03:不審死


 あれから数日。

 俺は普段と変わらない大学生活を送っていたはずなのだが、いつもと違うことが起こっていた。


 幸司と連絡がつかなくなってしまったのだ。


 いい加減なところもある男だが、学校を無断欠席するようなことは、これまでに一度もなかった。


 何より、俺にはもちろん、他の友人にも連絡が入っていないのだという。

 単純に遊び歩いている可能性もあるのかもしれないが。


 けれど、それが数日続いているとなると、さすがに何かあったのではないかと心配にもなってくるだろう。


 それに、本来であれば昨日は幸司と映画を観に行く約束をしていたのだ。


 それが無断ですっぽかされ、今日になっても謝罪の連絡ひとつ寄越さないのは、どう考えてもおかしい。


 その日最後の講義が終わった頃、俺はスマホを確認してみる。


 いくつか入っていた連絡の中に、幸司の名前があることを期待したのだが。


(……やっぱり、既読もついてない)


 何度も送った連絡は、既読の文字がつくこともないままだった。


 俺は、幸司が一人暮らしをしているアパートを訪ねてみることも考えながら、何気なくスマホのニュース欄に目を通した。


 その中で、表示されていたタイトルのひとつが目に留まる。


『相次ぐ不審死、マッチングアプリ利用者か』


 まさかと思いつつ、俺の指はそのタイトルをタップする。

 表示された記事には、とある不審死の事件に関する憶測を交えた内容が書かれていた。


 近頃世間を騒がせている不審死について、共通点としてマッチングアプリを利用していることが挙げられるのではないか、というのだ。


 しかも、そのアプリの名前はあのMay恋だという噂まである。


 マッチングアプリを利用することで、利用者同士がトラブルを起こす事件などは、俺自身も目にしたことがあった。


 けれど、この不審死事件がおかしいと言われているのには理由がある。


 被害者が明らかに不自然な死に方をしているにも関わらず、他者が介入した形跡が見られないという点だ。


 それゆえに、変死や怪死として取り扱われていた。


 幸司に限って大丈夫だろうとは思うが、もしかしたらという可能性に嫌な汗が背筋を伝う。


 事件には無関係だとしても、急病で倒れている可能性だってあるかもしれない。



「樹!」


 バッグに教材を詰め込んでいると、教室の外から名前を呼ばれる。見ると、入り口に立っているのは柚梨だった。


 手早く帰り支度を終えて、俺は彼女のところへ歩み寄っていく。


「幸司くん、まだ連絡つかない?」


「ああ……何やってんだかな」


 つとめて明るく返してはみるが、柚梨の表情は明らかに不安そうだった。


 彼女もまた、幸司のスマホに連絡を入れているようだが、やはり結果は同じなのだろう。


「とりあえず、これからアイツんち行ってみるよ。大丈夫だろうけど、念のためにな」


「だったら私も……!」


「お前は今日もバイトだろ。大丈夫だよ、どうせしょうもない理由で連絡寄越さないだけだろうし」


 柚梨は何かを言いたそうにしているが、バイトに穴を開けるわけにいかないことも理解しているのだろう。


 ひとつ小さく頷くと、俺を見送ることにしたようだ。


「幸司くんに会えたら、ちゃんと私にも連絡してね」


「わかった、柚梨はちゃんとバイトに集中しろよ」


 そうして柚梨と別れた俺は、以前足を運んだことある、幸司の住むアパートへと向かうことにした。

 大学からは電車で三十分ほどの距離だ。


 その間に送った連絡にも、既読の文字がつくことはなかった。



 古びたアパートの前に辿り着いた俺は、幸司の部屋がある二階を見上げる。


 当然ながらというべきか、外観からは変わった様子は見られない。


 けれど、一階の脇に設置されている郵便箱には、何通かの郵便物がはみ出した状態になっている場所があった。


(……幸司の部屋だ)


 連絡がつかないばかりか、郵便物すらそのような状態なっている事実に、ますます不安が煽られる。


 きしむ階段を上がって202と書かれた部屋の前に到着すると、覚えのある筆跡で手書きされた『新庄』の表札を確認する。


 試しにチャイムを鳴らしてみるが、予想通り返答はない。


「……幸司! いないのか?」


 玄関越しに声をかけてみるが、やはり反応はない。

 様子をうかがってみるが、人がいる気配もしないので不在にしているのかもしれない。


 出直す必要があるだろうか。それとも、管理人に事情を話したら鍵を開けてもらえるだろうか。


 そう思いながらドアノブに手を掛けたところで、それがガチャリと音を立てて開いた。


(鍵……かかってない……?)


