第18話 逸話 知らない物語 -君のためにできること- 3

 オーランドとメアリージュンが再会を果たした後、どのように結婚に至ったか。

 その経緯は中々に複雑だった。

 何の障害もないのに、勝手に茨の道を突き進み、ややこしい方へややこしい方へ話を進める男がいたからである。オーランドの恋愛音痴ぶりには、皆が手を焼いた。

 まず初めの勘違いが、


「自分はジェニファー王女の偽婚約者であるのだから、正式な発表があるまでは、オーガスタ嬢に思いを伝えることはできない」


 である。

 慰労会にて、メアリージュンがこの計画に加担していることは話していた。しかし、オーランドの耳にはその会話が全く入っておらず、オーランド一人だけが「メアリージュンに秘密がばれてはいけない」と誤認識していたのだ。オーランドとメアリージュンが二人きりになるような席を幾度となく設けてみるも、


「私はジェニファー王女の婚約者です」


 というスタンスで接する。それでメアリージュンの心が折れそうになったことが何度もあった。

 では、オーランドはメアリージュンに恋慕を抱いてはいないのか。

 メアリージュンを常に目で追っているし、他の令嬢の話をしても聞き流すくせに、メアリージュンの話となれば、やたらに質問をしてくる。


「そんなことまでは知らんよ」

「そういう会話をしたのでしょう。何故、そのことを疑問に思って尋ねなかったのですか」


 とオーランドが食い下がることに、デイビット殿下は呆れた。じゃあ、自分で聞けよ、と。

 そんな男に、メアリージュンを好きなのかわざわざ尋ねることは一種の虐めではないか。誰がどう歪んで解釈しても好きだろう。では何故? そのまま押せ! 絶好の好機! というタイミングで拒絶の態度をとる。謎である。こんな不可解な男は相手にしない方がよい。しかし、見た目のふんわりした雰囲気とは違いメアリージュンは強者で、オーランドに果敢に挑んでいく。まるで冒険者のように勇ましくて感心してしまう。この恋は、メアリージュンが見切りをつければ終わる。女は一旦嫌いになれば切り替えは早い。オーランドはその後どうするつもりなのか。デイビット殿下、キャサリン、ジェニファーは手遅れになる前に窘めようとしたが、メアリージュンが止めた。


「オーランド様にもお考えがあるのだと思います。大丈夫ですから」


 メアリージュンは最初こそオーランドの態度に失意を抱いたが、会う回数が増える度、憎からずオーランドが自分を思ってくれていることを意識するようになった。それは言葉の端々であったり、歩く速度であったり、傍にいる時の体温であったり、極々小さな合図だった。オーランドの細やかな神経が自分に注がれている。受け入れられていることが理解できたのだ。周囲にはわからない、アンバランスなのに絶妙に釣り合う関係だった。

 そうこうして一年が経過し、晴れてジェニファーとクリストフ辺境伯の婚約が正式に発表された。誰よりも喜んだのはオーランドだ。


「では、今度こそお役御免ですね」

「あぁ、今まで迷惑を掛けたな」


 オーランドは、その日のうちに、メアリージュンに手紙をしたためた。


『今度のダンスパーティーのパートナーになってもらえないだろうか』


 という内容に柔らかな淡紅色のドレスを添えて。オーランドにとっては積年の告白だ。これまで何度も、デイビット殿下にメアリージュンに懸想していることを打ち明け、


「オーガスタ令嬢は、決して偽装婚約を吹聴する人ではありません。どうか、彼女に真実を伝える許可をください」


 と懇願しようとしたことか。しかし、それは生真面目なオーランド自身が許さなかった。一度引き受けた約束を手前勝手に反故にできない。まして、メアリージュンが自分の思いを受け入れてくれる保証もない。デイビット殿下の信頼を捨てて、恋に溺れ、挙句玉砕とは愚鈍すぎる。言い訳めいて考えて、結局、後回しにして逃げたとも言えるが。しかし、とうとう逃避理由がなくなり意を決したのだ。

 一方、いきなり届いたオーランドからの贈り物を受け取ったメアリージュンは、手紙の文面を読んで吹き出した。誘い文句より、


『気に入らなければ捨ててほしい。サイズが合わない場合は、コルサージュ商店で仕立て直してください。手配は全部整っている。店の営業時間は十時から十七時までだが、土日も開店しているし、予約して行けばスムーズに入店できると思う』


 等々、ドレスについての断り書きの方が長かった。付き合ってもいない女性にいきなりドレスを贈りつけてくるくせに、変なところで神経を使う。もっと気にすることがあるだろう。この人は、この学園のダンスパーティーに女性を誘う意味を理解しているのだろうか。でも、別に知らなくても構わない、とメアリージュンは思った。ただの既成事実になるだけだから。



