第2話 モヤモヤ

 昼食を食べに学食に出て来た訳だが、ちょうど昼休みに当たる時間帯だ。学生が大挙して学食に訪れ、座る席など一つも残っていなかった。仕方なく、僕らは生協で弁当を購入すると、キャンパス内の芝生の上に直接座って弁当を食べることにした。


 さっきまであんなに恥ずかしい思いをしていたくせに、弁当を前にした僕はすっかり食い気に負けていた。購入したハンバーグ弁当を一心不乱に食べ始めた僕は、食べることに夢中で翔と洋一さんの会話にはほとんど注意を払っていなかった。僕はものの五分で弁当を平らげてしまうと、冷たいお茶で喉を潤した。


 腹を満たし、喉の渇きを潤した僕がすっかり満足して芝生に寝そべると、そこで初めて翔と洋一さんの会話が耳に入って来た。


「あはは、そうそう。翔っていつもやんちゃだったもんな」


洋一さんが手を叩いて大笑いしている。


「洋一に言われたくないよな。だって、お前のせいで俺たちプールが使用禁止になったんだからな」


「ねぇ、何の話?」


僕は翔をつんつん突いて尋ねた。


「ああ、いや、それがさ、洋一のやつ、俺らが小学五年生だった頃、夏休みの夜のプールに俺と数人の仲間と一緒に忍び込んで一緒に遊んだことがあるんだ。その時学校の七不思議ってやつが流行っていて、夜のプールに黒髪の女が出るって噂を検証しようって言ってな。でも、結局何もなくて、ただの水遊びになってさ。でも、そのまま帰るのもつまんないから、俺らふるちんのまま学校の中を探検したんだ。夜の学校なら何かいるかもしれないっていってさ。でも、そこで用務員のおじさんに全員見つかって、夜のプールに忍び込んで遊んだことがバレて、プールを使用禁止にされたって事件があったんだ」


「はぁ? なにそれ」


「笑えるだろ? でも、俺たち結構アホなことして遊んでたよな」


「そうそう。ああ、それから翔んちで俺たち集まって家の中で花火したことあったじゃん? 翔の親がいない時にさ・・・」


 翔と洋一さんはそんな昔の思い出で盛り上がっている。だが、二人の会話を聞いていた僕の心はだんだん穏やかなものではなくなっていった。そんなやんちゃしてた翔の小学生時代のエピソードなど、僕は何も知らないのだ。


 洋一さんは、翔が三歳の頃からの友達だという。水泳教室でもいつも一緒だったから、一番仲のいい友達だったのだろう。洋一さんは僕の知らない翔を知っている。ずっと一緒に遊んでいたのだ。もしかしたら、僕よりも翔とは密接に関わっていたのかもしれない。


 正直、翔の洋一さんとの再会は面白くない。むしろムカつく。翔のことを一番理解しているのはこの僕のはずなのに。僕にとって翔くらい理解している人間など他にいないはずなのに。そんな僕よりも翔のことを知っているかもしれない洋一さんに対抗心がメラメラと燃え上がった。


「そういえば、翔って洋一さんと中学時代は一緒にいなかったよね」


中学時代以降の翔を知っているのは僕の方だと主張したかった僕はわざとそんな質問を投げかけた。


「そうだよ。洋一、小学校卒業するのと同時に引っ越したからな。それから大学入るまで七年間はずっと別々に暮らしてたことになるな」


「へぇ。そうなんだ。じゃあ、僕の方が翔のことをよく知ってるよね。洋一さんなんかよりずっと翔と一緒にいるもん」


と僕は胸を張った。すると、洋一さんは笑いながら、


「それはないよ。俺と翔は三歳から十二歳までの付き合いだもん。九年間は一緒にいた訳だからね」


と言った。よく考えてみれば、その通りだ。僕と翔が付き合い出して六年と少ししか経たないのに対し、洋一さんが翔と過ごした三歳から小学校卒業するまでの九年間の方が長い。一瞬勝ち誇った僕は、コンプレックスを更に増大させることになってしまった。


 その後も昔話に花を咲かせる二人に僕は居心地を悪くし、その場をそっと離れた。僕と翔との関係は誰にも負けないと思っていたのに。翔も翔だ。僕を放ったらかしにして洋一さんとずっと話し込んじゃってさ。僕より洋一さんとかいう昔の友達の方が大事だっていうんだね。僕の方が翔の彼氏のはずなのに。


 幼馴染には、例え彼氏の僕でも勝てないのかな? 僕はふとそんなことを思うとすっかり憂鬱な気分に陥ってしまった。




 大学が終わっても、そのまま翔と同棲するアパートに帰る気にもなれず、僕はぶらぶらと新宿の街を散策して帰ることにした。上京してきてまだ一か月も経っていない。新宿には一度来てみたかったんだ。


 でも、初めての新宿も何だか楽しむ気分になれなかった。せっかく翔と一緒に暮らせることになったのに、初っ端からあの洋一さんとかいう幼馴染とやらに僕の恋心を邪魔されて、ずっと僕はご機嫌斜めだったのだ。僕より翔のことを長く知っていて、僕の知らない翔の素顔を知っていて、そんな洋一さんが正直羨ましい。洋一はノンケだから、翔に気などないんだろうけどさ。


 って、そういえば、ここどこ? 僕は忘れていた。僕がスーパー方向音痴人間であることを。しかも、新宿のこのゴタゴタした街並みに、建ち並ぶ建物の数々。ごった返す人。この日本一の繁華街の中心で、僕は道に迷ってしまったことに気が付いた。ど、ど、どうしよう。そうだ。翔に助けを・・・。


 慌てて携帯を取り出すが、こういう時に限って電池切れになっている。そういえば、洋一さんのことですっかりいじけた僕は、授業中もむしゃくしゃした気分のまま、ずっと携帯触っていたからな・・・。僕のバカバカバカ!


