31:それから
「必要なのってあと何? クラッカーとかいる?」
「う~ん、あんまりうるさくすると怒られちゃうかもしれないけど」
ディスカウントストアの棚に並ぶ商品を眺めながら、目についたひとつを手に取った葵衣はそれを差し出してみせる。
掌サイズの可愛らしいものではなく、大型のクラッカーは破裂音も大きそうで、私は苦い笑みを浮かべた。
渋々それを棚に戻す姿を横目に、取り出したスマホには新着通知の表示が見える。
「あ、丈介さんも買い物終わったみたいだよ。そろそろ行かないと」
「アイツ、ブッシュドノエル二種類買ってくるって張り切ってたよ。全部自分で食べそう」
葵衣は大袈裟に肩を竦めてから、通常サイズのクラッカーが入った袋を、私の持つカゴに入れた。
買い忘れが無いかを確認してから、二人でレジへと向かう。
店内には鈴の音に合わせた軽快な音楽が鳴り響いている。今日はクリスマス当日ということもあって、店内の装飾はそれ一色になっていた。
私たちのように、当日を迎えて駆け込みで買い物を済ませる客も多いのだろう。会計には時間がかかってしまった。
店の脇にある駐車場へ向かうと、既に運転席に乗り込んだ丈介の姿があった。
「お待たせしました!」
「おう、そんじゃ行くか」
後部座席に私たちが乗り込んだことを確認すると、丈介はエンジンをかける。
走り出した車の中は、クリスマスらしく浮き足立った空気で満たされていた。
私たちが日常からかけ離れた体験をしてから、半月ほどが経過していた。
怪異から解放された私はもちろん、葵衣のスマホの中にも、もうあのアプリのアイコンは存在していない。無事にアンインストールすることができたのだ。
樹と共に神社に駆け込んだあの日。意識を失った私は、目を覚ますと病院のベッドの上にいた。
本殿から出ることができるようになった葵衣と丈介が、駆け付けて倒れているところを発見してくれたのだと聞かされた。
葵衣の兄だとされた怪異は、日が昇ると共に跡形もなく消えてしまったらしい。軟弱な兄だから力を使い果たしたのかもしれないと、葵衣は泣きながら笑っていた。
全身が黒い液体にまみれた状態だった私だが、幸いにも軽い擦り傷や打撲だけで済んでいたので、検査入院をしただけですぐに退院することができた。
暫くはそれが現実なのかわからず、ふとした影に怯えることもあった。
けれど、アプリが消えていつもの日常が戻ってからは、少しずつ調子を取り戻すことができていた。
頻繁に連絡を取り、会いに来てくれた葵衣の存在も大きかったのだろう。
あの事件以降、仲良くなった私たちは遊びに出掛けることも増えていた。元々の相性も悪くはなかったのだろう。
それでも、同じ恐怖を体験した者同士だからこそ、打ち解けるのも早かったのかもしれない。
クリスマスなのだからパーティーをしようと提案したのは葵衣で、それを断る理由は無かった。午前中からというスケジュールには驚かされたのだが。
「ねえねえ、アレそれっぽくない?」
「ん?」
赤信号で停止している最中、車内から何かを見つけたらしい葵衣は、窓の外を指差す。
そちらを覗き込むと、駅前で合流したらしい若い男女の姿があった。お互いにスマホを手にしており、その様子はどこかぎこちなさが窺える。
「アレ、絶対マッチングアプリで待ち合わせしてるでしょ」
「あはは、そうかも」
「もうアプリは御免だけど、アタシも彼氏欲し~!」
狭い車内で両足をバタバタと揺らす葵衣の姿は、可愛らしくて微笑ましい。
彼女なら異性が放っておかないだろうと思うのだが、私は運転席の方へと目を遣る。
「丈介さんは? 仲良さそうだし、彼氏候補」
兄の友人だという話は聞いていたが、二人の気の置けないやり取りはかなり親しい間柄に見える。
同じ事件を乗り越えたという一件もあり、より特別な存在へと変化していてもおかしくないのではないだろうか?
「「却下」」
しかし、返ってきたのは一言一句同じ否定の言葉だった。
その割にはあまりにも息が合いすぎていて、思わず笑ってしまうと葵衣に睨まれる。
「柚梨ちゃんはいいよね、そういう心配無さそうだし」
「え、私?」
突然自身に向けられた矛先に、何のことかわからず私は首を傾げる。
イタズラっ子のような笑みを浮かべた葵衣は、自身のスマホを取り出して画面を操作する。
「樹。あんなイイ男が傍にいるなら、彼氏探しなんかする必要ないじゃん?」
「あ、葵衣ちゃん……!」
この場にいない人物の名を挙げられて、動揺する私は心なしか頬が熱くなるのを感じる。
けれど、葵衣の言葉を否定することはしなかった。
「文字通り命がけで守ってくれたワケでしょ、それで惚れないって方が無理だと思うけど」
葵衣の言う通り、樹は自分の命と引き換えに私を助けようと怪異に対峙してくれたのだ。
それが大切な友人であった幸司だったとは、思いもしなかったのだけど。
自分の方が先に意識を失ってしまったあの時、樹の方へと標的を変える怪異の姿に、彼を犠牲にしてしまったのだと思った。
けれど、目を覚まして真っ先に尋ねた樹の居場所は、思いのほか近くにあったのだ。
ベッドを囲うカーテンを開くと、隣のベッドで眠る樹の姿があった。全身打撲で右脚は複雑骨折していたらしいが、命に別状はないと聞いて私は心底安心した。
あの神主は、残念ながら亡くなってしまったと聞かされたのは、そのすぐ後のことだ。
死因が同じ二つの事件に関係しているということで、さすがに警察からはいろいろと事情を聞かれた。けれど、私たちが答えられることなんて限られていて。
時間はかかったものの、容疑者から事件関係者へと変化して、事件の捜査は続いている。
幸司が怪異となって襲ってきていたという事実は、今も受け入れきれてはいない。
それでも、樹の言葉が届いていたのだと思うと、二人の関係性は今も生前と変わっていないのではないかと感じられた。
そうでなければきっと、私も樹も、あの黒い液体を浴びて死んでいたはずなのだから。
今日はクリスマスパーティーという名目だが、樹の退院祝いも兼ねている。
まだ松葉杖が無ければ歩けない樹は、買い出しから外され、パーティー会場となる自宅の掃除をしているだろう。
「そろそろ着くって連絡入れといたよ。さすがに部屋も片付いてるでしょ」
葵衣は樹に連絡を入れてくれていたらしい。二人は樹の家に行くのは初めてなので、私が道案内をしながら目的地を目指していた。
やがて家のすぐ傍まで到着すると、有料駐車場がある方面を指差す。
「樹の家はすぐそこに見える白い壁のアパートです。車はそこの先の駐車場に停めてください」
「了解。先に行ってていいぜ、停めたらすぐ行く」
「アタシも丈介と一緒に行くから、柚梨ちゃんそっちの荷物だけ持ってってくれる?」
てっきり葵衣も一緒に降りるものかと思ったが、決定事項のように言われてしまうと頷くしかなくなる。
パーティーをするとはいっても、クリスマスなのだ。恐らく、樹と二人の時間が作れるよう気を使ってくれたのだろう。
素直に甘えることにして、食品の入った袋を手に取ると私は一足先に車を降りる。
「ありがとう、それじゃあ先に行ってるね」
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