の女の子か。出来すぎたシチュエーションだ。ニヤつく。そんな呑気な状況ではないのだけれども。


「どうしてですか? お兄様、今日はデビュタントのダンスの申し込みをするのだと仰っていたではないですか。もうお願いしたのですよね?」

「オリビア、それは後で言うから……」

「ダンスならお姉様が得意です! うちのお姉様をパートナーにされたらいいと思います!」


 シーラが勢いよく言った。ハロルドの恋路を応援して欲しいと頼まれている最中なのに、まるで無視。メンタルが凄い。


「いえ、お兄様が好きなのはキャスリーン様ではありませんから」


 オリビアが冷静に答える。怖いもの見たさでハロルドを凝視してしまう。あたふたして目が泳いでいる。まともな反応だとは思う。キャスリーンが無言で微笑んでいることの方が不気味だ。予期せぬ方向へ話が流れてついていけない。わたしに攻撃するのではなかったか。好きでもない人間に振られたみたいな微妙な気分になる。


「それはハロルド様に直接聞かないとわからないのではないですか? ハロルド様、お姉様をダンスのパートナーにしてください!」

「では、お兄様はっきり断ってください」

「どうしてそんな酷いことを言うのですか!」


 シーラが本性を表したのか、無茶苦茶言うので渾沌とした気持ちになった。わたしは前世の記憶持ちで八歳らしくないかもしれないが、仮に記憶が戻らなくても、こんな横暴な主張はできなかったと思う。何と言うかステージが違う。


「何がどう酷いのですか? 説明してください」


 ヒートアップするシーラとは裏腹にオリビアは段々冷えていくようだ。オリビアが意外にズバッと言うので、新たな一面に驚いた。さっきわたしが庇って発言する必要はなかったのかもしれない。格好悪くなってきた。


「お兄様には好きな人がいると申し上げました。なのに無理やり好きでもないキャスリーン様と踊らせようとする方が酷いです」


 ぐうの音もでない正論。わたしもこんな風にやりたかった。シーラは感情の波がピークになってきたのか、顔が赤いし、かなり興奮している。ヒステリックに叫びだす寸前に見える。これは完全に勝利だ。やった! と思った直後、


「オリビア、言い過ぎだ」


 さっきまでしどろもどろしていたハロルドが、強い口調で言った。え? というのと、なんで? と言うのが同時に来て混乱する。柔らかな笑顔を崩さなかったハロルドの険しい顔に、オリビアは何か言いかけて黙った。唇をきゅっと結ぶ動作に、胸がざわついた。言い争いは良くないから注意したなら納得する。でも、だったらオリビアだけを叱るのはおかしい。


「シーラ嬢。すまない。妹が失礼な事を言いました」


 信じられない光景が目の前で展開する。オリビアが悪いの? ハロルドの為に言ったのじゃないか。これじゃ、どこぞの王太子と同じだ。隣でオリビアがぐっと押し黙るのが、喉の動きでわかった。頭の奥がキリキリするくらい不愉快。


「いえ、シーラが無理を言ったせいですから」

「だって、ハロルド様とお姉様ならお似合いです! ハロルド様もお姉様はキレイだと思うでしょう?」

「そうですね。キャスリーン嬢は美しいと思いますよ」


 オリビアは俯いたままだ。ハロルドに叱られた事がショックなのかもしれない。怒られたことより味方をしてくれなかったことが。それなのに、なんで楽しそうに会話が進んでいくのか。怒りを通り越して虚くなる。お風呂に入ろうと浴室に入ったら、バスタブが空だったみたいな虚無感。ある種の笑いが込み上げてくるほど。気力が一挙に奪われていく。仮にハロルドが「身内だから」とオリビアだけを叱るなら、キャスリーンもシーラを嗜めるべきじゃないのか。二人を怒るか、二人共叱らないか。統一して欲しい、統一すべきだ。そうでなければ不公平だ。


