演劇部の秘密
トイレから戻ると盛岡が廊下の壁にもたれかかっていた。腕を組んで目を閉じている。
「どんな感じ?」
「もう、プレゼントを渡した。普通に受け取ったな、橘さん」
「ふーん。中に入らねぇの?」
「空気読め、つったのはお前だろ」
その言葉を受けて、俺はちらっと部室の様子を見た。橘先輩が笑って、水野さんも少し顔を赤くしているが楽しそうに話していた。これは成功したということだろう。
「ふぅ、良かった。……まあでも、ずっとここにいるのもなんだし中に入らないか?」
「……そうだな」
俺は部室のドアを開け、盛岡と共に中に入る。水野さんが少し顔を逸らした。まだ顔は赤いままだ。
「橘さん。誕生日おめでとうございます」
「うん、ありがとね」
橘先輩は爽やかに微笑む。男の俺でも、あーこれはイケメンだわ、と思うほど。
ふと、橘先輩は俺のよそ行きの顔に似てるなと思った。まあ橘先輩に関しては根っこからこんな感じで爽やかなんだろうけど。少し、憧れる。
それからしばらくして、宮野先輩と後藤が到着。宮野先輩は橘、誕生日おめでとー! と言って入ってきた。後藤は俺のほうを見て、今日はやけに早いな、と言った。
「うっす。今日は早くに起きたんで」
「そうか」
各々が談笑しているのを見回して、後藤はみんなをまとめる。
「みんな揃ってるし早速基礎練始めるか」
『はい!』
蒸し暑さを吹き飛ばすほどの熱量が、部室に響いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日もいつもと変わらず基礎練とロミジュリの練習を終えて、解散となった。
俺は今、廊下を歩いている。前に先輩、そのちょっと後ろに盛岡がいる。先輩二人は、何やら話し込んでる様子だ。
俺は文化祭に向け、本格的に活動するようになってしばらく経った中、焦りを覚えてきていた。
単純に、俺の実力が足りない。
橘先輩は言わずもがな、盛岡もかなり上手いのだ。はっきり言って俺が一番足を引っ張っている。一つ一つの動作、そして台詞。どれもこれも注意されっぱなしだ。
このままでは、文化祭の演劇を台無しにしてしまう。俺のせいで。
どうしたら上手くなるのだろう。自主練か? 今まで演劇なんてもんに触れてこなかったからな。まず演劇の常識が分かってないのだし。
役に入る、とはよく言う。けれど俺はそれができない。脚本を読むだけじゃ駄目なんだろう、てことは分かるんだが……うーん。
俺が唸っていると後ろから肩をトントンと叩かれた。振り向くと、水野さんがいた。
「ん? どうかした?」
「あの、少し話したいんですけど……いいですか?」
「うん。全然大丈夫」
「……」
「……えー、と。どこで話す?」
「え? あ、どこでも」
どこでも、かぁ。難しいなぁ。……というか、肩叩かれたな。ちょっとびっくりした。ちょっとだけね。
とりあえず俺は食堂近くの自販機が置いてあるところに行くことにした。あそこにはベンチもあるし、長話でも大丈夫だろう。その旨を水野さんに伝えて、俺達は無言のまま歩き続けた。
やっとの思いで自販機のところに辿り着いて、俺はひとまずジュースを買うことにする。
「あ、水野さんはなんか飲みたいのある?」
「いえ、何もいらないです」
「了解」
ということで炭酸の缶ジュースを一つ買うことにした。その間に水野さんはベンチに座る。
いらないと言ってるのに勝手に買うのは良くないだろう、という気持ちと本当に奢らなくていいのか? という気持ちがあるが、俺は前者を選んだ。まあ水野さんが好きな飲み物とか知らんし……。
俺は一人分くらいの間隔を取って、水野さんの横に腰を下ろした。プシュッと缶ジュースを開けて一口啜る。
「で、話って?」
「えっと、改めてありがとうございます」
「ん? 何が?」
普通に分からない。俺、なんかしたっけな?
