リミテーション2

 俺は上履きのまま渡り廊下に出た。流石に雨が降っている中屋根がないところには行かないだろう。

 渡り廊下を走り回る。文化祭だってのに俺は何をやってるんだろうな。人っ子一人いやしねえ。

 体育館のところまで走った。体育館の中は軽音楽部の演奏が始まっていて、一世を風靡した映画の主題歌が流れていた。まあ、体育館の中にはいないだろう。

 俺はできるだけ雨に当たらないように壁付近を伝って体育館裏に回る。すると、いた。

 制服に着替えた水野さんは壁に寄りかかりながら体育座りをして膝に顔を埋めていた。

 体育館、うるさくないのだろうか。あーでも音があったほうが逆に落ち着くのかもな。何も考えなくていいから。


「水野さん」


 声をかける。ピクリとも動かない。


「返事がない。ただの屍のようだ」


 俺の言葉は歌と雨にかき消された。どうやら俺のジョークはつまらないみたいだ。


「……ごめん」


 悪ふざけが過ぎたか。なんとかこの空気を変えたいんだけどな。


「あのさ。制服で体育座りしてるとパンツ見えそうだよ」


 スカートがちょっと危ないことになってる。まあ見えてはないけどね。

 水野さんはようやっと反応を示した。無言のままゆっくりと立ち、俺を見る。


「見たんですか、変態ですね」

「いや、見えてない」


 まあ見ようと思えば見えてたと思う。流石にそんなことしないけど。……俺の理性が頑張ってくれた。


「そうですか」


 水野さんは、はぁーと深いため息をつきながらしゃがみこんだ。


「駄目ですね、私。ホント、駄目な子だ……」

「なんで?」


 別に駄目なところなんてないと思うけど。

 俺の問には答えず水野さんは話題を変えた。


「というか、ここにいるってことは美香ちゃんを振ったんですか?」

「え? あぁ、うん」


 水野さんも知り合いなのかよ。


「私の友達です。二人共、駄目だったんだ」


 こんなことを言われると当事者としては居た堪れない。俺が黙っていると水野さんは言葉を続ける。それは独白のように、懺悔のように。


「私、内心では嬉しかったんです。ジュリエット役に選ばれたこと」

「え?」


 水野さんは宮野先輩がジュリエット役になることを望んでいたはずだ。先輩の最初で最後の劇だからって。


「酷いですよね。でも、主役に選ばれるだけの実力が私にはあるんだって嬉しかった。好きな人と一緒に主役で劇をすることができるって、嬉しかった」

「それは当たり前に思うことだと思うけど」

「でも私は宮野先輩がいいって、そう西園寺くんにも言ったのに。全部、嘘を言ったことになるじゃないですか」


 なんて、言えばいいのだろう。こんなとき、俺は何も慰めることができないんだな。自分が嫌になる。


「最初は戸惑いましたよ。本当に私でいいのかって。でも、そう決まったからって、仕方のないことだからって、そんな言い訳をして結局私は主役であることに納得したんです」


 水野さんがひとしきり言い終わったところで体育館で演奏されている歌が終わった。どうやら一曲目だったらしく、まだまだ盛り上がっていこう! とボーカルの人が叫ぶのが聞こえた。


「西園寺くんはどうして美香ちゃんを振ったんですか? 二回も告白してくれたのに」

「え、あーそれは……」


 水野さんに何も言えない情けなさやら申し訳なさやらで顔を背ける。俺が紬さんを振った理由。


「好きではないから」

「好きじゃなくても、告白してきてくれた人と付き合ってみようとは思いませんか? それとも、他に好きな人が?」

「好きな人……」


 いない。俺には好きな人なんて、いない。そのはずだ。でもどうしてか。水野さんに聞かれたとき、俺は二人の顔が思い浮かんでしまった。

 ――水野さんと、葉月。

 そんなはずはない、とは思っても一度思い浮かべてしまったらどうしてもしこりが残る。

 俺だって恋愛に全く持って無関心というわけではない。彼女ができたら楽しいだろうなと思う。

 だったら水野さんの言った通り、紬さんと付き合えばよかったのではないか。不誠実だから、とか言い訳しているだけで本当は別の理由があるのではないか。

 葉月は昔好きになったことがあるってだけの腐れ縁だ。雨宮さんとは違って今でも話したりするし、距離が近い。一番身近で、一番俺のことを知っている女の子。夏祭りの日に思わせぶりなことを言っていて……だから、水野さんの問に思い浮かべてしまったのは無理ないことだろう。

 では水野さんはどうだ? どうして俺は水野さんの顔が浮かんだ。どうして俺は水野さんを探すことで文化祭を無駄にしてる。どうして俺は今、水野さんに笑ってほしいと思ってる。


「……いや、やっぱりそんな人いないよ。好きでもないのに付き合うなんて不誠実だろ? 紬さんを振ったのは、ただそれだけの理由」

「そうですか」


 水野さんはまた顔を膝に埋めた。

 そう、きっと今の俺は勘違いをしている。頑張っている人が報われてほしいと思うのは当然だろ? これは恋なんかじゃない。もう、雨宮さんへの恋愛感情と同等のものは俺には持てない。昔好きになった女に後ろ髪を引かれるような男が人と付き合っていいはずないだろ。

