第3話搦手

先日の神奈川11区の選挙戦初日は、日本各地で図った様に注目を浴びた。

最終的な結果はどうあれ、だ。

警察庁出身でありながら何のバックアップもなく徒手空拳で戦う諏訪を一部好意的に報じる風潮もあり、一挙全国区で話題に昇ったこの諏訪健一という食材を、どう料理して自分の利益に結びつけるか、という思惑が各所で動き出していた。


二日目の朝より諏訪は昼の駅前での演説告知を行い、昨日と同じ横須賀駅前に立った。

今日の駅前には諏訪の演説をカメラに収める報道陣に加えて、今話題の諏訪候補を使って自身のチャンネルの再生数を稼ごうと企む動画配信主も多数訪れ、その様相はまるで、開国花火大会を彷彿させるかの様な盛り上がりをを見せていた。


昨日に引き続いて晴天にも恵まれた横須賀駅前の昼下がり。

ギラついた熱気を発散するカメラ達と、諏訪の話をもう少し聞いてみたいと昼休みの時間を割いてまで足を運んだ聴衆とがある一点の共通認識の元、異様なまでの静謐な空間を形成してそこに在った。

聞く、という一点においての認識の一致。

そして諏訪が姿を表す。

登場と同じくして聴衆から漏れる少しばかりの感嘆の声が、これから誰もが予想だにしなかった、日本各地をも賛否両論で二分する諏訪の演説の口火を切った。


諏訪「皆様こんにちわ。諏訪でございます。本日は、私の話をより多くの皆様に聞いて頂ける機会を戴きまして、本当にありがとうございます。」


柔和な笑顔で、ゆっくりとした口調で語り始めた諏訪。

聴衆の好意的な煽りと合いの手が、より諏訪の微笑みを好意的に際立たせた。


諏訪「今日はですね、昨日皆様の中で挙げられた疑問についてです。つまり、30代以降はどうするんだ、という事について、私なりの政策を述べさせて頂きます。」


いきなり来たか!と、その場にいた誰もが反応してしまった。

聴衆の好意的な雰囲気は、まるで水を打った様に静まり返る。

勿論、昨日の今日で諏訪がそれについて話すと思った者も少なく、むしろやや意地の悪い者なら昨日の件で煽ってやろうか、くらいに思ってこの場に参加していたのだが、それらの目論見をまるで手玉に取るかの様な諏訪の語りだしに、またしても意識を掌握されてしまう。


諏訪「結論から申し上げるならば、この30代以降の世代において必要なのは、要するに、お金、です。これを解決する方法を政策として提案したいと思います。」


それは恐らくは当たり前の事の筈なのだが、まさかこんな堂々と諏訪がそれを言ってのけるとは誰もが予想しなかったであろう。


一呼吸をおいて諏訪が演説を続ける。


諏訪「じゃあその為にどうするか、という話になるわけですが、お札をもっと刷ればいいじゃないか、というご意見もありますよね。通貨発行権を持っているのだからと。さて、では数年前のリーマンショックですね、これは皆様のご記憶にもあると存じますが、端的に表現すれば、アメリカはお金を大量に刷りましたね。これについて、現象としてリーマンショック前と後では、ドルが市場に出回った総数がもう2倍3倍と増えた事からも察していいんじゃないでしょうか。勿論、私は専門家ではございませんので、それは厳密な話なのかとご指摘をお受け致しますと、幾分それは勉強不足ではないのかと仰られても仕方ない事とは思いますが、ただ確実な事はですね、明らかに出回った量は増えたぞと、これは結果が示しているかと存じます。」


そこにはそうだ!との同調を示す聴衆も、オイオイオイオイ…などの懐疑的な反応を見せる聴衆も見えた。

それらの声をゆっくりと見渡して諏訪はまた一呼吸の間を取って後、続けた。


「しかしながら日本ではですね、お札を刷れるからといって、必要な分だけとりあえず用意してですね、30代以降の現役の皆様に一定のお金を回して経済を何とかするという事は、恐らく不可能であるという風に私は考えております。」


ん?どういうことだ?諏訪の演説を聞く誰もが同じ様な疑問を抱いた。

アメリカは似た様なことを既にやって何とかしたわけで、それが何で日本でできないという話になるのかと。


諏訪は同じ様に、ゆっくりとした口調で優しそうな笑みを浮かべたまま話を続けた。


「某党のMMT理論なども今回の衆院選で注目されておりますでしょうが、私なりに国際的な観点を考慮いたしますとですね、今回ウチは必要なだけお金を刷りますよ、他所の国が何か文句でもありますか、度も過ぎれば内政干渉ですよ、という話にはならないと推察できるのではないかと考えるのです。」


