恋人は幼馴染に勝てるのか

ひろたけさん

第1話 旧知の友

 あぁ、やっとだよ! 僕は中学生の頃から付き合っている彼氏、赤阪翔あかさかしょうと一年ぶりに再会した。翔のやつ、大学への現役合格に失敗し、一年間浪人生としてわざわざ東京の予備校に通うことにしたんだ。せっかく一緒に受験生活を送れることを期待していたのにさ。


 でも、もういいんだ! 僕は翔と一緒の大学を受験し、合格を勝ち取った。これで一緒に大学に通える。今まで、一個上の翔とは学校でも当然クラスや教室が違い、一緒に授業を受けるなんてことはできなかった訳だけど、これからはずっとそばにいられるのだ。何たって、同じ文学部に進学したんだしね!


 だが、現実とはそう思った通りにはいかないものだ。


 大学の前期の授業期間が始まった。翔との花のキャンパスライフを夢見ていた僕は、その思い描いていた夢のような世界との現実とのギャップにすっかり意気消沈していた。本来であれば、朝一緒に家を出て、手をつなぎながらキャンパスへ向かい、授業も全部一緒でいちゃつきながら隣同士で受け、授業が終わればキャンパスの片隅でキスを交わすはずだった。


 ところが、初っ端の英語の授業のクラス分けで僕は愕然とした。事前に受けていたクラス分けテストの結果、僕は中級クラスへ、翔は上級クラスへと振り分けられていたのだ。確かに、僕は英語は苦手だけど、翔と一緒に授業を受けたいと頑張ったのに・・・。しかも、第二外国語も僕はフランス語、翔はドイツ語とこれまた違うクラスだ。ちゃんと第二外国語も相談して決めれば良かったな、と僕は今更ながらに後悔していた。


 僕が翔と一緒に授業を受けられるのは、文学部の必修科目である三科目だけで、それ以外はほとんど僕と翔は別行動だったのだ。


 早速英語の授業が始まったが、すっかり落ち込んでいた僕はため息をついてばかりいた。その時、


「ミスター・イナバ、聞いてますか?」


という甲高い怒鳴り声が僕の頭上から降り注いだ。見ると、目を吊り上げたこの授業の担当女性教授が僕を睨みつけていた。いかにも性格のきつそうなその女性教授は鼻にかけたメガネの位置をクイッと片手で直すと、


「今度余所見をしたらあなたの出席を認めませんからね!」


とヒステリックに叫んだ。この授業、三回休んだら、もうそれだけで落第らしい。僕は思わず震え上がった。緊張状態の続いた九十分間を何とか切り抜け、僕は教室の外に出ると大きなため息をついた。ふと辺りを見回すと、ちょうど、上級クラスの教室から翔が出て来るのが見えた。


「翔!」


そう叫んで駆け寄ろうとした僕は、翔の隣に翔と仲良さそうに談笑している男子学生が目に留まり、思わず立ち止まった。何だ。もう友達ができたのか・・・。僕はそれが非常に面白くなかった。本来なら、翔と一緒に仲良く授業を受けるのはこの僕のはずなのに・・・。


「おーい、一郎!」


翔が僕を見つけて手を振っている。だが、僕は翔の方へ自分から走って行く気が起こらなかった。僕が黙って俯いていると、翔の方から駆け寄って来た。


「おい、声かけたんだから返事くらいしろよ。どうだ? 英語の授業楽しかったか?」


「別に」


僕はいじけて横をプイと向いた。


「なんだよ、連れないな。あ、そうそう。一郎に紹介したいやつがいるんだ。へへ、こいつ。一郎、覚えてるか?」


翔が先ほど一緒にいた男子学生を僕の前に押し出した。僕は彼の顔を見るとはっとした。この人、僕、どこかで見たことがある。でも、それが思い出せなかった。


「もう、覚えてないか。こいつ、井澤洋一いさわよういちっていうんだ。俺が三歳だった時からの幼馴染」


 その名前を聞いた瞬間、僕はその井澤洋一が誰なのかをはっきりと思い出した。僕と翔は小学生の頃、同じ水泳教室に通っていた。その時にお互いに一目惚れをしていたのだが、結局その想いを伝えることもなく、その水泳教室も二人とも辞めてしまった。それから中学生になって再会を果たすまで、ずっとお互いがどこで何をしているのかも知らずに別々に暮らして来たのだ。こんな僕と翔が偶然再会し、しかも付き合うことになるなんて、ちょっとした奇跡だ。


