第25話 類は友を呼ぶ

 マリアンヌが貴族だなんて知らなかった。

 ブラーメ子爵家の長女で、年の離れた兄がいて、マリアンヌが物心つく頃には既に両親は兄に爵位を譲り隠居生活をしていたそうだ。ブラーメ家は爵号こそ子爵ではあるものの、あまり裕福な家庭ではなく、マリアンヌは、兄と兄嫁が必死で屋敷を切り盛りするのを見て育った。別段邪険にされたわけではなかったが、自分がいつまでもこの家にいていいわけではないのだ、という意識を早い段階で認識していた。そこで普通の令嬢ならば「早くいい人を見つけて嫁ごう」と考えそうなものを「手に職をつけよう」という方向へ思考をシフトさせた。ひたすら真面目に勉学に励み、優秀な成績で学校を卒業し、学園長の推薦で王宮の侍女として働き始めたらしい。下級貴族の娘が花嫁修行の一環で王宮に上がることは珍しくない。腰掛けOLさながらに王宮勤めの男性との出会いがもてるし、王族に仕えるほどのマナーと教養が備わっている証明でもある。大概、二年も働けば退職して嫁いで行くが、マリアンヌは三年目にしても辞職する様子も浮いた噂もなく、侍女として真摯に勤め続けていた。そんな中、パパがわたしの面倒をみさせる年若い侍女を捜していることを知った宮廷侍女長が、マリアンヌを抜擢したそうだ。王宮から宰相の屋敷へ。実質上の降格じゃないか。


「嫌じゃなかったの?」

「何がですか?」

「……わたしの面倒をみること」

「まさか!」


 マリアンヌは驚いた素振りを見せる。その反応に逆にびっくりしてしまう。だって前前世では、殆ど何も覚えていない気薄な関係だった。いや、今世でも、わたしはマリアンヌに懐いてはいなかった。ママの代わりに来た人、という意識が強くあって、この人と仲良くしたらママがいなくなってしまう、という不可解な焦燥に駆られた。だから距離をとり続けて、それがいつの間にか通常になった。お嬢様と侍女として特に歪んだ関係でもなかったけど、もし、マリアンヌが上司からの命令で仕方なくうちへ来たのなら戻りたいと思うのは当然ではないか。引き篭もりのわたしに仕えるより王宮で勤務した方が華々しいし開放的だ。


「わたしはサラ様のお姉さんですからね」


 黙ったままのわたしの内心をどう推し測ったのかマリアンヌは戯けて笑った。打算的に言った言葉をそんな風に返されると申し訳なくなる一方で、くすぐったいような変な気持ちになる。マリアンヌはお姉さん。それがいい。しっくりくる。前前世は前前世、今は今。わたしはわたしなんだ。多分もう、いろんなことが変わっている。

 わたしがこくこく頷くとマリアンヌは目を細めて、


「それで、如何されます? 直ぐにでも手紙を出しますよ」


 と続けた。

 マリアンヌの出生に話が及んだのは、わたしがどのお茶会に参加するべきか考えあぐねていたからだ。

 エリィと対面してから、自分で友達を作りたい、と思うものの中々実行できずにいた。エリィが帰国してすぐに多数の茶会に出席して沢山の令嬢達と仲良くなったことには、カラクリがある。エリィの二人いる姉のうち長女の嫁ぎ先が、この国の六大公爵家の一つハインベル家だからだ。ハインべル公爵夫人である姉がエリィの為に頻繁にお茶会を催して、同年代の令嬢達との顔を繋いでいる。それに元々姉の所へはよく泊まりに来ていたようで、帰国する以前から既に仲良のよい子もいた。つまり大きく下駄を履いているのだ。一方のわたしは、パパの言うようにママがいないから婦人同士の集まりに参加することはなかった。パパ方の祖母は王都にいるが、わたしにあまり興味がない。パパに再婚を促したり、後継となる男の子を望んでいるのが透けて見えて苦手だ。マールの婚約者になった時にはお祝いをしてくれたけれど自慢の種が増えたことを喜んでいる風だった。不仲とまではいかないがとても疎遠な関係で、周囲に他に信頼できる女性はいない。第一に、王妃教育で忙しく、友達を作る暇なんてなかった。だというのに、エリィに対し「誰とでも仲良くなれる」みたいな評価をしているマールにもパパにも辟易する。わたしだって出会いの場があればみんなと仲良くやれる。早く証明してやろう。焦る一方、一体誰の所へ行けばよいのか悩んだ。爵位、派閥、親族関係、果ては過去の歴史やらの因縁まで、考え出せばきりがなく、エリィのテリトリーに入らないようにするのも難しい。スタートダッシュで出遅れているのだ。王妃教育の教本の中から、貴族名鑑を取り出して睨めっこしている間、悪循環に時間だけが経過した。そこへ突如、マリアンヌが、自分の従姉妹の子爵家を訪ねてみてはどうかと提案してくれた。わたしと同い年の子供がいるらしい。