 ダンスパーティーの日。

 あまり物怖じしないメアリージュンは胃痛がするほど緊張していた。

 贈られたドレスを纏い講堂へ足を踏み入れる。男女に別れた校内で唯一共同で使われる場所だ。半年に一度開催されるパーティーでは女生徒が壁際に立ち、男子生徒からのファーストダンスの申し込みを待つ。予め示し合わせた恋人がいる者は入り口から舞台に向かい右側へ、募集中なら左側へ、と暗黙のルールの元、不安を抱きながらこっそりと右側の壁際に立った。

 男子生徒が続々と入場してくる。デイビット殿下が迷うことなく定位置で待っているキャサリンの手を取る。華やかな曲が流れ二人のスタートダンスが終われば、皆が自分のパートナーを求めて動き出す。三百人の生徒で賑わうフロアだ。メアリージュンは初心過ぎて知らなかったが、通常はある程度の立ち位置を事前に相手に伝えておく。今更理解してメアリージュンは不安に駆られた。オーランドは自分を見つけてくれるのか。いや、彼は目立つのだからこちらが見つければいい。思い直してフロアに目を向ける。少し離れた場所、だけれど真っすぐ正面にあまりに容易くオーランドの姿が確認できた。メアリージュンの身体は硬直した。気づいてくれるだろうか。目が合う。


————笑ったわ。


 それに物凄く感動をしてしまった。

 メアリージュンが惚けている中、オーランドは長い脚でつかつか正面まで来て、掌を差し出した。ゆっくりと手を重ねた瞬間、


「ダンスが苦手なんだ。私が君の足を踏みそうになったら先に踏んでくれ」


 開口一番にオーランドが言った台詞。

 メアリージュンは虚を衝かれて笑った。冗談を言って緊張を和らげてやろうと意図したものではない。とても真面目に言ったことに、更に笑いがこみ上げた。


「そのドレスは無理して着ているのじゃないか。すまない。君の好みも考えず」


 ダンスの間中、幾度も謝罪された。


「いいえ。とても気に入っています。有難うございます。でもどうしてこの色を?」


 女性は淡紅色を好む。オーランドならそういう認識をしていそうだとメアリージュンは思った。だが、


「……君のイメージだったから。でも後で君は寒色系のドレスを好むと聞いたんだ」


 とオーランドは少し躊躇って答えた。顔が火照る。こんな淡い色のイメージを抱かれているなんて夢にも思わない。大体、目の色に合わせた緑か青のドレスを仕立てることが多い。淡紅色が嫌いなわけではないが、あまり意識に上がらなかった。


「あの、本当に気に入っているんです。記念に姿絵に描いてもらいたいくらい」


 だけど、その日を境にメアリージュンの好きな色は淡紅色になった。




 二人の関係は着実に進展した。

 オーランドは相変わらずの堅物で勉強ばかりしていたが、メアリージュンを見つめる瞳の柔らかいことには、男のデイビット殿下も刹那のトキメキを感じるほどだ。メアリージュンは侯爵家であるし、家柄的にも問題ない。二人が婚約することは近いように思われた。

 しかし、そんな二人を祝福する者ばかりではなかった。

 ジェニファーとの婚約がカムフラージュだったと判明した途端、恋人となったのがメアリージュンだ。これまで婚約者探しも碌にせず、化粧も身なりにも大して気遣わず、恋愛に関して何らの努力もしてこなかった女に、大魚を攫われた餓えた熊の剥き出しの攻撃が如何様なものか。妬み、嫉みの激情がメアリージュンを飲み込んだ。尤もメアリージュンは気弱な女性ではない。もし頬をぶたれるのならば、その場で往復ビンタを返してやる気概はある。だが、どす黒い悪意は最も応戦しづらい弱いところをついて襲ってきた。


 メアリージュン・オーガスタはオーランド様に相応しくない。

 侯爵令嬢とは名ばかりの田舎者。領地に男がいて休暇のたび逢瀬している阿婆擦れ。

 母親も元田舎男爵の娘で身体で男を誑かし侯爵夫人に成り上がった。

 二代に渡り男を漁る下世話な女。


 あらぬ噂が飛びかったのだ。

 両親まで侮辱されたことに腸が煮えくり返り、噂する全員の髪の毛を掴んで引きずり回してやりたい衝動に駆られた。が、それをやれば、それこそ相手の思うツボだ。根も葉もない妄言に取り合っても仕方ない。ぐっと拳を押さえ込んだ。

