第26話 リベンジマッチ1

 キューイ子爵家を訪れて二月が経った。わたし達はお互いの屋敷を行き交い交流を深めた。メリアナの趣味は母親に似たらしく庭いじりで、わたしもおばあ様のことを思い出しながら花壇の手入れを手伝ったり、ぬいぐるみや人形遊び、そして折り紙を折って遊んだ。折り紙は、些細なる転生チート能力として、わたしが折り鶴を披露したのがきっかけだった。もちろん折り紙なんてないから、画用紙を正方形に切りとった。

 メリアナに、羨望と不思議のまなざしで、


「誰に習ったの?」


 と尋ねられて答えに困った。嘘を吐きたくない。しかし、誰に習ったかと言われれば覚えていない。幼稚園だったろうか。


「多分、先生?」

「そうなんだ! 凄いね!」


 疑問系で答えたが、メリアナはそれ以上突っ込んでこなかった。この世界に鶴がいるかは不明だが、マドレーヌやクグロフが普通に存在するのだから、普通にいるんじゃないかと思う。メリアナは、


「可愛い!」


 と言うだけで鳥の種類はどうでもよさそうだった。作り方をマスターするため折り目のついた画用紙を広げたり畳んだり参考にしながら、鶴をどんどん折っていく。五羽を並べた所で、


「もっと他の色の紙があればいいね。ちょっと待ってて!」


 と部屋を出て行き、シェリルから花柄や紋様の入った便箋を貰ってきてくれた。


「こんなに綺麗な便箋沢山もらっていいの?」

「うん。お姉様はお手紙書くのが好きだからいっぱいもっているの。学校で流行っているのだって」


 学校で手紙が流行るなんて何処の世界でも同じなんだな、と変な安堵感を抱いた。百合子の学生時代もそうだった。毎日会って、毎日話して、手紙を直に渡し合う。果ては交換日記なんてのもやった。百合子が小学、中学の頃はスマホなんてなかったから多分この世界の感覚に近い。


「そっか。じゃあ。シェリル様にお礼を作ろう!」

「鶴?」


 メリアナが花柄鶴の右翼を握ってカサカサ揺する。


「勲章だよ」

「勲章?」

「うん。多分作れると思う」


 わたしの、というか百合子の折り紙レパートリーは少ない。鶴とやっこさんと風船と勲章のみ。勲章はかなりうろ覚えだったけど、折っていると思い出した。首から下げれるように輪っかでチェーンも付ける。メリアナがリリアナ夫人の分も作りたいと言うので、


「じゃあ、わたしもパパとマリアンヌに作るから、メリアナもお父様の分も作って」


 とキューイ子爵に同情して言った。何となくキューイ家の力関係が窺い知れた。

 シェリルとリリアナ夫人とマリアンヌは丸型、パパとキューイ子爵はハサミで切り込みをいれて星型に仕上げる。上手くできたけど、みんながどんな反応をするか緊張した。まずはシェリルの部屋、次にキューイ夫人とマリアンヌが待つ居間へ行き、背中に隠しもった勲章を差し出す。


「部屋から出てこないから何をしているのかと思えば、貴方達が作ったの? 凄いじゃない!」


 三人とも大袈裟なほど驚いてずっと首から下げてくれた。わたし達はにやにや目を見合わせて自慢げな気持ちになった。パパは何と言うか。相変わらず深夜帰宅が多いが、最近は土日には夕食までに帰ってくる。夕方、わたしは意気揚々と食堂でパパに勲章を贈った。


「お前が作ったのか」


 いつもの無表情で、受け取った勲章をじっと見つめる。ちょっとこの沈黙が耐えられないのだけど、と言うギリギリのタイミングで、


「よくできているな。有難う」


 とボソボソ言ってわたしの頭を撫でた。正直、反応が薄くてがっかりした。でも、後日、勲章が書斎の棚にガラスケースに納められて飾られているのを見つけた。こんなものをずっと保管しておくつもりなのだ。だったら、もっとわーわー大袈裟に喜んでほしかった。パパって多分ダメパパだ。子供の扱いが上手くない。今度は「嬉しい?」ってしつこく聞いてみよう。きっと凄く困るだろう。いいかもしれない、なんて意地悪く思った。