「じゃあ、お姉様をお誘いしてください」

「シーラ嬢、申し訳ありませんが、僕は」

「ハロルド様、いいんです。ハロルド様が望む方をお誘いください」


 キャスリーンがハロルドの言葉を制して微笑んだ。振られる前に断るとは巧妙だ。


「でも……もしその方が他の男性と参加されるなら、わたしのパートナーになって頂けませんか?」


 キャスリーンが躊躇いがちに続けた。縋るようなか細い雰囲気を漂わせてはいるが、実際に言っている内容は図太い。視線の流し方や仕草が演出されているし、自分の美貌に自信があるのがわかる。ハロルドが二度も断づらいことを見越している感もある。強かだと思う。でも、ハロルドがアウローラに振られることはない。さっきのアウローラの様子から見てありえない。キャスリーンは、ハロルドの相手が誰かなんてとっくに気づいているはずだ。無意味に縋って何になるのか。答えを考えるとぞっとした。


「断られないので大丈夫ですよ。ハロルド様、自信を持ってください! わたし達はハロルド様を応援する会ですから! でも確かに他の人に横取りされたら困りますから、今すぐ告白した方がいいのではないでしょうか!」


 慌てて叫んだ。だって、キャスリーンはアウローラを脅して断らせるつもりだ。伯爵家のアウローラに侯爵家のキャスリーンが「お願い」して、アウローラがどう答えるかなんてわかりきっている。


「サラ嬢……応援してくれるのは有難いのですが、今すぐと言うのは」


 ハロルドの顔が紅潮する。照れている場合じゃないのに。形容し難いもどかしさで悶絶する。何が起こるか予測できないわけじゃないだろうアウローラは無言で話を聞いている。何の証拠も確証もないし憶測だけで疑いを口にできない。幾ら内心で思うことがあっても。だと言うのに、


「でも、もし断られたらお姉様と参加してくださるのですよね? 約束してください!」


 何故、ここでシーラだけ好きに発言するのか。侯爵家だから? 子供だから? だったらわたしだって八歳で公爵家なのに。唇を強く結んで俯いているオリビアが視界の端に映る。段々ごちゃごちゃ思慮するのが馬鹿らしくなってきた。考えない相手に考えて返していたら負けるに決まっている。シーラがしつこく食い下がっても誰にも咎められないのに、オリビアの主張だけ我慢させられるのが意味不明。喧嘩が良くないなら、シーラにも注意して欲しい。皆に平等にルールを課して欲しい。いい加減にしろ。冗談じゃない。


「そんな約束したら、ハロルド様の好きな人を脅して無理やり断らせる可能性がありますよ?」


 ぶちっと何かが切れたのだ。ありのまま思った通り口にする。もう、これでいい。


「お姉様がそんなことするわけない! 失礼です!」


 瞬時にシーラが噛み付いてきた。するわけない、って何だよ。口の聞き方に気をつけろ。気を遣っていたことが、本当に馬鹿馬鹿しい。


「だって、振られたら振られたらって、とっても変ですよ?」


 キャスリーンの顔色がさっと変わる。一瞬だけど鋭利に睨まれた。元々敵意はあったけど、今の目つきは本気だ。つまり図星だった。怖いな、と思う。とても怖い。わたしだけではなく、同じ学園に毎日通うアウローラが大丈夫か心配になる。爵位も学園カーストも、恐らく何もかもアウローラの方が弱い。余計なことをしてしまったかもしれない。


「ハロルド様は学年一格好良いのだと聞きました。もしかしたらダンスのパートナーは妬まれて嫌がらせを受けるかもしれません。守ってくださいね。絶対に守ってください。大丈夫と言われても疑ってください。我慢する人ほど、より一層酷い目に遭うのです。逐一全部聞き出して、その都度全部解決してください。どんな些細な変化も見逃さないで、助けてあげてください」


 ハロルドの目を食い入るように見つめる。息を呑むような表情が返る。もし、前前世でマールがサラちゃんを守ってくれたら状況は全く違った。嫌われていたから仕方ないが、好きならちゃんと守って欲しい。愚鈍なヒーローなんていらない。


「サラ様、それはいくら何でも失礼すぎるのではないですか?」

 