 その水泳教室に通っていた時に、翔と一番仲が良かったのがこの洋一さんだった。いつも翔と洋一さんは無邪気に戯れては、「翔! 洋一! ちゃんとコーチの言うことを聞きなさい!」と怒られていたから、僕はその名前を翔とセットで覚えてしまっていたのだ。ずっと翔と仲良くできているこの洋一さんが羨ましかったんだよなぁ・・・。


 でも、洋一さんとはこれが一応の「初対面」になる訳だ。


「これが俺の彼氏の因幡一郎。こいつ、俺たちと同じ水泳教室に通っていたんだ」


と翔が洋一さんに僕を紹介した。


「あぁ、これが翔が言ってた可愛い彼氏ってやつか。というか、あの水泳教室で一緒だったなんて、よく覚えていないな。俺、こいつと知り合いだったっけ?」


洋一さんが怪訝な顔をして翔に尋ねた。そりゃそうだ。翔のやつ、こんな微妙な関係になりそうな相手をこんな形で紹介なんかするなっての・・・。しかも、僕のこと「彼氏」だってべらべら喋ってたのか。まぁ、反応を見る限り、男同士の関係に偏見とかなさそうだからいいけどさ・・・。


「あはは、知り合いじゃないよ。でも、一郎のやつ、俺のこと小学校の時からずっと好きだったんだって」


「翔!」


僕は顔を真っ赤にして叫んだ。


「へぇ。そうなんだ。よかったね、今一緒になれて」


洋一さんが鼻の下を人差し指でこすりながらそう答えた。僕は苦笑いを返すしかない。


「一郎ったら可愛いんだぜ。こんなちっちゃかった時から、俺のことずっと見てたんだってよ? 水泳教室で一緒だっただけなのにさ。俺に話しかける勇気もなくて、うじうじしていたんだって。でさ、俺が更衣室で着替えるの、気になって仕方なかったんだって。その頃からエッチなこと考えていたんだぜ、こんな純粋無垢そうな顔しておきながらさ」


翔はさも楽しそうに僕の頬をぷにっとつまみながら、僕の恥ずかしい過去を話し続けた。


「翔の馬鹿! そんなことここで言わなくてもいいじゃん。恥ずかしいよ・・・」


僕が赤くなるのを見た翔はすっかり鼻の下の伸ばして、


「もう、一郎は恥ずかしがりやで可愛いなぁ」


と言って僕の頬にキスをした。そんな僕らの様子を苦笑いしながら見ていた洋一さんは、


「そういえば、俺らのことじっと見ていたちっこいやつがいたの思い出したわ。あいつか」


と言った。洋一さんにも僕が翔のことを追い回していたことがバレていたんだ・・・。穴があったら入りたい。


「そう。たぶんそれがこの一郎だったんだよ。でも、今でも変わんないだろ? 背もちっちゃいし、可愛い顔はそのままだしさ。夜こいつを裸にしても、まだ瘦せっぽちで子ども体型なんだぜ? この見た目で俺にいつもべったりでさ。甘えん坊ですぐ泣くし、こんな可愛いやつ放ってなんかおけないよな」


翔がそう言いながら僕を抱きしめた。僕の体型のこととか泣き虫だとかそんなことまで言わなくてもいいじゃん!


「ああ、まぁ、可愛い感じではある・・・よな」


洋一さんは若干引き気味だ。


「だろ? ノンケのお前でも惚れちゃうくらい可愛いだろ?」


「あ、いや、そこまでじゃ・・・」


「えー? なんでだよ。やっぱりノンケはダメだな。一郎の可愛さの欠片もわかってない。ま、もし一郎の可愛さをわかるやつがいたとしても渡さないけど」


「あー、はいはい。わかったわかった。取り敢えず、昼飯にしようぜ。俺、腹減ったわ」


興味なさげな洋一さんが翔の話を受け流し、話題転換してくれたおかげで、翔による僕の恥ずかしい話の暴露大会は一旦の終結をみた。

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