第24話 嫌いな理由

 エメラルド宮の前には客人用の馬車が一台待機していた。


「今日は突然の会食に付き合わせてすまなかったな。礼を言う」

「とんでもないです! わたしの好きな料理ばかり用意して頂いて、こちらこそ有難うございます!」


 エリィと同じ馬車で帰るのは嫌だ。ニ台用意してくれよ。パパはまだ仕事をしているだろうか。「パパと一緒に帰るからわたしはここで」と言って退散しようか。考えている間に別れの挨拶は進んでいった。忍のようにぬっと現れたルークがスカイブルーの淡い青地に白く王家の紋章が施された手提げをマールに差し出す。マールはそれを更にエリィに手渡した。


「これを。王家の特製レシピで作った焼き菓子だ。クローウェル伯爵に宜しく伝えてくれ」

「有難うございます! 父も喜びます」


 え? わたしの分は? 思うより一瞬早く、


「ほら、サラ。お前も礼を」

「え」


 マールが言った。いつの間にか見送る側に配置されている。わたしだって帰りたいのに、なんで? まさか本当に説教をする気なのか。冗談じゃない。しかし、そんなわたしの内心など推し量る様もなく、


「エリィ嬢、サラはこれまで社交の場に出る機会がなくて友人もいない。好きにさせてきたから我儘なところがある。君が仲良くしてくれたら心強い。宜しく頼む」


 更にむっとさせるように、マールは言葉を繋いだ。何だよ。親かよ。まるでわたしが社交性のない子供みたいな扱いだ。一周回って敢えてあの態度をとった。丸く収められたくない。でもここで、わたしは我儘なんかじゃない! 仲良くなんてしたくない! と反論するのは悪手だ。わたしは、世界中の気弱な同志の無念を背に、厚顔無恥な連中に「お前たちの横暴はこちらの気遣いの上に成立しているのだよ」と知らしめたい。正論を武器に正義の鉄槌を食らわしてやるのだ。その為には自分はまともであらねばならない。今日は見事な勝利と言えた。わたしの変化に気づいたらしいエリィのチラチラした視線は感じたから。「いいぞ! ざまみろ」と思った。しかし、今、このわけのわからん王太子の戯言によりその効果が減退しようとしている。エリィが現時点でマールを好きかどうか、いつ好きになるのかは不明だが、マールが擁護すれば浅傷になる。全く余計なことしか言わない奴だ。どうすべきか。「やり返してやる」部分までは幾度も夢想してきたが、その後の展開は未知の領域だ。

 トライアングル状に立っているものの、エリィとマールが向き合う形となっている。マールはエリィに声を掛けたので、下手に動かず先にエリィの出方を伺うことにする。エリィはわたしを一瞥して、


「わたしもサラ様と仲良くして頂ければ嬉しいです。まだ、帰国したばかりでそんなに親しい友人もいないんです。よろしくお願いします」  


 と躊躇いがちに笑った。気まずい様子であることが、まともと言うか、まだ子供だから隠しきれていないと言うか。将来のエリィならもっと恙無く完璧に微笑むはずだ。そう、これから長い付き合いになる。ここで変に意固地になってはいけない。わたしは「当たり前」を返したたけだ。なので今も何食わぬ顔で笑って返せばいい。結論は出た。


「こちらこそ、よろしくお願いしますね」


 あんたがわたしに無礼を働かない限り、わたしから攻撃することはないのだよ。しっかり肝に銘じとけ。内心を隠しすぎないように不敵に笑ったつもりだ。マールがじっと見てくるので、同じような視線を返してやった。


「よかったな」


 は? いよいよこいつは本気でおかしいのではないか。怒りより寒けがするような相入れなさを感じた。


「エリィ嬢、また招待してもよいだろうか」

「はい! もちろんです。楽しみにしています!」


 エリィは再び丁寧にマールに頭を下げ、わたしにもぺこりとお辞儀をして馬車に乗り込んだ。馬がカポカポ軽快な足音を鳴らして去って行く。同時にルークも後方へ下がった。おいてけぼりにされて微妙な沈黙が残る。


「人前では淑女らしく振舞うように言っただろう」


 口火を切ったのはマールだった。


「何?」

「他人に失礼な態度を取るな」


 本当に注意が始まった。やっぱりわたしの味方をしてくれない。やっぱり? そうだ。前前世だって何もしてくれなかった。だが残念。俯いて頷くだけのサラちゃんは、もういない。