 ハロルドが答える前に、腹に据えかねたらしく、とうとうキャスリーン自ら口を開いた。確かに、そんなことは「まだ」やっていない。


「すみません。思ったことをすぐに口に出してしまう性格なんです。でも、悪気はないんです。それに今のはキャスリーン様のことを言ったわけではなくて、一般論と言うか、わたしが読んでいる本の中に出てきた話ですよ? 下町で生まれた女の子が王子様に見染められてダンスパートナーに選ばれるのですが、意地悪な令嬢達に虐められてドレスを破られて舞踏会に行けなくなってしまうのです。酷い話でしょう」


 びっくりするくらいスラスラ言葉が出てくる。キャスリーンが反論できずにいるので、すこぶる気分がいい。気負っていた何かが消失して吹っ切れた感覚。行き止まりの迷路をぶち破って外に出たみたいな爽快さ。言いたいことを言うのってこんなに簡単なことだったのか。何に躊躇ってさ迷っていたのか。迷路の外はこんなにも開放的なのに。


「……サラ嬢、わかりました。その物語のような目には遭わせません。キャスリーン嬢、申し訳ないが、断られても僕は彼女以外とは参加するつもりはないので」


 ハロルドが落ち着いた声音で言った。わたしの気持ちが通じたのか、他に思うところがあったのか。


「……そうですか。残念ですわ」

 

 キャスリーンが辛うじて笑顔で返した。化けの皮が剥がれるかと思ったけど流石だ。シーラは明らかにずっと睨んできている。よくやるよ、と思う。言いたいことがあるならさっきまでと同じように言えばいい。出来ないのはもう勝てないと思ったからだろう。自分で認めているのだから、お門違いな逆恨みをされても困る。アウローラの身の安全は確保できたし、二人は上手くいくのではないか。とてもめでたい。オリビアも気が晴れた顔をしている。ハロルドとオリビアの間のことは、わたしが口出しできないから、この話はこれで終わりだ。後は、キャスリーンとシーナが居座らずに席を立ってくれれば万々歳。


「こんなところに居たのか、捜したぞ」


 不意に突然の聞き慣れた声。

 瞬間、皆が一斉に立ち上がるので、釣られて椅子を引き振り向く。案の定のマールとその隣にはエリィの姿が視界に入った。二人で登場することに激しい不快感が湧く。

 何だろう。この二人が並んでいるのはわたしの精神衛生上よくない。不要な物でも他人にやりたくない感覚に似ている。サラちゃんの死後、二人が結婚したかもしれないと想像すると吐き気がする。蠢く感情が体内に這いずり回って気持ち悪い。わたしは何処か歪んでいるのか、自分の幸せは二の次でいいから、邪魔する為だけに婚約解消をしたくない、と強く思ってしまう。身体が熱くなる。

 そんな爛れて燃えるわたしの内心に反して、水面に波紋一つないような静けさが漂う。誰一人、口を開かない。シーラならエリィに声を掛けそうなものだが、それもない。この面子ならば、わたしが最初に挨拶しなければならないからだ。つまり、初対面でシーラが横から話し掛けてきたのは不敬と知っていてのことだった。やっぱり抗議してやれば良かった。あっちにもこっちにも怒りの火種が多すぎる。


「マール様、ご機嫌よう」

「……あぁ。さっきヒュー公爵に挨拶したが、サロンにいると聞いて来た」

「わたしはグランフォール公爵様からマール様がサロンにいると聞いて来たのですが、入れ違いですね」

「そうか。お前に会いたがっていたのでエリィ嬢も連れてきてやったぞ」


 捜していたアピール。エリィを連れている言い訳付き。マールは外面は良いので、自分の非になる状態は作らない。わたしはエリィを連れてきて欲しいなど思っていないし、今後も思うことなんてないのに、何故かわたしが喜ぶ流れになっている。わたしとエリィが仲良く出来るとまだ妄想しているのか。気は確かかと真剣に疑う。キャスリーンとシーラの手前、今日はエリィに負けたくない。マールの態度次第というのが歯痒い。


