04:マッチングアプリ

 翌日。

 アラームと共に目を覚ました俺の頭は、いつになく重く鈍い痛みを感じていた。


 夢も見ないほど深く眠っていたはずだが、やはり昨晩の衝撃が大きすぎたのかもしれない。


 枕元に置かれていたスマホを手に取ると、柚梨からの新しい通知が入っていた。


 それを開こうと思ったのだが、その下にある幸司の名前が目に入り、自然と視界がにじんでいく。


「ッ……幸司……」


 もう、このトークルームに既読の文字がつくことはないのだ。幸司はもうどこにもいない。


 一晩経って、ようやくその現実に心が追い付いてきたのかもしれない。


 まばたきの度にこぼれ落ちていく雫が、枕をじわりと濡らしていった。


 どうせ授業なんて頭に入らない。大学を休むことも考えたが、柚梨に説明をするのなら直接の方が良いだろうと思った。


 何より、今は自宅で一人じっとしていたい気分ではなかった。


(……誰か、生きてる人間と話がしたい)


 そう思った俺は、億劫おっくうな身体を動かしながら身支度を整えて、いつものように大学へ向かうことにした。


 通学の途中で、柚梨には簡単な連絡を入れておいた。


 結局連絡を返すことができないままだったことへの謝罪と、話があるという件についてだ。


 十分ほどして既読がつくと、白く丸っこい犬のような動物のスタンプが送られてきた。


 それを見た俺は、少しだけ肩の力が抜けたような気がして、僅かに口元が緩むのを感じる。


 そうして、気の向かない講義を半ば上の空で聞きながら、その日予定していた授業をすべて終える頃。俺のいる教室に、柚梨がやってきた。


「樹、大丈夫? 酷い顔してるけど……」


「ああ、平気だよ。それより、ここじゃなんだから移動しようか」


 教室でするような話でもないと、俺は彼女を大学の近くにあるカフェに誘うことにした。


 地元の人間しか知らないような穴場で、そこなら落ち着いて話ができるだろう。


 柚梨自身も幸司のことについて気になっていただろうが、曖昧な返答のまま口を開きたがらない俺の態度で、何かを察したようだった。


(……どこまで話せばいい)


 カフェに着くと、俺はホットコーヒー、柚梨はミルクティーを注文する。


 飲み物が届くまでの間、黙ったまま向き合っているわけにもいかない。


 それでも、俺にはあの惨状をそのまま柚梨に伝えることは、どうしてもはばかられると思った。


 幸司が死んだということに関しては、遅かれ早かれ柚梨の耳にも入る事実だ。


 けれど、その死に方まで詳細に伝える必要はないだろう。もとより、そんな詳細をどう伝えたら良いかもわからないのだが。


「……あのな、柚梨。昨日、あれから幸司の家まで行ってみたんだ。返事も無かったし、無駄足かと思ったんだけど……アイツ、死んでたんだ」


「え……」


 できる限り簡潔に、幸司が死んでいたのだという事実を伝えた。


 何を言われたのかわからないと言いたげな柚梨も、俺の顔を見てそれがタチの悪い冗談ではないことを悟る。

 ここに来るまでの俺の態度からも、きっと予感はしていたのだろうが。


 連絡がつかないということから、最悪の事態を一切想定しなかったわけではない。それは彼女だって同じだっただろう。


 それでも、親しい友人の死という現実を、昨晩の俺と同様にすぐに受け止めることはできないのだと思う。


 どう言葉を続けて良いかもわからず、流れる沈黙を破ったのは、飲み物を運んできた店員の声だった。


 軽く会釈をして、それぞれの前に湯気を立たせる飲み物のカップを置いてもらう。


「……死んでた、って……どうして……? だって、幸司くんこの前だって樹と一緒に遊んでたじゃない」


「ああ……警察にもいろいろ聞かれたんだけど、事件性は多分……無いって」


「じゃあ、病気とか? それとも、まさか自殺……?」


「いや、少なくとも自殺ではない……と思う。ただ……」


 そこまで口にして、俺は言いよどむ。


 明らかに自殺という死に方ではなかったが、病死でもなく、正直に言えば事故死だとは到底思えない。


 高所から落ちたというわけでもないのに、あんな風に死ぬだなんて。どうしたって、そうなる過程が想像できない。


 あの噂が頭の片隅に残って離れないというのもあるのだろうが、幸司の死には何かもっと、違った要因があるような気がしたのだ。


「……柚梨、その……馬鹿らしいとは思うんだけどさ、協力してほしいことがあるんだ」


「協力してほしいこと?」


 幸司の死因について、曖昧な返答ばかりの俺の態度に、柚梨は不審がる瞳を向ける。


 続く前置きと共に向けられた要求には、その瞳がさらに不審の色を増してしまうのがわかった。


「マッチングアプリに登録してほしいんだ」


「マッチングアプリって……樹、こんな時に何言ってるの? 幸司くん死んじゃったんだよ? それなのに彼女探しとか……!」


「違う、誤解だよ……! そういうつもりじゃないんだ!」


 当然というべきだが、明らかに誤解をしている彼女に俺は慌てて否定を返す。


 もしも自分が逆の立場だったとしても、俺はその要求に激昂げっこうしていたことだろう。


 普通に考えれば、こんな時に出会い専用アプリに登録しろだなんて、頭がおかしくなったとしか思えない。


「そうじゃなくて……幸司がさ、死ぬ前にアプリに登録してたんだよ。俺はアイツの死が、どうしても事故とか病気だと思えなくて……あのアプリに、何か手掛かりがあるんじゃないかって」


 そう感じたのは、あの見出しのせいもあるだろうし、タイミングもあったのだろう。


 何より、他に手掛かりと呼べるような何かが思い浮かばなかった。


 最近の幸司の興味を惹いていたものといえば、やはりあのアプリなのだ。


「だからって……何で私が登録するの?」


「マッチングアプリってさ、異性のページしか見られないようになってるみたいなんだよ。アイツのページを見るためには、女として登録しなきゃならないからさ」


 アプリの中にヒントがあったとしても、俺にはそれを確認する術がない。


 こんな事情を話して警察が信じてくれるとは思えないし、アプリの運営だって、ただの友人に会員の情報を教えてくれるはずもないだろう。


 手元に視線を落としていた柚梨だったが、やがて顔を上げると、頷いて自身のスマホをバッグの中から取り出した。


「……わかった。樹、そういう笑えない冗談言わないし。きっと何かあるんだよね」


「ありがとう、柚梨」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る