「あのね、マール様は鈍いから気づかなかったかもしれないけれど、先に失礼な態度を取ったのはエリィ様なの。わたしが感じよく笑顔で接していたのに、それを全く無視して、わたしのこと、むすっとして会話に入ってこないって言ったの。無口な方ですねって言うのはそう言う意味なの。だから、わたしは抗議をしたの。それが何か問題?」

「無口だとは、オレも昔よく言われたな。だから、人前ではなるべく口数を多くするよう努めている」


 へー、だから外面よく、ぺらぺらしゃべるのですね。で、だから? 今わたしが言ったことに何か関係ある? 意味がわからないのですけれど? 自分も言われたし、それくらい何だってこと? ははっと笑いが漏れそうになる。


「そんなことで泣くなよ」

「冗談が通じないんだから」

「ちょっと言っただけじゃん」


 言われたくなくて必死で涙を隠した前世の百合子がゆらゆら揺れる。「そんなこと」かどうかはわたしが決めることなのに、それさえ相手の基準に合わせていた。無知だった。マールがどうも思わなくとも、わたしには不快。それが事実で、全てだ。助けてくれとは言わないが、わたしの主張を否定するな。大体が、鈍くて疎い男は、女子の喧嘩に口を挟むんじゃない。何が失礼で、わたしがどうマウントを取られたかなど、想像にも及ばないのだから。


「マール様は無口かもしれないけれど、わたしは別に無口じゃないし、それににこにこ愛想よくしてた。だけどエリィ様は、自分の方が話が上手くて社交的ですってわたしを貶めて自分の評価を上げようとしたの。それがわからないの?」


 真底疲れるが、懇切丁寧に説明してやると、信じられないことにマールは笑った。


「何がおかしいの!」

「お前のことはエリィ嬢よりよく知っている。そんな心配は無用だ」

「心配なんかしてない」

「じゃあ何だ? 失礼なことをされたから失礼を返していいわけじゃない。不躾な言動は慎め。王妃教育で習っているだろ」


 王妃たるもの弛まぬ笑顔で、誰にも平等に、私情を殺して、鉄仮面を被れってやつ? 全くもってお断りなんですけれど。


「わたし、あの教育おかしいと思う」

「何がだ?」

「王妃様になれば失礼な態度を取る人はいなくなる。でも、今のわたしには失礼な態度を取る人は沢山いる。王妃様が王妃らしく振舞うのと、わたしが王妃らしく振舞うことは全然違う。王妃になったら王妃らしくする。そうじゃないと割に合わない」


 子供の我儘は子供のうちにすべきなんだ。というか、王妃になるかもわからない。わたしの未来は無限に広い。絶対に絶望なんてしない。


「……誰かに何か言われたのか?」

「さっき言われてた」

「大したことじゃない。これから公の場に出れば、もっと露骨なことを言う人間はいる。いちいち腹を立ててやり返せば、お前の評価が落ちるだけだ」

「じゃあ、わたしに失礼なこと言う人達を全部なんとかしてよ!」

「してやりたいが、人の口に戸は立てられん。だから、人前では常に淑女らしく振る舞い、隙を与えないことが必要なんだ」


 口で言うのは簡単。実際にやるのはわたしだ。生まれながらに王位継承が約束されたマールと、たまたま婚約者に選ばれたわたしとでは立場が違いすぎる。わたしの滑落を手ぐすね引いて待ち構えている人間がどれほどいるか。わたしと同年代の令嬢全てがライバルになり得る。やり返さずにうじうじしていたら舐められるだけだ。耐えて、耐えて、耐えて、サラちゃんは一体どんな思いをした? 助けてもくれなかったくせに。


「知らないよ、そんなこと。大体、今はそんな話をしているんじゃない。エリィ様を庇ってわたしに注意するなんておかしいって言ってるの。マール様のせいでわたしが悪いみたいになったじゃない!」 

「エリィ嬢に、お前の味方になってくれと頼んだのだろう。何が気に入らないんだ」

「わたしとエリィ様が仲良くなれるわけない」

「何故だ? エリィ嬢は社交性もあるし、頭も良い。先日帰ってきたばかりだが、茶会の席ではすっかり他の令嬢にも馴染んでいる。彼女みたいな友人がいればお前も安心だろう」


 アホか。エリィはお前を好きになるから、わたしの最大のライバルになるんだわ。エリィと仲の良い令嬢達もみんな敵になるんだよ! わかれよ! しかし、実際は何の根拠もなく、まだ何も始まっていないのだ。


「……友人が欲しいのじゃないのか?」


 冷たく睨みつけるとマールが驚いて言う。何情報だ。友達が欲しかったら何だ。貴族は友達も婚約者の紹介で作るのか。王太子の婚約者に見合う友達を作れって? 断じて拒否する。