「エリィ様、お久しぶりですね。わたしもお会いしたかったです」

「はい、またお会いできて嬉しいです」


 エリィの笑顔には屈託がない。シーラの隠しきれない敵意を思うと、ラスボス感があるし、貴族らしい。確かに王妃の器はあると思う。

 マールはハロルドとアウローラ、キャスリーンとは顔見知りらしく、儀礼的な挨拶をして、ハロルドがオリビアとシーラとペネロープを順番に紹介した。三人が緊張感した面持ちでカーテシーをする。


「こちらはクローウェル伯爵家のエリィ嬢だ」


 次いでマールがエリィの名前を告げた。


「初めまして。エリィ・クローウェルと申します。キャスリーン様とシーラ様は、この間のお茶会ぶりですね」


 エリィがにっこり告げる。


「スペンサー姉妹と知り合いだったのか?」

「はい! お茶会で何度か一緒になって、シーラ様とは同じ年なので仲良くしてもらっています」


 分かっていたことだが、予想通りの答え。エリィとシーラが目を合わせて笑い合う。自分の友達には感じがいい。男の人の前で媚を売る女は嫌われる、みたいな話があるが、実際にはそう言う女は自分の友達の前でも優しくていい子をやるので、友達の間の評判はいい。「あの子は明るくて凄くいい子なの!」というのは本当なのだ。ただし「誰に対しても」ではないだけ。


「そうか。では、サラとも同じ年だな。仲良くしてやってくれ」


 マールがぎょっとする言葉を吐く。ある意味パワハラではないだろうか。ここでシーラが「無理です」とか「嫌です」とか言えば、その肝の据わりようにこれからは敬意を持って接しようと思う。


「あ、はい。サラ様が嫌でなければ……」


 こっちに丸投げするとは卑怯だ。マールとエリィ以外、全員微妙な空気になっている。我が道を行く王太子には関係ないだろうが。


「オリビア嬢とペネロープ嬢には、随分世話になっていると聞く。礼を言う」


 恐縮するから止めろよ、という感情しかない。しかし、マールが柔らかに微笑むので、緊張していたオリビアとペネロープが恍惚とした表情になった。マールは真顔の時は威圧感があるが笑うとかなり優し気に見える。でも、二人が魅入ったのはマールの深い柘榴色の瞳のせいだ。王族の証。


「いえ、わたくし達の方がお世話になっています」

「はい、サラ様は物知りなので」


 両隣のオリビアとペネロープが答えてくれた。マールの前でわたしを褒めてくれた人間が前前世でいただろうか。わたしの友達だ。自分で作った友達。余計な世話を焼かれなくとも良いのだと堂々と主張できる。

 挨拶が済むと、八人掛けの円卓に座っていた為、給仕人が椅子を一脚運んできた。わたしとオリビアの間にマールとエリィが入る。一席増えても窮屈ではないが微妙な席順だ。それから、お茶のオーダーを取る給仕人に、マールを始め全員が新たに注文し直した。一杯目は殆ど口を付けないまま下げられてしまった。もったいない。手元にはケーキの盛られたお皿だけ残った。生ハムとメロンとチーズのカナッペとサーモンのオープンサンド、薔薇の形の焼き菓子とクッキー、メインにロールケーキ。アウローラが取り分けてくれたまま、こっちもまだ一口も食べていない。なんとなく、じっと見ていると、


「食べないのか?」


 マールが横から口を挟む。飲み物もないのに、むしゃむしゃケーキだけ食べないだろ。


「マール様こそ沢山あるので、自分で取って好きなだけ食べてください。ロールケーキが有名なお店だそうです」

「マール殿下はケーキはお嫌いなのではないですか?」


 エリィが知った風に横から言うのでイラッとくる。

 マールが甘い物をあまり食べないことは知っている。嫌がらせに言っただけだ。それに、


「嫌いなわけではないですよ」


 マールが好きではないのに何故か「嫌い」とは頑なに認めないことも知っている。昨日今日帰って来たエリィに負けるはずがない。


「……あぁ、嫌いと言うわけではない」

「そうなんですね。いつも召し上がらないので嫌いなのかな、と思っていました。では、今度わたしのお気に入りのお店のケーキをお土産に持って行きますね」


 本当は嫌いだから持って来ても食べませんよ、と言いたい。しかし、それより「いつも召し上がらない」って何だ。またもやナチュラルにマウントを取ってくるから油断できない。