 家にいるのならば声を掛ければ出てくるはずだが。不用心にも鍵をかけ忘れたまま出掛けた可能性も、無いとは言い切れない。


 けれど、その可能性はすぐに否定された。

 なぜなら、玄関先には見慣れた幸司のスニーカーが置かれていたからだ。


 室内の様子を窺いつつ、俺は靴を脱いでそっと廊下へ足を踏み出していく。


「……幸司……?」


 家賃の安さで決めたと言っていた狭い間取りだ。

 廊下に面したユニットバスに、簡易的なキッチン。そして、その奥にワンルームがあるのみの部屋だと知っている。


 シャワーを浴びている最中でもない限り、声が届かないはずはない。幸司がいれば、間違いなく来訪者に気がつくだろう。


 以前はズカズカと踏み荒らした室内が、今日は不自然なほどの静寂で恐怖すら感じさせる。


 じわりと溢れる生唾を飲み下しながら、俺は奥の部屋へと続く扉を開けたのだが。


 直後、部屋に踏み入ってしまったことを後悔した。


「……ッ!?」


 幸司は、確かにそこにいた。

 けれど、返事が無いのも気配が無いのも、どうしてなのかが瞬時に理解できた。


 室内に敷かれた布団の上に横になり、幸司はスマホを片手にしていた。


 左右の目をこれ以上ないほどに大きく見開き、同様に開かれた口元からは、青紫色に変色した舌がダラリと垂れ下がっている。


 明らかに事切れていると理解したのは、頭は仰向けだというのに、胴体はうつ伏せの状態で横たわっていたからだ。


「こ……こう、じ……?」


 白いはずの布団は、何らかの液体で黒く染めあげられていた。


 目の当たりにした衝撃の大きさに、知らず呼吸が浅くなる。


 それでも頭はどこか冷静さを保っていて、俺は取り出したスマホで緊急ダイヤルをタップしていた。


 その後、通報先へどのように状況を伝えたのかは覚えていない。


 死に様が異様であったことや第一発見者ということで、警察から事情聴取を受け、警察署を後にする頃にはすっかり夜も更けていた。


 両親には警察署から連絡をしてあったので、心配する連絡が入っていたようだ。


 そして、柚梨からも幸司はどうだったかと気に掛ける内容の連絡が届いている。


 どこか現実ではないことのようで呆然としながら、文字を打とうとしては指が固まる。


 両親には友人の遺体を発見したと伝えたが、彼女にはどのように説明すればいいかわからなかった。


 幸司が死んだという実感はまだ湧いてこないのに、あの異様な姿だけは、強烈に瞼の裏に焼き付いて離れない。


 普通に生活をしていて、人があんな死に方をするものだろうか?


 警察にはありのままを話したし、第一発見者であると同時に容疑者としても疑われた。


 けれど、死亡推定時刻は詳しく検視をするまでもなく数日以上前であることは明らかで、俺にはアリバイがあったことで容疑者から外された。


 室内には争った形跡も無ければ、鍵をこじ開けたような跡も、何かが盗まれた様子も無かった。


 死に方が異常だということ以外、事件性が見られないというのだ。


 室内で転倒し、転び方が悪くて首をひねってしまったとも考えられる。


 しかし、布団の上でそんな死に方をする確率は、果たしてどの程度あるものなのだろうか?


『相次ぐ不審死、マッチングアプリ利用者か』


 俺は、あの見出しを思い出してゾッとした。


 他の利用者は、一体どのような死に方をしていたのだろうか? もしかすると、幸司と同じような死に方をしていたのではないだろうか?


 もしもそうだとすれば、やはりマッチングアプリに何か関係があるのかもしれない。


 足取り重く自宅に帰りついた俺は、そんなことを考えながら自室のベッドに倒れ込む。


 シャワーを浴びるような気力も無ければ、コートを脱ぐ力さえ残ってはいなかった。


 幸司と同じく一人暮らしなので、出迎えてくれる人間がいない部屋の中は静まり返っている。


 瞼を伏せていると、あの光景が蘇ってくるような気がして酷く恐ろしかった。


 それでも、非日常を過ごした身体は、知らず知らずのうちに限界を訴えていたのだろう。


 柚梨に連絡を入れなければと思いつつ、いつの間にか意識は深い闇の底へと沈んでいってしまった。

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