第7話 新天地
馬車って結構揺れる。
舗装されていない田舎道をドナドナ進んでいるせいでもあるのだけれど。
一回目のサラちゃんは馬車の事故、百合子は自動車事故で死んだ。恐らくわたしは交通事故死に気を付けねばならない星の下に生まれている。だというのに、朝から既に二時間もガタゴト馬車に揺られている理由は何か。祖母の屋敷に逃避行をしている道中だからである。
マールが婚約破棄をしてくれると言うので、前前世十六年、今世八年の二十四年で初めて「でかした!」と褒めてやりたい気持ちでいた。だが、蓋を開けてみれば「王妃教育の一時中断」という微妙な結果だった。確かに、王妃教育が嫌だからやりたくない、と繰り返した感はある。それをマールがどう解釈して、両陛下に何を告げたかは不明だが、最近のわたしのずる休みとやる気のなさも相まって、八歳の少女に無理をさせすぎた、と言う結論が出たらしい。前前世では休みなんてくれなかったくせに文句を言ったもん勝ちかよ、とくさくさした気持ちになった。大体、授業が休みたいわけじゃない。でも、ヒュー公爵が、
「殿下はお前のことを考えて休みをくださったようだ」
と感心して言うので、わたしの真の望みが婚約破棄であることは告げられなかった。ヒュー公爵はマール側の人間だ。下手な抗議をしたところで前前世と同じく「殿下のお心に寄り添え」と往なされるのは目に見えている。破棄を願い出れるだけの物的証拠を揃えて然るべき場所で大々的に公表するとか、やり方を考えなければ握り潰されるだけ。その具体的な方法が今は思いつかないから、黙って頷くだけに甘んじた。
王妃教育に行かなくなると、わたしは途端に暇になり、ぼんやり怠惰に過ごす日々だった。ヒュー公爵には一切放置されたけど、マリアンヌは不安げに気遣ってくれた。
「サラ様、折角、お休みを頂いたのですから、気晴らしにお出かけになられてはどうですか? 少し郊外になりますが植物園なんてどうです? わたしの叔母が働いているんですよ。侍女長にはわたしが許可を取りますから」
柔らかい優しい声だと感じた。こんなに近くにいるのに知らなかった。馬鹿だな、と思う。ヒュー公爵とマールに嫌われたからって、他の人間とも仲良くできないわけじゃない。世の中は果てしなく広い。前前世のサラちゃんの生きた世界が狭すぎただけ。六歳から十五歳で学園に入るまでは日々を王宮通いに費やし、学園では校舎と寮の往復だけ。自分の時間などなかった。人生楽しんだ者勝ちだ。わたしは好きにしよう。マリアンヌが言うように何処かに出掛けるのはいいかも。外の世界を知る。そう考えた矢先名案が浮かんだのだ。
「……マリアンヌ」
「どうしました?」
「わたし、おばあ様の所に行く」
「旦那様のご実家ですか?」
「違うよ。ユークリス領のおばあ様!」
父方の祖父母は苦手だ。わたしの中で「おばあ様」は母方の祖母を指す。おばあ様は現在、一人で田舎暮らしをしている。といっても、辺境の地ではなく王都から一番近く、避暑地として栄えているユークリス侯爵領にいる。ユークリス侯爵は誰か、と言うと誰でもない赤の他人だ。この国で自分の土地を有しているのは伯爵以上の爵位の貴族のみ。そして、土地は王家から与えられたものだから勝手に売買はできない。代わりに借地権などの権利が取引されている。おばあ様は、居住権を購入してユークリス侯爵の領地で暮らしているのだ。
思い立ったが吉日。その日に手紙を出した。「いつでもおいで。大歓迎」と返事はすぐに返ってきた。なので返事を受けた翌朝、出勤前のヒュー公爵に直談判に行った。玄関で待ち構えていたので、ヒュー公爵は珍しく驚いた表情になった。
「わたし、ユークリス領のおばあ様のところに行きたい」
「……おばあ様の暮らす領地はここから馬車で三時間掛かる。私には仕事があるんだ、お前を連れて行く時間はないよ」
意外な答えが返った。え? 逆に一緒に来るつもりなん? と問いたかった。八歳児を一人で旅行させられないのはわかるが、侍女も従者も沢山いる。馬車だって自家用車だ。おばあ様の家までドアトゥドアだ。
「マリアンヌと行くから平気」
「……ご迷惑になるだろう。おばあ様はご高齢だからね」
「迷惑なんて掛けないよ」
「おばあ様の都合もある」