「その、クッキー作り……あ、あと! 今朝、その、なんというか……とにかく! ありがとうございます!」
「あー気にしないで。役に立てたのなら良かった」
今朝、というのはおそらく俺が部室を退出したことだろう。あのとき、あのままなら誕生日プレゼントを渡すのも、ままならなかったはずだ。そう考えればあのときの判断は正しかったと言える。まあ、後先考えずに行動しちゃったな、とも思うけど。役に立てたのなら何より。
「あ、そういえばさ。朝の話の続きなんだけど、水野さんがジュリエットをしたくない理由ってなんなの?」
聞きそびれていたことだ。水野さんは重圧に耐えかねて、ジュリエットを演じるのに抵抗があるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
スカートの上で手を組み、親指を弄りながら、どう言おうか考えている。
それから数秒経ってから、水野さんは重い口を開いた。
「私は、宮野先輩にジュリエットを演じてほしいんです」
「うーん? それって水野さんが、宮野先輩の方がジュリエットを演じるのに相応しいと思ってるってこと?」
「えーと、多分ですが西園寺君が思ってるようなことではないです」
「んー?」
どういうことだろう?
「これはその、実力だとか先輩だからとか、そういうのではなくて……」
あー、えーと、という感じで水野さんはどう伝えたらいいか、言い詰まっている。これは、俺が思ってるほど簡単な話ではないらしい。
「そう、最初に言ったようにただ、宮野先輩にジュリエットを演じてほしいだけなんですよ」
「あれ? もしかして単純?」
「まあ、そうですね」
なんか、深く考えすぎていたみたいだ。予想以上に簡単な話だった。けど、どうしてそんな考えになるのだろうか。そこが分からない。
俺の考えを汲んだように、水野さんは慎重に言葉を継ぐ。
「宮野先輩は、演劇をしたことがないんです」
「え?」
「いえ、宮野先輩は、というより先輩二人は、と言ったほうが正しいですね」
「いや、ちょ、え!?」
想像の斜め上を行く話に、俺はかなり混乱してしまった。あの二人が、演劇をしたことがない……。
「あ、でも部活紹介でちょっとした劇はしてたらしいんです。ほら、先輩二人がやってたじゃないですか。演劇部が織りなすドタバタ劇」
「ん、あー俺、部活紹介の日に風邪引いて休んでたんだよね」
「そうですか……」
というか演劇部が織りなすドタバタ劇って何?地味に気になるんだけど……。
「だからまあ、あれです。文化祭や大会とかのイベントで劇をしたことがないってことです」
「まじか」
「まじです」
信じられない。実力もそうだが、立ち振る舞いが経験者なのだ、あの二人は。
「……どうしてか、知ってる?」
「はい」
「聞いても、いい? その理由」
「少し長くなりますけど」
水野さんはそう、前置きする。
「あ、長くなるならちょっといいかな?」
「なんでしょう?」
「友達と一緒に帰ってるからさ、連絡入れとかないとなって。あと家族にも」
「分かりました。まあそこまで時間は取りませんよ」
俺はスマホをリュックから取り出して、家族のグループラインと葉月に、少し遅れるとラインする。どちらもすぐに既読が付き、母親からは了解のスタンプが送られてきた。それから少し遅れて葉月からも返事がくる。内容は待ってる、とのこと。
「いや、先に帰ってくれて構わないんだけど……」
「どうしました?」
「友達が待ってる、てさ」
「そうですか。それなら手短に話しましょう」
「ん、ありがとう」
それから水野さんは語り始めた。俺が知らなかった、演劇部の秘密を。
「そうですね……どこから話しましょうか。ではまず、先輩が一年生だった頃から話します。先輩二人が演劇部に入部したとき、部員は三年生の一人だけだったんです。それが、私の姉なんですけど」
「一人!? それ、よく廃部にならなかったね」
「前も言ったことがあるかもしれませんが、姉は全国大会に出たことがあるんです。二年生の頃ですね」
水野さんはそんな姉に憧れて演劇部に入ったのだと言っていたことを思い出した。
「なるほど……強豪だからこそ、廃部にはできないってことか」
「ええ。ただ、新入部員が増えなかったみたいで」
「強豪なのに?」
「はい。まあそのあたりは運が悪かったというべきか……演劇なので、野球とかと違って強豪だからこの学校に入る、この子はうまいからこの学校にスカウトする、とかそういうのがないんだと思います」
「なるほど……」
「実際に、神波高校が高校演劇の全国大会に出たのは三回だけで、そのうちの二回は後藤先生が部員だったときです。もう、何十年も前ですね」
「は!?」
後藤、この学校に通ってたのかよ! というか全国大会に出てたのかよ!
