第9話/幕間;とある魔王のえてててぃか~←注;誤字ではありません~
魔王。それは魔物たちを統べる王の総称。人類に仇なす邪悪の化身。
とあるダンジョンの最奥。王の間。千のゴブリンが整列してなお余裕のある広い空間には、しかしわずか3名しかいない。
ダンジョンコアを背に、純金に紅いビロードの豪奢な椅子が、一段高いところにおかれている。そこに足を組んで座る者……魔王が、冷めた瞳で見下ろしている。
魔王は人間のように見える。歳は20前後の男性。しかし、他を圧倒する風格がただの人間であることを否定する。
黒のマントに黒のシャツ、ズボンと、漆黒を纏うようないでたち。怜悧な美貌を隠すように、顔の右側を眼帯が覆う。
それでもなお隠しきれない殺意を、言葉に乗せる。
『いまだ、侵入すらできていないと?』
氷のように冷たいその声が、静寂に響き渡る。
魔王の一言にびくりと肩を震わせるのは、ゴブリンの中でも最上位、キングの名を冠するゴブリンの王だった。
本来であれば、その名の示すとおりゴブリンたちの頂点として、傍若無人にゴブリンたちを顎で使う存在だ。体格も普通のゴブリンが幼児体型の頭がでかくてずんぐりむっくりなのに対し、キングは手足が長く、まるで人間のようなシルエットだ。
身に着ける物も、丈の長い豪華な上着に宝石をちりばめたコートと、人間の王を真似したような贅沢な服装だ。
しかしこの場にあってはただの一兵卒に過ぎない。いや、深紅の絨毯に平伏し滝のように汗を滴らせるその姿は、むしろ処刑を目前にした罪人のようだった。
「デ、デスガ、入口ノ謎ガ解ケズ……」
「ダマレ! 王ノ御前ダゾ!」
魔王の側近である、紅の鎧を身にまとったゴブリンガーダーが声を荒げた。本来ならば、ゴブリンキングを守る者だが、今の彼は魔王を守るために存在していた。
『よい』
「ハッ」
魔王の一言に、すぐさま頭を垂れるゴブリンガーダー。それに関心も持たず、魔王は言葉を続ける。
『あのダンジョンを見つけてから、ひと月たった。そうだな?』
「ハ、ハイ!」
『それで、侵入すらできていない?』
「……ハイ」
魔王の出す不穏な空気に、ゴブリンキングがだらだらと汗を流す。次の一言を間違えば、自分の首が飛ぶだろう。比喩ではなく、実際に。その恐怖を想像してしまったゴブリンキングは、ごくりとつばを飲み込んだ。
魔王にとって、キング程度は駒の一つに過ぎない。その時の気分次第で切り捨てられても、まったくおかしくない。
「テ、偵察隊ヲ入口ニ張リ付カセテイマス! 優秀ナしゃーまんモツケマシタ! デスノデ、ジキニ入口ヲ突破デキルカト!」
『その目処は立っているのか』
「ツ、ツギハ、ワタシモ出マス! デスカラ、オ時間ヲ!」
魔王の問いかけに、キングは誤魔化すように声を張り上げる。それに対し、ガーダーが眉を顰める。
魔王様の問いに答えぬとは、なんと不敬な奴だ。ガーダーがその思いを知らしめるように睨みつけてくる。
キングとてそれは承知の上だが、だからといって正直に“ありません”などと答えられない。それは自身の死のみならず、家族にも類が及ぶ答えだ。
もはや祈るような気持ちで魔王の言葉を待つ。
『俺は寛大な男だ。一週間の猶予を与えよう』
「ア、アリガトウゴザイマス!」
与えられた慈悲に、キングが顔を上げる。そこで目にしたのは、闇夜に浮かぶ三日月のように口の端を吊り上げた魔王の微笑。一切の温もりを持たぬ刃のような視線を向けられ、キングは一瞬、心臓が止まったのではないかと錯覚した。
『だが、それまでに何某かの成果をあげられなければ……分かっているな?』
悲鳴をあげなかっただけ、マシといえよう。あれほどの殺意を向けられては、キングの称号を持ってなお、自身がただのゴブリンに過ぎないと確信してしまう。
胸が苦しい、息ができない。それでも声を絞り出そうとして、喉を掻きむしる。魔王の目が細くなっていくのを感じる。このままでは殺される――
『おーい、ごはんだよ!』
『む? わかった』
場違いなほど明るい声が、王の間に響き渡った。玉座の脇の、見えないように幕で仕切られたその奥から、人間の子供が顔を出した。一般的なゴブリン程度の背丈の少女で、長い髪を後ろでくくり、黄色い雛の描かれた奇妙な前掛けをつけている。
その瞬間、今まで感じていた重圧が霧散して、ようやく息が吸えるようになった。魔王がキングに関心を失って、視線を少女のほうに向けたからだ。
『ゴブ助も。冷めちゃうよ』
『所用を済ませてきます。後で参りますので。お先にどうぞ』
『そっちの彼も一緒に食べる?』
『いえ。彼はこれから仕事ですので。お構いなく』
