リスタート

 八月二十二日

 自室のカーテンの隙間から西日が差して、俺はスッと瞼を開けた。今までずっと起きてたような気分だ。眠ったという感覚がまるで無い。

 俺はカーテンを開け、日差しを浴びた。今日は雲一つない快晴である。太陽を浴びると人間は幸せホルモン、というものが活性化されるらしい。テレビだったかで見たことがある。

 俺は窓を開け、大きく深呼吸した。

 外の空気が肺いっぱいに入ってくる。変な話だが、俺は人生をリセットしてまた新たに始めるような、そんな気分になった。スッキリして、心地いい。


 俺が身支度をして、リビングに行くと甘奈が体操服姿で朝ご飯と弁当を作っていた。時計は七時ちょうどを示している。

 俺はおはようと甘奈に声をかけて、キッチンに行き、甘奈の手伝いをすることにした。甘奈もおはよと応じる。


「今日は随分と早いね」

「あぁ、なんか早くに起きてな。メシ作るの手伝うよ」

「ん。ありがと」


 こうして甘奈と並んでご飯を作るのはいつぶりだろうか。もしかしたら小学校以来かもしれない。小学校の頃、夕食を二人で作ってみようということになった。両親に対するねぎらいだったか……あまり深くは覚えていないが。


「ふっ」

「え? 急に何? お兄ちゃん」

「懐かしいなって」

「はぁ」

「ほら、メシ二人で作るの」

「んー確かにそうかも?」

「あの頃の甘奈は可愛かったなぁ。あ、今ももちろん可愛いけどね」

「えぇ……気持ち悪っ」

「うんうん。甘奈の毒舌も心地いい」

「……どした? 相談乗るよ?」


 何だか心配されてしまったけど、まあいいだろう。俺は甘奈を適当にあしらいながら弁当におかずを盛り付けていく。あ、あしらわれてるの俺か。


「よし、弁当完成!」


 そう呟いて、俺は二人分の弁当をそれぞれランチバッグに入れた。

 甘奈は余ったおかずが載った大皿を机に運ぶ。それからテキパキと、米と味噌汁を注いで机に並べた。朝食だ。


『いただきます』


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 ドアを開け、甘奈と共に家を出た。なんだかんだで、高校生になってから甘奈と一緒に学校へ行くのは、初めてな気がする。基本的に朝練のある甘奈が先に家を出るのだ。もちろん学校までの距離は俺のほうが遠い。

 朝の七時かららしいからね、朝練。夏休みの今は八時からみたいだが。


「演劇って楽しい?」

「んー、まあ普通」

「ふーん。ねえ、やって見せてよ」


 甘奈はニヤニヤしながら突拍子もないことを言う。


「やんねぇよ」

「ケチぃ」


 そんな感じで話しながら歩いていたらすぐに時間が経つものだ。体感いつもより早く、中学のところまで来た。右側の、信号がある横断歩道を渡れば俺が通っていた、そして甘奈の通っている中学校である。

 正直、中学の近くを通るとき、いい気分はしない。嫌な記憶ばかりだからだ。いつもは気にしないように通り過ぎるけど、今日は甘奈がいるからな……。

 歩行者用の信号に太陽が被さって眩しい。俺は少し目を細めた。


「ん? 学校行かないの?」

「妹を見送るのが兄の努め」

「だったら毎日早起きしてご飯作るの手伝え」

「あ、そですね。すみません」


 そこはもう本当にすいません。妹に頼りっぱなしの愚兄を許して……。

 ……いや、というかこれ親が一番悪いだろ。弁当作ってくれよ。早起きしろよ。全く……いくら甘奈がなんでもできるからってまかっせっきりじゃ駄目だぞ!(ブーメラン)


「あ、青になった。じゃあね!」

「おう」


 燦々と輝く太陽で視界がぼやけているが、甘奈の姿はしっかりと視認できた。俺は甘奈が校舎に入るまでその姿を見送った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 部室に着くと、水野さんがすでに来ていた。窓際で椅子に座って、脚本を読んでいる。


