第8話 憧れと恐怖とギャップ

 ある日の事、カズキは普段通りの日常を過ごしていた。

 太っていた頃よりは遅めの起床だが、ストレッチをしてからランニング。帰ってシャワーを浴びてから朝食を作ってサラを起こす。二人で朝食を食べ終わればサラは依頼を請けるためにギルドに向かう。その間にカズキは『身体強化ブースト』を発動しながら部屋や店の掃除をする。


 何故『身体強化ブースト』を発動しながらなのかは、この魔法の性質にある。この魔法を長時間、あるいは強化レベルを上げて発動すると体に負担がかかり、体は筋肉痛のような状態になる。

 当然体は筋肉痛によって破壊された筋肉を修復してより強くなる。つまりカズキは『身体強化ブースト』と『魔素吸収マナドレイン』によってとことん体を痛みつけているのだ。もはや完全にドMと言える。


 そして掃除が終われば魔法の訓練で、終わればちょうど昼御飯の時間。昼食はサラが外で外食する為、一人で適当に何か作って食べる。昼食を終えたらサラと交代で家を出る。店の事については、仕事の代わりに後から魔物を納入した分で返すということで、サラは承諾してくれている。


「う……流石に体の痛みと怠さがやばいな。うん、明日はオフにしよう。あんまり体を酷使すると体に怒られる。……あれ、俺この世界に来て休んだ日全然無くね?」


 強くなる事を考えすぎて休む事を忘れていたカズキは、地球での失敗を思い出した。


「そういえば試合前でも練習しまくってしんどいままプレーして倒れた事あったなぁ。結局、訓練も休息もバランスよくしないといけないのは知ってたのに、つい忘れてたわ」


 カズキが倒れたのは一年生の時、夏の甲子園大会一回戦の日だった。期待されていたカズキはその期待に答えようとするべく練習をオフの日でも欠かさない。

 そして一回戦前日に、練習は調整程度にすると監督から告げられていたのにも関わらず、毎日練習をしていたカズキはその日も普段通りの練習をした。


 ──そして試合中の終盤に疲れがピークに達して倒れた。


「いやぁ、あの時は本気で死んだかと思ったからな。またあんな事になるのはごめんだ」


 人は無理をすれば死ぬ。カズキもこの後はしっかりと練習を軽くする日やオフの日はしっかり休むようにした。実際にそうしてみれば試合でのパフォーマンスは上がったのは既に体験済みだ。


(今日も軽めにして帰ろう。強くなる前に死んだら意味がないからな)


 カズキはいつも訓練をしている森に向かった。

 そしていつも通りに『探知ディテクション』を使って反応があるのを待つ。


 だが、十分経っても魔物どころか虫の反応すらない。普段なら二分もしないうちに必ず何かしらの反応はあるのにだ。


「……おかしいぞ。何で何もいないんだ?」


 カズキは不思議に感じ、『探知ディテクション』の範囲を自分がいる位置から街に体の向きを変え、前方五キロの範囲に広げた。


(どういう事だ……魔物が逃げるように動いている? まるで何かに怯えているような……)


 街の周辺には既に魔物がいない。それに不安を感じたカズキは、魔物が逃げている方向と逆の方向に『探知ディテクション』の範囲を出来る限り広げる。

 

 すると、範囲のギリギリの所に、反応があった。これまでに感じた事のない、強大な魔力を持った何かの反応があり、徐々に街に近づいてきていた。


(──っ!? これは……ヤバいだろ!)


 決して魔力の総量が強さに直結する訳ではないが、その魔力の反応はカズキに恐怖を刻み込むのに充分な事だった。


(逃げる……いや、逃げても仕方がない。俺より強いとは限らないだろ。……仮に強かったとしたらこんなやつ放っておいたら街が……!)


 軽めに訓練をしようと思っていたがカズキだが、今はそれどころではない。

 魔力を感じた方向にカズキは『身体強化ブースト』をレベル一で発動して全速力で走り出す。

 森の中で木を避けながら走るカズキのスピードはかなりのもので、スピードを出しつつも無駄のない動きが出来ているのは、反射神経を鍛える訓練の賜物だろう。


(反応の大きさ的に人間な訳がない! 一体何なんだ?)