「自分の友達は自分で決める。勝手にエリィ様を招待して、わたしと引き合わせようとしないで。もてなしたいなら一人でもてなしてよ! わたしには関係ない。もう帰る!」

「何を言っているんだ。何処に行く? お茶の用意をしている。まだ領地の話も何も聞いていないだろ」

「パパと帰る! ついてこないで!」


 パパの執務室を目指して走る。マールはパパの前では、わたしに何も言わない。前前世ではそうだった。そして、わたしが全力疾走したところで一瞬で捕まえられるはずのマールは追ってこない。つまりこの情報は今世でも有効らしい。


「王妃教育はやり直しだぞ!」


 珍しいマールの大声が背中に響く。受けるわけなどない。





 夢中で執務室まで来たものの、パパがいなかったらどうしようか不安はあった。重厚な扉を拳を縦にしてどんどん叩いてみると想像より大きな音が鳴った。


「開いている」


 事務的な声が返る。しかし、開けようにもドアノブの位置が高すぎて届かない。


「パパ!」


 呼びかけると、室内から駆け寄る足音が聞こえて直ぐに扉が開いた。


「どうした? マール殿下は?」

「もう終わったから帰る」

「クローウェル伯爵家のエリィ嬢も一緒だったのだろう?」


 パパが周囲を確認するように視線を走らせる。知っていたのかよ。何故教えてくれないのか。


「エリィ様が来ること知っていたの?」

「あぁ、しっかりしたお嬢さんだ」

「会ったの?」

「クローウェル伯爵と登城して何度かな」


 帰ってきたのは先々週じゃなかったか。何度か、とは何度だ。どんだけ入り浸るのか。そういう所も合わない。


「お前と同い年だと話せば、会いたがっていた。丁度、お前も友達を欲しがっていただろう」


 マールに情報をリークしたのはここだったか。領地での手紙もパパが直接届けていたから、考えればすぐわかることだ。それに、マール同様、パパもエリィを気に入っていた。前前世でパパと話しているのを王妃教育の帰りによく見かけた。


「議員会館を案内してくださるんですか! 嬉しい! サラ様も一緒に行きましょう」


 頬を上気させて愛くるしく笑うエリィと、傍に立つパパを横目で見ていた。わたしのパパなのに、なんでエリィがわたしを誘うのか。パパは子供が苦手みたいだったけれど、エリィは屈託なくがんがん話し掛けるから、段々垣根が下がっていくのが目に見えて分かった。パパはエリィに甘かったし、優しかった。だから、わたしのティアラだって……。


「わたし、あの子嫌いだよ」

「え?」

「嫌い」


 ただのやっかみだ。わかっている。前前世の話じゃないか。馬鹿みたい。幼稚だ。とても幼稚。乾いて思う内心とは裏腹に、後から後からサラちゃんの記憶が脳裏に浮かぶ。


「公爵様はお優しいですね! カッコイイし羨ましい」


 エリィが言うのが嫌だった。そんなことを言いながら、わたしよりパパと仲が良いのが嫌だった。


「サラ様とお揃いのぬいぐるみ! 嬉しい! 有難うございます!」


 人気の人形や流行のぬいぐるみ、色違いのドレスをエリィと一緒にプレゼントされるのが嫌だった。欲しかったけど、わたしは一言も「欲しい」とは言っていない。言ったのはエリィだ。なのにパパは買ってくれた。「同い年の女の子が欲しがる物を、友達とお揃いの物を」と買ってくれたのだろう。別にエリィの為じゃない。エリィに教えてもらったから、エリィの分も。それだけのこと。きっとそうだ。そう思った。でも、


「じゃあ、今度はうちのお父様に願いして、このクマに似合うお洋服を買ってもらいましょう! サラ様は何色がいいですか?」


 わたしはパパにはそんなことは言えない。エリィは自分の父親にも、わたしのパパにも同じように笑って甘える。ずるい。そんなのずるい。嫌い。嫌い。嫌い。自分の問題なのにエリィを憎んだ。わかっている。わかっていた。エリィを恨むのはお門違い。完全な八つ当たり。わたしよりパパと仲良くしないで! なんて考えるのはおかしい。わたしがパパと不仲なことと、エリィがパパに親しく振舞うことは別問題。それでも、わたしはエリィが嫌いだった。わたしは独占欲が強くて妬きもちやきで、でも黙って見ているだけで何もしない子だった。指を咥えて待っていただけ。言えばよかった。言えばよかったのに、サラちゃん。だって、ほら、