 僕は何とか自力でこの場所を脱出しようと頑張った。だが、僕が頑張れば頑張る程、迷路のように入り組んだ新宿の街に僕は翻弄されていった。僕は泣きべそをかきながら、必死で街を歩き続けた。気が付くとすっかり辺りは暗くなり、歩きすぎて足も棒のようになって痛くてたまらない。もう一歩も歩けないや・・・。


 僕は大学生にもなって、道に迷って泣いていた。不安で、怖くて、情けなくて仕方がなかった。道の真ん中でぐすんぐすんと鼻をすすり上げながらすすり泣く僕を、道行く人が怪訝な目で振り返る。


 僕の今いる場所は何だか怪しげなバーの看板が光を放つ、雑居ビルが立ち並ぶ街の一角だった。夜の街に僕はいつの間にか迷い込んでいたのだ。その場所がとても怖くなった僕は、足早に街の中を通り抜け、近くの公園に腰を下ろした。本当はもっと遠くに行きたかったけれど、体力も限界だったので、その公園で少し休むことにした。


 僕は公園に打ちひしがれて座っていた。ベンチに座ってぼうっと夜空を見上げていた。新宿の明るい街の光のせいで、あまりきれいに星は見えなかった。僕の地元はもっと夜は星がきれいに見えたのにな。僕は急に地元に戻りたくなった。もう東京なんていたくない。高校時代に戻りたい。料理部のみんなと充実した日々を過ごしていたあの頃に。バーの看板が涙で霞んで見えた。


 うなだれるように座り、静かに涙を流していた僕は、そのうちチラチラと視線を感じるようになった。こんな夜の暗い公園に、誰かがいるんだろうか? 僕は怖くなって身を固くした。


 隣に気配を感じ、僕はビクッとして恐る恐る横を見ると、いつの間にか知らない男が僕の隣に座っていた。この人、なに? なんなの? 男は僕の方をじっと見ている。僕は男と反対の方向に後ずさった。すると、男も僕の方に動く。


 うわぁ。これ、ヤバいやつかも。僕が逃げようとすると、男は僕の身体に手を伸ばして来た。逃げたいのに、足がすくんで動かない。この男は僕になにをしようというのだろう。すると、男は僕をそっと抱き寄せ、僕の股間をいじり始めた。


「あ、あの、なに・・・を?」


僕が声にならない声で尋ねると、男は僕の耳に小声で、


「かわいいね。今いくつ?」


と聞いた。へ? どういうこと? この人、ゲイなの? どうやら、殺される心配はなさそうだ。だが、この男のやりたいことはもう見当がついていた。こんな知らない男とやるほど、僕は見境のない男ではない。


「ごめんなさい。僕、あなたとそういうことするつもりないんで、帰ってくれますか」


僕はそう言うと、その場を離れようとした。すると、男は僕を抱き止めた。


「ちょっと、離してくださいってば!」


バタバタ暴れる僕をその男は愛撫する。


「だって、この公園に一人でこうやって座ってるってことは、ずっと待ってたんでしょ? やろうよ、おじさんと。気持ちよくしてあげるよ」


 この公園? ただの普通の公園じゃないか。なにを僕が待ってるっていうんだ。僕は意味がわからなかったが、このままではいられない。僕は必死に逃れようともがいたが、男はそんな僕をベンチの上に押し倒し、身動きの取れないように押さえつけた。そして、僕のシャツをたくし上げると、胸に舌を当てがってきた。


「離せ! やめろ! ふざけんな!」


僕は抵抗しながら男に考え得るすべての罵詈雑言を投げかけた。だが、そんな僕の様子を男は見て笑っていた。


「ふふ、そんなに気持ちいいのかな?」


 気持ちいいどころか気持ち悪いんだよ! 僕はなんとか逃げようとするのだが、男の力が強くて動くことができない。状況はさらに悪化した。何と、二人目の男が登場し、僕の股間を触り始めたのだ。僕、どうなっちゃうんだろう。僕がもう諦めるしかないかと思ったところで、


「お前、離れろ。こいつは俺のものだ」


と、最初の男が後に来た男を威嚇した。


「一緒にやらせてくれよ。こんな可愛い子、独り占めするなよ」


後から来た男がそう最初の男に頼み込む。


「だめだ。帰れ」


と、最初の男が言うが、後から来た男は構わず僕の股間を触り続けた。とうとう、完全に頭に来たのか、最初の男は僕を押さえつけていた手を離し、後から来た男をどついた。僕の身体から、その男の手が離れる。今だ!


 僕は身を翻し、一目散にその場を逃げ出した。僕が振り返ると、男は必死の形相で僕を追いかけて来る。僕は咄嗟に近くにあったバーの看板に従って階段を駆け下り、地下にあるとある店に飛び込んだ。

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