 折り紙について、みんなが感心して褒めてくれたけど、残念ながら折り紙SUGEEムーブは起こらなかった。わたしとメリアナだけの地味なブームだ。レパートリーが少ないから、千羽鶴を折ることにした。画用紙は分厚いので、古新聞に絵の具を塗り正方形に切るところから始めた。同じ大きさに千羽分紙を切る作業は想像より遥かに労力がいる。二人で会う時に折り紙を作り、家での宿題で一日最低十羽を折ることにした。兎に角、折るより折り紙製作に手間を取られるのだ。だが、一月ほど前に頼もしい仲間が二人加わった。


「オリビアは緑を塗ってくれる?」

「はい。わかりました」

「わたしは?」

「ペネロープは黄色」

「うん!」


 オリビア・ベイカー侯爵令嬢とペネロープ・アイバン伯爵令嬢。みんな同じ歳の八歳だ。

 彼女達とはメリアナの姉であるシェリルの友人のアウローラの紹介で知り合った。

 オリビアは、噂のイケメン、ハロルドの妹だ。時折、アウローラの屋敷へベイカー侯爵夫人と共に遊びに来るらしい。母親同士が話をしている間、オリビアはアウローラの部屋で過ごす。そこで、わたし達がプレゼントした勲章を見つけたのがきっかけだった。作り方を習いたいと頼まれた。アウローラに教えてもよかったのだけど、同じ年だから会ってみてはどうかと話が進んだ。もちろん断る理由なんてない。友達は多い方がいい。だけど、本音を言うとちょっとだけ嫌だった。メリアナを取られたどうしようと思ったから。女子三人は絶対に上手くいかない。三人で仲良し、そして更に二人で「より仲良し」になる。百合子だった時、それで痛い目を見たことがあった。後から仲間に入ってきた子に親友を取られてしまった。別に除け者にされたわけじゃないけど、なんとなく疎外感があった。わたしが妬きもち焼きなだけかもしれない。わからない。だから、初顔合わせの時、オリビアとその友人のペネロープが二人でいたことには安心した。わたし達は四人で仲良し、二人ずつでより仲良しの理想的なグループになった。

 それから、わたし達は頻繁にお互いの屋敷を行き来するようになった。人手が倍になれば、スピードも倍になる。千羽鶴は完成したも同然だな、と思っていた。しかし、その読みは甘かった。四人集まればあれやこれやに話が飛ぶ。462羽折ったところで、わたし達の興味は完全に千羽鶴から外れた。今はオリビアの兄ハロルドに対する非常に大きなお世話な事柄に関心が及んでいる。


