第9話 きみは一体誰?

「本当にメアリーの子供の頃にそっくりだよ」


 目論見通りノエルに屋敷に招き入れられジオルド男爵と対面した。初対面の人の家にほいほい入ってよいのか迷ったけれど、使用人もいるみたいだし、幼女監禁事件にはならないだろうと失礼なことを考えながらお誘いを受けた。とても美味しいお茶を頂いている。


 ジオルド男爵は子供の時分からかなり身長が伸びたらしく、長身ですらりと垢抜けた男性だった。ノエルと同じく銀髪に深い紺碧の瞳で優しく笑う。戦隊モノで言うならばレッドのイメージを抱いていたけれど、どちらかと言うと知的なブルーだ。馬鹿にするわけではないが田舎貴族らしくない。そして、ジオルド男爵はこれまでヒュー公爵が話してくれなかったメアリージュンの話をいろいろと聞かせてくれた。だけれど、残念なことに、わたしはぶっちゃけ、それどころではなかった。ジオルド男爵の人生の末路がどんなものかを知っている。ノエルと二人で川釣りに出掛けて溺死する。それで天涯孤独になったノエルをヒュー公爵が養子に迎えいれるのだ。どうしよう? どうしたらいい? 終始どうにか笑顔を作っていたものの、


「うちの家内も一年前に亡くなってね。寂しくしているからノエルと仲良くしてやってほしい」


 とノエルの母親が既に他界していると教えられて、やはりノエルは男爵が亡くなれば一人ぼっちになるのだ、と動揺を隠しきれなかった。ジオルド男爵はそんなわたしの反応をノエルへの嫌悪と誤解したらしく、


「ノエル、サラちゃんを虐めたりしたんじゃないだろうな」


 と無実のノエルを問いただした。


「愚問だね」


 ノエルは呆れたような涼しい顔で答え、その直後に目が合うとじっとわたしを見た。ひぃっと声を上げそうになった。どうしよう、どうしよう、どうしよう。病気や寿命ではなく事故死だ。防ごうと思えば防げるはず。川に近寄らなければいい。運命を変えてよいのか。ジオルド男爵が死なないことで身代わりになる人が出るのではないか。しかし、それを言うならわたしがここに居ることも既に運命を歪めていると言える。十六で死ぬつもりもない。だったら公平にジオルド男爵も助けるべきではないか。救える命を救わないのは悪だと思う。でも、どうすればよいのか。事故はいつ起きるかわからない。サラちゃんはノエルに無関心だったから細かい情報がない。ノエルは十五歳で養子に来たからそれ以前。今八歳だからこれから七年間川釣りに行かないように頼めばよいのか。急にそんなことを頼んで約束を守ってくれるだろうか。あまりに不自然すぎる。こんな問題にぶち当たるとは夢にも思わなかった。百合子の記憶だって役には立たない。わたしはどうすればいいのか。


「サラちゃん、顔色がよくないよ。送っていこうか」


 目を白黒させて考えあぐねているわたしに、ジオルド男爵の心配げな声が掛かる。目が合った瞬間思った。メアリージュンを苛めっ子から守ってくれたヒーローを見捨てられない。今ここで頼もう。変な子と思われても構わない。胸の何処か奥から水圧で押し上がるみたいに言葉が口をつく。きっと半ばパニックだったのだ。


「あの、川釣りには行きますか?」

「え? あぁ。そうだなぁ、昔はよく行ったな。メアリーともしょっちゅう出掛けていたよ。なんだい? 釣りに興味があるの?」

「いえ、全然ありません。あの、川に行かないでほしいんです。これから七年間。川に近づかないでほしいんです」

「え?」

「お願いします。本当にお願いします! ノエル様と一緒に川釣り行くのだけはやめて下さい!」


 真摯な声で言い放ち頭を下げた。意味不明。もっと賢いやり方があったのかもしれない。だけど、タイミングを逃したら手遅れになる。明日出かけてしまうかもしれない。必死に頼み込むわたしに対してジオルド男爵は困惑と心配を入り混ぜた表情を向ける。前世の記憶の話をちゃんと踏まえて、冷静に順を追って説明すべきだっただろうか。それとも夢で見た、と。予知夢になるかもしれないからお願いします、と付け足そうか。頭はフル回転なのに碌な案が浮かんでこない。手を強く握ることしかできない。が、


「いいよ。僕は金輪際川釣りに行かない。誓うよ」


 わたしの胃痛がする思いを蹴り飛ばすようにノエルは間に入りけらけら笑った。びっくりして視線を走らせると笑うノエルの一方で、呆れた表情のジオルド男爵が視界の端に映った。