「迷惑じゃない?」

「もちろんです。サラ様とお友達になれたら喜びます」

「仲良くなれるかな?」

「えぇ、きっと」


 マリアンヌがにっこり笑う。善人丸出しな感じ。マリアンヌはいつも赤毛の髪をぎゅっと一つにまとめていて、過不足ない程度にきちんと化粧をし、香水はつけてないけど石鹸のいい匂いがする。服装は紺色のシックなロングワンピース。これはうちに勤める侍女みんな貸与される制服だ。

 侍女の親戚の屋敷に招かれるとは一般常識的に如何なものか。相手も緊張するだろうし、パパがどう言うか心配だった。しかし、許可はすぐに下りた。これはマリアンヌに聞いた話だが、わたしのお茶会デビュー以来、政治的な思惑が絡む相手からの招待は結構あったらしい。パパが難色を示して断っていた。今回はわたしの意思を尊重し、采配を任せる形をとったが、パパは色々懸念してかなりヤキモキしていたようだ。見兼ねたマリアンヌが、


「差し出がましいようですが」


 と件の提案をした。つまり既に話は通っていたのだ。そして、できる男は仕事が早いが、できる女も仕事が早い。話を持ち掛けられてすぐに、マリアンヌの従姉妹、キューイ子爵夫人から招待状が届いた。次の土曜日にうちわの小さなお茶会を開くから是非に、と記されていた。エリィに負けたくない、とある種の強迫観念が先行して、嬉しい、とか、楽しい、という気持ちはその時まで全くなかった。でも、招待状を手にした途端に、一変して心が躍った。友達ができるかもしれない、楽しいことが起こるかもしれない。狭い世界から抜け出す興奮で夜も眠れないほどだった。世界中の人に優しくしたいくらいずっとはしゃいで過ごした。尤も、


「一人で大丈夫なのか」


 とパパがやたらに尋ねて一緒に来たそうにしていることには、


「一人じゃないよ。マリアンヌと一緒だよ」


 と華麗にスルーしたけれど。



 キューイ邸は旧市街地にあって馬車で小一時間掛かった。市内を走る馬はそんなにスピードを出せないのだ。

 わたしは、張り切ってお気に入りの薄い青色のカジュアルドレスを来て、髪をポニーテールに結んでもらった。出来栄えに満足する。完全なナルシストだけど、客観的に見ても可愛いはずだ。何故前前世であんなにドアマットにされていたのか意味不明すぎる。

 馬車を下りてチャイムを鳴らすと、キューイ夫人と娘二人に直接迎え入れられた。

 キューイ夫人はマリアンヌより十歳歳上で、既婚者の貴族女性にしては珍しく薬学植物園に勤務している前衛的な人だと聞かされていた。


「わたしの憧れの人なんですよ」


 ともマリアンヌは教えてくれた。研究職だから神経質で細かいことに拘りそうな人なんじゃないかとイメージを膨らませていたが、実際は想像よりふくよかでやんわりした人だった。


「公爵家のサラ・ヒューです。お招き頂き光栄です」


 カチッとカーテシーをしてお行儀よく振る舞う。キューイ夫人が感心した視線を向ける。それからにっこり微笑んで、


「お越し頂き光栄です。子爵家のリリア・キューイです。これらは、娘のシェリルとメリアナです。シェリルは今年十四になります。メリアナはサラ様と同じ歳なんですよ。どうか仲良くしてやってください」


 と姉妹を視線で指し示した。メリアナはシェリルに隠れるように一歩後ろに立っている。

 リリアナ夫人とシェリルは同じくらいの身長だ。まだ成長期だとしたらシェリルがそのうち抜かしそうだ。メリアナはわたしより若干高いくらいか。三人ともブルネットの髪に青い瞳。姉妹はデザイン違いだが同じ淡い黄色のドレスを着ている。


「シェリル・キューイです」


 言うとシェリルはメリアナにも挨拶するように促した。


「メ、メリアナ・キューイです」


 メリアナは蚊の鳴くような小さな声で早口に言うと、さっとシェリルの後ろに隠れてしまう。


「妹は引っ込み思案で」


 シェリルが苦笑いだけど優しい眼差しで告げた。姉妹仲が良さそうだった。


「二人とも、少し見ない間に随分大きくなったわね」


 マリアンヌが親戚おばさんあるあるみたいな文言を口にすると、「こんな所で立ち話もなんですから」とキューイ夫人が告げ、案内されるままに従った。シェリルのスカートの裾を掴んだまま前を歩くメリアナが、何度か振り向いて、そのたび視線が合った。



