第2話 サラ・ヒュー公爵令嬢
教育、或いは洗脳と言うべきか。
かつてのサラ・ヒューは周囲の大人達からよってたかって我慢を強いられていた。
「マール殿下は優しい人ですよ。そのような我儘を言ってはいけません」
「貴女は将来王妃になるのだからもっと慎みをもった行動をとりなさい」
「殿下は公務でお忙しい中、わざわざ会いに来てくださったのです。笑顔で接しなさい」
「マール様にそのようなことを言ってはいけません。貴女はもっと自分の発言に責任を持ちなさい」
なんなん? 王子がそんなに偉いの? いや、偉いか知らんが、だからなんなん? 公務頑張ったら婚約者に辛くあたっていいシステム? つーか、知らんし、知らんし! 知らんし!! 今のわたしなら反骨精神隆々に口撃してやる。だけど、純粋無垢だったサラちゃんは大人達の横暴を鵜呑みにした。全て自分の不徳の致すところと苦言に胸を痛めた。誰にも何も訴えられずに鬱積は蓄積していった。地獄かよ。なので、今回は早々に離脱する。
「嫌! 絶対に行かない! 嫌ぁぁぁ!」
絶叫が部屋中にこだまする。
侍女のマリアンヌはわたわたと、わたしを嗜めたり諭したりしてくるけれど、無視して泣き叫び続けた。
「絶対に王宮には行かないから! 無理やり連れて行くなら舌を噛み切って死んでやる!」
どんな脅し文句なのか。自分で言って笑いそうになるが、それまで内気で大人しかったサラちゃんが豹変したことに、マリアンヌは、
「わかりました。では、今日の王妃教育はお休みしましょう」
と言い切った。えっ、と思った。マジで? こんなんでお休みできちゃうの? 暴れ回ってはみたものの、きっと宥められて渋々登城することになると諦めていたのだ。
「本当?」
「えぇ。サラ様がそこまでおっしゃるなら、旦那様もお許しくださいますよ」
そうだろうか。あの権力の権化が許すだろうか。わからないが、城に行かなくて済むのならなんでもいい。わたしが黙っているとマリアンヌは部屋を出ていき五分も経たずに戻ってきて、
「サラ様はご気分が悪いので本日は登城できないとお伝えしました。ゆっくりお休みになってください」
と告げた。本当かよ。簡単に進みすぎて逆に怖い。まだ沈黙を通すわたしをマリアンヌは不安げに見つめてくる。単なるずる休みなのに、本気で体調不良だと思われて心配されているなら申し訳ない。しかし、ここで元気アピールをすると、きっと面倒くさいことになる。病気で丸く収まるなら甘んじた方が良い。
「じゃあ、今日は大人しくしている」
かくしてわたしは、安々と自由な一日を勝ちとった。なので、今後について落ちついて展望する。
まずは鏡の中の自分をまじまじと覗き込む。
ふわふわ金髪に白い肌。普通に可愛い外国人の子供の姿だ。特筆すべきは瞳の色が緑と金のオッドアイなこと。宝石みたいにキラキラでとても綺麗。この容姿のまま百合子をやりたい。わたしはスーパーアイドルになれると思う。だけど、この瞳の色は、悲しいことにわたしを蔑みたい連中の格好の餌食になる。
あれはお茶会デビューを果たした日だった。性悪令嬢達に囲まれて、化け物だとか薄気味悪いとか陳腐すぎる悪口を浴びせられた。それまでそんな悪意にされされたことはなくショックは大きかった。反撃することもできず、心臓が痛いくらい脈を打って、眼前の敵意が露わな冷たい視線に恐怖した。それでもどうにか逃げ出して、わたしはマールの元へ走った。別に、告げ口してやろうとか、あいつらをやっつけて欲しいとかではなかった。ただ助けて欲しかった。マール様なら助けてくれる。気持ち悪くなんてないよ、と言ってくれると思ったから。しかし、わたしは逃走した先で友人と談笑するマールの残酷な言葉を聞く。
「でも、殿下の婚約者の瞳は、変わった色ですね」
「……ああ。左右で違うなど不吉だろう?」
「え、まぁ、珍しいとは思いますが」
「別に遠慮はいらん。気味悪いものは悪いだろう。はっきり言えばいい」
「……そうですね。僕なら嫌ですね」
