第10話 わたしについて

「質問の意味がわからない。わたしはサラ・ヒューよ」

「中身は百合子?」

「そうね」

「四十歳の大人?」

「そう」

「全然子供なんだけど」

「何それ。わたしの話、信じないってこと?」

「そうじゃない」

「じゃあ、何?」


 押し問答みたいなやりとりに、ノエルは考える素振りで頭を掻いた。


「だってきみは、サラちゃんでもなければ百合子でもない。サラちゃんという可哀想な女の子の人生を百合子に復讐させようとしている、ただの八歳の女の子。それがきみ。一月前までの何も知らないサラ・ヒューがきみでしょ。そこに二つの記憶という情報が乗っかっただけで、なんで百合子になっちゃうのかな?」

「百合子の記憶が最初に戻ったからじゃない?」

「関係ないからでしょ。百合子でサラちゃんをやれば、傍観者でいられる。他人事でいられる。人ごとだったら何とでも言えるからね。たとえば復讐してやるとか? 悪い令嬢になってやるとか? でも、実際やったことは王妃教育を受けたくないと駄々を捏ねただけ。八歳の子供だ」

「……何それ。口先だけってこと?」


 とても面白くない。不愉快なことを言われている。言い返したいのに言葉が出てこない。


「きみは矛盾だらけだ。結局何がしたいの? 僕は何を手伝えばいい? 復讐したいの? 婚約破棄したいの? 逃げ出したいの?」


 ノエルは責めているわけでもなく、怒っているわけでもなく、本当にわたしがしたいことがわからない不思議そうな顔で尋ねてくる。どうしたいか? そんなの決まっている。


「サラちゃんと同じ人生を歩きたくない。 本当に地獄だったから。一番はそれ。それから、こんな扱いを受ける謂れはないと抗議したい」

「だから、それはサラちゃんの願いなんだって。きみは、まだ何もされていないわけでしょ。サラちゃんと百合子の記憶を鵜呑みにしているだけじゃないか。どこまで本当かもわからない記憶だろ」


 鵜呑みにしている。その言葉が胸をついた。この一月が蘇る。わたしは何をしてきたか。

 最初に思い出したのは百合子の記憶。平凡な人間の早送りしたくなるような人生。

 それから、サラちゃんのこと。お茶会、デビュタント、学園の日々が濃厚に脳裏を巡るたび、辛かった苦しみが、絶望が、怒りに変わってわたしの中に募った。サラちゃんなんか二度と御免。だから百合子を盾にした。大人で、強くて、ちゃんと自己主張できる百合子。悪役にもなれるし、復讐もできる。サラ・ヒューをサラちゃんにしなくてすむ。だから百合子になった。

 けれど、実際にしたことは?

 お茶会の時、あぁやっぱり同じ展開か、と思った。大丈夫、わかっている、予定通り、悲しくない。乗り込んで抗議しなかったのは百合子。まだ材料が足りない。下手に謝罪をされたくない。淡々と事実を積み上げて婚約破棄の布石にしようと考えた。馬鹿みたいに乗り込んで感情的になるより賢い。

 でも、その後は悉く情けない。

 マールが目の前にいると自分が上手く処理できない。嫌い、嫌い、嫌い。こいつはサラちゃんをむちゃくちゃにした。今すぐやっつけてやりたい。こっちだって嫌いだって言ってやれ、思うのに言わない。大人なんだから冷静に。言い訳めいて引き延ばしたのは、きっとわたしだ。ノエルの言うことは正論すぎて耳が痛い。わたしは、サラちゃんと百合子の記憶を鵜呑みにして、マールを憎もうとしている。百合子になることで、心に蓋をしようとしている。かつてサラちゃんが周囲の言葉を飲み込んで自分の殻にこもって、何も見なかったように。

 マールは素晴らしい王太子だから我儘言わずに我慢しろ。

 マールは酷い王太子で憎むべき敵だから復讐しろ。

 わたしの気持ちは何処にあるのか。虐げられて非業の死を遂げたサラちゃんでも、アラフォーの百合子でもなく、本当のわたしは八歳のサラ・ヒューだ。そして、八歳のサラ・ヒューは、マールを嫌っていなかった。王妃教育を真面目に受けて、頑張って頑張って、そしたらいつもサロンでマールが待っている。