 俺も水野さんの隣に腰をつく。

 雨音も、壁一枚隔てた熱狂も、全てが遠い世界のようだ。


「好きになんて、ならなかったらよかった」


 水野さんがボソリと吐いた言葉は鋭い刃になって俺の胸を突き刺す。好きにならなければ。

 もしも俺が雨宮さんのことを好きにならなければどうなっていただろう? こんな捻くれた面倒くさい男にはならなかったのだろうか。一学期の時点で彼女ができたりして、この文化祭を二人で巡ったりしていたのか。

 雨宮さんとりゅうが小六で付き合ったのを知ったとき、俺はどれだけ自分の部屋で泣いたっけ。彼氏ができた女の子を中学卒業まで引きずったりして、そのくせ雨宮さんのことを避けていたんだ。中一までは話せていた。辛いなって思いながら話してた。もう何もかもが嫌になって、人間不信に陥って、避けるようになって……そんな俺を雨宮さんは気にかけてくれていた。彼氏がいるくせに、俺の気も知らないで酷い人だ。……優しい人だ。

 俺はそんな優しさを裏切って結局今に至る。今、雨宮さんはどうしているだろうな。


「水野さん……」


 何かを言わなければいけない気がした。ここで何も言えなかったら中学の頃と同じだ。いい加減変わらないといけないだろ。このままでは雨宮さんとの日々もなあなあに終わってしまう。俺は雨宮さんに伝えたいことがたくさんあるんだ。そのために、水野さんと自分に今一度向き合わなければいけない。

 けど何を言えばいい? 人を好きになるのはいいことだとか? きっと将来いい思い出になるとか? そんな思ってもないこと、言えるわけがないだろ。


「人って、どうして人を好きになるんだろうな」

「え?」


 口に出たのは慰めでもなんでもない、戯言だった。

 水野さんは予想していた言葉と違ったからか、面食らったように俺を見る。


「だってそうだろ? そりゃあ人を好きになって恋人になって、楽しい日々を過ごせる人もいるだろうさ。でも、大半は辛いだけ。好きな人に振り回されて、勝手に落ち込んで、合理的じゃないよな。ただ面倒くさいだけだ」


 自分でも驚くほど饒舌になっている。水野さんはまだ困惑している様子だ。慰めも、恋への解も出せていない。俺が言いたかったのはこんなんじゃないはずなのに、なぜかこの時間がとても心地よく感じた。


「そんな嫌なことだらけのはずなのに、人を好きになってしまうんだ」


 言い切ったあと、すぐさま後悔が襲う。何を偉そうに言ってんだろうな俺。恥ずかしいー。死にてえー。


「いや、まあ、そんな感じ」


 ハハッと愛想笑いをすると、水野さんはクスッと笑った。


「確かにそうですね。でも好きな人がいない西園寺くんがそれをいいますか?」

「いや、今はいないってだけで昔好きな人いたことあるから!」

「へー、それじゃあ今好きな人がいないのってその人のことをまだ引きずっていたり?」


 水野さんはニヤニヤと俺を弄ってくる。元気になった女の子怖え……。


「まあ、それはちょっとだけあるかもね。ちょっとだけね。流石にもう吹っ切れてるから!」

「ふふっ、そうですか」


 クッ! この俺が辱めを受けるなんてッ!

 ……まあ、水野さんが笑顔になってよかった。


「本当、好きになるって面倒くさい。私、打ち上げ行くのにどんな顔して行けばいいんですか」

「打ち上げ……そういや約束してたなぁ」


 確かに告白した人とそれを振った人を含めた打ち上げは少し、いやかなり気まずい。俺も盛岡と一悶着あったし……。


「あー、そういや俺、このあと予定あったんだわ、忘れてた。……打ち上げ、延期にして貰お」


 俺がわざとらしく、高らかに言うと水野さんはぽかんとして、すぐに声を出して笑った。


「予定があるなら仕方ないですね」

「ああ、仕方ない」


 それから二人して顔を合わせて笑った。気づけば軽音楽部の演奏は終わっていて、軽く挨拶をしている声が聞こえた。


「そろそろ人がたくさん出てきそうだし戻ろうか」

「そうですね。西園寺くんは着替えないと」

「あー、衣装着たままだった」


 衣装のまま地べたに座ってたけど、コンクリートだし多少は大丈夫だよな? 俺は立ち上がって尻をはたく。水野さんも俺に合わせて立ち上がった。


「俺は部室に行って着替えるとして、水野さんはどうするの?」

「教室に戻ろうと思います。時間も時間ですし出し物を見て回る気力が今の私にはないですから。それに美香ちゃんも教室にいるかもなので」

「あー、そっか」


 絶妙に返しづらい話題でたじろいだ。


「じゃあ、これで」

「はい」


 二人並んで歩き出す。いつの間にか雨は止んでいて、校舎には虹がかかっていた。


――――――――――――――――――――――

あとがき

これにて恋愛リミテーションの第一章が完結です!ここまで読んでくださっている方、本当にありがとうございます!心の支えです!

次回は幕間を二話ほど挟んで第二章に突入します。

もしまだの方がいましたら、よろしければ星・応援・ブックマークをお願い致します。

それでは今後とも恋愛リミテーションをお楽しみください!

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