 エリィが足繁く王宮に通うのは、別にマールに呼ばれているからではない。大叔母に会う為だ。少なくとも、前前世では最初はそういう名目で登城していた。

 デイビッド陛下はキャサリン妃しか娶らなかったが、先王には側妃が三人いる。その内の一人がエリィの祖母の妹にあたる。今も離宮で暮らしていて、エリィを実の孫のように可愛がっている。前前世ではエリィはそれを口実に、しょっちゅう登城してマールの元へ来ていたし、おまけに気づけば王妃教育にも参加していた。嫌だった。とても。あの時、拒絶していたらどうなっていたのだろう。黒くて深い溝が心を裂いて痛む。寂しいとか切ない部類の痛み。怒りの方がまだまし。今更サラちゃんのことはどうしてあげることも出来ない。せめてわたしはちゃんと自分を守ろう。

 

「マール様、わたしの噂が流れているそうです」

「噂?」

「わたしが王宮に通っていなくて、王妃教育を休んでいるという噂です」

「特に公表はしていないはずだが?」


 マールが少しだけ眉を寄せ、真横に座るわたしを見下ろす。反応からしてマールが他言したわけではないらしい。向かいに座っているシーラとキャスリーンは黙っている。正確に表現するなら想定外の展開で何と返してよいかわからないようだ。逆に、何故、あんな態度を取っておきながら、わたしがそれをマールに言うと憂慮していなかったのか聞きたい。「告げ口」は悪いことだという認識があるから? 当然言わないだろうと? 残念無念。わたしは品行方正な耐え忍ぶ系ドアマットヒロインではないので嫌な事は胸に秘めない。損するだけだ。堂々と公の場で発言するのがいい。


「さっきシーラ様に教えてもらいました。王宮に遊びに行く友達から聞いたそうです。わたしが婚約者を辞退したのだと思っている人がいるかもしれません」


 マールは丸々の馬鹿ではないので、これでシーラが誰に聞いた話を噂にしているのかは分かるはずだ。知っているからと言って、王宮の内情をぺらぺらしゃべるのはルール違反だ。エリィがわたしをどう思っているか理解できたのではないか。マール越しにエリィを見れば驚いたような表情。シーラとキャスリーンは沈黙を貫いている。

 

「そうか。とんだ洗礼を受けたな」

「は?」


 宥めるような口調でマールが告げる。


「社交界ではよくある。噂話は当てにならないと言うことだ」

「今そんな話していないんだけど」


 勝手な噂をされてムカつく話をしているし、そんな分析はいらない。苛立ちで本音がぽろり零れると、テーブル周りの空気が張り詰めた。マールの言葉をばっさり切ったせいだが、


「わたしが自分で弁明しても信じてもらえないので、どうにかして下さい」

 

 構わず続けた。実際は噂より、エリィとシーラとキャスリーンの鼻を明かしたい欲求の方が強い。今この場でマールが「王妃教育を休ませているのは自分の指示だ」と言えば済む。破談になって困るのは後ろ盾を失うマールなのだし、どうにかするのもマールの役目だ。


「……そうか。そうだな。では、薔薇園を開放するので茶会を開くといい。来月にはちょうど見頃になる」

「お茶会?」

「あぁ、お前が主催して王宮で茶会を開けば、変な噂も消えるだろ」


 何言ってんのこの人。王家の薔薇園と言えばロイヤルガーデンしかない。毎年、春と秋に王妃様が主催してお茶会を催すのが慣例で、サラちゃんのトラウマのお茶会でもある。そんな大事にしなくていい。