「お兄様は、腰抜けなのです」


 言い出したのはオリビアだった。


「アウローラお姉様のお屋敷に一緒にお出掛けしましょうと誘いますのに、いつもあぁだこうだと理由をつけて先延ばしにします」

「それは行きたくないのでなく?」

「でも、わたくしが母と出かけて帰宅しますと色々聞いてきます」

「アウローラ様のこと?」

「いえ、アウローラお姉様の名前は直接出しません。わたくしが迷惑を掛けていないか心配して聞いてきます。だから腰抜けなのです」

「オリビアはアウローラ様に本当のお姉様になってほしいのよね」


 ペネロープが口添えして言えばオリビアは力強く頷く。それはオリビアの願いだろう。ハロルドの気持ちは何処にあるのか。言動から推測するとグレーではないか。


「ハロルド様はアウローラ様が好きなの?」

「はい」


 オリビアは当たり前みたいに答えるけど、ちょっと怪しい。


「アウローラ様はどうなんだろう?」


 わたしの質問に、オリビアは考える素振りを見せて、


「お兄様は腰抜けではありますが、侯爵家の嫡男でありますし、成績も良い方ですので、将来、経済的に言って、アウローラお姉様を幸せにできると思います」


 と答えた。オリビアはそんなに気の強い性格ではないのに、兄に対して妙にシビアだ。


「ハロルド様はカッコいいから、アウローラ様もきっと好きなはずよ」


 ペネロープが単純明快な意見を加えた。みんなが口を揃えて言うイケメンハロルドに、わたしは未だ会えていない。オリビアの屋敷へニ度遊びに行ったけど、ハロルドは不在だった。オリビアは薄いブロンドの髪に青い瞳の正統派美少女で、兄妹はよく似ているらしいから、確実に男前だ。しかし、美形だからと言って好きになるとも限らない。むしろ、アウローラは控えめな性格だから、モテ男を好きになるのは避けるのじゃないかと思ってしまう。「恋はするものじゃなく落ちるもの」だとか「好きな気持ちは止められない」とか言うけれど、案外そうでもないことを知っている。百合子もかなり面食いだったからわかる。「いいな」と思うのはいつも人気のある男の子で、でもその男の子が可愛い女の子と親しげに話すのを見ると「あぁ、無理だな」と上手い具合に「なかったこと」にできた。諦めるのとはちょっと違う。キャンセルするから料金が発生しない感じ。「損せずに良かった」みたいな気持ちに似ている。だからもし、アウローラが百合子みたいに気持ちを抑えようとしているなら、それを周囲がゴリ押しするのはどうか。「ハロルドにはキャスリーン様がいるでしょう。わたしはただの幼馴染よ」としきりに言っていたことが思い出される。ハロルドがアウローラを好きならオリビアが応援するのは自由だが、確実でない限りアウローラの方を嗾けるのは微妙だ。


「でも、お姉様のお話では、キャスリーン様という人もハロルド様を好きみたい。ハロルド様と一緒にいることが多いって聞いたよ?」


 わたしの内心を推し測ったみたいにメリアナが心配顔で言った。するとオリビアが、


「あの人は駄目です」


 とあまりにぴしゃりと撥ねつけるので驚いた。誰を好きになるかはハロルドの自由だ。アウローラがいいからと言って流石にこれでは意地悪小姑みたいだ。


「……何かあったの?」


 メリアナが困惑しておずおず尋ねると、オリビアはチラッとペネロープを見た。ペネロープが小さく頷くとオリビアは不快そうに告げた。


「わたくしとペネロープが一緒にいるのに、あの人はわたくしだけをご自身の催すお茶会へ誘ったのです。『うちに貴方と同じ歳の妹がいるから是非仲良くしてください』と言いました」

「オリビアがわたしを気にしてこっちを見たら『貴方は伯爵家だったわね。今回は侯爵家の集まりだからごめんなさいね』とわたしに謝ったの」


 普段は快活にしゃべるペネロープが小さく言う。二人が一緒に出席していた茶会で、オリビアがハロルドの妹だと聞きつけたキャスリーンが声を掛けてきた。オリビアとペネロープが話している所へ割り込んできて「オリビア様にお話があるからちょっとごめんなさいね」と色々としゃべりかけ、その間ペネロープは隣で黙って見ていたらしい。


「とても失礼です。でもわたくしは何も言い返せなかったのです」


 オリビアは自分が悪いみたいにキュと唇を結んだ。

 なんだよその女。屑かよ。私的な茶会に爵位が関係するとも思えない。見え透いた嘘だ。八歳児だから何もわからないと思ったのだろうか。


「ハロルド様には言ったの?」

「わたしが言わないでってお願いしたの」


 ペネロープが更にボソボソ告げる。こういうことは隠さない方がいい。失礼な人間にはがつんと知らしめないと駄目だ。だけど、大事にしたくないペネロープの気持ちは分かる。除け者にされた自分が酷く惨めで恥ずかしい。そういう扱いを受けた自分が悪いみたいな心情になってしまう。怒りより悲しみに支配されて泣きたくなる。みっともない行為をしたのは向こうなのに。


「ムカつく」


 何様のつもりで人を選ぶのだろう。そんな女がハロルドを射止めることがあってはならない。


「え? 何?」


 わたしの発言に三人がキョトンと首を捻る。


「胸がむかむかして凄く腹の立つことよ。ムカつく!」

「そうなのですね。サラ様は難しい言葉を知っていますね。本当にムカつくのです」

「ムカつく。あの人は嫌い」

「ムカつくね」


 みんなが口々に言うので、陸でもない言葉を教えてしまったな、と思ったけど、ムカつくものはムカつく。これ以上的確な言葉なんてない。

 かくして、わたし達のハロルドとアウローラをくっつける、というより、キャスリーンとの仲を絶対に阻む計画は始まった。しかし、実際にできることなど何もない。何かの拍子にハロルドがキャスリーンを好きになってしまえば一巻の終わりだ。メリアナがシェリルから仕入れてくる情報と、オリビアが認識するかぎりでは今のところハロルドに恋人はいない。でも、いつどうなるかはわからない。ハロルド達が学校でどう過ごしているのか監視できるわけもない。オリビアが毎日、