 親友のキャサリンは、いち早く状況を察して、噂の出所を突き止めようと尽力してくれた。だが、皆が一様にだんまりを決め込んだ。敵が多すぎるのだ。そのことに、メアリージュンはある種の恐怖を感じた。自分は悪いことなどしていない。ただのやっかみ。それなのに、徒党を組んで口を閉ざし庇い合う頭のおかしい集団がすぐ側にいる。


「あなた達のことは秘密にしておいた方がよかったのかしら」


 キャサリンが苦悶に顔を歪めることにメアリージュンは首を振った。

 オーランドにエスコートされダンスパーティーへ出席したことは素敵な思い出だ。決して間違いなどにしたくない。配慮が足りないとも思わない。人の恋人を略奪したわけでもない。きっと忘れないし日記にも書いた。あのドレスも本当に姿絵に描いてもらったし、母に送りつけて自慢した。片思いしている間「あなたって根っからの冒険者なのね」と揶揄われたからだ。どれも、いつか年を重ねて若い日々を思い返す時、笑って語りたい出来事だ。


「こんなことで落ち込むくらいなら、オーランド様の恋人は務まらないわ。キャサリン、校内で流れている噂は何処まで広まっているかしら?」

「え?」

「オーランド様のお耳にはできれば入れたくないわ。あまりにも馬鹿馬鹿しくて。それに来年から官職の研修が始まって忙しくなるもの。下らないことに煩わせたくないの」


 メアリージュンは気丈に言った。

 噂が嘘であることはメアリージュンをよく知る人間ならば誰でもわかる。貴族社会は建前や世間体を気にするが、爵位が大いに物を言う。キャサリンが味方をしてくれれば、そう酷い問題にはならない。やられっぱなしで放っておくのは意にそぐわないが、虐められて形振り構わぬ仕返しに行った頃のような子供ではない。嵐が去るのを家の中でじっと耐えること。それが最良の方法だと判断し、赤い悪意を鎮静化させる選択をとった。

 ただ唯一気掛かりがあった。

 領地に男がいるとはジオルドのことだろう。どうやって把握したのか。ぞっとする。月に一度、定期的に書簡のやり取りをしているが、自分とジオルドの間にあるものは確かに友情だ。やましいことなどない。手紙の内容を毎回オーランドに見せても構わない。だが、噂によってその認識が覆った。もし逆の立場なら? オーランドに女性の親友がいて、定期的に手紙のやり取りをしていたら? 「オーランドに出会う前からそうだったから継続している」では通用しない。浅慮な行為だった。不誠実で情けない。メアリージュンは、すぐさまジオルドに手紙を書いた。ありのままに本当のことだけ。返事は直ぐに届いた。


『メアリージュンへ


 無事なのか? 女の陰湿さって怖いな。助けに行ってやりたいが、女学生を殴り飛ばすわけにはいかんしな。オレには得策が思いつかない。お前もカッとなってやり返すなよ。ロマノフ嬢が味方してくれるんだから、余計なことはするな。何かあればヒュー公爵にもちゃんと頼れ。

 手紙のことは気にしなくていい。

 実はお前がヒュー公爵と付き合い始めた時、手紙は止めるべきだと考えたんだ。でも、男ができた途端、そんな提案をするのもどうかと思ったんだ。オレがお前を好きで傷ついたからとか変に誤解されると嫌だからな。まぁ、生きてりゃそのうち何処かで会うこともあるだろう。領地に来たら顔くらい見せろ。男前のヒュー公爵も見てみたいしな! その時はよろしく。

 追伸 血の誓いはずっと有効だからな。もし、本当に何かあれば、いつでも助けを求めに来いよ。


不滅の友情を込めて ジオルド・マカリスター』


 ジオルドらし過ぎる。寂しいというより温かい気持ちになった。幼友達とずっと仲良くいられないのは男女間だけのことではない。皆なそれぞれの道を歩いて行くのだから。

 メアリージュンは、悪意には絶対に負けないし、オーランドと共に歩いていきたいと思っている。メアリージュンは、額縁に入れて一生飾って置きたい親友からの手紙に、最後の返信をしたためた。だが、その手紙はジオルドの元へは届かなかった。メアリージュンの部屋から忽然と消え失せたのだ。


