第11話 悪意ある視点

 一夜明けて午後になるとノエルが屋敷に訪ねて来た。

 ヒュー公爵は会うなと言ったけれど、おばあ様は大歓迎でノエルを招きいれた。子供に友達ができた時、これが通常の親の反応なんじゃないか。

 応接間のソファに向かいあって座るとお互いに小柄なので物凄く距離を感じる。昨日マールから届いた大量のお菓子と冷たい紅茶をおばあ様が持ってきてくれると、


「有難うございます。甘い物好きなんです」


 とノエルは愛想良く笑った。こいつ質が悪いな、と思ったけれど、本当に甘党らしく二人になった後もびっくりするほど熱心にお菓子一つ一つを吟味していた。


「マール殿下いい人じゃないか」


 と言い出すので、夜に書き出したサラちゃん年表を無言で手渡して読ませた。


******

今世

六歳 王妃教育開始  

八歳 記憶が蘇る。祖母の元へ逃走(現在)



前前世の人生


八歳までは同じ

八歳

 逃避せずに王妃教育を日々頑張る。

 エリィが隣国から帰国。王妃教育を一緒に受け始める。マールがエリィに肩入れするようになる。

 →サラちゃんをお茶会に呼ばずエリィだけ参加させる。お茶会を取り仕切らせるなど。(マールに嫌われていることを自覚し自問自答する日々)


十五歳 春

 学校に入学。王妃教育は終了して、寮生活を始める。(ちょっとは自由になれると期待)

 マールは公務と生徒会の仕事を兼任して多忙。学年が違うため会わずにすむと思っていたが毎日手伝いに執務室通いを命じられる。

 首席入学のエリィは生徒会の正規メンバーになり、要領が悪く足手纏いのサラちゃんは、エリィと比較され生徒会の人間には冷たく遇らわれる。更にマールに付き纏い無理やり執務室に入り浸っている噂を流される。

 ※ヒュー公爵が養子を迎え、家とは更に疎遠。(四面楚歌状態)


十五歳 秋

 社交界デビュー。ティアラ事件。

 王妃様にティアラをプレゼントされるが、ヒュー公爵に別のティアラを着けるよう命じられる。→ヒュー公爵と完全に断絶。

 マールにエスコートされてデビューダンスを踊る。

 →二曲目のダンスはエリィに奪われ、独りぼっちでバルコニーへ逃避。

(陰口を叩かれても笑顔で耐える日々。マールの顔色を見まくっていた。末期症状)


十五歳 秋

 婚約式。

 鬱憤がピーク。死ぬ気で婚約破棄を懇願するが却下され、逆に嫌がらせのように婚約式させられる。

 言われたことを言われたままやるだけの日々。(完全に生きる屍。もはや何も感じない)


十六歳 

 結婚。側妃を娶る予定と噂を聞く。その一月後馬車による事故死。


******


 ノエルは無反応な様子でじっと読み続けていた。あまりに何も言わないので痺れが切れた。


「ざっくりだよ。ざっくり書いてこれだよ。どうよ?」

「うん。きみに文才がないことはよくわかった」

「どうでもいい!」


 もっと共感してくれていいんじゃないか。色々思い出して途中で吐きそうになった。細かいことを言えばキリがないから、かなり端折って書いた。

 こんなに虐待されてよく我慢したな。逆にサラちゃんって肝が座っているんじゃないかとさえ思った。

 羅列しながら、やっぱりわたしはもう既にマールが嫌いな気がしていた。十六年分のサラちゃんと四十年分の百合子の記憶が八歳のサラ・ヒューにどーんと乗れば一番分量の多い百合子に引っ張られるのは当然に思える。百合子やサラちゃんの別人格が存在してわたしを乗っ取る感覚はないけれど、記憶が戻る前のサラ・ヒューがどんな風だったかと言われたら思い出せない。紅茶にミルクを入れたらミルクティーになるのと同じで、それが紅茶であるのは確かだけれど、紅茶本来の味ではないみたいなこと。わたしは純粋なサラ・ヒューではなくなってしまった。わたしは八歳らしからぬ。それはよいことか、悪いことか。だけど、


「視点に悪意を感じる」

「どういう意味?」

「もっと客観的に書いて欲しかった。きみの感情はいらない」


 こんな八歳もいるのだから、気にしなくてよいのかもしれない。どの道、ミルクティーはストレートティーに戻れないのだ。


「出来事だけ書くと、サラちゃんの行動の意味がわからないかなと思ったの」

「うん?」

「追い込まれている精神状態じゃ、反発も反論もできなくなる。我慢しなさいって教育されてきたサラちゃんはそれが正しいと思っていた。今振り返るとおかしいじゃないかと言うことも、あの時は納得していた。そうか、じゃあもっと頑張って、もっと我慢しなくちゃ。辛くても仕方ない。わたしが悪いんだからってね。その選択しかなかったの。だから、心の折れ線度合いを書いたのよ。教育は偉大よ。もしわたしが百合子の記憶なく、ただサラ・ヒューを繰り返すだけなら、今度も、いえ、今度こそマール様の気にいるような女の子になろうって方向に流れた気がする。だから百合子とサラちゃんの記憶が両方与えられたことは凄く意味があることだと思う」