「アウローラお姉様をデートに誘うべきです!」


 と言っては、


「お前は一体そんなことを何処で覚えてくるのだ?」


 と困惑して返されるだけの日々は続いた。



**


 グラン王国に公爵家は六つしか存在しない。

 そのうち、ヒュー公爵家とグランフォール公爵家が二大勢力として貴族院を率いている。

 グランフォール公爵には男児しかおらず、残り四つの公爵家にもマールと歳近い令嬢はいない。つまり、わたしはなるべくしてマールの婚約者に選ばれたわけだ。

 だと言うのに、何故前前世では、エリィを始め多くの令嬢達がサラちゃんに無礼な態度を取っていたのか。マールが冷遇するからか。サラちゃんが言い返さないことに調子づいていたのか。複合的要素が絡み合っているのは確かだが、その根幹にあるのはこの国の王族が一夫多妻制であることではないだろうか。マールの手つきになれば、もれなく側妃となれる。サラちゃんより先に子供を授かれば、ゆくゆくは自分は王太子、延いては国王の母となれる。この大前提があるから、サラちゃんが正式な婚約者に決まっても、マールの寵愛を得ようと画策する令嬢達は後を絶たなかった。デイビッド王はキャサリン妃一筋で学生時代から早々に側妃は娶らないと宣言していたらしいが、マールの奴は「女になんて興味ない」みたいな顔をして、そんな宣言は全くしなかった。とんだすけこましだ。許さんぞ。そして、今回もその辺のことは期待できないそうにない。だからわたしは身に振りかかる火の粉は自ら根絶やしにせねばならない。むしろ、望む所なのだが。


「グランフォール公爵様のお茶会?」

「あぁ。お前も茶会デビューしたからな。招待状が届いている」


 パパから渡された招待状には確かにわたしの名前が記載されていた。というかマリアンヌ情報によれば他にも色々招待されているはずだ。勝手に断るのはプライバシーの侵害ではないか。


「なんで?」

「ん?」

「なんで、このお茶会には行っていいの?」

「……公式行事だからな」


 パパが顔色を伺うように言う。なるほど、と腑に落ちた。公式行事の茶会は年ニ回行われる。侯爵家以上の爵位を持つ貴族が持ち回りで開催する。所謂貴族同士の顔繋ぎだ。社交界デビュー未満お茶会デビュー後の子供達の貴族としての唯一の仕事でもある。今回はわたしがお茶会デビュー後初の公式茶会で、おまけに主催者はグランフォール公爵家ときている。グランフォール家はグラン王家の分家だ。歴代の国防長官の殆どがグランフォール家の血縁者だ。辺境地に膨大な領土を有し外交にも強い。現当主の三男が、デイビッド王の妹を娶りその辺境地を治めているのだと聞いたことがある。そんな大貴族の茶会に流石に不参加は拙いのだろう。


「マール殿下も参加されるから心配ない」


 黙ったままのわたしを安心させようとしたのか何なのか、パパは言った。その発想がわからん。わたしは現在も王妃教育を休んで遊びほうけている。だが、そのことに対して不気味なくらい誰からも咎められていない。二回、王宮に会食に招かれて両陛下と一緒に過ごしたが、ただ夕食を食べただけだった。王妃教育を受け直させる、と叫んでいたマールも何も言ってこなかった。もちろんわたしから聞くこともない。しかし、何も言われないけど褒められることでもない。王太子の婚約者である以上、義務がある。その上、公式茶会まで欠席したらパパの立場が悪くなるんじゃないか。これ以上、顔に泥を塗りたくない。


「わかった」


 答えるとパパは「新しいドレスを用意しなくてはな」とぎこちなく笑った。




 茶会当日、わたしはパパが選んだピンクのドレスを着てポニーテールに髪を結わえて前髪は下ろした。でも瞳は隠していない。前前世ではマールと一緒に行って、エリィとその友達の輪の中に放り込まれて散々な目に遭った気がする。今日はそんなヘマはしない。パパがいるし、オリビアとペネロープも来ることになっているのだ。安心できる。ただ、子爵家のメリアナだけが参加できないことに、もやもやした。階級社会だから仕方ないこと。そういう世界だ。謝るのもおかしいし、黙って三人で参加するのも嫌だから話はした。メリアナは気にしていない素振りで、