「ノエル。お前は本当にとんでもないな。サラちゃんに何を頼んだ?」

「何も。兎に角、僕を川釣りへ連れ出すのは無しだ」


 ノエルは繰り返して肩を竦めた。





「外で遊ぶことは好きじゃないんだ。あの人は野生児すぎて困るよ」

「そうなの……」


 ノエルとおばあ様の屋敷への帰路を歩いている。非常に気まずい。ジオルド男爵は、あの発言を川釣りに行きたくないノエルがわたしに頼んで言わせたのだと解釈したらしい。


「わかった。もうお前のことは誘ってやらんからな」


 と拗ねたようなジオルド男爵の言葉で会話が終わってしまった。その上、


「ノエルがしょうもない事を頼んで申し訳なかったね」


 と謝罪されて困った。その間もノエルはずっと傍観していた。一体どういうつもりなんだろうか。何故わたしを庇ったのか。不穏すぎて怖い。


「あのさ、七年って何?」

「え?」

「なんで七年なの? 意味あるんでしょ?」


 沈黙を殴り倒し斜めからカウンターを受けて、一瞬本気でわからなかった。引っ掛かるのそこかよ。色々尋ねたいのはこちらも同様だ。


「……十五歳になるから」

「十五に何の意味があるの?」

「意味なんてないよ。たまたまそうなだけ」


 先を越されたので止む無く質問に答えると、わたしの不親切な回答にノエルは「ふうん」と気のない返事をして黙った。

 前前世のノエルは暗い印象だった。これはわたしの推測だが、一つの仮定を考えた。先程の「外で遊ぶのが嫌い」という発言からして、ノエルは運動が得意じゃない。つまり川で溺れたのはノエルだったのではないか。ジオルド男爵は助けに川へ飛び込み、ノエルの代わりに流された。だからノエルは人格が変貌した。自分のせいで父が死んだ悔恨と懺悔に飲まれ陰鬱になった。


「川に行ったらどうなるの? 例えば溺れて死ぬとか?」

「え」

「ふうん」


 的を射た台詞に狼狽してしまう。探りをいれられている感がえぐい。基本的にこの忠告はノエルの為のものだ。わたしが後ろ暗く感じる必要はないはずだ。堂々としよう。


「なんでそんなことわかるの? 占い師? 魔法使い? 未来から来た人?」


 わたしの反応をじっと見ている。未来からと言うより、過去から来たと言う方が正しい。


「交換条件にしない?」

「何が?」

「僕は川へ行かない代わりに、きみは隠していることを言う」

「何それ。わたしにメリットないんだけど?」

「なるほど」

「は?」

「僕の溺死を防ごうと忠告してくれているから、その上、秘密を暴露させられるのは納得いかないってことだろ。一貫性があるなと思って」


 なんだろう。八歳ってこんなに賢い? ノエルが特別? もしかしてわたしと同じ記憶持ちだったりするんじゃないか。わたしは特別な人間ではないと思う。わたしに起こることは他人にも起こって不思議はない。


「どうして僕を助けてくれるの? もしかして、未来の僕の子孫? 僕が死んだらきみが生まれなくなるとか?」

「……記憶あるの?」

「記憶? 未来の? あるよ。きみも?」

「嘘つき」


 若干イラついて冷めた声音で返すと、ノエルは立ち止まり驚くほど素直に頭を下げた。


「ごめん。だけど、何故僕を助けようとするの? 何故、未来がわかるんだ?」

「信じるの?」

「想像力は信じることから始まる」

「何その気取った答え」

「女の子はそんなの好きかなって」


 ノエルはちょっと照れたように笑った。急に純朴な少年感を出すのは卑怯だ。眉根を寄せると、ノエルは慌てて続けた。


「わかった。じゃあさ、教えてくれたら、きみに協力する。僕は使える男だ。きっと役に立つよ」


 ノエルは真っ直ぐに視線を合わせてくる。信じるか信じないかは自由。誰にも口止めされているわけじゃない。告げたところで最悪変人扱いされるだけ。ならば話してもいいか。


「わかった。その代わり力になってよ」


 ノエルは天使の微笑みを浮かべた。そして徐に胸ポケットからメモ帳を取り出した。


「ネタにするつもり?」

「話を整理するには書くのが一番だから」


 嬉々としている。非常に怪しい。しかし、ここで嘘をでっちあげて話してもしかたない。真実を告げて信じなければ、どの道それが嘘と解釈されて嘘になるだけだ。

 できるだけわかりやすく、順を追って長い物語を紡ぐみたいに話していく。


「ふうん」


 一連の流れを話終えるとノエルは呟いて、ごちゃごちゃ書いているメモをぺらぺら巡った。薄い反応だ。信じなかった。そう思ったけれど、


「まぁ、きみの身に起きていることはわかったよ」


 躊躇いなくさらりと納得したように告げた。


「え、信じるの」

「うん。こんなこと事実じゃなかったら、僕は自分の想像力のなさに絶望して筆を折らなきゃならないだろ」

「その自信何処からくるの」


 ノエルは笑った。馬鹿にされている感がひしひし伝わる。だが、信じてくれたことは本当だと思った。説明したことで自分でもすっきりした。何も解決していないのに道が開けた気になった。誰かに聞いてもらうことは偉大だ。


「それで、最大の謎を聞きたいんだけど?」


 そんなわたしの晴れやかな内心とは裏腹にノエルが急に重たい口調になった。不穏な空気に眉が寄る。


「何? これ以上秘密なんてないよ」


 わたしが潔白を証明するように言うと、ノエルは「冗談いうなよ」と言わんばかりに眉を上げた。


「あるさ。最大の謎」

「何?」

「きみは、一体誰なんだ?」

「は?」

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