第8話 ジオルドとノエル

 他人の日記を盗み見とか、よくない、非常によろしくない、と思いつつ読み切ってしまった。言い訳するなら、恐らくこれはおばあ様が故意に引出しに入れたものであるからだ。絶対に初日に机を漁った時にはなかった。母親の記憶をもたない孫への贈り物に違いない。ならば読んでしかるべきだと思った。

 日記はメアリージュンが幼少期にこの領地で暮らしていた頃のものだと推測できた。拙い字で文章も簡単な単語ばかりが並んでいる。内容もとても健全で微笑ましい。何時に起きた、花が咲いた、誰と遊んだ、何処へ行った、みたいなことがつらつらと書かれてある。思春期の生々しい悩みが赤裸々に記されていたならば流石に罪悪感で読めなかっただろう。毎日続けるという一ページ目の決意も虚しく、半分までで終わっている所に親近感がわく。そして、メアリージュンはかなり活発な子供だったということがわかった。乗馬、川釣り、山の探検、夜中にこっそり抜け出して星を見に行くくだりには驚いた。二階から木を伝い屋敷を抜け出したらしい。思わず窓の外を覗いてしまったが、飛び移れる木など見当たらない。既に伐採されてしまったのだろうか。とにかく、メアリージュンは充実した楽しい日々をジオルドと共に過ごしていたことがよくわかった。

 ジオルド。

 始まりのページから当たり前に記されている少年。

 他の友人もちょろちょろ出てくるが、ジオルドの登場回数は圧倒的だ。釣りが上手くて、地理に詳しい。背は低いけれど俊敏で喧嘩が強いらしい。メアリージュンを虐めた相手をボコボコにして、一週間自宅謹慎になった。それなのに、心配するメアリージュンを気遣いこっそり会いに来てくれたとか。何それ。トキメク。そんなヒーローが存在していいのか。サラちゃんには碌でなしの王子様しかいないのに羨ましすぎる。わたしはジオルドに夢中になった。ジオルドに会ってみたい。会える可能性は高いと思った。

 第一に、メアリージュンと同世代だから三十前後だ。きっと生きている。

 第二に、伯爵家主宰のお茶会に二人で参加して「退屈だった。山に行けば良かった」と書かれている部分から、ジオルドも貴族だとわかる。田舎貴族ならば、代々引き継いだ家業を継承して、その土地で暮らしている可能性が高い。つまり、現在もこの地にいる。おばあ様に尋ねたら簡単にわかるはずだ。しかし、こっそり日記を与えてくれたのに「読みました!」と全面に押し出して聞くことは無粋な行為に思えた。代わりに知っていそうな人は誰か。女中のアンネならばわかるのではないか。マールへの手紙は三行で放置して、アンネの部屋へ向かった。一人でいることを確認して質問すると、驚くほど簡単に答えが返った。


「ここから一キロ先の赤い屋根の建物がジオルド男爵様のお屋敷ですよ」


 ジオルド男爵の屋敷に来たものの門扉を潜り屋敷のベルを鳴らす度胸がなくてうろうろしていた。遠くから顔をみるだけで満足する。偶然通りかかったりしないか、人の気配をさぐっていると敷地内から怒声が聞こえた。


「やめろよ、放せ」

「うるさい。こんなものは燃やしてやる!」


 門から中を覗きこむと一人の少年が四人に囲まれているのが見えた。

 何かを頻りに奪い合っている。まさか虐め現場に遭遇するとは思わなかった。多勢に無勢とは卑怯な奴らだ。何処の世界でも下衆な行為は横行するんだな、と寒々しくなる。助けたいが、か細いサラちゃんの身体で何ができると言うのか。助けてくれる大人を呼ぶくらいだ。だから叫んだ。