「後でお話聞かせてね」


 と笑ったけど内心はわからない。わたしには「うん」と返すことしかできなかった。

 カポカポ石畳を踏み鳴らす馬蹄の音と共に馬車に揺られて三十分の道中を行く。お茶会はサロンを貸し切って行うのが慣習だ。いかに流行りの洒落た店を押さえられるかが財力と権力の証だ。

 今回の開場は老舗ホテルが展開している政府要人御用達の格式高いリンガードールズというサロンだ。下世話な話かなり値が張ると思う。持ち回り制だから、公費として補助金が下りるが足が出た分は主催者の自腹となる。予算をケチれば公費で賄うことは可能だが、その後の評判にどう関わるかは言うまでもない。

 到着するとすぐさま従者が駆け寄ってきて、建物内へ案内された。煉瓦造りの重厚な二階建ての建物だ。貴族以外は使用不可となっている。

 入ってすぐは吹き抜けの講堂になっていて、既に来賓客が多くいた。左右に別れて二階へ上がる階段がある。二階から別棟に渡ることができるH型の造りだ。本館と別棟の間が中庭になっていて、著名な彫刻家がデザインした女神像の噴水が造作されていることで有名だ。

 入り口で招待状を提示して、参加者リストと照合を待つ間に、一人の男性が近づいて来た。


「ヒュー公爵。なんだいこんなところで、オレの顔も知らんのか、と入ってきたらいいだろう」

「ルール違反ですよ」

「真面目だなぁ」


 がはははっと豪快に笑う。ロマンスグレーの髪をリーゼントに整え、かなり大男で厳つい風貌。おまけに強面でちょっと怖い。前前世でも会ったことがある。グランフォール公爵だ。ただし、こんなに軽口をいう人物だったかは記憶にない。


「素敵なパートナーと一緒に参加してくれて嬉しいよ」

「えぇ、漸く茶会デビューも果たしましたので。娘のサラです。サラ、グランフォール公爵だ」

「初めまして、お招きいただき光栄です」

「こちらこそ、マール殿下から話は聞いているよ。本当に可愛らしいお嬢さんだ」


 ここでその名が出るとは予想外だ。言葉に詰まる。マールの奴は何を言ったのか。外面はいいから変なことは言わないだろうけれど。


「マール様はいらっしゃっているのですか?」


 可愛いと褒められたらどう返していいか返答に困る。素直に有難うと言うべきか、否定すべきか。どっちも違う気がして、ついつい話を逸らしてしまう。


「少し前にね。別館のカフェスペースの方にいらしゃるから行ってみるといい。お菓子も沢山用意しているから楽しんで」


 グランフォール公爵は外見と裏腹に話し方は限りなく温和だ。ギャップ萌えするタイプというか、大きな熊のぬいぐるみみたいだ。


「はい、有難うございます」


 にっこり笑顔で返したが、実際はマールなど全くどうでもよかった。オリビアとペネロープを捜したい。しかし、悉くタイミングを逃した。グランフォール公爵は、別の来賓客にも挨拶があるとすぐに去って行ったけれど、後から後からパパに声を掛けにくる人が列をなして、一階のホールに留まったまま、延々と「初めまして」の往来は続いた。粗相がないようにと緊張しっぱなしで、正直疲れるし飽きた。三十分くらいして人が途切れたタイミングを見計らい、


「お父様、友達の所へ挨拶に行ってきます」


 と告げて、漸くその場を離れることに成功した。


「……あぁ、後で私も行くから」


 パパは引き止めたいような様子だったけど、スタコラ逃げる。本館は挨拶の場と化している。人波をすり抜けてずんずん進んでいく。目指すは女神像の噴水だ。会えないと嫌なので待ち合わせしていた。

 中庭に出るとどんっと噴水が目に飛び込んできた。三人の女神が立ったり座ったりそれぞれ独特のポーズを取っている。白目なので夜中に見たら大分怖いだろうな、と感受性のかけらもなく思う。右端の女神に見下ろされる位置でオリビアとペネロープが手を振っているのがすぐわかった。ずっと捜してくれていたみたいだ。駆け出したい気持ちを抑えて不作法に見えない程度に速足で進む。話せる距離まで近寄ると二人は仰々しいくらい膝を折りカーテシーをした。このお茶会が公式行事であることを意識しての対応だ。親しき中にも礼儀も階級もありまくりの世の中だ。


