永楽通宝のゴタゴタ


 今回は戦国時代の通貨永楽通宝にまつわるごたごた


 さて、日本がなぜ永楽通宝こと明の通貨を仕入れることになったかというと、鎌倉時代に貨幣を鋳造する技術が失われたことだと言われています。

 国内でも頑張って作ろうとしたが品質が悪くビタ銭と呼ばれる粗悪品にしかならなかったとか。



 室町幕府も造幣頑張ったけど色々ゴタゴタしていたせいで、最終的に自分で作るなら明のお金仕入れたほうがいいやと、日明貿易で銭の輸入を続行していました。

 ところが応仁の乱で幕府が貿易の面倒見れなくなって銭の輸入が難しくなった。

 そんな時に大内家が博多で密貿易して銭を輸入していた。


 大内家に転機が来たのが室町幕府10代将軍、足利義尹が大内義興を頼り周防へと流れてきた事。

 助けてもらったことで足利義尹は大内に日明貿易の正式許可証である割符を渡して、密貿易ではなく正式な業務委任したことにした。


 ところがどっこい、ここで細川高国が「日明貿易はうちがやるべきだ!」とクレームを入れて期限切れの許可証を持ち出し明に船を出して、向こうで更新手続きして正当性を主張しようとした。

 そうはさせぬと大内も明に船を出し、双方ほぼ同時に明に到着したが………細川家が港の役人に賄賂渡して細川家の船が先でしたと記録を改ざんしようとした。

 これにキレた大内家が細川家の船と賄賂を受けた役人を存在しないことにしようとしたんだけど………やりすぎて港にも被害出して明から出禁食らう。


 ここで倭寇が暴れ出し、日明船以外の交易船も襲いだして中国朝鮮日本が困ったことに。

 大内が倭寇と交渉して、大内家の許可がない船だけ3割分捕りで襲ってくれるんなら倭寇行為黙認しちゃうし、お礼金もだしちゃうぞ。あと大内の代わりに明と貿易しない?(大内ー明は出禁だけど、大内ー倭寇(貿易下請け)ー明で一緒に儲けようぜ)と話をつけた。


 これで戦国時代の日本に永楽通宝が流通していたけど、大寧寺の変で義隆が陶隆房に殺されて、そのあとのゴタゴタで日明貿易が成り立たなくなって銭による取引が成り立たなく、米本位主義になったと言われています。

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