「それは何故か!と言いますのも、経済活動というものは日本のみで行われている話では無く、世界で同時に、かつ現在進行形で今も行われていますよね。」


「もしも世界に日本だけ、とか、仮に日本円が基軸通貨であったりとか、前提として現世界情勢においてですね、拒否権という強大な影響力を持った力を行使できる国連常任理事国であれば、無限にお金を刷るとは行かないまでも、少なくとも現金で皆様に配る事は可能であったかも知れませんし、それにそういうお金を刷って辻褄を合わせる事がもしこれまでの日本にできたのであれば、そもそもこういった何十年も日本がスタグフレーションに甘んじて、ジワジワと衰退していく状況になならなかったのではないか、と考えております。」


理解できる様な、いや、都合よく煙に巻かれているかの様な、そんな何とも言えない感情が沸いてくる聴衆達を余所に、諏訪は演説を続けた。


「とまあ、専門家でも無く、議員として何ら政治活動を経験していない私ですが、皆様と同じ様な立場で、同じ様な情報を得て、私が想像しうる上での政治の方向性を推察した上でですね、私はお金に変わる、お金と近い使い方が出来るものをこの世代に回す事、これを政策として提案したいと考えて今ここにおります。」


何を回す気なんだ?と思う者もいれば、ようやく内容が聞けると手に、眉間に力の入る者もいた。


「結論から申し上げると言っておいて、なんだかだいぶ周りくどくなってしまって申し訳ないですが…。」


バツの悪そうな顔をしながら頭を描きつつも、少しだけ照れ笑いする諏訪の姿に、聴衆の緊張は揺らいだ。

どうにも憎めなそうな雰囲気の諏訪の人となりのせいか、聴衆の意識を離さない。


「つまり、換金はできないが、現金の代わりとして使える電子マネーを先日申し上げた額面の7万ですね、これは本当にどういった基準で算定されたかはわからないのですが…、これを皆様に配って全部使って頂きます。」


ほお!いや?どういう事だと、本当にできるのかそんな事が?

どよめきを隠せない聴衆に対し、諏訪は丁寧に説明をするかの様に演説を続ける。


「単純にですね、皆様の給料にプラスする形で使って頂くわけです。用途はこれは〜、それこそ有識者会議だなんだと議論が必要になるかもしれませんが…。例えばまあ額面的に7万ですので、スーパーなどで使える食料品や、外食、旅行の交通費、または旅費でもいい、つまり、政府の立場として、この分は日本の経済を回す為に存分に使い切ってもらう為に用意します。」


「勿論、それはお願いだから経済をガンガン回す為に使ってねという事を目的としていますので、当然ですね、ペナルティも用意せねばなりませんし、そつまりは経済を回す為に使って貰うものを、自分のみの利益の為に使い、他人の不利益になる行為をした人はその権利を剥奪しますよという線引きも必要にはなるでしょうが…。」


「例えば転売の為、換金の為にそれを使ったのであればそれは刑事罰の対象にする、という風に、ここまですれば流石に消費するものに使って戴けるかなというのが私の思うところでもあります。それ程までに今の日本の経済は止まっているんだから、という共通認識を皆様にも思っていただければという狙いも込めてです。」


いやそれは分かるんだけど、結局一緒にならないか?という声や、法改正もするの?など、様々な疑問がその場にて溢れていく。


「しかし、税金の支払いには使用できません。何故なら、この話はカードなどを使った際に貯まるポイントの様なモノだと考えてみてください。税金は実体経済で回っている部分から皆様に払っていただいて意味をなすものであり、この停滞する日本の経済を勢いよく回す添加剤のようなこの政策の性質とは性格が異なるからです。」


実体経済?カネはカネじゃないのか?と。

現金で払うにも電子マネーみたいなもので払うのも一緒じゃないかと。

口座に振り込まれたならば、それは単なる数字の変動として一緒にならないかと。

痺れを切らし始めた聴衆から疑問の声が次々と上がっていく。


「どこにその電子マネーを?という疑問には今お答えします。言葉足らずで申し訳ございません。この電子マネーはマイナンバーカードに付与されます。今、健康保険証の代わりを検討されているこのマイナンバーカードですが、これをもっと機能的にする効果もあります。大きな予算を投入して作られたものですし、せっかくなのでもっと有効活用すべきではないか、という点も含めましてです。」


じゃあ、10代20代は?