「つまりきみはこの一連の出来事がおかしいと思っているわけだね」

「そりゃそうでしょ。嫌なら婚約破棄すればいいのに」


 一気に捲し立てたから喉が乾く。アイスティーで喉を潤す。こんなにペラペラしゃべることはいつ以来か。友達もいないし、父親は仕事人間で、恋しい時期なのに母親もいない。でも、今より幼い頃の方が孤独は感じなかった。マールがいたから。まだ王妃教育が始まる前は、マールがよく遊んでくれた。あの頃は楽しかった。日がな一日王宮で過ごした。よく本を読んでもらった。


「むかしむかしある所に、」

「むかしむかしっていつ?」

「……この本の発行が1670年だ。そこから昔なら1400年代くらいだろう」

「わかった!」

「1400年代のある所に、」

「ある所って?」

「絵から推測して湖畔の田舎町だからルーベンス地方くらいじゃないか」

「そっか! わかった!」


 思い出すと笑ってしまう。マールは生真面目に逐一答えてくれた。一冊読み終える頃には変に情報過多でわけのわからない話になっていた。他には庭園でかくれんぼしたり、秘密の場所だと言って議会の様子を覗ける隠し部屋に連れて行ってくれたこともある。マールがいたから寂しくなかった。好きだった。好かれていると思った。それなのに、どうしてあんなにも嫌われてしまったのか。理由が浮かばない。本当に目の色が気味悪くなったのか。虐げられたこともあるが、嫌われている事実が一番きつかった。サラちゃんはどの段階までマールを好きだったのだろう。もうよくわからない。

 グラスを持ったまま、ぼんやりしていると、


「婚約破棄したくてもできなかった、もしくは、したくなかった」


 ノエルは再びマドレーヌに手を伸ばしながら言った。

 それにはうんざりするくらい明確な答えがある。


「ヒュー公爵の後ろ盾を得るためよ。考えるまでもない」

「それって少し無理がない?」

「何が?」

「だったらそれなりにきみを大切にすると思うけど。よっぽどの馬鹿でない限り」


 マールは馬鹿じゃない。でも、よくわからない男だった。無口で横柄で自分の思い通りにしないと気が済まない。


「ヒュー公爵はサラちゃんよりマールの味方だったから、冷遇しても平気だと思ったんじゃない? 『マール殿下ほどの人はいない、誰よりもお前を幸せにしてくれる』って繰り返していた。なんでも買って貰えるし、好きにさせてくれるだろうって。まぁ、確かにケチではなかった。だから何? って感じだけど。ヒュー公爵は自分が政略結婚で愛のない生活を送ったから、贅沢させてやればいいって考えなんでしょうけれど」


 ノエルはもごもご咀嚼するのに忙しくしばらく黙っていたけれど、


「ヒュー公爵って政略結婚なの?」


 紅茶を飲んで一息つくと怪訝そうに言った。


「そうよ。本当は女嫌いだから、親の言うなりに結婚して、だから再婚はしていない」

「ヒュー公爵がそう言ったの?」

「娘にわざわざ言わないでしょ。でも、みんな言っている」

「みんなって?」

「みんなよ」

「ふうん」


 気のない返事をするとノエルは再び年表を手に取った。


「ここに書かれていることは、何処まで事実なのかな?」

「わたしの記憶に誤りがあるかもってこと?」

「それもあるけど、喧嘩するときは両者の言い分を聞くべきだろ」

「喧嘩じゃない。これは虐めよ」


 皆で寄ってたかってサラちゃんを虐めた。誰も優しくしてくれなかった。相手の言い分など聞く必要があるか。憤然となるわたしを、ノエルがじっと見てくる。


「あのさ、マール殿下はエリィ嬢が好きなの? だからきみを邪険にしたの? ここにはそう書いてあるように読める。きみの視点だ。100%の確証はある?」

「……好きかどうかは知らない。でも一緒にいる時間は一番多かった」

「きみより?」


 ノエルは何が言いたいのか。凄く不快な気分だ。


「サラちゃんの方が長いわよ。ことある度に呼び出されて、小間使いにされていたんだから! そのくせ、みんなの前では後ろに下がれって仲間外れにされたの!」

「ちょっと聞いただけだろ。僕に怒るなよ」

「ごめん」


 完全な八つ当たりをした。よくない。謝ると、ノエルはちょっと笑った。


「きみは根本的に素直な質なんだろうな」

「え」

「で、どうするんだ? このまま逃げて別の道を進むか、前と同じ道を別のやり方で対処するか」

「同じ道をいく。言いたいことが山ほどあるから」

「わかった。じゃあ、僕もその方向で協力するよ」

「……有難う」


 ノエルは年表を机に置いて、ごちゃごちゃ書き込みながら言った。


「じゃあまず、できることからしてみたら?」

「できること?」

「マール殿下に付き纏っているだとか、エリィ嬢の邪魔をしているとか、全部嘘の噂だろ」

「そうよ」

「それなのに、きみは他人の噂についてはそのまま信じているじゃないか」

「何よ、それ」


 ノエルはチラッと顔を上げる。少しは自分で考えろ、と言いたげだ。


「……ヒュー公爵のこと?」

「直接本人に聞くべきだよ。情報は足で稼がなきゃ。裏の取れていないネタを使うと首をしめることになるよ。まぁ、初回だし、お菓子のお礼に特別に教えてあげる。ヒュー公爵とメアリー夫人は政略結婚ではないよ。これは確かな筋の情報だから」

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