「都合のいい日に行く」
「では、おばあ様に遊びに来て頂くことにしよう」
どういうことだよ。ご高齢のおばあ様を田舎かから呼びつけるなら、わたしを行かせてくれた方が余程善道だ。反対のされ方が予想と異なり戸惑う。死んだ妻の母親に会わせたくないのか。それならば屋敷に呼び寄せようという提案に至らない気がするが。
「おばあ様のお家に行きたい。お母様も小さい頃、そこで暮らしていたって聞いた」
そう告げてもまだぶつぶつ煩いので、既におばあ様に手紙を出していることを話すと、しぶしぶながら漸く外出の許可が出た。外堀を埋めておくのは重要だ。かくして、わたしはマリアンヌと共に領地行きの権利を獲得した。
馬車で遠出なんて初めてのことだ。朝七時に屋敷を出て、市街地を抜けてから、延々とのどかな田園風景が続く。飽きることなく車窓に張り付いて眺めている。
おばあ様の暮らすユークリス領は、王都から馬車で片道三時間。決して近くはないが遠すぎる距離でもない。昔は、立地は良いが資源に乏しく貧しい土地だったらしい。でも、二十年くらい前から避暑地として注目され始めた。「都会から直ぐに行ける田舎」として現在はを多くの貴族が居住権を購入し別荘を保有している場所だ。
「オーガスタ侯爵夫人とお会いするのは、一年ぶりですね」
「うん」
「わたしは、挨拶程度の面識しかありませんが」
「マリアンヌもきっと凄く好きになるよ」
母方の祖父母はオーガスタの家名で、侯爵の爵位を持つ。わたしが生まれた時には既に祖父は他界していて、メアリージュンも四年前に亡くなった。それで独り身になった祖母は都会を離れてユークリス領へ引っ越した。祖母は元々、田舎の男爵家の娘で祖父に見染められて王都で生活するようになった。だから、子供を自然の中で伸び伸び育てたいという強い願望があり、メアリージュンを幼少期まで領地で育てたらしい。祖父は、政府高官で王都を離れるわけには行かなかったから、王都から利便性の良いユークリス領の居住権を購入して週末になるごとに訪れて三人で睦まじく暮らしていたそう。祖母がユークリス領へ引っ込んだのは、かつての懐かしい思い出の中で余生を送りたいためだ。
前前世でサラちゃんと祖母の関係は良好だった。誕生日に毎年プレゼントを贈ってもらっていたし、定期的に手紙のやり取りもしていた。大好きだった。けれど、段々と疎遠になった。マールと上手くやっているのか、学校はどうか、と問われるたびに嘘をついていたから。心配させたくないこともあったけど、恥ずかしくて情けなくて、虐げられていることを知られたくなかった気持ちの方が大きい。かといって偽りの幸せを手紙にしたためることにも胸が痛んだ。大切にしてもらって良かったね、と返事が送られてくるたび、一層惨めになった。だから、手紙を書かなくなった。祖母に本音を打ち明けていたらもっと違っていたのかもしれない。サラちゃんは色々不器用だったのだ。
交通渋滞があるわけでもなく昼過ぎには領地に着いた。出迎えてくれたのは、アンネという祖母の身の回りの世話をしてくれている五十過ぎの女性だった。屋敷は古くてこじんまりしているが、隅々まで手入れが行き届いていて温かみを感じた。室内に招かれ応接間に入ると、
「サラちゃん! 随分見ないうちにすっかりお姉さんになって!」
おばあ様は両手を広げて迎え入れてくれた。最近膝が痛むらしくソファに座ったままでいる。傍に寄り抱きつきながら腰をかける。優しく頭を撫でられて照れてしまう。母親がいたらこんな風かな、と思った。とても優しい気持ちになった。それから百合子の母のことを思い出した。ちゃきちゃきのおばさんで、ぐうたら主婦で、サスペンスドラママニアのザ・おかんだった。メアリージュンはどんな風だったのか。四歳の記憶を辿ってもまるで思い出せない。ヒュー公爵は全く話さないから、なんとなく聞いてはいけない気がしていた。
「随分頑張りすぎたのだってね。しばらくここでゆっくりしていくといいわ」
ヒュー公爵が出発前におばあ様に手紙を出していたようだけど、体裁を整えるタイプだから内容が想像できすぎる。
「……うん」
「貴方のママが子供の頃使っていた部屋を使ってね。そのまま残してあるのよ」
「お母様はどんな人だった?」