「オレもできればあんな目で見られたくないです」
頭が真っ白になった。背中に嫌な汗がぶわっと流れ、感情が消えて時間が止まったみたいに感じた。とても冷たく寒かった。そんな風に思われていたなんて夢にも思わなかった。いつもいつも一緒にいた。ずっと笑って遊んできた。仲睦まじい幼馴染だったはず。わたしはマールが大好きで、マールもそうだと思っていた。疑ったことさえない。だから、あの時、マールだけは味方になってくれると信じて逃げて行った。それが、あんな結果に終わったのだから滑稽としか言いようがない。今ならば違う対応ができるけれど、あの日のサラちゃんはその場から誰にも気づかれないよう走って走って走るしかなかった。裏庭で一人ぼろぼろ声を殺して泣くしかなかった。気持ち悪い。わたしは気味が悪いのだ。視界がぼんやり滲んでいく。それに余計に悲しくなって、涙が際限なく溢れた。
「ムカつく」
いくら思い返しても業腹すぎる。
「え? サラ様、なんです? 吐き気がするのですか?」
わたしの力のこもった独り言に、マリアンヌの顔がさっと青くなった。
「ベッドに横になられてください」
「気持ちが悪いんじゃないの」
答えると、マリアンヌはじろじろとわたしを視診するように見つめる。マリアンヌのことは正直あまり記憶にない。普通の侍女だったと思う。母親はわたしが四歳の時に亡くなったと聞いている。代わりにわたしの世話役に宛てがわれたのが彼女だ。年齢は二十代くらいだろうか。サラちゃんは歳を追うごとに内向的に無口になっていったから、不必要に人と話さなかったように思う。彼女とも用事がある時に一言二言交わす程度の間柄だった。
「ねぇ、わたしが婚約破棄したいと言ったらどうなるかな?」
「まさか! 婚約破棄なんて……」
困惑しきった表情。答えを必死に探している。わたしの味方ではないのだ。悪意があるわけでもないだろうけれど、家長の父が望んでいる婚儀にわたしと一緒になって反対するほど、わたしに思い入れがない。わたしの味方はいないのか。今からでも彼女を懐柔できたりしないか。よくある無邪気な笑顔で愛想を振りまくとかで。
「わたし、この家でずっと暮らしたいの。マリアンヌのことが大好きだから!」
唐突に渾身の笑顔で告げてみる。
「……サラ様は今日はどうなさいました? なんだかいつもと違うように思います」
マリアンヌは更に困惑して答えた。動揺が伝わる。これは案外いけるのではないか。サラちゃんは母親がいなくて誰かに甘えることを知らない子供だった。団地住まいの四人家族で息苦しいほど密着して甘えたり叱られたりして生きていた百合子はやはり幸せだったと思う。
心の交流ができる誰かは必要だ。ちょっと打算的だけど、マリアンヌがわたしの味方になってくれたら有難い。
「あのね、マリアンヌはわたしのお姉さんになって」
「はい?」
「サラにはママがいないから、マリアンヌがお姉さんになって!」
八歳の子供なんだから心のままに気持ちを伝えてよいだろう。
「え、あの、とんでもない! わたしはただの侍女ですから!」
「じゃあ、二人の時だけ。ね? それならいいでしょ? お願い!」
「わ、わかりました」
マリアンヌは戸惑いを見せるが半分顔がにやついていた。こんなに小さな女の子の愛らしいお願いだ。陥落するのは当然だろう。この調子でぐいぐい押して行こう。わたしが策略的に考えていると部屋をノックする音が聞こえた。
「はい。誰?」
「お嬢様にお届け物です」
扉越しに聞こえる声は執事のものだ。マリアンヌは一旦わたしに視線を合わせると、
「なんでしょうね」
とドアに歩み寄った。
「殿下からお見舞いです」
「サラ様のお好きなクグロフですね!」
銀のトレーを抱えた執事の姿がマリアンヌ越しに見えた。同時に、マリアンヌの明るい声が響く。
え? いろいろ込み込みで何故?
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