第4話 転機 2/3

「…………ッ!」


 悪い夢から覚めるように秋人は飛び起きた。

 肌寒い冷気を荒く肺に取り込み、ズキっと痛んだ頭に手を当てる。


 俺は……なにをしていたんだ。


 引いていく頭痛のなかで自らに問いかけながら記憶をたどる。


 確か、レナと仕事で襲われる可能性のある変電所施設に張り込んでいて、それから現れたネクストを追って──。

 そこまで思い出してバッと貫かれたはずの胸に手を当てる。


 しかし、そこには秋人が予想していたような大穴は空いておらず、くり抜かれたような円形の傷痕と装飾のように赤く染められたシャツしかなかった。


 夢じゃ……なかったのか。


 まじまじと胸の傷に触れる。

 痛みは感じなかったが、神経が表面に近いところにあるのか、少しこそばゆかった。


 致命傷を負ったはずなのに生きていることを不思議に思っていた秋人が身じろぎをするとギシっという音がして、そこで初めて自分が古びたベッドの上にいたことを知覚する。


「ここは……どこだ?」


 地面に足を降ろすと立ち上がって、ベッドを囲うカーテンの外へと出る。


 目の前に広がったのは酷く殺風景で埃っぽい空間。なにも物が置かれておらず、窓にはテナント募集という文字が貼られていた。


 レナは一体どうしたのだろう。

 制止の声をかけた彼女の顔が想起される。


 言う通りにしておけばよかったと今更ながらに思う一方で、自分が帰ってこないことを不安になっているのではないだろうかと秋人は焦燥の波に心をかき乱される。


 彼女の元に戻らなければ。


 目的が浮かび上がると端に置かれていた自分のジャケットを羽織り、部屋を出て薄汚い階段を下りる。道路に出て、自宅へ向かって歩き出す。

 幸い、場所にはなんとなく見覚えがあり、どこを行けば帰れるのかはすぐにわかった。


 見えない力で押されるように早足で道を歩く。

 ジャケットで隠してはいたものの血に濡れ、穴の空いたシャツを覗かせる秋人に訝しげな視線を送る人もいたが、気にしている余裕はなかった。


 だがしかし、車一台が通れるような小道から広い大通りまで歩いたところで秋人の歩調が乱れる。


 何かがおかしい。


 妙に視界がチカチカとし、目に直接ライトを当てられているかのように周りの風景が眩しく感じられるのだ。


 最初は気のせいかと思ったが、しばらく経っても治らないので立ち止まって試しに左目を閉じて周囲を見回してみる。

 するとたまたま露店のライトが目に入った瞬間、刺すような痛みを覚えるほどの眩しさが襲う。


「……ッ!」


 思わずライトから顔を背けるが熱い鉄でも押し当てたかのように右目は熱を持っている。

 その熱さが徐々に引いていくにつれて脳が冷静さを取り戻し、手が震えだす。


 嘘だ、まさか……そんなはずは。


 生きているのがおかしいほどの傷の治癒に光に対する過剰反応。

 思い当たる原因があったが、その結論は彼がもっとも否定したい可能性であった。


 とにかくレナの元に戻らなければッ……。


 突然の変化に眼を背けるように歩きだす秋人だったが、ゆらゆらと幽霊のようにフラつきながら交差点に足を踏み入れてしまう。

 直後、甲高いクラクションが秋人に浴びせられ、その視界目一杯にトラックの姿が広がっていた。


 ぶつかる、死ぬ。


 思わず手をかざしたのもつかの間、ガンッと鈍い音がして全身が衝撃で揺さぶられる。

 ガガガッと靴底が削れるような音が止み、訪れた静寂にきつく瞑っていた瞼をゆっくりと開く。


 そこには煙をあげるトラックのフロントとめり込んだ自分の右手があった。


「あ、あぁ……」


 右手を引き抜き、ふらつきながら自らの姿に目を落とす。


 特になんの変化もない左半身に対し、右半身はツヤ消しのブラックモノクロームの装甲に覆われており、各部に青いラインが走っている。

 それは敵として屠ってきたネクストの姿そのものだった。


 気づくのと同時にトラックのほうにも変化があり、手がめり込んでいた部分を起点にトラックの車体が砂のように脆く崩れ去っていく。

 ザーッと本当の砂のような音を響かせながらエンジンや車体などにまで侵食が及んでいき、最後にはトラックは小さな粒子の山となった。


「なんだよこれ……なにがどうなってる……?」


 変わり果てた腕を呆然と見つめ呟くがカシャッとシャッター音が聞こえ、ぐるっとそちらに首を向ける。

 見ると通行人の一人が携帯で写真を撮っており、目が合うとビクッと体を震わせた。


 違う。俺は……俺は……ッ。


 思いを言葉にしようとするもうまく形にならず、秋人は悔しそうに唇を噛んでなにも言えずにその場から走り去るしかなかった。

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