第12話 幸せを届けてくれる人
ヒュー公爵が恋愛結婚? そんなこと考えたこともなかった。だったら、わたしの前前世の記憶にいろいろ齟齬がでてしまう。何故噂話を鵜呑みにしたか。誰にだってわかることなのに、馬鹿じゃないか。結論を言えば考えなかったからわからなかった。ここ二月あまりの自分について思い返せばしっくりくる。
自分は大人で他世界の知識がある。だから、小説の世界のように逆行人生をやり直してマールにざまあしてやれる。安易に考えて行動しようとした。でも、実際は何もできなかった。わたしは百合子になったつもりでいたけれど百合子じゃないから。考えも行動も何もかもまるで幼稚園児だ。
「ねぇ! あの子意地悪で悪い子なんだよ! サラちゃんを虐めたの! ムカつかない? みんなで無視しようよ! やっつけようよ!」
そんな言葉を間に受けて、
「わかった! あんな奴、大っ嫌いだもの! 仕返ししてやろう!」
と正義の味方になった気でいた。そしてそんな提案をする百合子が本当に大人の良識ある四十歳なのか。
「何か気に入らないことがあるなら、相手とちゃんと話し合わないと。仕返しなんかしても問題の解決にはならないのよ」
もしわたしが本当に百合子なら、そんな風に諭したり、サラちゃんの不遇の人生についてもっと冷静に分析したのではないか。結局都合よく百合子を使っていただけ。ノエルに言われて不愉快で、そしてとても恥ずかしかった。また曇った視点で間違えるところだった。出来が悪いのは何度生まれ変わっても変わらないのだろうか。途方もない気持ちになる。
ノエルが帰ってから私室に籠りベッドに寝転んでぼんやりしていた。枕元の紙をかざして眺めると溜息が溢れた。ノエルがわたしがの年表を持ち帰った代わりに、自分が書いた年表を置いて行ったのだ。
八歳
マール殿下との仲が悪くなる。
再従姉妹が帰ってきたから不和になった? 別に原因がある? はっきり聞いたらすっきりするのでは?
十五歳 春
学校に入学。
マール殿下の手伝い。→嫌なら断る。
噂話→誰が流したか。手伝いはマール殿下の指示であることを周囲は知らないのか。何故、知らないのか。マール殿下は噂を知っているのか。しっかり調査すべき。
十五歳 秋
社交界デビュー ティアラ事件
王妃様が味方をしてくれるならば王妃様に話をすればよかったのでは?
二曲目のダンスをエリィ嬢と踊る→その年のデビュタントの女性にダンスを頼まれた場合、王太子は相手を務めるもの。三曲目め四曲目もエリィ嬢とだけ踊ったのか?
噂→エリィ嬢の策略では?