『そう? じゃあ、先に待ってるからね』
少女はガーダーにも声をかける。それに対し、ガーダーも答える。二人とも、キングの知らない言語で話していた。
少女がいったい何者なのか、キングには判断つかない。しかし、魔王にとってそれが何よりも大事な存在であるのは間違いないようだ。
当たり前のように少女をエスコートし、それを当然のように受け入れる少女。魔王の浮かべる微笑も、小春日和の如き優し気なものだった。
魔王と少女が立ち去り、王の間はガーダーとキングだけになった。
二人の気配が完全に消え去ったのを確認し、ようやくキングが言葉を発した。
「アノ少女ハイッタイ?」
「オマエガ知ル必要ハナイ。……立テルカ?」
「……チカラガ、ハイラナイ」
ガーダーはキングに手を差し伸べて、立ち上がらせる。ふらつくキングに肩を貸すと、そのまま王の間の外へと向かう。
「スマナイ」
「構ワナイサ。ソレヨリ、大丈夫ナノカ?」
「……ワカラナイ。しゃーまんモ苦戦シテイルト報告ガアッタ」
重苦しいキングの言葉に、ガーダーはそうか、と短く返す。
「ナンデモ、人間ガ集マッテ来テイルラシク、近ヅケナイソウダ。マズハコレヲ蹴散ラス必要ガアル」
「ホウ?」
「ヴぉるふ・りったーヲ借リタイ」
魔王こと日出景と少女が戻ってきたのは6畳ほどの狭い部屋だった。
色あせてささくれの目立ち始めた畳を敷いてある、ボロアパートのような和室。そこに着くなり、景はマントと眼帯を剥ぎ取って、ハンガーに掛ける。
眼帯の下は傷などがあるわけではない。隠された右目には、深紅の虹彩に呪印のようなものが描かれているが、カラーコンタクトである。
「まだやってたんだ、その仮装」
「ふ、これは俺のえてててぃかだ」
「……美学、って言いたいならエステティカだよ」
「ふっ、それだ」
「それだ、じゃないよ。もう」
見た目は取り繕っているが、中身はこれだ。
ぶつぶつ言いながらも、景の上着を受け取り着替えを手伝う少女。それを当たり前のように受けながら、景はちゃぶ台の上に視線を移す。
小さなちゃぶ台の上にはとんかつと、茶碗が人数分準備されている。とんかつよりも、キャベツの千切りのほうが多いくらいで、魔王の食事というよりは、貧乏サラリーマンの夕飯というほうがしっくりくる。
「今日はとんかつだよ」
「久しぶりの肉だな」
「しょうがないでしょ。魚があまってたんだから」
魔王との会話というより、夫婦がいちゃいちゃしているような雰囲気である。
景はせんべいのように薄くなった座布団に胡坐をかくと、ガーダーが来るまでの間、貧乏ゆすりをする。
「もう、お行儀が悪いよ」
とたしなめられて、景はしぶしぶ貧乏ゆすりをやめる。代わりにテーブルの上に顎を載せて、とんかつの匂いを嗅ぎだした。
「ハァ。ゴブ助のやつ、遅いな。魔王強権で無理やり引っ張ってくるか?」
「ダメです。ゴブ助は仕事中なんだから。それより、なんの話をしていたの?」
「ん? ゴブキンが新しくできたダンジョンに入れないと喚いていたから、その激励をしていた」
ゴブキンことゴブリンキングがそれを聞いたら、全力で否定しただろう。あれは脅迫だと。魔王本人としては、プロジェクトの進捗状況の確認と、追加の予算などについて話したつもりだったのだが……
しかし少女はそこには興味を示さなかった。魔王が誤解されるのはいつものことなので。
それより少女が気にしたのは……
「ダンジョンに入れない? 入口に鍵がかかっているってこと?」
「いや。謎解きらしいぞ。なんでも人間は簡単に入れて、ゴブリンは侵入できない謎解きらしい」
それを聞いた少女が、顎に手を当てて考え込む。
「普通のゴブリンっだって5歳児程度の知能はある。シャーマンに至っては中学生並みの知能のはずなのに、ゴブリンだけ中に入れない謎解きなんて、ぱっと思いつかないんだけど。本当に謎解きなの?」
「ふっ。俺に聞くな」
「少しは考えてよ」
二人が乳繰り合っていると、玄関からゴブリンガーダーことゴブ助が帰ってきた。
「お二方、お待たせしました」
「うむ、待ったぞ。早く食べよう」
「こらこら。もう」
「その前に一つお願いがあります。ヴォルフ・リッターの使用許可を」
ぴたりと魔王と少女が固まる。ゴブ助の視線は魔王に向いているが、実際は少女に向けての言葉だ。事実、魔王は少女のほうに視線を逃がしている。
少女はその幼さに似合わぬ艶然と微笑を浮かべる。
「へぇ? 戦争、するんだ?」
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