演劇部の停滞

 七時のアラームに起こされる。二度寝しようとタオルケットに潜り込むが一分後にまたアラームがなり二度寝を阻止する。うーむ。うるさい。俺はアラームを消した。すぐ後にまた鳴り出すけど。

 それを三回くらい繰り返しただろうか。

 ようやく俺はベットから起き上がった。

 カーテンを開け、窓も開け放つ。

 太陽が燦々と照りつけ、真夏日に一時間歩いて登校するという現実に憂鬱になる。

 暑いの嫌いなんだよなぁ。

 俺はため息を吐いてクーラーを消し、身支度を始めた。


 リビングまで行くと香ばしい香りが漂ってきて食欲を掻き立てた。


「おはよう、甘奈」

「おはよ」


 台所まで行く。

 白米は炊けており、ツヤツヤとダイヤモンドのような輝きを放っている。やはり炊きたての米は人を惹き付ける魔力があるなと常々思う。

 味噌汁はもう温まっており、甘奈は野菜炒めを作っていた。塩コショウの香りが鼻腔を刺激して唾液を分泌させる。

 俺は米と味噌汁を茶碗、お椀に掬ってテーブルへと運んだ。

 野菜炒めも完成したらしい。甘奈が大皿に盛り付けて運んできた。

 よし、食レポしようか。心の中で。


 まずは味噌汁を一口。

 あゝ……体全体に味噌の風味と温かさが染み込んでゆく。朝の憂鬱もこれだけで吹き飛ぶものだ。

 白米を口の中へ掻き込み、頬張った。

 噛めば噛むほど甘味が出て来て、濁りのない澄んだ味だ。

 また味噌汁を一口。

 ……幸せだなぁ。


「毎朝味噌汁を作ってくれ……」

「何、急に。ていうか毎日作ってるでしょ」


 あ、そうだったな。

 両親は朝が弱く、早朝に起きることができないのだ。だから朝練がある甘奈がいつも朝食を作っている。

 そして俺は、朝それを温めて食べるのだ。


「甘奈はいいお嫁さんになれるな」

「最近はそういうこと言うと怒られるらしいよ」

「え、なんで? 誰から?」

「さあ? よくわかんないけどテレビとかで取り上げられてる」


 ほえー、不思議な世の中になったもんだ。

 俺は話半ばに聞きながら野菜炒めへと手を伸ばす。

 む!? これは!


「旨味の宝石箱や!」

「……え?」

「え、て……。うまい、て連呼した方が良かったか? ここは列車じゃないけど」

「どこの炎の柱さんですか……」


 そんな他愛もない話もしながら朝の一時は過ぎ去り甘奈と一緒に家を出た。

 やっぱりゆっくり過ごす朝は有意義でいいね。こういう時間もいつしか終わりが来るのは避けられないけど。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 静まり返った階段を俺はただ一人、上っていく。

 なんというか、人がいない校舎に入るのは悪いことをしているみたいだ。少し居心地が悪い。


 部室に入ると俺以外のみんながすでに来ていた。

 なんだか空気が重い気がするけど気にしない。ずっとこんな感じだし。


「おはようございます」

『おはよう』


 応えてくれたのは先輩二人。

 そう、俺たち一年生組は仲が良くないのだ。

 宮野先輩がため息を溢す。


「ねぇ、同級生なんだから少しは仲良くしなよ。こっちまで気まずいじゃん」


 橘先輩もそれに頷く。


「俺たちは十月の文化祭で引退になるからね。来年、後輩ができたら君たちが演劇部を支えていくことになるんだから」


 すみません、と水野さんが目線を落として言う。盛岡は欠伸を噛み殺していた。

 うーむ。


「まあ、善処します」

「政治家かよ」


 宮野先輩のツッコミに誰一人として反応しない。

 蒸し暑い室内に扇風機の音がブーン、と虚しく響いている。外からはミンミンと蝉が鳴いている声と運動部の活気のある声が四階のここまで届いてきた。

 こうしていると夏休みが始まったんだなと強く感じられるな。昨日までは普段の土日と変わらなかったからね。

 そんなことを考えていると宮野先輩が呻りながら頭をガシガシと掻いたかと思うと、勢いよくスマホを取り出した。


「もう! こうなったらグループライン作ろう! 親睦を深めるにはコミュニケーションからだよ。ほら、みんなもスマホ出して!」


 えぇ……。これ、ラインやってない人がいたらどうするのん? 俺自身ライン始めたの最近なんよ? そういうところ、ちゃんと考えたほうがいいっすよ、先輩!

 そんな俺の憂いも杞憂に終わったらしい。みんなスマホを取り出してラインを交換し始めた。

 うん、まあそうだよね。今時ラインやってない人なんていないよね。あはは。

 という訳で演劇部のグループラインが作られた。

 ……ラインに登録されてる友達がみんな百人超えてるんだけどなんでー? 俺一桁ぞ。……やったー今日二桁になったー。

 俺が一人悲しみに暮れているうちに後藤が顔を出してきた。夏休みだから後藤も最初の方から顔を出してくるのかもしれんな。まあどっちでもいいが。


「おう、何だ、このなんとも言えない空気は……。まあいいか。みんな来てるな。それじゃ基礎練から始めるか」


 ういーす、や、はい、などそれぞれがそれぞれの返事をする。

 全く、先生に向かってういーすだなんて舐めてるとしか言いようがない。駄目だぞ、ほんと。

 ……後藤先生、なんで俺を睨んでるんすか?


「はぁ。ああ、そうだ。十月にある神校祭だが、一年のお前らも出演させようと思ってる」

『え?』


 これには俺や盛岡だけでなく水野さんも驚いたらしい。先輩達は反応を見せなかったから知ってたのかもな。

 俺たち三人が豆鉄砲を食らった鳩のような面をして、疑問を口にした言葉がハモった。


「だからまあ、気合い入れていけよ」


「はい!」と水野さんが目を輝かせて答える。俺と森岡はというと、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 それを見て先輩達も苦笑い。

 俺は今、盛岡が何考えているか分かる気がする。きっと盛岡と意見が合うのは後にも先にも今しかないだろう。

 ……なんで俺は演劇部なんて面倒な部活に入ってしまったんだろうか。

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