「早く着いたの?」

「三十分前くらい前です」

「ごめんね」

「全然平気だよ」


 周囲に聞こえない小声で話す。名前をフランクに呼ぶのもラフに話すのも四人の時だけと決めている。関係ないくせに余計なことをいう人間がいろいろいるからだ。


「ハロルド様とアウローラ様はどんな感じ?」

「今二人でお茶を飲んでいます」

「ハロルドお兄様緊張してたね」


 ペネロープが言うとオリビアは頷いた。

 一体何の話をしているか。「ハロルドはアウローラを好き」と言うオリビアの主張は正しかったのだ。本日、ハロルドがアウローラをデビュタントの夜会へ誘う。オリビアがいくら責め立てても「誘う誘う」と口ばっかりで全く行動に移さなかったのに、とうとう重い腰を上げる気になった。というか、オリビアの家とアウローラの家は家族ぐるみの付き合いで、公式茶会には大抵一緒に参加するから、ずっと今日の機会を待っていたようだ。オリビアがあまりに食い下がるので白状して教えてくれたらしい。アウローラはなんて答えるのだろうか。上手くいけばいいのに。


「そっか。なんかわたし達までドキドキするね。じゃあ、まだ戻らない方がいいかな?」

「いえ、心配だから戻りましょう」

 

 オリビアがぴしゃりと言うので笑ってしまう。そんなに頼りないのか。どんな人か。わたしは未だにハロルドに会えていないのだ。 

 いろいろ逸る気持ちを抑えてハロルド達のいる別館へ向かった。

 別館は一階がガラス張りのオープンキッチンになっていて、従業員がきびきび動き回っているのが見える。ちょっと込み入っている階段を上り、二階に上がると天井に描かれた荘厳な絵画に目を奪われた。直接描いてあるのか、壁紙のように貼りつけてあるのか。彫刻に興味はないのだが、絵は割と好きだ。馬鹿みたいに見上げていると、


「向こうです」


 とオリビアにドレスの裾を引っ張られた。白いクロスをかけられたテーブル席がいくつも設置されている。オリビアとペネロープが縫うように奥へ奥へと進むのに従うが、途中でぴたりと足取りが止まった。


「どうしたの?」

「何故、あの人がいるのです?」


 オリビアとぺネロープの間から覗き込んで前方を見るとアウローラの姿を発見した。では、隣にいるのがハロルドか。残念ながら横を向いているので顔がよくわからない。更にハロルドの隣に二人の令嬢が座っている。


「あの人って? テーブルにいる人達のこと?」

「キャスリーン様よ……」


 ぺネロープが振り向いてボソリと呟く。その顔は不安に揺れている。伝染するみたいに胸が詰まった。ムカつくムカつく、と陰では言えても、実際目の前にいたら萎縮するのは当然で、八歳にとって見知らぬ十四歳は大人で、不当な扱いを受けても逆らえない。

 キャスリーンに話しかけられた時、


「ペネロープを無視して失礼です」


 と言い返せなかったオリビアが、隣で会話を聞いていたペネロープが、どんな気持ちでいたか。正しいはずの大人に横暴を強いられると腹が立つより恐怖だ。「え」と思っても反論できない。言葉が何も出てこなくなる。相手の方が強くて、例えばそれが他の大人がいる前で行われることはなくて、親に訴えてみても、相手はあまりに狡猾で、


「いやいや違うんですよ。何か勘違いしちゃったのかな」


 と上手く取り繕われてしまう。自分が軽んじられて惨めで恥ずかしいあの感じ。俯くしかできないあの感じ。百合子も同様な目に遭ったことがある。忘れていた。思い出した。身体が震える。

 舐めやがって。だったら、お望み通りにしてやるよ。


「大丈夫。平気だよ。行こう」


 わたし達は人格を尊重されないほど未熟な子供だ。何もわからないって、軽くあしらわれるような。だから、ついうっかり失礼なことを言ってしまうのは仕方がない。悪気なく恥をかかすようなこと、やってしまってもしょうがない。

 そうでしょ? キャスリーン。

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