「どうした? ケンカしたのか?」


 パパがおろおろしゃがみこんでわたしの顔を覗きこむ。


「パパのこと、取るから嫌い」

「え?」

「わたしのパパなのに!」

「どうした? 誰もパパを取ったりできないだろう」


 パパは困惑しきった様子で、でも、笑い飛ばしたり、呆れたりはしなかった。懐に潜り込んで首にしがみつくと、パパの匂いがする。安心する。


「エリィ様とは仲良くできないの」

「……何かあったのか?」

「別に何もない」

「なら、どうして……」


 やり返したからもういいし、やり返すから何もしてくれなくていい。ただ、パパはわたしのパパなんだ。ギュッしがみつくと、パパの手が頭を撫でた。


「性格が合わないの。パパこそなんでエリィ様と仲良くさせたがるの?」


 王家の血筋だから? 利権問題? 王妃教育まで受けさせて何がしたいかわからない。


「これから社交場に出ることも増えていく。友達がいた方が良いだろう」

「エリィ様じゃなくたっていいでしょ。これから作るよ。お茶会デビューもしたんだから」

「……女性の集まりには特有のルールがある。お前にはママがいないから、身近で力になってくれる友人が必要だ。エリィ嬢ならマール殿下の血縁で信用できる」


 パパは耳元でもごもご言った。いやいや、無理だから。絶対ダメなやつ。マールとエリィを近づければ二人がくっつくと予想しないの? 再従兄妹だから? 普通に結婚できますけれど? まだ何も起こっていないのに勘繰るのもどうかと思うが、マールは綺麗な顔をしている。長身だし、身のこなしも冴えている。女の子が憧れる要素だらけだ。それなのに、いくらなんでも迂闊すぎないか。驚愕する。それに「女性特有のルール」なんてパパの口から出ることにもびっくりした。そういうことには疎いと思っていた。階級社会の女性集団。記憶が戻る以前のわたしなら一溜まりもない。前前世では散々やられて、その上、マールにお茶会を出禁にされたのだ。


「……だったら、もう行かなくていい」


 溜息混じり言われた。サラちゃんはあの時何と返したのだったか。いや、違う。サラちゃんが先に言ったから、マールが答えたんだ。……え? サラちゃんが先? サラちゃんが? サラちゃんがマールに何を言うというのか。言うわけない。でも……わからない。多分、胸糞悪すぎて記憶から削除した。王太子の婚約者が度重なるお茶会を欠席していいわけがない。行かなくていいわけなどあるか。それでエリィの株ばかり上がったのだ。

 首から腕を離してパパの顔を見る。ちょっとバツの悪そうな表情。パパがエリィに優しくするのはわたしと友達になって欲しかったから? だったら、プレゼントを贈ったのは賄賂じゃないか。割とダメな親のすることだ。でも、前前世ではなんだかんだでエリィとずっと一緒にいた。クローウェル伯爵が再び海外赴任で引っ越しをするまで、周囲にはエリィがわたしの唯一の友達に見えていたはずだ。学園で再会して本当に険悪になった。


「大丈夫。一人で平気だよ。上手くやれるし、友達も作れる」


 獅子が我が子を崖の上から突き落とす方式で、わたしを逞しくさせようとしているなら、友人にエリィを選ぶのはわかる。でも、絶対違うだろう。パパは女子のいざこざが難しいことは知っているが、実態は把握できていない。逆に、認識しているだけでも賞賛だ。何処で誰に聞いたのだろうか。


「お前は、ママに似たのかも知れんな」

「え?」

「自分のことは自分で解決する人だったよ」


 パパの突き抜けるように深い新緑の目が優しく緩む。ママのことを今でも強く思っているんだ。へへっと満ち足りた気持ちになる。


「お茶会に行ってもいい?」

「あぁ、何処でも好きな茶会に参加できるよう手配する」


 おぉ、流石の宰相。取り敢えず、いろいろリサーチしなければ。エリィの友達を横取りしてこちらの味方につけるつもりはない。絶対に性格が合わないから。わたしはわたしの友達を作る。わたしと同じ匂いのするタイプがいい。「何にも問題ないですよ。優しくていい子ですね。遅刻もしないし、授業態度も真面目です」っていうタイプ。人の話を聞くときに顔が笑っている子がいい。教室の隅で静かに話している感じ。だけど別に暗くて陰気なわけじゃない。勝手に「大人しくてしゃべらない」とタグ付けされただけだ。わたし達はわたし達で最高に楽しかった。反論して変な空気にしたくなかったから言い返さなかっただけ。でも、今度は違う。スクールカーストで舐めた辛酸を甘いお菓子に変えるのだ。見ていろ、大革命だ!

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