そういう声がまた聴衆から挙がった。

同時にその疑問に対し、肯定的な声も多数聞こえてくる。


諏訪「今日はそう言った意味で、色々とご説明を交えてお話しようと考えております。話が長くなりますが、できれば最後までお付き合いいただければと願います。」


挙がった問いかけに対し、即座に反応した諏訪。

大勢の聴衆の中なのにも関わらず、まるで自分が小さな教室内で意見のやりとりをしているかの様に錯覚するライブ感を醸し出したその場の雰囲気に、何処からか湧き上がる不思議な没入感を覚えてしまう者も数多く居た。


「ではまず先日話ですね。あの政策を後押しする企業に対する助成目的の7万は、喫緊での少子高齢化問題だからこそ、あえて若年層青年層の成長に寄与する目的と限定して現金を回す政策であり、人材投資が難しい状況の企業側に回す事で中小企業には勿論の事、仮に大企業に就職したいと考える若者に対し、単純に雇用の機会を増やす事、社会全体で共有する新卒就職以外の新しい形の形成、流動的で活発な就職環境と一般の皆様の中で新しい共通認識を構築して戴く効果を想定した政策です。」


「更に若年層や青年層の精神的成長を促し!より優秀な後輩を社会全体で育て、後の日本の将来を託す事を目的としている建前だからこそ!関係各所の協力も得れるだろう、財源も捻出できる余地があるだろう、協力していただけるであろうという狙いを見込んでの野心的な政策です。」


より丁寧に昨日の政策の狙いを話す諏訪。

この政策に対し無言で頷く聴衆の姿から察しても、納得のいく点、検討に値する話だという事は伝わってくる。

それらをゆっくりと見渡した後、諏訪は左手の指を開いて胸の高さまでゆっくりとした動作で上げ、そこからやや前へ回す様な素振りも持って話を続ける。


諏訪「では今回のお話です、日本経済の中核を担う世代の皆様たいしては、長らく続いたスタグフレーションの最中、貰う金額はさほど変わらないのに、払う金額がジワジワと上がっていくという、まるで地獄の様な状況に対する日常生活を少なからず緩和しつつもですね、皆様に経済を回すという事、それはつまりお金を使って頂く事だという認識を持って頂きたいという狙いを持った政策です。」


「また近い将来のお話をするならば、今使われている皆様の紙幣のデジタル化は進みます。日銀でも川崎に設置された量子コンピュータによる量子金融のロールプレイを開始している、とのお話もございます。つまり、今回の使い切らねばならない電子マネーのようなポイント制度を、来る将来のデジタル通貨制度にて経済を回す時の為の社会実験としてですね、皆様に壮大な規模で手伝っていただく事で、結果的にそれが皆様に対しての還元、分配にも繋がるのではないかと。」


「ただ恐らくはこれは限定的な運用になるだろう、というのは私の勝手な推察からになってしまいますが…。今回の電子マネーの用途はですね、皆様にはしっかりと生活に必要な部分に使って頂くと、そういう事を目的としたものであるならば、国際社会におきましても一定の理解が得られるのではないか、という推察を元にした政策であります。」


時折、ごく一部ではあるが、感嘆の声も漏れる。

諏訪は右手の人差し指を立たせ、ゆっくりと目の高さまで挙げた。


諏訪「この今の経済の現状ですと、ざっくりと申し上げまして、実体経済で動いているお金の総数よりも、はるかに大きいお金が金融市場で動いております。とんでもないマネーゲームといっても差し支えない状況ですが、この状況に対しまして、この政策は一つの出口を作る提言になるのではないか、と私は考えました。」


「そしてこの政策の財源はズバリ、この電子マネーの仕組みを運用する会社を創設し、世界の投資家の皆様に株を買って頂いて資金を確保します。」


「要約するならば、金融市場のみで動いてるだけの死に金とも言える、とんでもない大きな数字の一部に対し、実体経済を回す為の役割を与える事になります。」


「勿論株式会社ですので、資金を投入してくださった株主に対し、利益も確保せねばなりません。そこの問題ですが…、将来の貨幣制度のに対する社会実験を含む事業ですので、そうですね…、0.5〜0.75%程度の利益見込みで協力していただけませんか、というプレゼンが必要になってしまう点は解決せねばならないでしょうが。」


「こういった事情は、これも私が政府内において経済活動を担当した経験もございませんので、あくまで外からの情報のみを判断した上で、こういう形であれば可能ではないかと考えたものを、今回の衆議院選挙にて有権者の皆様に提案しております。」


諏訪のある意味で予想外すぎた大胆な提案。


今まで一応官僚機構に属していたとはいえ、一般市民と同じ目線で情報を得ていた諏訪個人の提言する政策。

自分なりに知恵を絞った上で、これならば実現可能ではないか、という点に関しては聴取がそれぞれ思う部分もあったが、これまで見てきた実現できないどころか絵に描いた餅の様な政策や、票集めの為の見え透いた公約の数々達とは明らかに一線を画している案なのは認識できた。