「授業はどうだ? しっかり励め。お前の為に用意した菓子だぞ。食べろ」


 言われることは嬉しいことだった。八歳のわたしは、甘いお菓子とマールとても好きだった。この先、どんな目に遭って、恨み辛みに憎むことになっても、八歳のわたしは、まだちゃんとマールを好きだから、復讐しようとも、婚約破棄したいとも、本当は思っていない。なのにサラちゃんの記憶に囚われて、百合子になって復讐しようとした。サラちゃんが憎んでいても、百合子が腹を立てていても、わたしは好きなのに。矛盾をしているのはそこだ。だったらどうする? また人の言葉に流されてしまうの? 同じことは繰り返したくない。自分に正直に生きる。これから、わたし自身がマールを嫌いになったら、ちゃんと言う。泣き寝入りはしない。わたしがしたいことは、わたしの思う通りにしたい。好きになれ、嫌いになれ、あれこれ言われたくない。記憶はただの武器だ。どう思うかはわたしの自由。わたしがされたことに関して、わたしがしたいように振る舞う。それがわたしのやりたいことだ。


「……わたしは、また同じ失敗するところだったかもしれない」

「まだ八歳だろ」

「ノエルって何者なの?」

「うーん。きみの自叙伝の著者? どうせ書くならハッピーエンドがいい。きみは幸せなサラ・ヒューになれ」

「……かなりテコ入れしないと」

「なんだよ。弱気だなぁ! 大丈夫。未来は明るいさ」


 将来の義弟もどきが明るく言い切る。いい加減なのか、自信家なのか、よくわからない。ズバッと物を言うタイプは嫌いなのだけど、不快にならないのは弟点が加算されているからだろうか。


「サラ様! どちらに行かれていたのです?」


 屋敷に帰るとマリアンヌが慌てて出てきた。ノエルと道端で話し込んでいた、とは貴族令嬢的にアウトだろう。


「友達ができて、一緒に遊んでいたの」

「旦那様がお越しですよ!」

「え?」


 マリアンヌは聞くだけ聞いて答えには反応せずに、わたしをぐいぐい応接間へ押しやった。


「サラちゃん、お帰り」

「ただいま」


 室内に入ると、ソファに腰掛けていたおばあ様が振り向いてにこやかに告げる。その奥にはヒュー公爵が真顔で座っている。何しに来たのか。まさか連れ戻しに来たのか。嫌な汗が流れる。わたしはこれからノエルから出された「覚えていることを書き出す」という宿題を片付けなければならないのだ。この先の人生をちゃんと練り直したい。だから、今は下手に行動したくない。


「元気そうだな。変わりはないか」

「……うん」


 領地に来てまだ一週間だ。変わりはないかと言われると、本日は鈍器で後頭部を殴られたほどの衝撃を受けた。言わないけれど。


「お父様も、元気? お仕事があるから来れないんじゃなかったの?」

「……あぁ、大丈夫だ」

「サラちゃんにマール殿下から贈り物だって」


 テーブルの上に乗り切れないほどのお菓子の山が見えた。こんなにお菓子ばっかり送ってくる意図は何か。最近の流行なのか。


「お茶を淹れなおしてくるわね。サラちゃんはここに座って」


 おばあ様は気を利かせたらしく、立ち上がり部屋を出て行く。


「何処に行っていたんだ?」

「友達のところ」

「友達?」

「ノエル様。マカリスター男爵のご令息だよ」


 ヒュー公爵の顔が強張る。将来養子にとる息子だ。今はジオルド男爵が健在だからそんなことは考えていないだろうが、知ってはいる様子。好意的でないように見える。この反応の意図するところがわからない。


「わたしと同い年。でも二月わたしがお姉さんなの」

「あまり関わらない方がいい。お前は殿下の婚約者なんだ。変な噂が立っては困る」


 なんだそれ。八歳の子供同士だぞ。娘に友達ができて喜ばしい感覚はないのか。げんなりする。


「友達だよ?」

「友達がほしいなら、茶会に出席できるように手配してやろう。ロアンテ子爵とマクマエル伯爵の御令嬢達も週末にはこの近くの別宅で過ごしているそうだ」

「別にいいよ。おばあ様やマリアンヌもアンネもいるから」


 ノエルのことは伏せた方がいいらしい。養子にするほど気にいるくせに、何だというのか。


「殿下には手紙を書いたか」

「……一応」


 三行だけ。帰ってきて書こうと思っていた。従者が取りに来るのではなかったか。まさか自ら来るとは、想定外すぎる。


「もうそろそろ戻らねばならないから、早く取ってきなさい」

「え。もう帰るの?」

「明日も仕事だからな」


 今日は泊まっていくのかと思った。往復六時間掛けて来る意味があったのか。時間の無駄じゃないか。謎すぎる。


「じゃあ、急いで取ってきます」


 応接間を出ると二階へ駆け上がり、机に放置した手紙に、花壇に毎日水をあげるのが楽しい話とお菓子のお礼を書き加えた。

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