第4話 我慢

「サラ様、どうなされました?」


 ベッドに突っ伏して塞ぎ込むわたしに、マリアンヌは何度も問い掛けた。

 今わたしは何をしているのか。うまい具合に涙を流す自信がなかったから、あからさまに口数を減らし元気のないふりをして、お茶会で何かあったことをじわじわとアピールしている。


「……なんでもない」

「そんなはずありません。お茶会からお戻りになられてずっと様子がおかしいではありませんか。何があったのですか?」

「……」


 あまり勿体ぶって長引かせて、しばらくそっとしておこう対応にシフトされたら困る。


「……誰にも言わない?」


 のそりと起き上がり、目をくりくりと擦って若干泣いている感を演出しながら、お茶会での一連の流れを告げた。ただし、わたしの行動はただ泣いて逃げるしかなかったことに置換してある。


「なんてことです!」


 マリアンヌは驚嘆と憤怒が入り混じった声で語彙を荒げた。


「サラちゃんは化け物なの」

「まさか! こんな可愛らしい化け物がいるものですか!」


 全くその通りだよと激しく同意はするが、


「でも、みんなそう言ったんだもん。殿下もそう言った! サラちゃんは気味悪いんだもん! あぁぁぁん」


 盛大に声を張り上げて再びベッドに伏せると、


「旦那様が戻られましたらお話ししましょう」


 マリアンヌは沈痛な声で答えた。ここでマールの味方をされたら、わたしはブチ切れただろう。この二週間のわたしのマリアンヌ大好き作戦は確実に成果を出している。だが、まだヒュー公爵に知られてはいけない。


「待って! お父様には言わないで! きっと悲しむから。お父様はわたしと殿下の結婚を望んでいるんだから。わたしが、勝手に談話室へ入って行ったのが悪いの。わたしが聞かなかったことにすればいいの!」

「そのようなこと……」

「マリアンヌだから言ったの! 誰にも言ったら駄目!」


 マリアンヌは黙った。出世にしか興味のないヒュー公爵に「悪口を言われたから結婚したくない」などと訴えてどうなるものでもない。「我慢しろ」と言われるのがオチだ。或いは、わたしがわぁわぁ騒ぎまくり王妃様の耳にでも入れば形ばかりの謝罪はあるかもしれないが、そしたらわたしはそれを受け入れるしかなくなる。「許さない」という選択肢はない。でも「許す」なんて口が裂けても言いたくない。我慢してあの場で乗り込んで行かなかった意味がなくなる。あいつは絶対に言ってはならないことを言ったのだ。下手に動いたら駄目だ。まだ我慢の時だ。今は「前前世の記憶は正しい」ということと「マール殿下に虐められているけれど我慢して耐えているわたし」という事実を第三者であるマリアンヌに植え付けられれば十分。八歳のわたしに出来ることは少ない。真剣に将来を考えなければ、本当にサラちゃんみたいになる。力をつけなければならない。どうしたらよいのか。何故、わたしはこんな目に遭うのだろう。悔しい。本物の涙が目にじんわり滲む。悔しい。悔しい。泣くなんて悔しい。だが、奇しくもマリアンヌに対してはよいアピールになったらしい。マリアンヌは無言でしばらく傍に控えて、わたしが落ち着くのを待つと、


「サラ様、そんなにお泣きにならないでください。今日はサラ様の好きなローストビーフにしましょう!」


 わざとらしく明るい声で告げると出て行った。

 一人きりになると顔を拭い仰向けに体勢を変えた。深く呼吸する。ふーっと勢いよく吐き出す息と同時に不快感も出て行ってくれればよいのに。

 お茶会で談話室から出た後、出来るだけ人の多くいる場所で過ごし、何事もなかったように屋敷まで帰って来た。マールの姿は見なかった。扉を叩きつけた犯人探しをしている様子もなかった。胸糞悪い。曲がりなりにも将来結婚する相手を何が楽しくて虐めるのか。サラちゃんは自分が気味悪いせいだと思い込んでいたけれど、客観的に見て可愛い部類だろう。物凄く可愛い方だ。婚約者の座を狙う令嬢達の嫌がらせは理にかなっているが、あの王太子は意味不明だ。サラちゃんは煩わしく付き纏うことはしなかったし、大人しく言うことを聞いていた。エリィや他の令嬢と仲良くしていても文句も言わなかった。そのせいで、どれほど惨めな思いをさせられたか。恨み辛みを吐きたいのはむしろこっちだ。目の色が気に入らず、生理的に受け付けないのなら婚約破棄すればいい。サラちゃんは受け入れたはずだ。いや、寧ろ望んでいた。実際に一度だけ懇願したことがあった。


「婚約破棄? 何故だ」


 ぞっとするほど冷たく返された。


「何故って……理由がわからないのですか?」

「あぁ、わからん。いいか。婚約破棄はしない」


 憎々しげに歪めた顔に恐怖と絶望を感じた。その後すぐに嫌がらせのように婚約式が執り行われ、在学中にも関わらず十六歳で結婚させられた。そんなにヒュー公爵の後盾が欲しかったのか。あんなに冷遇して、ヒュー公爵の逆鱗に触れる可能性を憂慮しなかったのか。尤も、ムカっ腹の立つことにヒュー公爵はマールの全面的な味方だった。