確かに後藤は演劇が上手いし、教え方も上手い。かなりの実力者なのだろうなとは思っていたが……初耳だ。
「部員が三人だから大会にも出れるはずがなくて、私の姉も大学受験の勉強のために部活に出なくなったんです」
「そっか……そういえば先輩達も、進路とか大丈夫なんかな?」
話は変わるが、少し気になった。
「二人共、進路は決めてるそうです。橘先輩は教えてくれないのですが……宮野先輩は近くの大学に進学するみたいですね。学力的にも心配はないみたいです」
「へー」
どうして教えてあげなかったんだろ、橘先輩。あまり知られたくないことなのか?
水野さんは、俺が脱線させてしまった話を本筋に戻す。
「まあ、そんなことがあって、一年生の頃は文化祭でも何もできなかったんです」
「ふぅ……そっか」
信じられないような話が連続して、疲れてしまった。乾いた喉を潤すために、俺はジュースを一口飲む。
「それで、二年生の頃の話ですが……これは西園寺君もなんとなく分かってると思います」
「……幽霊部員」
「はい、その通りです」
演劇部には俺達の一個上の先輩もいる。いや、いた、と言ったほうが正しいか。
「四人、新入部員がいたそうです。それに合わせて、脚本を作っていたみたいなんですけど……その人達が全員来なくなって、文化祭で劇をできなかった」
「演劇をしたことがないって、そういうことだったのか……」
これで全てが繋がった。恐らく一個上の先輩達は、演劇部が予想以上にハードだったから嫌気が差したのだろう。俺も少しだけ、その気持ちは分かる。もちろん、今更演劇部を辞めるつもりなんてさらさら無いが。俺はどうやら、自分で思ってる以上にこの部活を気に入ってるらしい。
「だからこそ、宮野先輩には主役を演じてほしい。今まで、頑張ってきたのに最初で最後の劇が脇役なんてあんまりじゃないですか!」
水野さんの、悲痛とも取れる声が誰もいない校舎に木霊する。
俺は何を言うべきなのだろう? 思考を巡らせる。
そう、これは気持ちの問題だ。実力だとか、体裁だとか、そんなんじゃない。だから俺の言えることは多分、何もない。何を言ったとしても水野さんには響かないし、変わることなんてないだろう。
だけど、背中を押すことはできる。
「それならさ、そのことを先生と宮野先輩に言おうよ」
「……え?」
「そしたら、宮野先輩がジュリエット役になるかもしれない」
「そう、ですかね」
「まあ、確証はできない。でも、思ってることはちゃんと言葉にしないと伝わらないから」
「確かに、そうですね」
よし! と一言呟いて水野さんは立ち上がり、俺の方へ向き直る。
「色々と、ありがとうございます! 役を決めるときになったらこのことを言おうと思いますね」
「ああ、頑張って」
「それでは、また明日」
そう言って水野さんは去っていった。俺は残りのジュースをグビッと飲みきり、ゴミ箱に捨てる。
今回、俺は先輩の今までを知った。そして水野さんの思いを知った。そんな俺がやるべきことはなんだ? 顎に手を当て、考える。答えはすぐに出た。
とにかく練習して上手くなって、文化祭でやる劇を最高のものにしてみせる。
俺は決意を胸に秘め、正門に待たせている葉月と白井の元へ歩き始めた。
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