「あれは王妃様のお茶会でしょ?」

「別の日に開けばいいだろ。丁度いい。お前も公式に茶会デビューを果たしたのだから、そろそろホスト役の経験も必要だろう。同じ年の令嬢達を招いてやってみたらいい」


 噂を消す解決策として確かに有効な手段だが、わたしの望んでいるものとは違う。マールの顔色を読んでも、悪意も善意も汲み取れない。額面通りわたしの頼みを聞いてくれたとも思えるが、王太子の婚約者がお茶会の一つも仕切れないようでは困ると課題を与えられた気もする。お茶会なんて開いたことがないし、いきなりロイヤルガーデンは敷居が高すぎる。はっきり言ってやりたくない。なんでそんな方向に行くのか。新手の嫌がらせに思えてくる。


「……」

「どうした?」


 でも、もし仮にエリィなら、この提案を喜んで受け入れて成功させるはず。わたしにその器量がないから逃げたいだけ。教えを乞える母親や姉がいたら違っていただろうか。サラちゃんは、こういう問題が生じた時どうしていたのか。エリィが代わりに全部やっていた気がする。エリィが? なんで? わたしがするべきことなのに。


 ……。


 王妃教育を休んで、お茶会も逃げ出して、婚約者であることだけ周囲に認めさせたい。わたしの主張ってそう言うことだ。歴代の王妃達が皆通ってきた道を「嫌だから」と放棄している。前前世で冷遇されていたから、なんてことは誰も知らないし、理由にはならないのに。そもそも何故王妃教育を休んでいることを誰からも咎められないのだろう。八歳の女の子に無理をさせすぎた、と言われて激しく同意したが、マールだってずっとハードなスケジュールで勉強している。急に不安になってきた。客観的に見ると、わたしは甘やかされたとんでもない我儘娘ではないか。被害妄想を抱きすぎて非常識な人間になっているのではないか。そんなつもりは毛頭ない。そんな評価は心外すぎる。わたしは未来を変える為に必死で戦っている。でも……。


「わかりました」


 最悪だ。また失敗している。二回目なのに思うように出来ない。前世の後悔を解消できても今世で新たな失敗をしたら意味がない。皆の知らないことを理由に行動したら駄目だ。やられていないことをやり返したら当たり屋だ。ただの嫌われ者になってしまう。まだ間に合う。ある程度ドアマットを貯める必要がある。若しくは、今すぐ強烈に理不尽な目に遭いたい。けれど、自分の立場が強すぎて虐められる気がしない。サラちゃんは一体何に怯えていたのだろう。不思議で仕方ない。意識の違いってこんなに大きいの? お茶会で誰か何かやらかしてくれないだろうか。


「王宮でお茶会なんて凄いですね」


 陸でもないことを考えているわたしに、隣のペネロープが笑い掛ける。


「……うん。オリビアとメリアナと三人共招待するから来てね」

「有難うございます!」


 本当は四人だけでいいのだけど、嫌がらせ待ち中なので、エリィ達も誘わなければならない。わたしをハブにする為に、仲良しグループ全員で不参加を表明してくれたら、かなりドアマット貯金が貯まるのだが。


「サラ様、わたしも参加させてください」


 わたしが誘うより先にエリィが無邪気な笑顔で告げた。可愛いし明るいし全く嫌な感じもない。行きたくても自分からは言えないタイプのサラちゃんが卑屈に感じる部分だ。エリィがエリィである所以だな、と思う。シーラと違って、意地悪してやろうと言う感じがまるでしないのだ。


「はい、もちろんです。シーラ様も是非来てください。改めて招待状を送りますね」


 シーラは「はい」とだけ小さく答えた。若干の不穏さがある。わたしに打ちのめされて、人生初の傷心なのではないか。

 今日のこともお茶会のことも色々相談事があるので、オリビアとペネロープと三人になって話したい。三人でちらちら目配せをしていたのだけれど、席を立つタイミングを見出せなかった。そして、もたもたしている間に、わたしはマールと共にデイビッド陛下とキャサリン妃に呼ばれて、結局その日、二人の元に戻ってくることはできなかった。

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