「マール殿下ほどお前を大切にしてくれる人はいない。幸せになりなさい」


 結婚式の前日にもそんな頓珍漢なことを言っていた。あの世界線でサラちゃんの気持ちを知る者は誰一人いない。


「殿下との結婚は公爵家に生まれた者の定めだと受け入れています。ですが、わたしは幸せにはなれません。それだけは心の片隅にでも留めておいてください」


 せめてこれくらい返してやればよかったのに。自己主張は悪いことではないのだと、がつんと言わなきゃ駄目なんだと、サラちゃんに教えてあげたい。まぁ、今世でわたしが全ての無念を晴らしてやるけれど。



 食器の音が小さく鳴る。

 本日のディナーは珍しくヒュー公爵と一緒だ。仕事の帰りが遅いため、サラちゃんは一人で食事を取ることが多かった。そして、たまに同席しても無言だ。食事中に話してはならない決まりがあるわけじゃないけれど話題がないから自然と沈黙になる。

 ヒュー公爵と長テーブルの端と端に座って黙々と食事するだけの時間。改めて見るヒュー公爵は、流石が美少女サラちゃんの父親だけあって端正な顔立ちをしている。年は三十六だとか。百合子より若い。

 ヒュー公爵はサラちゃんの母親であるメアリージュンと二十三の時に結婚をした。それから五年後にサラちゃんが誕生し、メアリージュンはその四年後に病死してしまった。ヒュー公爵はその後、後妻を娶ってはいない。ヒュー公爵くらいの爵位と地位があり嫡男のいない貴族なら再婚するのが通常だ。実際、釣書は山のように来ている。首を縦に振らない理由は女嫌いだからで、メアリージュンとは政略的な結婚だったと前々世で聞いた。家督を継がせる為、養子を貰ったくらいだから本当なのだろう。サラちゃんは屋敷から通えるのにも関わらず学生寮へ入っていたが、義弟がいるから休日も家に帰らなくなった。自分はいよいよマールに嫁ぐしかないと悲嘆にくれていた。そして、そのまま結婚したから、義弟についてあまり記憶がない。いや、わざと避けていた。自分が男の子ならばよかった、と妬みたくなかった。義弟に会って父親と仲良くしているところを見れば恨んでしまう。それが怖かった。


「お茶会はどうだった?」


 ヒュー公爵が突然発言した。

 顔を上げると視線がぶつかる。が、深い緑色の瞳はゆっくりと逸らされた。どう答えるべきか。扉の前で控えているマリアンヌが不安そうにしている。前はどうしたっけ。八歳の頃の前前世の出来事だ。記憶は完璧じゃない。鮮明なのとぼんやりしている部分がある。うまく思い出せない。ヒュー公爵と話をするサラちゃんの記憶がそもそもあまりない。サラちゃんはヒュー公爵とうまくいっていなかった。「王家に取り入るために娘を売った」と対立派閥から揶揄る声が上がっていたのも知っている。サラちゃんはただの駒にすぎず、お飾りの王妃でも王家に嫁げばそれで良かったのだ。マールとは利害が一致していた。通りで仲が良いはずだ。「この毒親が」って百合子ならきっと言う。接点が少なくマールほど何かをされたわけじゃないが、ネグレクトは十分な虐待だ。高位貴族の男性が何処まで育児に参加するか、という現代日本との齟齬はあるのだけれど。……わたしは何を庇っているのか。信じて裏切られるのは、もう御免だ。同じ轍を踏むな。しっかり前前世のことを思い出せ。そうだ。ヒュー公爵とも絶縁していたじゃないか。声に出して言えなかっただけ。許せなかった。あれはデビュタントの日だ。王妃様がお祝いにティアラをプレゼントしてくれた時。キラキラ光る素敵なティアラだった。なのに、ヒュー公爵は別のティアラと取り換えるように言った。エリィと二人でこそこそ話しているのを目撃した直後、急に違うティアラを着けるように命じられた。


「これは王妃様から頂いたものです。着けないなんて失礼でしょう」


 死ぬ気で拒絶したが、


「……キャサリン妃にも話は伝えている。どうしてお前はそうなんだ。我儘言わないでこっちを着けなさい」


 と結局代用品のティアラを着けることになった。なんで? エリィが欲しがったから? じゃあ、エリィがもう一個の方を着ければいい。別に両方貸さないと言っているわけじゃない。わたしの好きな方を選ばせてほしい。それがそんなに非常識なことか。自分のデビュタントでわたしが譲らなければならない理由は何だ。きっと王家の親族の令嬢の機嫌を損ねたくないとかそんなこと。エリィの我儘は許されて、わたしは駄目。今までそんなこと言わなかったのに、どうして今日はそれくらい我慢できないのか。なんで? 死ぬほど悲しかったし、悔しかった。幼い頃から我慢して、公爵令嬢の立場を慮り、にこにこ必死に王妃教育にも耐えてきた。エリィと比較され、馬鹿にされ、王妃に相応しくないと蔑まれ、陰鬱に暮らしている中で、現王妃からの贈り物は自分を認められたようで誇らしかった。報われた気がした。それなのに……。これまでの努力は一体何だったのか。全てが泡になって消えた気がした。あの日、サラちゃんは完全に心を閉ざした。ムカつく。だから、わたしは絶対に我慢しない。


「いつも通り楽しくなかったよ」


 笑って言ってやった。


「え」


 ヒュー公爵と再び視線が合う。


「いつもと同じで最低だったの。だから、特にどうと言うこともないよ。ごちそうさま!」


 返答は聞かずに席を立ち食堂を出る。しかし、ヒュー公爵が追ってくることはない。でもそれもいつものこと。最低だ。

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