第6話 喧嘩して涙して
「翔!」
僕は翔の胸の中に飛び込もうと翔の方へ駆け寄った。ところが、
「ふざけんな!」
と翔はそんな僕をいきなり怒鳴りつけた。僕はびっくりして立ち止まった。
「一体こんな時間までどこをほっつき歩いていたんだ!」
翔はずっと僕を探し回っていたらしい。額に汗が光っている。
「ご、ごめん・・・」
「今日は大学から一緒に帰るって約束しただろ! なんで勝手に帰って、勝手に遊びに行ってるんだ。携帯の電源まで切りやがって。そんなに好き勝手にしたいなら、どこへでも勝手に行け! 俺はお前にはもう付き合い切れん」
竜二は大地のことをずっと愛情のこもった目で見ていた。ずっと優しく大地を抱きしめていた。僕も翔に優しく抱きしめてほしかっただけなのに・・・。勝手にどこへでも行けなんて、いくらなんでもひどいよ・・・。鼻の奥がツーンとする。僕は涙が出そうになるのを堪えながら必死に反論した。
「翔がいけないんだ。洋一さんだかなんだか知らないけど、洋一さんの方が大切で、僕のことなんかどうでもいいんだろ。ずっと僕の前で洋一さんと仲良くしてさ」
「何で俺のせいになるんだよ! それに、ここで洋一なんて関係ないだろ!」
「関係あるよ! 関係・・・ある・・・う、う、うわーん!」
僕は思わず声を上げて泣き出してしまった。なんで、なんで翔は僕のことばかり責め立てるんだ。ずっと洋一さんの方ばかり見て、僕のことなんか放ったらかしにしたのは翔だった癖に。悔しくて悲しくてたまらない。僕が泣いたことで、翔も少し怒りの感情が収まったようだった。翔は声のトーンを落ち着かせ、
「とりあえず、帰るぞ」
と言うと、家に向かって歩き出した。僕は翔の後について家まで泣きながらあるいて行った。
せっかく一緒に住めることになった僕らの愛の巣。築五十年近くになる古い木造のアパートの一室。それでも、男二人で住むことの出来る物件が少なく、必死で不動産屋を回ってやっとの思いで見つけた大切な部屋。こんなオンボロアパートだけど、翔との楽しくてウキウキするような同棲生活が始まるはずだった希望に溢れた部屋。それなのに、同棲生活を始めて早々、僕は翔とほとんど過去にしたことないくらいの大きな喧嘩をして、こうして泣きながら帰って来ることになるなんて思ってもみなかった。
僕も翔もその夜はずっと一緒にいるにも関わらず、一言も言葉を交わさなかった。僕はすっかりいじけて部屋の片隅で膝を抱えて座ったまま、時折溢れる涙を拭っていた。翔はそんな僕に背中を向けたまま、漫画を読んでいた。時折、落ち着かない様子で部屋を出たり入ったりしながらも、僕とは決して口をきこうとはしなかった。
結局夜も抱き合うこともキスすることもなく、いつもは一緒の布団にくるまるところを、別々にそれも部屋の端と端に布団を敷き、僕らは背中を向け合って眠った。一緒の空間に翔がいるのに、触れることもできないなんて・・・。僕は布団にくるまりながら声を押し殺して泣き続けた。
翌朝、すっかり泣き疲れてずっしりと重い頭をもたげて僕は起き上がった。見ると、翔はもうそこにはいなかった。いつもなら、僕に乗せ付いて「早く朝飯作れよ」と甘えて来るのに、勝手にコンビニでパンでも買って出て行ったのだろう。翔の寝ていた布団だけが無造作に敷きっぱなしにされていた。
僕は実のところ、ほんの少し期待していたのだ。あれだけ僕を泣かした翔は、今朝になれば少しは優しい顔を見せてくれるんじゃないかと。いつものように僕にそっとキスをして起こしてくれるんじゃないかと。でもそんなことはなかった。僕のことなどまるでいないかのように放ったらかしにしたまま大学へさっさと行ってしまったのだ。
僕はご飯を作る気力もなく、結局コンビニでサンドイッチだけ買って大学に行った。今日の授業も翔と同じものはない。でも、そっちの方がよかった。せっかく同じ教室で授業を受けられるのに、ずっと不機嫌なまま、僕を無視し続ける翔と一緒にいるなんて耐えられなかった。
僕のすさんだ気分とは裏腹に、春の暖かい陽射しが降り注いでいる。そんなきれいな天気ですら、まるで僕をせせら笑っているように感じて面白くない。泣きすぎて鼻の奥もいまだに痛いし、頭もガンガンする。気分は最悪だ。
大学で楽しそうに行き交う学生たちの間を、僕はたった独り淋しくキャンパスに向かって歩く。皆、楽しそうだな。大学生活だもんな。なんで、僕だけこんなに淋しい気持ちで大学に通わなきゃいけないんだろう。僕は楽しそうにしている学生に対してまで恨めしいと思う感情を募らせた。
午前の授業の間、僕はほとんど集中もできず、ぼうっと講義のスライドを眺めていた。昼食の時間もおにぎりだけ買い、たった独りでキャンパスの隅っこでそれを胃に詰め込み、そのまま次の授業が始まるまで教室の後ろの席で突っ伏して時間の経つのを待っていた。しばらくそうやって突っ伏していたのだが、
「隣、いいか」
と声をかけられ、顔を上げると、あの洋一さんが僕の隣に立っていた。
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