 反応の魔力や体の大きさは大体分かるものの、どんな生き物なのかまでは分からず、カズキの顔には不安からくる冷や汗が滲み出ている。

 幸いその生き物はゆっくりと歩いているだけなのかスピードは遅い。仮に戦う事になったとしても街に危害が及ぶ心配はないだろう。


(森を抜ける……確か反応はここら辺だったはずだ)


 森を抜けるとそこは草原で、ただ風が吹いて草が揺れているだけの静かな場所。だが、その静けさはまるでカズキの不安を更に煽ってくるようだった。


「何処だ? 何処にいる……あ」


 カズキは思わず声を漏らす。自分よりも遥かに大きい、草原に映るその巨大な影を見てしまったのだ。

 思わずカズキは上を向いた。するとそこにいたのは、全体がまるで輝いて見える程の綺麗な白の鱗で覆われていて、誰もが現実で見る事がない筈のドラゴンだった。


「に、二十メートルはあるか? な、なんてデカさだ」


 小さい頃に漫画などでよく見るドラゴンはカッコいいと簡単にしか思っていなかったが、いざ対面してみると恐怖を感じざるをえない。

 思わず足がすくみそうになるが、カズキは平然を装って自分を誤魔化そうとする。


「──気付いた!」


 ドラゴンは空中で停止してカズキの方を見た。遂に戦うのか、と覚悟を決めてカズキは構えをとる。

 

「……さあ、こい!」


『あら、人間さんやないの。どないしたん?』


「……へ?」


 声の主が誰なのか分からず、カズキは首を回して誰がいるのかを探る。


『そんな首ぐるぐる回してもしゃあないで?』


「……そうだと思いたくなかっただよ。なんか想像してたのと違うんだけど……」


 ドラゴンという伝説上の存在が、まさかの関西弁で話しているとなると何とも調子が狂ってしまう。

 さっきまでの緊張感は何処へやら、カズキは落胆して完全に脱力した。


『そない落ち込まんでもええやん。ウチ悲しいわ』


 そう言ってドラゴンは空から段々と降下していき、地面に着地した。たったそれだけの事なのに、着地した勢いと翼をバタバタとさせて降下の速度を落とす為の風で既に台風並みの風だった。


「風ヤバっ。……いや、あの、なんというか、拍子抜けというか。ドラゴンがその話し方って違和感が凄くて」


『それはそっちが勝手に想像してたからやん。ウチのせいにせんといてや?』


「それはしないけど……」


(なんか普通に会話してるけどいいのか?)


 こうも怖い顔をしているドラゴンは関西弁でカズキと普通に話している。てっきり見つけて即攻撃されると思っていたカズキとしてはなんとも言えない気分だ。

 

「しかし大きいな……というか、君は雌? というか女か?」


「声聞いたら大体分かるやろ? ウチはちゃんと女の子や」


 確かに声を聞いている感じでは、大阪にいそうなおばちゃんのような感じではなく、しっかりと可愛らしい声をしている。

 

「……えーっと、何で街の方に向かってたんだ? 正直来られても住民が混乱するし、多分攻撃されるぞ?」


『それは心配せんでも大丈夫やで。もう少ししたら竜化は解こうと思うてたからね』


「そ、そうか……。じゃあ、何で関西弁、いや、ここは日本じゃないか」


『かんさいべん? ってのは何か知らんけど、少なくとも東方に住んでる人らは大体がこんな感じやで?』


 どうやらこっちでも東方は日本っぽさがあるらしい。もしかするとこのドラゴンも島国から来たのかもしれないと、カズキは何となく同胞の匂いを感じた。


(地方でなまりが違うとかないのね。殆ど関西弁とかどんな国だよ)


『そんな考え込んで何かあったん?』


「いや、ドラゴンがそんななまり全開で話してたら変だなって思って」


『そんなんウチから見たら君だっておかしい喋り方してんなって思うもん。何があるか分からへんねんから、偏見で物事見やんほうがええよ?』


 ドラゴンはやれやれといった感じで、女の子とは思えない大きな両腕を上げて肩をすくめている。

 カズキもドラゴンに言われてからは、変だと思う自分の方がおかしいかったと反省した。自分の考えを人に押し付けいたようなものだ。


「……それは……悪かったよ」


『分かったならええんよ』


 ドラゴンは謝罪を受け入れてくれたようで、カズキはカズキは安心して、滲み出ていた冷や汗を服の袖で拭う。


(一応今は普通だけど、怒らせたら何が起こるか想像出来ないからな……)


 この世界ではよく知られた存在かもしれないが、カズキからすれば空想上の未知の生き物だ。どれだけの強さなのかも想像出来ないのに、怒らせるのは自分の身を滅ぼすだけである。