 ジェ二ファーの偽婚約者をしている間、メアリージュンが他の男に取られないかと冷や冷やしていた。婚約者を見つけたいのは女生徒ばかりではない。侯爵家の一人娘は下位貴族の令息からすれば、喉から手が出るほど望みたい相手だ。しかし、そんな理由でメアリージュンを奪われるなど許せない。いや、例えそれが純粋な思慕であろうとも認められない。メアリージュンと再会して一年、ずっと考えていた。なぜ彼女だけがこんなにも特別なのか。どうして彼女にだけこうも捕らわれるのか。もう離れろ、そっちへ行くな、と食い止める自分がいる一方、姿を目にしたらたちまちに気持ちは反転する。わからない、知らない、と足掻いてみるも、とうに答えは出ていた。認めてしまえばあまりに明朗だった。自分はメアリージュンが好きなのだ。街中の本屋に赴き恋愛指南本を片っ端から読み漁れば、そのどれにも当てはまるほど、わかりやすい恋だった。それでも最後に悪あがきで、本に書かれているごく単純な実験をした。目を見つめて胸が高鳴れば貴方はその人が好きなのだ、と。だがそれも無意味に終わった。気づいてしまった。目を見れば、ではない。この瞳だ。この柔らかな新芽に似た優しい緑の瞳。初めて会った時から思っていた。この瞳に映っていたい。ただその願いが自分を突き動かす。つまり、最初から好きだったのだ。


 

 漸く堂々と告白できる立場になって、一番にしたことがドレスを贈りつけたこと。

 デイビット殿下に知られて、散々と駄目出しをされた。女性には好みがあるのだから、流行り廃りがあるのだから、メアリージュンは寒色系のドレスを着ていることが多いだろう、と。


「お前は有能な男だが、恋愛に関しては大分欠落していると思うぞ。相談に乗るからあまり早合点に動くな」


 釘を刺されてオーランドは蒼白になった。

 焦る気持ちが抜けない。何かをこんなにも欲しいと思ったことがなくて、絶対に誰にも取られたくない。目の前でもっていかれるのは耐えられない。目の前で? かつて領地で少年に連れられ消えていったメアリージュンの姿が忘れられない。いつの話をしているのか。狭量だが、気持ちばかりが先走る。ダンスパーティのパートナーの了承を得たが、欲しくもないドレスを贈られ、断れなかったのではないか。恋愛のやり方一つ知らない哀れな男への同情なのではないか。考えるほどに深みにはまっていく。


「同情で承諾してくれるほど女性は甘くないぞ」

「彼女はダンスパーティのパートナーの意味を知らないのかもしれない」

「お前が知っているくらいだから、それはない」


 ありとあらえる最悪の事態を想定して向かったダンスフロアだったが、メアリージュンの姿を見た瞬間、単純に嬉しいという感情に飲み込まれた。公の場で堂々とメアリージュンをエスコートする。やっと手に入った。もう誰にも奪われることはない。安易にそう思った。





 オーランドは卒業後、事務次官として働くことが内定していた。最終学年に上がれば、月の半分は研修生として王宮へ上がる。学生と社会人の両立で、かなり忙しい一年だ。今も既にその下準備に追われている。更に公爵家の嫡男としてやるべきことも山積だった。目まぐるしく動きまわる中、メアリージュンとの逢瀬に時間を割けず、かろうじて手紙を送り合う日々。

 その日も遅くに宿舎へ戻ってきたオーランドは、部屋に備え付けられている郵便受けを覗いた。二つの手紙が入っている。そのうち一つを見つめて柔らかな気持ちになった。メアリージュンからの手紙は淡紅色の便箋と決まっている。自分がイメージだと言ったからか、どぎまぎしてしまう。

 だが、もう一通に対して不穏を感じた。差出人の記載がない。間違いなのではないかと宛名を見れば自分の名が記されている。室内に入り、机について開封する。どうでもいい無記名の方から。瞬間に頭が白くなった。


『ジオルドへ。


 わたしは平気よ。

 本当にごめんなさい。それから最大級の有難う。貴方の言葉に甘えさせて貰うわ。これが最後の手紙です。

 けれど、もし、貴方や貴方の家族に何かあればわたしもいつでも駆けつけます。

 二人で誓った約束は永遠に有効よ。

 いつかまた領地で会いましょう。


        メアリージュン・オーガスタ』



 見慣れた文字が並ぶ。だが文面が頭に入ってこない。

 ジオルド・マカリスター。

 何処までもこの男が影を落とす。一体何がどうなっているのか。メアリージュンはジオルドについて隠し立てはしていない。茶会の席で、キャサリンの口から「メアリージュンの釣りの上手い友達」として名前が出るくらいだ。尤も幼少期の話がそれほど話題に上がることもない。メアリージュン自身がジオルドについて話したのも一度か、二度。