「おはよう」

「あ、おはようございます」


 俺も椅子を教室の後ろから取ってきて適当に座る。水野さんとはそれなりに離れている位置だ。

 何もすることがない。本とか持ってくれば良かっただろうか。普段は教室に着くとみんな揃っていてすぐに活動が始まるからな。

 手持ち無沙汰な俺は水野さんに話しかけることにした。


「いっつもこれくらい早く来てるの?」

「いえ、今日はなんというか落ち着かなくて……」

「あー、そっか。俺も普段より早く起きちゃってさ」


 今日は橘先輩の誕生日である。異性に誕生日プレゼントを渡すのは誰だって緊張するだろう。

 結局俺は橘先輩にプレゼントを用意しなかった。正直、誕生日プレゼントを先輩に渡すとか俺にはできない。渡すほどの仲ではないよなって思ってしまうんだ。

 なんというか、女子は誕生日プレゼントをあっさりと渡しているイメージがある。対して男はあまり渡さないような……まあ偏見だけども。


「えっと……実は二学期になったらすぐに役を決めると言われたんです。先生に」

「え、そうなの?いつ?」

「昨日……」


 初耳だ。男はもう役が決まっているが、女子はまだ決まっていない。

 普通に考えて三年生の宮野先輩がメインヒロインを演じるはずだが、先生は水野さんでもいいと考えている様子だ。


「……水野さんはさ、どうしたいの?」

「……私は宮野先輩にジュリエットをやってほしい、そう思ってます」

「それはさ、一年生である自分がメインヒロインを演じるのに抵抗があるから?」

「それもあります。でも一番は……」


 水野さんが言い詰まってる時、ガラッとドアが開いた。俺と水野さんはその音にビクッと驚き、会話を辞める。

 ドアの方を振り向くと、橘先輩がいた。


「おはよう。二人共、今日は早いね」

「おはようございます」

「お、おはようございます……」


 橘先輩はリュックから脚本を取り出し、読み始めた。赤ペンも持って、何やらチェックをしている。

 うーん、気まずい……。

 なんなんだろうね? 普段普通に話すのになぁ。会話を中断することになったからか。

 まあ気まずいと感じるのは相手に何かを言わなきゃいけないからで。その何かは、ほんの少しばかりの勇気があれば言えること。それに、水野さんは俺よりも言いづらいだろうし。

 よし!


「先輩! 誕生日おめでとうございます!」

「え? あぁ、ありがとう! まさか祝われるとは思ってなかったなぁ」

「あ、俺ちょっとトイレ行ってきますね!」

「え!?」

「おう、急だね! 行ってきな」


 ということで、ちょっと強引だが舞台は作った。なんか叫び声のようなものが聞こえた気もしなくはないが……さぁ頑張れよ、水野さん!

 俺は廊下に出て、トイレを目指す。尿意はないけどね。トイレ行くって言っちゃったしね。盗み聞きは悪いだろう。

 俺が廊下を歩いていると盛岡が階段を登ってきていた。……水野さんといい、橘先輩といい、盛岡といい、みんな来るの早くない?まあ水野さんはソワソワしちゃって早くに来たみたいだけど。

 もしかして俺、いつもみんなを待たせてた?申し訳ねぇ……。いや、でも時間的には大丈夫なはずだからな。みんなが意識高いってことで……。


「よっ」

「おう」


 相変わらず不機嫌に盛岡が応じる。


「あ、そうだ。お前、ちゃんと空気読めよ」

「あ?なんだ急に……」


 ういっと俺は部室の方を指差す。盛岡はそちらへと目をやって、


「お前に言われなくてもそれくらい分かるわ。というかお前のほうが分かってねえだろ」


 と言った。


「……分かってないって、何が?」

「なんでもねえよ」


 水野さんにしたことは余計なお世話だっただろうか、と思わなくもない。けど、場を整えるってのはやっぱり大事なことだと思うんだよ。気まずい雰囲気がずっと漂うのは誰だって嫌だろ? 言いたいことが言えないのは、良くない。それに、盛岡は分かってないと言うけれど、俺はそんなことないと思ってる。……俺は分かってる。薄々だが。


 俺はトイレにある洗面台の鏡で身だしなみをチェックした。少し汗をかいているが髪は崩れてないし、そんな気にすることではない。

 とりあえず暑いから手を洗って、水の付いた手を首筋に当てる。ひんやりしてて気持ちいい。

 ……水野さんはちゃんと言えるだろうか。プレゼントを渡せるだろうか。

 それと……二学期には役を決める、か。正直、水野さんは一年生にして、メインヒロインという重役を与えられることに耐えられないから嫌なのかなと思っていた。でも、そうではないみたいだ。

 ―一難去ってまた一難―

 なんとなく、この言葉が浮かんだ。俺は水野さんとの何気ない会話でなんとかなった。では、俺が水野さんにできることは何かあるだろうか?















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