事態を打破する行動は何もしなかった。周囲からは納得しているように見えたのでは? 黙って耐えるのは完全な悪手。
十五歳 秋
婚約破棄を却下
→マール殿下は結婚する意志があった。突然婚約破棄を懇願されればどんな気持ちか。その前に話し合いはしたのか。
十六歳 結婚。その一月後馬車による事故死。
マールとエリィが徒党を組んでわたしを貶めようとしている。ヒュー公爵は権力を得る為、娘を王妃にすること以外に興味がない。王妃様はマールの母親だからマールの悪口を言えるわけがない。何も策を講じなかったのではなく、したくてもできなかった。周囲に嫌われて独りぼっちの状態でどうやって戦えと言うのか。
ノエルの疑問点や対応の拙さの指摘に反論するならそんな感じだ。
「言い訳ばっかりして、だから駄目なんだよ」
とノエルは呆れるだろうか。だけど、わたしはサラちゃんを全面的に擁護したい感情が強すぎて、ノエルの指摘に反論してしまう。わたしはサラちゃんを庇ってあげたい。
「よしよし、頑張ったね! 偉かったね! もう大丈夫、わたし達が守ってあげるからね!」
とサラちゃんに言ってあげたい。
「こうすればよかったのに」
と言われたくない。考えると辛くなる。噂話を間に受けて真実を確かめなかったサラちゃんを、馬鹿だと責めるのは容易い。だけど、そんなことも考えられないほど追い詰められていたサラちゃんを、わたしと百合子は守りたかった。ノエルは、サラちゃんとして十六年生きていない。暗くて孤独な十六年。サラちゃんにとっての真実はわたしが年表に書いたこと。ノエルの年表は、他人が見て思ったことだ。サラちゃんがもっと違った行動をしていれば、あんな目に遭わなかったのに、と突きつけられると辛い。マールやヒュー公爵や、周囲の人が悪かった、と決めつけて復讐したかった。
どうして前世の記憶など思い出してしまったのか。取り戻せない過去に憤り今世に集中できない。何をやっているのだろう。わたしが記憶を取り戻した意味は? サラちゃんは馬車が横転して死ぬ間際何を考えていたのか。最期のことはあやふやでうまく思い出せない。今度こそ幸せな人生を送りたい、なんて願ったのだろうか。だったらそれは叶ったはずだ。百合子は幸せだった。では、百合子は? 百合子の最期も事故死だ。もしかして死ぬ間際にサラちゃんのことを思い出し、もう一度サラ・ヒューをやりたいと願ったのだろうか。だからわたしは生まれたのか。一体どうなっているのか。イライラする。むしゃくしゃする。どうすればいい? 何が正解? がつんと暴れまわればいい? その為に記憶が戻った? マールに大嫌いと言って、エリィからティアラを奪い返して、陰口言う奴らは全員断罪して、みんなに嫌われる悪役令嬢になって、そうすれば全部すっきりする? うまくいくの? それでわたしの人生はどうなるわけ? 誰か何とか答えてよ!
沈黙、静寂、無視。
「あっそう」
当たり前。当たり前だけれど、当たり前だよな、と妙に納得してしまう。馬鹿馬鹿しくて可笑しい。誰もわたしの人生の責任をとってくれない。その代わりに好きにしていい。もう三度目だから知っているけれど、人生ってそういうもんだ。他人は好き勝手を言うけれど、わたしの人生が幸せになるよう面倒をみてはくれない。でもサラちゃんは、多分それを知らなくてずっと誰かの助けを待っていた気がする。人の言うことを聞いていれば、きっと幸せにしてもらえる。何でも素直に従って笑っていれば大丈夫。我慢して真面目に努力していれば、誰かが必ず幸福を届けにきてくれる。そう思って待っていた。だから、わたしはこんなにも手を差し伸べて、救い出してあげたくてしょうがない。あぁ、そうか。わかった、わかった、そうだったか。頑なに真実から目を背けた理由を、ふに落ちて理解する。自分の中身が淘汰されていく感覚。混沌とした二月がようやく馴染んだ気がした。幸せはこの手で、自分で、掴み取らねばならない。今度はちゃんと。変な気分だ。早くやってやれ、と苛立つ気持ちが引いていく。明日から旅行に行くような、とても楽しくて愉快な気持ちが満ちていく。そりゃそうだろう。だって、わたしは八歳の小さな女の子で、未来は真っ白なのだから。
では、わたしの幸せとは何か。
ふっとパパの顔が浮かぶ。
パパ。呼ばなくなったのはいつだろう。昔は確かにそう呼んでいた。王妃教育が始まって「お父様」と呼ぶように躾けられた。仲の良い父娘ではない。いつからそうなったのか。ママが死んでしまってから? ママの記憶は本当にない。小さい頃のことってこんな覚えていないものか、ちょっと不安になるくらい。ママのことは口にしてはいけない。だって……、
コンコンコンコン。
ノックの音に思考が止まる。
「はい?」
「サラ様、旦那様からお荷物ですよ」
「え?」
一昨日来たばかりなのに?
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