「領地にいる友達と、昔よく虫を捕まえたりしましたから、虫系は平気なんです」


 些細な会話だった。だが、オーランドはきっと彼なのだろうと想像して、勝手に胸の奥に針が刺さるような小さな痛みを感じた。どんな独占欲なのか。自分に辟易して、詰まらない男と思われないように上手い具合に隠してきた。だというのに、この手紙は何か。メアリージュンにではない。名も名乗れないような卑怯な人間に、深く蓋をしてきた激情を暴かれたことへ、殺意が沸いたのだ。

 椅子に座ったまましばらくぼんやりと眼前のランプを見つめた。

 手先が冷える。顔だけ熱い。自分が冷静な状態かどうか判断できない。ただ、感情は押さえて状況を分析しようと試みた。

 手紙の内容は別れを告げるものらしい。気になる言葉が端々にあったが、余計な推測はせずにおく。重要なことは、何故ジオルド・マカリスター宛の手紙が自分の元へ届いたのか。封筒に記された筆跡はメアリージュンのものではない。まさか宛名だけ筆跡を変えたわけでもないだろう。つまりメアリージュンが間違えて投函したものではない。では、誰が、何を目的に、どういう経緯で入手した手紙を自分に送りつけてきたたのか。ジオルド本人が自分に届いた手紙を送ってきたか、或いは、別の第三者がメアリージュンから盗んだ物を送りつけたのか。王都の郵便局の消印が押されてあるから、ジオルドの線は消していい。では盗んだものである可能性が極めて高い。盗んだ? 冗談。メアリージュンは得体の知れない人間が簡単に入り込める環境で生活しているのか。キャサリンと隣室だと聞いている。部外者が易々侵入できるとは思えない。では、内部の者の犯行。寮生。苛々とした怒りが沸いた。オーランドは恋愛に疎いが、自分がモテる部類の人種であることは知っている。合理的でわかりやすい状況が掴めた。だが、この手紙を自分に寄越してどうだというのか。メアリージュンと自分を破局させるため? 舐められたものだな、とオーランドは口の端を上げて笑った。とても愉快でたまらなかったから。



 翌朝一番で、オーランドはデイビット殿下の元を訪ねた。

 ことの経緯を端的に話すと、メアリージュンに対するあらぬ噂について教えられ、舌打ちしたい衝動に駆られた。同時に、昨夜の仮説が正解であることを確信した。


「何故、私に知らせてくれなかったのですか」

「メアリージュン嬢の頼みだったんだよ。ただの下らない噂だから、忙しいお前を煩わせる必要はないって」

「しかし、もうそんな次元の話ではないでしょう。不法侵入に窃盗です。今後も何が起きかわからない。メアリージュンの隣室はキャサリン嬢ではなかったですか?」


 キャサリンの名を出されてデイビット殿下が黙っていられるはずがない。それにデイビッド殿下自身も、メアリージュンのことを放置することが得策なのか、思うところはあったのだ。

 結論を出してからの二人の動きは早かった。直様、学園長の部屋を訪ね、警察を呼ぶか、朝の集会で発言する場を与えるかを迫った。

 月曜日と木曜日は男子学生、火曜日と金曜日は女子学生が、講堂で朝礼に参加する。学園長の有難くない話を受けるのだが、その日は違った。朝だというのに痛烈な黄色い悲鳴が講堂内にこだました。学園の二大イケメンが演台に姿を現したのだ。

 他の生徒達が舞台に視線を集めている中、メアリージュンと目を合わせたキャサリンは首を横に振った。二日前、メアリージュンがは、手紙が紛失したことをキャサリンにだけ打ち明けていた。自分の勘違いかもしれないし、他に盗られたものもない。手紙は書き直せば済む話だから、と大事にならないように口止めしていた。キャサリンが「自分ではない」と目で訴えている。キャサリンを疑うわけではないが、オーランドとデイビット殿下が女学生の朝礼に登場する理由が他に考えられなかった。何を言うつもりなのか。メアリージュンが固唾を飲む中、オーランドは演台の前で、淡々と論文を読み上げるように言った。 

 

「公爵家のオーランド・ヒューと言います。私の恋人についてあらぬ噂が飛びかっていることは知っています。内容も全て把握している。下らない嘘を信じたりはしませんが、別に構わないとも思うのです。ご親切に私に封書を送ってきた窃盗犯がいるようですが、噂が嘘でも本当でもどうでもいい。いずれにせよ私はメアリージュン・オーガスタ嬢と結婚する。その事実があるだけです。だが、これ以降私の妻に危害を加える者は、私への、延いては公爵家への宣戦布告とみなします。どんな手段を持ってでも犯人を暴き出す。わからなければ疑わしきを全員処罰するだけのことです。以上のことを肝に銘じておいてください。では皆さん、良い一日を」 

 

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