しかしながら、あまりにも突拍子過ぎた内容。

昨日の演説とは違う話のボリュームと、検証してみなくては何とも言えない政策内容に聴衆は戸惑いを見せた。


各々が胸に去来する思いもあり、素直に諏訪に声援を送れない心理状況に在った。


「魔法の様に財源が湧き出せる話でないのは先に皆様に申し上げた通り、日本の国際的な立場と、円という通貨の必要性の面で私が推察するに、日本一国だけの問題を解決する為に、言葉は悪いですが、それこそ何をやっても構わないとなりはしないであろうから、じゃあそこをどう解決するのか、という事でこの提案しております。」


「これまで色々難しい事を申し上げましたが、つまりは単に量を増やすにしても、それはちゃんと世界を回しますよ、という提案をする必要性がある、という事です。」


ここで諏訪はゆっくりと間を取った。

演説当初から変わらずに浮かべていた笑みから一転して、神妙な面持ちに変わり、慎重に言葉を選ぶかの様に再び聴衆へ向けて語り出す。


「この政策の財源を生み出して回す為にもですね、これまで既に大変な尽力を戴いてるかとは察しますが、改めまして、日本の官僚の皆様には更に存分に骨を折って頂く必要がございます。他、日本には特殊法人が相当な数ございますが、こちらも身を切って再編成していただく事になるかと思われます。」


「よく目に致しますのは、税金の使用用途に結構な無駄があるのではないのか?という事でしょう。例えばここで皆様に理解を頂きやすい例を一つ挙げるといたしますが、こと年金機構という団体におかれましても、これまで数々の不手際が生じた例はございましょう。」


「そういった目に付く様な無駄の不手際に対し、自身の生活を顧みると、嫌が応にも不満というものは湧いてきてしまいます。」


「そういった国民の共通認識が形成されてしまっている以上、何らかの目に見えた成果はどうしても要求したくなるのも人情でしょう。」


「ですのでね、例をまた挙げるのであれば、日本の特殊法人です。この編成は、我々がそんな存在を気にしなくていいくらいに世の中が回っていた頃、日本はこれからも良くなっていくという漠然とした期待を持っていた頃とほぼ変わらないレベルの数で今も存在しております。」


「ならばこそ!ここは日本の運営を司る官僚機構の皆様に対し、申し訳ないけども、今は回ってないこちら側の基準に其方さんも合わせて頂かないと、とてもじゃないがこっちもやってられないですよ、と言わざるを得ない状況だという事になります。」


「勿論ね、其方さんにも色々と事情はあって、こっちは窺い知れない話なのかもしれないけども、と。」


諏訪の特殊法人にやや切り込んだ演説に対し、肯定の合いの手が挙がる。


これまでは抜きん出て頭の良い人材に国の運営を丸投げし、各々は世界と比べても安全な治安環境で個人の人生を追求したり、謳歌したりしながらも、国家として漠然と成長し、また自身の生活も良くなっていくで大体の辻褄が合っていた。

しかしもう、そういった状況では無くなっている。

誰のせいなんだ?という犯人探しをせずにはいられない程に個々人の余裕は無くなってきているからだ。


それにその責任を追求しようにも、外からでは良く見えない。

ではその役割を政治家に期待しようにも、選挙さえ通れば後は野となれ山となれを体現してるかの様な政治家達が昨今は余りにも目に付いてしまう。


諏訪「今日は少々ね、長いし難しい話をしたかもしれませんが、幸いな事に多くの報道関係者や、youtubeで活躍なさっておられる配信主の方々も多数お見えになっていただいておりますので、もう一度聞いてみたいと思ってくださった皆様には是非ともですね、何らかの形でもう一度ご覧になって、検討して頂くなり、議論していただければと私は望んでおります。」


「本日の演説はこれで終わりになります。皆様、ご静聴ありがとうございました。」


深々と頭を下げた諏訪に対し、暖かな拍手が送られた。

感動を表す程の大きな拍手ではなかったが、自身の期待以上の演説を観せた候補者に対する敬意を表すかの様な、労うかの様な、そんな拍手だった。


帰路へとつく選挙カーの中。

ブレーンの武田太一に対し、一息ついた諏訪が口を開く。


諏訪「太一、よくやった。キマってくれそうだな。」


武田「えー、これもお得意の搦手ってヤツでして。まーこれで世論は二分しますよ。健さん、こっちは準備は出来てますんで。」

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