「じゃああと一つだけ……。何で街の方に向かってたんだ?」


『まあ、将来の伴侶探しやね』


 街を滅ぼそうとでも思っているのかとカズキは想像していたが、思ったよりも安全な理由だった。

 しかし、それにしても態々人間がいる街に伴侶を探しに来る意味がカズキにはつかめなかった。


「伴侶って……ドラゴンはドラゴンの伴侶を探すんじゃないのか?」


『それはそうやねんけどなぁ……。何か竜の男ってみんな下心丸見えなんよ。それに嫌気が差して国から出てきてん。それで最初にウチが住んでる近くの街寄ってみたけど、どれもパッとせん男ばっかりやったから、次の街に向かってたってわけ』


 ドラゴンは竜化を解いて街を出歩き、言い寄ってくる男と勝負をして勝った男と付き合ってみようという男をもて遊ぶような事をしていた。

 実際、ドラゴンに勝てる人間や他の種族は殆どいない。男からすれば美貌だけ見せつけられ、圧倒的な力の差を知って女に負けたという最悪のレッテルを貼らされるのだ。


「へぇ、タイプの男がいなかったって事?」


『それもそうやねんけど、やっぱり強い男の人がええかな。守ってくれる強い人がおればええんやけど、さっきまでおった街の男はどれも貧弱でとてもとても……』


(……まあ、女の子ならやっぱり守ってもらいたいよな。その魔力量とビジュアルで守れって言われても寧ろ守られそうだけど)


 これについてはカズキもドラゴンと同意見である。男なら女の子を守ってあげたいと思うもので、女の子なら男に守ってもらいたいのは大体の人が持っている理想だろう。


『見た感じ、君はめっちゃ強そうやなぁ』


「そうか? まあ、鍛えてはいるけど」


『魔力量は今までの男とは桁違いやし、竜化したまんまじゃないと負けそうや。ウチとちょっと戦わん?』


 ドラゴンはかなり好戦的なのか、カズキに手合わせをしたいと言ってきた。それに対してカズキは、


「……別に俺よりも強い男はいると思うぞ?」


 カズキは刺激しないようにやんわりと断りをいれる。

 カズキとて、二年以上の訓練で強くなったとはいえ、この世界で一番強いなどと自惚れた考えは持っていない。人間や獣人、エルフに竜人に限らず強い奴などいくらでもいるだろうと思っている。

 それに、いくらなんでもこれからの人生のパートナーを戦いで決めると言うのはどうかと一応思っていたからだ。


 だがそのドラゴンはというと、


『そらおるかもしれんけど、ウチは今君と会って何かビビッときたんよ。優しそうな顔してるしなぁ』


「顔で分かんのかよ……」


『顔だけで決めてるわけやないよ? ウチの右目の魔眼は、相手が考えてる事がぼんやりと分かるようになってる』


「へぇ、その魔眼いいな」


『やろ? 二百年生きてようやく開花したんよ。これで男には騙されへんし、戦いも有利になる』


 カズキからしてドラゴンの基準は分からないが、二百年も相手が見つかっていないという事実。


「……めっちゃ年上じゃん」


『別に敬語で話す必要はないで? ウチの周りは結構お高くとまってる人らもおったけど、そういう堅苦しいのあんまり好きじゃないねん』


「……じゃあ、普通に喋らせてもらうわ」


『うん、それでええよ』


 顔からは表情が全く掴めないが、声音を聞いた感じでは上機嫌で、カズキは安堵の表情を浮かべる。


『それで、どうするん? ウチと戦ってくれへんの?』


 ドラゴンに決闘を催促されるカズキはしばらく考え込んだあと、


「うーん……まあ、いいよ。俺も強い奴と戦ってみたかった」


『ホンマに!? 嬉しいわ!』


 するとドラゴン羽ばたいて空を飛び始め、戦闘態勢に入る。


「……あ、そういえば名前まだ聞いてないんだけど。俺はカズキだ」


『ウチはカエデやで、よろしゅうな』


「名前まで日本人っぽい!?」


 つくづくその東方の国がどんなところか気になったカズキ。

 だが今はそんな事よりも、戦うと言ったならば他の事に気を取られるのは相手に失礼になる為、カズキはカエデの方を向いて構えをとる。


「殺すのは無しだからな?」


『そんな事するわけ無いやん。怖い事言うなぁ』


(人と戦おうとするあんたの方が怖いわ。俺どうなっちゃうの?)


 戦うと言ったものの、ドラゴンと戦う恐怖感はまだ消えていない。これまで倒してきた魔物とは次元が違うのだから。


『ほな、そろそろやろか』


「……ああ」


 ──カズキが返事をしたその瞬間だった。

 カエデはノーモーションで口から炎の息吹ブレスを放った。


「は……?」


 視覚出来たとしても、『身体強化ブースト』を解いていた体の反応速度を遥かに超えた灼熱の炎は、一瞬でカズキの体を飲み込んだ。

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