飛行船
ぱたたたた、と頭上で音が鳴る。
僕はふと音の鳴った方へと視線を向けた。
音の正体は、飛行船。
大空を優雅に泳ぐ、クジラのようで、僕はすっと目を細めてその泳ぎぶりを眺めていた。
ぎゅぅ、と何かが僕の左袖を握る感覚があった。それは妻だった。
「どうしたの? ああ、ほら。飛行船。気持ちよさそうに飛んでいるね」
と、僕が君に言うと、君は何故かふるふると首を振ってあのクジラを見ようとはしなかった。
「怖いのです」と君が言う。
「怖い?」
「あの空を飛ぶクジラが、いつかあなたを攫っていくのではないかと、不安で不安で仕方がないのです」
そこで僕は、ああ、と思った。
いつか失った、僕の左脚。
それは空を飛ぶクジラが奪っていった。
君は、あのクジラを見る度に、酷く悲しげな目をしていた。
そうか。
君は、僕のない左脚のことを、想ってくれていたんだね。
「大丈夫」
大丈夫。
僕はそう君に伝えて、君の目元に指を添える。
大丈夫。
君が泣くことはないんだよ。
もう痛みも、恐怖も、悲しみも。
全て、あの美しい大空を遊泳するクジラが飲みこんでしまったのだから。
「僕は、幸せ者だね」
そう僕が笑うと、君も釣られて笑った。
温かい春の縁側。
僕たちの空には、憎くも美しい、クジラが泳いでいた。
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