 キューイ夫人自慢の中庭は、剪定が行き届いていた。花はなく全部緑色。生命力溢れる夏草の生い茂る庭園だ。薬草だったりするのだろうか。

 円卓のテーブルが設置されて、三人の少女が席に着いていた。皆が一斉に立ち上がるので恐縮してしまう。伯爵家のアウローラ嬢、子爵家のヘレナ嬢、男爵家のクリスティーナ嬢。いずれもシェリルの学校の級友で、メリアナの友達は来ていないようだった。一頻りの挨拶をすませるとマリアンヌが耳打ちする。


「サラ様、わたしは中におりますが……」


 続く言葉は「大丈夫ですか?」だろう。大人がいると喋りづらいので全く構わない。


「うん」


 とだけ返事すると、マリアンヌはキューイ夫人と室内へ入って行った。取り残されたわたしは、シェリルが引いてくれた席に腰掛けた。

 シェリル、わたし、メリアナ、それからアウローラ、ヘレナ、クリスティーナがぐるりとテーブルを囲う。十四歳と八歳じゃ話など合わない。それでも、四人は慣れた様子でわたしとメリアナにもわかるように話を振ってくれて、学校での出来事なんかを聞かせてくれた。類は友を呼ぶと言うのか、皆優しいお姉さんと言う感じで、いつもメリアナを仲間に入れて遊んであげていることがわかる。そして、メリアナには自身の友達がいないことも。まぁ、姉の友達と遊ぶのは楽だ。百合子にも姉がいたから記憶にある。姉が自分の友達と百合子の間で上手く立ち回ってくれるので、百合子は頷いたり笑ったり姉に言われるままに動けば良かった。過剰に気を使わずに済む。だから、自分の友達より姉達と遊ぶ方が好きだった。姉は相当鬱陶しかっただろう。長女は損だ、と大人になってぶちぶち言われた。その代わり年上の横暴を奮われることは多々あったのだけど。


「サラ様はマール殿下と婚約なさっているのですよね」


 尋ねてきたのはヘレナだった。この中のムードメーカーらしい。決してスルーする話題ではないから、興味本位というより社交辞令と言った感じだ。あいつについての愚痴は色々あるが、


「はい。幼馴染なんです」


 と返した。


「幼馴染で婚約なんてロマンチックですね」


 おっとり系のクリスティーナが呟く。何一つそんな要素はない。なんと答えて良いのか分からず、


「みなさんは、婚約者はいらっしゃるのですか?」


 とポロリと言ってしまった。為政者である上位貴族の政略婚約は現行も根強く残っている。でも、幼いうちから婚約せず、恋愛結婚するケースも多い。年下公爵令嬢のマウント発言になったりしないか、一緒ヒヤッとしたが、


「いえ、わたしはまだ」

「わたしもです」


 とヘレナとクリスティーナが否定して、追うように、


「わたしも」


 とアウローラが口にすれば、


「アウローラにはハロルド様がいらっしゃるじゃないの!」


 とシェリルを含めた三人が口を揃えて発した。何事かと思う間も無く、


「ハロルドとはただの幼馴染よ。親が学生の時からの友人で」

「でも、今だってアウローラがいれば挨拶しに来るじゃないの。いつも気に掛けている様子だわ」

「挨拶くらいするでしょう」 


 完全にわたしそっちのけで話が進み始めた。明らかに恋バナだ。わたしに気を遣って話題を選んでくれていたけれど、彼女達が話したかったことはずっとこれだったのではないか。わたしもマールのことより謎のハロルドに興味がある。カッコいいの? 背は高い? 優しい? モテる? ハロルドはアウローラを好きでアウローラも? 両片思い? もっと情報くれよ! と口を挟みたいが、わたしの存在が空気になってこそ盛り上がる会話だ。黙っていなくては駄目だ。


「でも、デビュタントはハロルド様にお願いするのでしょう?」

「しないわ。それに、ハロルドにはキャスリーン様がいらっしゃるもの」

「あんな人に負けちゃダメよ!」


 え、詳しく! 根掘り葉掘り聞きたい。この溢れる好奇心をどうすればよいのか。悶々とする隣で、すうっと大きく息を吸う音が聞こえた。えっ、と思って右横を見やると、


「……ハ、ハロルド様はお姉様達と同じ歳で、学年で一番カッコいい人なんです」


 小さな声でメリアナが言った。なんてことない説明。テーブルで今も取り交わされている会話に耳を傾けていた方が余程に情報が得られる。でも、そんなことはもうどうでもよかった。一瞬でどうでもよくなった。メリアナがしゃべりかけてくれた。深く呼吸して切り出すほど、どれほどの勇気がそこにあったか。とてもわかる。気づかないで流してしまう自分でなくてよかった。


「メリアナ様は会ったことある?」


 メリアナがぶんぶんと横に首を振る。


「見てみたいね」


 メリアナがこくこくと縦に首を振る。シェリル達の話が進んでいく隣で、二人、目を合わせてえへへと笑った。多分、お互いに理解した。その瞬間、わたし達は友達になったのだ。

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