「パパ! こっち! 誰かが虐められているから助けて!」


 すると、わたしの言葉の真偽を確かめる余裕もなく、蜘蛛の子を散らしたように悪ガキ共が走り去った。これが、冷静な大人の知恵ってやつだ。

 逃げていった子供達が完全にいなくなるのを確認して少年に声を掛ける。


「大丈夫?」


 少年は地面に散乱した紙を拾い集めるのに必死だった。わたしの足元まで飛んできていた一枚を手渡してあげると、


「有難う」


 と大事そうに受け取り抱え込んだ。青い双眼に柔らかな銀髪。線の細い女の子みたいな顔立ち。小柄なサラちゃんと同じくらいの体格だ。守ってあげたくなるような薄幸の美少年という雰囲気がある。彼はわたしそっちのけで拾い集めた紙の束を真剣に順番通りに並べ替えていた。全てが揃っていることを確認できて安堵したらしい。ほっとした表情になり、漸く顔を上げた。


「いやぁ、文学を理解しないバカは困るね」

「え」


 予想外の反応だ。ノートを引き裂かれて泣いているのではなかったか。少年の発言に若干の不穏を感じた。


「大丈夫なの?」

「あぁ、読めるから平気さ」


 紙のことを聞いたわけではない。殴られて負傷していないかを心配した。じろじろ不躾に視線を送るが、服装は全く乱れていない。早とちりだっかもしれない。


「それ何? 大切なもの?」


 身体を傷つけられていなくとも器物破損は十分な罪だ。わたしは、無理やりにでも少年を虐められっ子にしたい衝動に駆られていた。


「小説。ちょっとモデルにしただけなのに、いちいち抗議しに来るなんて面倒くさい連中だよね」


 返す言葉が見当たらなかった。不快な話のモデルにされて怒ったならば彼らは正当な怒りを向けていたのじゃないか。わたしはとんでもない間違いを犯したのではないか。


「きみ、どっから入って来たの? パパって?」


 気まずいわたしをよそに少年は平然と聞いた。


「ごめんなさい。ケンカしていると思ったから。パパは来ない」

「なるほど。やるなぁ! 書いとくよ」


 少年はメモを取り出しさらさらと書き込みはじめた。ここは他人の家の敷地内だ。わたしは不法侵入者以外の何者でもない。しかし、少年はメモに視線を落としたまま、怪しんだり不穏を抱く様子もなく言った。


「助かったよ。折角書いた話をぐちゃぐちゃにされたら堪らないからね。見せてくれって言うから読ませてやったのに無茶苦茶だと思わないか?」

「まぁ……」


 自分がモデルなら内容を知りたいだろう。一体何を書いたのか。百合子の友人に同人作家はいたけど、実在の人物で二次創作をするのはタブーだと聞いた気がする。二次創作じゃなくてただのモデルならよいのか。そもそもこの世界線にそんな暗黙のルールはないか。よくわからん。

 少年はメモを取り終えるとこちらを見た。


「ところで、きみ、見かけない子だね?」

「おばあ様のお屋敷に遊びにきているの」

「こんなところで何してるの?」

「人捜し」

「人捜し? 何それ、面白そうだね。誰を捜してるの?」

「ジオルド男爵様」

「ジオルド男爵? それなら僕の父親だよ。知り合い?」


 少年は目を輝かせた。小さな少女が自分の父親を訪ねてくる。変な妄想をしているのではないか。しかし、わたしは敢えてジオルド男爵の名前をだした。少年は、身なりもいいし、ここが自分の屋敷のような口ぶりだったから、ジオルド男爵の息子である確率がかなり高かった。話をすればジオルド男爵に会わせてくれるかも、という打算があったのだ。


「母の友達だったって聞いたから」

「そうなんだ。きみ、名前は?」

「サラだよ。サラ・ヒュー」

「僕はノエル・マカリスター」

「え? ノエル・マカリスター? ノエル・マカリスターなの? 嘘!」

「なんで嘘なんか吐くんだよ。きみ、ちょっと面白いね」


 ノエルはけらけら笑った。

 笑った顔は初めて見た。わたしの知っているノエル・マカリスターはかなり無口で無表情で、必要最低限しかしゃべらなかった。尤もサラちゃんが話さなかったこともあるのだけれど。あの頃は、正面で目を合わさなかったから、現在の彼とかつての彼の顔が全く結びつかない。しかし、銀髪に青い瞳の特徴は一致している。今後、更に同姓同名の人物が現れるとは考えにくい。つまり彼が本人だ。メアリージュンの幼馴染みの息子だなんて初めて知った。ヒュー公爵は何故彼を選んだのだろう。

 ノエル・マカリスター。将来の義弟だ。

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