「サラちゃんにとても良く似てるわ」
「本当?」
「えぇ」
おばあ様が目を細める。子供に先立たれる苦悩とはいかほどか。百合子も親不孝したよなと思う。父も姉も旦那にも申し訳ない。旦那は一人暮らしが長かったから家事は大丈夫だろうけれど、再婚したりしたのか。嫌な気持ち半分、幸せになってほしい思い半分だ。では、サラちゃんは? サラちゃんの死後はどうだったか。マールは世継ぎを成すことが義務だから他の女を娶っただろうが、相手がエリィならマジで許さない。
「疲れたでしょう? お昼ご飯もまだよね? 直ぐに用意するから先に部屋を見てらっしゃい!」
怒りで我を忘れそうになるところだった。楽しげなおばあ様の声に促されて二階に上がった。
母が使っていたらしい部屋は素朴なカントリー調で年代を感じたが、カーテンやらベッドのシーツは真新しかった。わたしの為に用意してくれたのだろう。マリアンヌが荷解きを始めるので、わたしは窓際の机に腰掛け、勝手に引き出しを開けてみたり、本棚のラインナップを確認したり好きに動き回った。
「マリアンヌは、お母様のこと知らないのよね?」
「はい。わたしが雇われたのは奥様がお亡くなりになった後ですから」
「似てるんだって」
へへっと勝手に笑みが溢れた。マリアンヌもふんわり笑う。
「はい。侍女長にお聞きしたことがあります。だから、公爵様の溺愛もひとしおなのだと」
いや、それはないだろう。皆、好き勝手いいように言うから困る。娘を平然と悪魔の元へ売り払う男だ。
「ねぇ、お父様とおばあ様は仲が悪いの?」
ここへ来ることを随分反対していた。おばあ様を王都に呼ぼうとしていたが、足が悪いことを知っているのなら、断られる前提の提案だったのでは? と邪推してしまう。不仲な方がわたしにとっては好都合だが。
「そのようなことはないと思いますよ。季節の折々には贈り物をしていらっしゃるとお聞きしています」
「ふうん」
意外。父親なのにヒュー公爵の考えていることがわからない。父娘でもうまくやれない関係はある。わたしはもうそういうことも、ちゃんと理解している。悲しくない。仕方ないのだ。それより伸びやかな解放感に気分は絶好調だった。このままここで暮らせば婚約もうやむやになるのではないか。そろそろエリィも帰国する頃合いだ。外交官の父親の仕事の関係で隣国から戻ってきて、マールに熱烈モーションをかけ始める。どうでもいい。好きにしてくれ。
*
おばあ様の屋敷に来て一週間が過ぎた。暮らしぶりは最高だった。おばあ様は大恋愛をして逆玉に乗った元田舎娘だから、女中と執事が一人ずついるだけで庶民に近い生活をしていた。料理をしたり洗濯したり、膝の調子がよい時は花壇の手入れも自分でする。わたしにも手伝うように告げるし、外で遊んで良いと言う。最初、マリアンヌは難色を示したけれど、流されやすい性格と直ぐにおばあ様の魅力のファンになり、三日もせず何も言わなくなった。わたしはそれをよいことに屋敷から一人で抜け出し気ままに散策したりした。
何もかも素晴らしい。
だが、ただ一つ、この生活で面倒くさいことは、週に一度マールに手紙を書かねばならないことだった。ヒュー公爵の出した条件だ。こまめに手紙をやり取りすることで繋がりを保ちたいのか何なのか。毎週取りに行くから必ず書くように言われた。郵便制度は存在するのに従者が気の毒でならない。もう一週間になる。書かないとまずい。そういうわけで、わたしは本日、この領地へ来て初めて憂鬱な気分で机に向かった。
季節の挨拶。ご機嫌伺い。近況報告。三行で終わった。ネットで例文を検索したい衝動に駆られる。何か参考になるものはないか。嫌いな婚約者に出す手紙の書き方マニュアル的なもの。あるわけないのに無意味に引き出しを開けると一冊のノートが目に止まった。初日に見た時にはなかった気がする。結構分厚くて立派な表紙だ。徐に取り出して中身を読むと瞬間に心臓が鳴った。
四月十二日 晴れ
誕生日に日記をもらった。
とても嬉しい。これから毎日書こう。
ママのケーキ美味しかったな。ジオルドは食べすぎ。
メアリージュンの日記だ。
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